20130406 柳沢文庫、大和文華館
「郡山城と城下町の歴史をさぐる-増田長盛と渡辺勘兵衛を中心に-」
東洋絵画の画題は大きく山水、人物、花鳥に分類されます。私たちが風景、人物、草花に向ける視線の性質が異なるように、絵画ではそれぞれの画題にふさわしい表現が追い求められてきました。人物画では、人物の姿の造形的な美しさだけではなく、着衣、表情、持物、動作、背景にさえ、絵画の主題となる人物の社会的な地位、気質、嗜好や感情まで反映されます。また、人物表現は山水図においても重要です。画面に描き加える添景人物によって、景観に特色を与え、生動感をもたらします。
繊細な対人感覚が醸成した美意識は、日本絵画において、数多くの名品を生み出しました。人々は敬愛し、あるいは、畏怖し、様々な想いを込めて画中の人物を眺め、時には、画中の人物に成り代わるようにして作品を鑑賞してきました。この展観では、国宝「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」をはじめ、平安時代から近代にいたる人物の描かれた絵画作品を展示します。仏画、肖像画、美人図、山水図など、多様な絵画作品に見られる豊かな人物表現をお楽しみ下さい。なお、所蔵品に加えて、桃山時代から江戸時代初期の夫人肖像画を拝借して特集展示します。
【絵画】
国宝 一字蓮台法華経 平安時代後期
重要文化財 笠置曼荼羅図 鎌倉時代
重要文化財 小大君像 鎌倉時代
重要美術品 龍湫周沢像 室町時代
重要文化財 婦人像 桃山時代
重要美術品 阿国歌舞伎草紙 桃山時代
国宝 婦女遊楽図屏風 江戸時代
重要文化財 中村内蔵助像 尾形光琳筆 江戸時代
重要文化財 扇面貼交手筥 尾形光琳筆 江戸時代
遊人有余地図下絵 横山大観筆 大正時代
【工芸品】
木地銀蒔絵禅機図経箱 室町時代
蒔絵草花文提箪笥 桃山時代
辻が花裂 桃山時代
【特別出陳品】
伝淀殿像 桃山時代(奈良県立美術館蔵 ※4/23~5/12展示)
重要美術品 二条昭実夫人像 桃山時代(雑華院蔵)
稲葉忠次郎夫人像 桃山時代(雑華院蔵)
中川秀成夫人像 桃山時代(大善寺蔵)
奥平信昌夫人像 江戸時代(大法院蔵)
若衆像 桃山時代(個人蔵)
201304005
芦屋市美術館世界を魅了した「青」
浮世絵名品展
春信・歌摩の露草青・写楽の監・北斎・広重のベルリンブルー
世界を魅了した「青」―浮世絵名品展 春信・歌麿の“露草青”写楽の“藍” 北斎・広重の“ベルリンブルー”展
第1展示室、第2展示室、ホール
開催日:2013年3月20日 ~2013年5月6日
休館日:月曜日(ただし祝日の場合は翌火曜日休館)
開催趣旨:江戸時代の日本美術を代表する浮世絵は国内外を問わず、今も多くの人々を魅了してやみません。とりわけ、自らを「画狂人」と称した葛飾北斎の名作、富嶽三十六景「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」は芸術性の高さが評価されています。中でもその色鮮やかな青の彩色は鑑賞者に強い印象を与えます。
墨摺版画として発祥した浮世絵版画は、はじめ紅絵と称されるように赤系統の着彩が主で、青色はほとんど使用されませんでした。本格的な多色摺版画の錦絵を始めた鈴木春信(1725‐70)によって浮世絵に青色の彩色がなされるようになりました。春信は露草青とよばれる爽やかな青色の彩色を人々の衣装や、河川の描写に使用しました。しかし、植物系の色絵具である露草青は保存に難点があり、光に弱く退色しやすいため、現在の春信の作品に見ることはできません。
その後、役者絵で有名な東洲斎写楽(1763~1820)の活躍期、寛政6(1794)年頃から、藍という鮮明な淡青色が使用されるようになりました。この藍は退色せず、現在も多くの浮世絵の名品でみることができます。ただし藍は大量生産が困難であり、水に溶けないことから、版画の制作上、ぼかしなどを表現することが困難でした。
そこで、新たに登場するのがベルリンブルーという青色絵具です。1704年(日本では宝永元年)、ベルリンで発見された万年筆の青インクに類似した化合物で、水によく溶け、光や酸化にも耐えうる優れた性質の絵具です。その色調は澄明で、淡い水色から深い濃紺色まで美麗に着彩でき、空や海、川などの青色の描画に適しています。まさに、葛飾北斎(1760~1849)の「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」は、このベルリンブルーを使用した先駆的な傑作です。
露草青から藍、そしてベルリンブルーへと使用される青色絵具の変遷は、浮世絵師にとって芸術性を極める努力の結晶といえます。これまでベルリンブルーが使用される画期については、北斎の作品から紹介される機会がありましたが、本展では特に鈴木春信、喜多川歌麿(1753‐1806)、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重(1797‐1858)などの名品から、青色絵具の変遷を一貫してご紹介し、浮世絵のもつ魅力に迫ります。
【主な展示品】
・鈴木春信 「座敷八景 時計の晩鐘」明和3(1766)年
・喜多川歌麿 「当時三美人」寛政5(1793)年
・東洲斎写楽 「二世坂東三津五郎の石井源蔵」 寛政6(1794)年
・葛飾北斎 「富嶽三十六景 凱風快晴」 文政12(1829)年
・葛飾北斎 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 文政12(1829)年
・歌川広重 「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」 天保5(1834)年頃
・歌川広重 「東海道五十三次之内 庄野 白雨」 天保6(1835)年頃
・歌川国芳 「東都名所 大森」 天保2(1831)年
など総展示数約120点
一部展示替
※全て礫川浮世絵美術館蔵
20130404
京都国立博物館
狩野山楽・山雪
20130323
御土居あと
平野神社
北野天満宮
龍谷ミュージアム
20130308
開催概要 | 基本情報 | 主な展示品 | 関連イベント | 関連情報
今も昔も魅力的な響きを持つ「京都」。その言葉には、風情ある町並み、由緒ある寺社や名所旧跡、豊穣な海や美しい山河の風景、そして長い
歴史、文化や風俗・芸術・産業といった、実に多様なイメージが込められています。そのため、古くから多くの人々が、京都を想うこころを様
々なかたちで表現してきました。
▲三宅凰白「稚児之図」昭和4年、八坂神社
そのような京都への想いと芸術の営みを現代へと受け継ぎ、さらに未来に伝えていくために、京都府では平成23年度から2カ年にわたり、現代
京都の日本画壇を代表する作家に依頼し、京都の風景を描いた100点の新作日本画シリーズ「こころの京都百選」を制作しました。本年度はそ
の完成の年にあたります。京都府京都文化博物館では、この「こころの京都百選」が完成したことを記念し、特別展「日本画 こころの京都」
を開催いたします。
本展覧会は江戸時代の画家が描いた京都の姿にはじまり、明治・大正・昭和・平成と続くそれぞれの時代の日本画家たちが思い描いた「京都」
のイメージをご紹介します。京都を訪れた画家たちの京都への想いも交え、過去から現代へと連なる美しい京都の姿をお楽しみ下さい。
基本情報
会 期
平成25年2月9日(土)~3月24日(日)
月曜日休館 *ただし2月11日は開館、翌12日休館
開室時間
午前10時-午後6時 *金曜日は午後7時30分まで
(入室はそれぞれ30分前まで)
主催
京都府、京都文化博物館、京都新聞社
協賛
株式会社京都銀行
京都中央信用金庫
後援
京都市、京都府教育委員会、京都市教育委員会、京都商工会議所、(公社)京都府観光連盟、(公社)京都市観光協会、歴史街道推進協議
会、NHK京都放送局、KBS京都、エフエム京都
文化庁地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ
入場料
当日 前売り・団体(20名以上)
一般 1,100円 900円
大高生 700円 500円
小中生 400円 300円
*お得な前売券は平成25年2月8日(金)までの期間限定販売
*前売券はチケットぴあ(Pコード:765-427)、ローソン(Lコード:53271)ほか、コンビニエンスストア(セブンイレブン、サークルK・サ
ンクス等)、京阪神主要プレイガイドで販売
*電子チケットでご購入いただく場合、手数料がかかることがあります。ご了承の上、お買い求め下さい。
■ 割引引換券をプリントする *必ずプリントしたものをお持ち下さい。
■ チラシのダウンロード[PDF1.8MB]
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主な展示品
▲横山大観「八幡緑雨」大正8年、
滋賀県立近代美術館
■プロローグ
描かれた京都イメージ
円山応挙、上村松園をはじめとする日本画の優品約60点をご覧いただきます
<主な作品>
・円山応挙「京名所図屏風」寛政元年、
MIHO MUSEUM
・幸野楳嶺「妓女図」明治6年、京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)
・竹内栖鳳「年中行事」明治19年頃、京都市美術館
・富岡鉄斎「長刀鉾図」大正5年
・速水御舟「洛北修学院村」大正7年、滋賀県立近代美術館
・横山大観「八幡緑雨」大正8年、滋賀県立近代美術館
・三宅凰白「稚児之図」昭和4年、八坂神社
・上村松園「静かなる夜」明治末期~大正期
・上村松園「春光」昭和前期、京都市美術館
・菊地契月「京人形図」昭和前期
・広田多津「おしろい」昭和12年、京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)
・秦テルヲ「京洛追想画帖」昭和15年、星野画廊
・宇田荻邨「鴨川の夕立」昭和29年、京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)
・秋野不矩「平安神宮」昭和48年、京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)
▲秋野不矩「平安神宮」昭和48年、京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)
▲中路融人「霧雨の清水寺」平成24年、京都府
▲岩倉寿「宝ヶ池比叡」平成24年、京都府
■こころの京都百選
現代京都の日本画壇の粋を集めた日本画作品100点をご紹介いたします
<主な作品>
・池田道夫「大文字山」
・岩倉 寿「宝ヶ池比叡」
・上田勝也「祇園祭」
・上村淳之「長旅のはざまで」
・烏頭尾精「知恩院三門」
・大塚 明「愛宕山之景」
・岡村倫行「善峯寺」
・黒光茂明「保津渓流」
・川嶋睦郎「彩り 東福寺」
・北野治男「悠悠(由良川)」
・小嶋悠司「不動明王…東寺」
・坂根克介「舞妓・先笄」
・高越 甚「衣笠山と堂本美術館」
・竹内浩一「明恵が在る(高山寺石水院)」
・辰巳 寛「『女紅場』にて」
・土手朋英「初夏の植物園」
・中路融人「霧雨の清水寺」
・丹羽貴子「緑陰」
・畠中光享「引き揚げの港」
・濱田昇児「賀茂川堤の桜と大文字山」
・福本達雄「比叡待春」
・藤井範子「舞う」
・曲子明良「丹後暮色」
・三輪晃久「風趣風光」
・村居正之「三千院緑韻」
・森田りえ子「一力亭白椿」
・山崎隆夫「平の沢池」
・山田 伸「不動」
・由里本出「丹後松島冬韻」
・吉村年代「秋色祇王寺」
・渡辺信喜「琴滝」
(五十音順)
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関連イベント
①講演会A「京都の日本画」
講師
上村淳之氏(日本画家・日本芸術院会員)
日時
2月10日(日)10:30~12:00
会場
当館3階フィルムシアター(定員170名)
※無料(ただし本展覧会入場券〔半券可〕が必要)要申込(申込方法は下記)
②講演会B「東京から見た京都の日本画」
講師
草薙奈津子氏(平塚市美術館長)
日時
2月11日(月・祝)10:30~12:00
会場
当館3階フィルムシアター(定員170名)
※無料(ただし本展覧会入場券〔半券可〕が必要)要申込(申込方法は下記)
③座談会「日本画のこれから~画材をめぐって~」
講師
荒木かおり氏(川面美術研究所長・文化財修復・復元)
西野陽一氏(日本画家)
箱崎睦昌氏(京都嵯峨芸術大学教授・日本画家)
日時
2月24日(日)10:30~12:00
会場
当館3階フィルムシアター(定員170名)
※無料(ただし本展覧会入場券〔半券可〕が必要)要申込(申込方法は下記)
上記申込み方法
往復はがきに住所、氏名(返信面にも)、電話番号、希望イベント名を明記し、 京都文化博物館内「こころの京都展関連イベント」係へ。先
着順。イベントごとに参加者1名につき、 1枚のはがきでお申込みください。
●出品作家によるギャラリートーク
日時
2月15日(金)、16日(土)、23日(土)、
3月1日(金)、2日(土)、8日(金)、9日(土)、
16日(土)、22日(金)、23日(土)
*金曜日は各日とも午後6時から、土曜日は各日とも午後2時から
場所
展示室内(事前申込不要)※当日の入場者に限ります
●学芸員によるギャラリートーク
日時
2月22日(金)、3月15日(金)
*各日とも午後6時から
場所
展示室内(事前申込不要)※当日の入場者に限ります
■ ギャラリートーク日程表[PDF48KB]
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関連情報
●まいこちゃんの京案内
展覧会のキャラクターまいこちゃんがガイドする、展覧会案内を会場にて配布いたします。 出品作品に描かれた場所がわかるガイドマッ
プ、京の名所の見どころや、京美人・祇園祭・日本画について、 など情報満載。作品めぐりという旅のおともにぜお持ちください。
※展覧会案内はは京都市立芸術大学博物館課程「博物館教育論」の課題として制作されました。
芸大ギャラリーガイド 日本画こころの京都展リーフレット
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プレスの方へ
広報画像の提供について
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*校正および掲載誌を必ずお送りください。
*ブログなど、個人には提供できません。
*場合によって、掲載をお断りすることがあります。ご了承ください。
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20130218
ダイハード5 ラストデイ
20130217
大阪府立図書館
大阪歴史博物館
20130213 京都
新島邸 見学
京都歴史資料館
龍谷ミュージアム
大阪歴史博物館
特別展「天下の城下町 大坂と江戸」を開催します
平成25年2月2日(土)~3月25日(月)
大阪歴史博物館では、平成25年2月2日(土)から3月25日(月)まで、6階特別展示室において、特別展「天下の城下町 大坂と江戸」を開催します。
現代日本の都市の多くは、江戸時代の城下町が基礎となって発達しました。その中にあって大坂と江戸は、特に規模の大きな城下町であり、他の城下町のモデルともなるものでした。それは、「豊臣秀吉」と「徳川家康」という2人の「天下人」が、政権の拠点として構想し建設した「天下の城下町」であったことによります。特に大坂に関しては、政治の実権が豊臣氏から徳川氏に移るという歴史に合わせるかのように、都市の構造や景観を変えてゆくことになります。
展覧会では、前史としての織田信長の城下町に始まり、大坂と江戸それぞれの城下町の誕生から完成に至るまでの歴史について、絵画資料や古地図、古文書や発掘資料など、約250点の資料によって紹介します。
プロローグ
織田信長の城下町
豊臣秀吉の城下町・大坂
徳川家康の城下町・江戸
徳川時代の大坂
エピローグ
左隻に京都、右隻に大坂の景観を描き、六曲一双となった屏風のうち、右隻の大坂を描いた作品。大坂の景観を、およそ右を南、左を北として表現したもので、画面左端(第六扇)上部に大坂城天守閣を配置し、右端(第一、ニ扇)上部に四天王寺と住吉大社を象徴的に描いている。その間に描かれた城内や武家屋敷、町屋では、祭りに集う人々などが活写される。江戸時代中期頃の成立と見られるが、豊臣秀頼の時代の景観を表現したものと考えられている。
【佐賀県重要文化財】肥前名護屋城図屏風
猪頭付き剣と鞘
六曲一隻 江戸時代 佐賀県立名護屋城博物館蔵
肥前名護屋城は、1592年からの文禄・慶長の役において豊臣秀吉が名護屋(現、佐賀県唐津市)に前線基地として築いた城である。前線基地とはいえ、城下には多数の大名屋敷が建設され、町場も形成されるなど、城下町の景観を呈していた。本資料は、城郭に加えて城下町の様子を描くが、現地にはこの屏風に合致する街区割りも残っており、この時期の城下町全般を考えるうえで貴重な事例となっている。
展示期間:平成25年2月2日(土)~2月25日(月) ※記載もれがありました。謹んでおわび申し上げます。
加賀藩江戸屋敷跡出土金箔瓦
加賀藩江戸屋敷跡出土金箔瓦
江戸時代 東京大学埋蔵文化財調査室蔵
現在の東京大学本部構内(東京都文京区)にあった加賀藩江戸屋敷跡の発掘調査で出土した、表面に金箔を押して装飾した瓦である。金箔を押した瓦は、織田信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城で用いられたことが有名であるが、初期の江戸城下町の大名屋敷でも、こうした瓦が用いられ、都市を飾っていたことがうかがえる資料である。
大坂三郷町絵図
大坂三郷町絵図
明暦元年(1655) 本館蔵
北組惣会所旧蔵と伝えられる肉筆彩色の絵図である。北は中津川から南は四天王寺まで、近世の大坂三郷の全域が描かれる。現存する肉筆の大坂図としては最古級のものであり、近世の大坂城下町を研究する上での基本資料となるもので、資料的価値は非常に高い。
2013/1/20 細見美術館 京都国立博物館
開館15周年記念特別展Ⅰ
江戸絵画の至宝-琳派と若冲-
会期:2013年1月3日(木)-3月10日(日)
初代 古香庵(1901~1979)に始まる細見コレクションは、日本美術史を辿ることのできる多様な作品からなります。
記念特別展の第1弾となる本展では、江戸時代の中でも極めて魅力に富む琳派と伊藤若冲の作品をご紹介します。 俵屋宗達から酒井抱一らに至る琳派の華麗な様式と、伊藤若冲の独創的な画風が味わえる、細見コレクションならではのラインナップをお愉しみください。
13_01-crs.pdf
開催中の展覧会
特別展観 国宝 十二天像と密教法会の世界
<特別展観>
国宝 十二天像と密教法会の世界
H25.1.8(火)~2.11(月・祝)
承和元年(834)、空海が宮中で始めた後七日御修法(ごしちにちのみしほ)。これは正月に行われる国家の鎮護を祈る修法で、現在でも東寺において続けられています。この特別展観では、この修法のために作られた国宝 十二天像(京都国立博物館蔵)を一堂に展示し、関連遺品とあわせて紹介します。
この展覧会は、京都国立博物館の所蔵する国宝の十二天像と国宝の山水屏風(せんずいびょうぶ)を中心に、後七日御修法(ごしちにちのみしほ)と灌頂(かんじょう)という密教の重要な法会(ほうえ)の世界をご紹介するものです。
国宝 十二天像は、大治2年(1127)に宮中真言院後七日御修法のために新調されたもので、もと東寺(教王護国寺)に伝来していた由緒の正しい作品です。この国宝 十二天像十二幅すべてと、これとセットで作られた国宝 五大尊像(東寺蔵)の一部を展示します。あわせて、御七日御修法にまつわる歴史をご紹介します。この護国の法会の長い歴史を通じて、昔の人々の国に対する思いの一端を読み取っていただければ幸いです。
国宝14点、重要文化財16点、重要美術品3点、初公開作品も多数含む総数70件あまりの豪華版ですので、ぜひご来館ください。
第一部
国宝 十二天像と後七日御修法
弘法大師 空海(774~835)は、仁明天皇の許しを得て、宮中に真言院という専用の道場を置き、後七日御修法を始めました。正月七日まで行われる宮中節会(せちえ)の後に引き続いて七日間行われるため、この名前がついています。この後七日御修法では、「御衣加持(みそかじ)」という、天皇のお召し物を用いて、天皇の健康と国家の鎮護を祈る修法を執り行います。現在は、東寺(教王護国寺)の灌頂院に場所を移して続けられています。
第一章 国宝 十二天像
後七日御修法に使用される仏画や法具は、東寺(教王護国寺)の宝蔵に納められていました。しかし、大治2年(1127)3月13日、東寺の宝蔵が火災に遭い、それまで修法で使用していた五大尊像と十二天像が焼失してしまいます。この時、朝廷の命によって新調されたものが、現在、京都国立博物館に所蔵されている十二天像と、東寺に伝えられている五大尊像です。
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国宝 十二天像のうち水天 京都国立博物館蔵
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国宝 十二天像のうち風天 京都国立博物館蔵
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国宝 五大尊像のうち軍荼利明王像 京都・東寺(教王護国寺)蔵(1/22~2/11展示)
第二章 空海帰朝
空海は、讃岐(香川県)の地方役人を父親として生まれました。18才で都の大学寮(官僚養成学校)に入りましたが、その後、仏教に心を寄せ、延暦24年(804)に遣唐使とともに中国・唐に渡り、当時大成されたばかりの密教を学びます。空海の師・恵果(けいか)は、当時の中国密教の第一人者であり、空海はあしかけ3年にわたる留学を終え、日本に正統な密教を伝えました。
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初公開 弘法大師像(秘鍵大師像) 株式会社虎屋蔵
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国宝 金剛般若経開題 部分 空海筆 京都国立博物館蔵(1/8~20展示)
第三章 後七日御修法のはじまり
空海は、帰国後、嵯峨天皇(在位809~823)の信認を受け、高野山に金剛峯寺を開き、弘仁14年(823)には東寺(教王護国寺)を下賜され、真言宗の地位を確立しました。 密教の力で鎮護国家を図るため、仁明天皇(在位833~850)に「宮中真言院の正月御修法の奏状」(『性霊集』巻九)を献じ、承和元年(834)12月29日に勅許がおりています。このことから、確実な史料上の記述はありませんが、承和2年正月から後七日御修法が行われたと考えられています。
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国宝 十二天像のうち帝釈天 奈良・西大寺蔵
第四章 後七日御修法の荘厳
後七日御修法が行われる際は、神秘的な仏画や法具などでお堂の内部が飾られます。仏教の用語では飾りつけることを荘厳(しょうごん)といいます。密教では、行われる修法にあわせて荘厳を変えるため、修法を行う建物には大きな空間が必要とされました。密教の法具は、煩悩を打ち砕くという意味でインドの武器に由来する形を持つものもあります。後七日御修法では、空海が唐から持ち帰った法具が今も用いられています。
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重要美術品 五鈷鈴 京都国立博物館蔵
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重要美術品 三鈷杵 京都国立博物館蔵
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金銅六器「東寺」銘 京都国立博物館蔵
第五章 後七日御修法のあゆみ
現在も東寺の灌頂院で行われている後七日御修法ですが、長い歴史の中で何度か中断を余儀なくされました。平安時代、宮中にあった真言院は大内裏(だいだいり)の廃亡と運命を共にし、また、戦乱期には、長禄4年(1460)を最後に、元和9年(1623)に再興されるまで約160年もの間中断しました。明治4年(1871)9月には廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により一時は廃止が決定されましたが、東寺を初めとする真言宗の努力によって明治16年に復興されました。
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重要文化財 両部大壇具のうち胎蔵界大壇具(大壇を除く) 奈良・室生寺蔵
第二部
灌頂とその荘厳―山水屏風と十二天屏風を中心に―
灌頂(かんじょう)とは密教の儀礼の一つで、古代インドで国王の即位の際に頭に水を注いだ儀式が密教に取りいれられたものです。一人前の師としての資格を得る伝法灌頂(でんぽうかんじょう)と、一般の人も受けることが出来る結縁灌頂(けちえんかんじょう)の二つが代表的で、12世紀に大寺院で行われた結縁灌頂には、多くの貴族が参列しました。山水屏風(せんずいびょうぶ)や十二天屏風などは、この灌頂の道場の荘厳(飾り付け)に用いられたもので、ここではこれらの遺品を中心に、灌頂の世界をご紹介します。
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国宝 灌頂暦名 部分 空海筆 京都・神護寺蔵(1/22~2/11展示)
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国宝 山水屏風 京都国立博物館蔵
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重要文化財 十二天屏風のうち 京都・神護寺蔵
20130109
奈良県立図書情報館
20130105
大宰府天満宮
大宰府 宝物館
九州国立博物館
九州国立博物館
九州国立博物館
20130104
福岡タワー
福岡タワーの展望台より
福岡城址
福岡城址 天守台 より
天神 あるビル
櫛田神社
20130102
山の辺
大和三山
山の辺
桧原神社
20121123 堺市博物館
発掘された日本列島2012
(同時開催:地域展「激動の時代「慶長」を掘る―よみがえる400年前の京都・大阪・堺―」)
概要
日本では、毎年8千件近くの発掘調査が各地で行われています。文化庁では、とくに注目される発掘調査の成果を、より多くの方々に、できるだけ早く、また分かりやすく御覧いただくことを目的として、平成7年度から「発掘された日本列島」展を企画し、全国各地の博物館で巡回展を開催しています。
今年度は、同展を堺市博物館で開催し、20の遺跡、約580点の出土品を展示します。展示品のなかでも、鎌倉時代末の元寇襲来の軍艦(沈没船)が発見された史跡鷹島神崎遺跡や、明治10年の西南戦争激戦地の田原坂から出土した銃弾・砲弾などは、とくに興味深いものです。
また、堺市博物館の独自企画として、地域展「激動の時代「慶長」を掘る―よみがえる400年前の京都・大阪・堺―」を同時開催します。
文禄5年(1596)9月5日に現在の京都・伏見付近でマグニチュード8相当と推定される直下型大地震が発生しました。死者数の合計は京都や堺で1,000人以上を数えたと伝えられています。同年10月27日にはこの災異のため「慶長」と改元されました。
慶長時代は20年間続きますが、その間には、豊臣秀吉の死去、関ケ原の合戦、江戸幕府の開幕、大坂冬の陣・大坂夏の陣、大坂城の落城と豊臣氏滅亡というように、歴史を変える出来事が数多く起こりました。
近年の発掘調査では、この激動の時代を物語る遺構・遺物が発見されています。地域展では、その主要な舞台であった京都・大阪・堺の遺跡から出土した遺物をとおして「慶長」を考えてみたいと思います。(※月日は旧暦表示です)
会期
平成24年11月17日(土)~12月24日(月)
20121121 姫路
姫路市美術館
特別企画展
象徴派-夢幻美の使徒たち
19世紀後半、フランスやベルギーを中心として、象徴派と呼ばれる芸術運動が起こりました。日本でも、明治末から大正にかけて、「秋の日のヴィオロンのためいきの…」の訳詞で有名な上田敏によって、ヴェルレーヌ、マラルメ、ヴェラーレン、マーテルランク(メーテルリンク)など、同時代の象徴派の詩人が紹介されています。そのためでしょうか、象徴派ということばにはある種ノスタルジックな響きがあります。
一方、象徴派の画家たちは、眼に見える世界を超えたところにある理想や、事物の背後に潜む存在の神秘を描き出そうと試みます。魔性の女サロメやスフィンクス、死せるオルフェウス、また小説「死都ブリュージュ」の世界観を描いたクノップフ、モロー、ルドン、そしてタヒチの画家ゴーギャンやアンティミスム(親密派)の画家ドニ、ボナール、ヴュイヤールなどです。
象徴派の画家たちが紡ぎ出す、夢幻美の世界をお楽しみください。
兵庫県立歴史博物館
■ 赤松円心・則祐
10月13日(土)~12月2日(日)
赤松円心像(当館蔵)
播磨守護赤松氏は、西播佐用荘赤松村(現上郡町)から身を起こし、南北朝の内乱の中での活躍によって播磨守護の地位を確立、以後嘉吉の乱による断絶を挟みながらも、戦国時代まで播磨の支配者として君臨しました。県域の中世史を代表する存在の一つと言ってよいでしょう。
この展覧会では、赤松氏の基礎を築き上げた円心・則祐父子に関する資料を幅広く収集し、近年の研究成果も織り込みながら、南北朝時代における赤松氏の実像をご紹介します。
20121109-20121111
大学 スクーリング
都市空間研究c
概要 詳細は undefined
20121109
1日
茶山通りをフィールドワーク
20121110
川の痕跡をフィールドワーク
20121111
資料作成
プレゼン
20121102
大阪市立美術館
北斎
―風景・美人・奇想―
世界的にもその名を知られ、ゴッホら印象派の画家たちにも影響を与えたとされる浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)。北斎は、90年におよぶその生涯で、風景画・美人画・花鳥画などさまざまなジャンルに挑み続けました。本展では、富士を描いた作品はもちろん、重要文化財に指定される「潮干狩図」「二美人図」など、肉筆画・版画・版本およそ300点を展示予定です。また、一般にはほとんど知られていない、北斎と大阪との関係についてもご紹介します。
潮干狩図
大坂と北斎
今から約200年前、北斎が大坂を訪れたと考えられています(一説に文化9年[1812]および同14~15年頃)。確かな証拠は見つかっていませんが、北斎が描いた『北斎画式』という絵手本が大坂の版元を中心に出版されたり、北州や北敬といった大坂の浮世絵師たちが北斎に弟子入りしたりしていることからも、北斎が来坂した可能性はかなり高いと言えるでしょう。本展では、北斎の来坂をうかがわせる資料や大坂ゆかりの弟子たちの作品などを展示し、北斎と大坂のつながりについてもご紹介します。
20121102
国立国立国際美術館
没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠、エル・グレコの大回顧展を開催します。
エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541~1614年)は、16~17世紀のスペイン美術黄金時代に活躍し、ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられます。ギリシャのクレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマでの修行時代を経て、スペイン・トレドにたどりつき、揺らめく炎のように引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や独自の肖像画で、当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得ました。
本展は4章からなっています。第1章「肖像画家エル・グレコ」では、エル・グレコの肖像画とそれに密接に関連する作品群を紹介します。第2章「クレタからイタリア、そしてスペインへ」では、画家の遍歴と画業の変遷を検証します。第3章「トレドでの宗教画:説話と祈り」では、エル・グレコの全制作の中でも最も大きな割合を占める祈念画の作例を紹介します。そして第4章「近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として」では、数々の聖堂の祭壇画として制作された作品群を見ていきます。
本展にはプラド美術館、ボストン美術館など、世界中の名だたる美術館やトレドの教会群から油彩50点以上が集結します。高さ3メートルを超える祭壇画の最高傑作の一つ《無原罪のお宿り》も初来日し、まさに「奇跡の集結」といえる国内史上最大のエル・グレコ展となります。ぜひご鑑賞ください。
宮永愛子(1974~)の作品は時間と共に変化していきます。例えば、2003年に発表した「靴」を題材とした作品で用いられているナフタリンは常温で昇華するため、最初の形が保たれません。《シンデレラ》と名づけられたその作品は、誰もが知っているように夜中の12時を過ぎて魔法の切れた主人公が王宮の階段に落としていったガラスの靴を直喩すると同時に、戻ることのない時間の非情な流れを象徴的に示したものでした。有名な物語と自ら崩れていく靴、という組み合わせによって自己の方法論を印象づけた宮永は、次の段階では、窯から出た焼物が長期間きれぎれに奏でる微かな音(貫入)をテーマとしたような作品も試みています。事物の形姿が変化する様が聴覚を通して認識されるという体験を、美術作品という枠組で普遍化しようとしたのです。
変わり続けていく自身の作品を思い描いて、宮永は「なかそら」という言葉を紡ぎ出しました。古語に「なかぞら」という言葉があります。それは、どっちつかずで、心が落ち着かない様を意味しますが、宮永の「なかそら」も、それに近似した未だ揺らぎのある言葉です。そしておそらく、万物は全て変化を続けながら存在している、ということを象徴する宮永の作品は、全て「なかそら」の状態にあるのかもしれません。
本展は、そのような時と共に移ろいゆく姿を表し出す作品から、去年発表した金木犀の葉脈を用いて作り出した巨大な布状の作品《景色のはじまり》、そして新作まで、「なかそら」という言葉を介しながら、見る人の感性を揺るがすような6つの作品群によって展観いたします。
20121031 京都
有栖川
府庁
20121031 京都
御所
有栖川
府庁
20121029 正倉院展
平城宮跡資料館秋期企画展「地下の正倉院 平城宮第一次大極殿院のすべて」
20121020T.pdf
平城宮跡資料館秋期企画展「地下の正倉院 平城宮第一次大極殿院のすべて」
秋は正倉院展の季節です。奈良文化財研究所 平城宮跡資料館では、奈良国立博物館でおこなわれる正倉院展の時期にあわせて、『地下の正倉院展』を開催します。6回目となる今年は奈良文化財研究所創立60周年を記念して、当研究所が1959年以来、50年かけておこなった平城宮第一次大極殿院地区の発掘調査成果をギュッと凝縮してお見せいたします。
平城宮跡資料館
木簡 ギャラリートーク14:30-15:30
10/21
◉京都国立博物館
宸翰 天皇の書
◉龍谷ミュージアム
絵解きって何
10/19 大和文華館
今年の特別展は、白描図像が持つ特有の観賞性に注目し、その魅力をご紹介するものです。仏の姿や形を記す「図像」は、密教修法の盛行と並行して、平安時代半ば頃から盛んに著されるようになり、専門の絵仏師のみならず、優れた画技を持つ僧侶によっても描かれました。定智・玄証・信海といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての画僧が知られています。このような図像の集積が、鎌倉時代以降の作例に見られる、経典の規範から解放された、学侶や発願者の思想を強く反映した仏画制作へと繋がります。 展覧会では、関連する作例が数多く伝わる「玄証本図像」、宅間為遠筆の伝承を持つ「金胎仏画帖」を中心に、画僧や絵仏師によって著された図像をご覧頂きます。これらの図像には、単なる転写に留まらない独特の画趣が現れ、同時代の彩色された仏画と共通する表現上の特色や造形感覚が見出せます。さらに、複数の図像を抽出し一図に再構成して描いた仏画に注目します。図像が単なる「ほとけの形」の継承に留まらず、構図や表現にまで新たな影響を与えた点を明らかにしたいと思います。線描で描かれた図像から生まれた、清雅な美の世界をお楽しみください。
20121016
大津歴史博物館
第59回企画展 法然上人没後800年記念・親鸞聖人没後750年記念
阿弥陀さま -極楽浄土への誓い-
展覧会20121016.pdf
20121010
京都アスニー
特別展『京(みやこ)の地図学者 森(もり)幸安(ゆきやす)の世界』
必見の古地図!複製拡大版を展示!
~天文・世界・亜細亜(アジア)・日本,国・地域など多彩な地図~
江戸時代、京都生まれの 森幸安 彼の描いた地図の世界をシリーズで公開。
1シリーズ2箇月 12回(2年間,2011年4月~2013年4月)を実施。
国際日本文化研究センター文化資料研究企画室が推進する地図のデジタルライブラリーを活用。
第9回 2012年8月25日(土)~2012年10月22日(月)
「洛外図」
展示予定品
・畿内部 十一帖 京師内外地図 洛中 洛東 第一愛宕郡
・畿内部 十帖 近世京師内外地図 洛陽 洛東 山科
・畿内部 十六帖 城南伏見地図
・畿内部 十三帖 京師内外地図 城南第三 紀伊
・畿内部 十二帖 京師内外地図 洛西 第二葛野
・畿内部 廿二帖 城西嵯峨地図
細見美術館
細見美術館アートキャンパス2012 -日本美術の見方 いきもの編
「細見美術館アートキャンパス」は、2009年より毎夏に、来館の皆様に美術館をマイキャンパスとして、広く美術作品・美術館活動などに親しんでいただく展覧会として開催してきました。
4回目となる今年は、絵画や工芸品に表現されている「いきもの」をテーマに、開校します。
本展では、自然美の象徴ともいえる花鳥画、いきものをさまざまな視点から描いた絵師たちの挑戦、いきものと人との共生を示す作品、いきものを意匠化した工芸品まで、さまざまな角度から美術品の中に息づくいきものたちに触れていただけます内容となっています。
会期中、毎年多くの方にご参加いただいている「館長アートトーク」も開催いたします。いきものたちの豊かな表情を通して、「細見美術館流」日本美術へのアプローチをお楽しみ下さい。
20121008
天理参考館
第67回企画展 「蹴鞠 Kemari」
蹴鞠(けまり)は日本におけるサッカーのルーツととらえられることが多いようです。Jリーグの開幕を記念して、国立競技場で蹴鞠が披露されたのをご覧になった方も多いでしょう。でも蹴鞠のルールをご存知の方はどれほどいるでしょうか。「雅な装束に身を包んで鞠を蹴る、貴族が楽しんでいたスポーツ」という答えは間違っていません。なるほど、いかにものどかな趣味のようですが、そこにはサッカーと同じく厳しいルールがあり、トレーニングが要求される団体スポーツです。
蹴鞠はいつから親しまれるようになったのでしょうか。日本で初めて蹴鞠という記述が見られるのは『日本書紀』です。大化の改新を前にして、蹴鞠のプレー中に沓を落とした中大兄皇子に中臣鎌足がその沓を拾って捧げた、有名な二人の出会いの場面です。蹴鞠は中国から伝来したと伝えられていますが、数百年にわたるその歩みのなかで日本の文化風土によって独自のスタイルを形成し、様式として東アジアには例を見ない足を使った運動に発達しました。蹴鞠は、鞠を地面に落とさずに、多くの回数を蹴り続けることを競います。サッカーのリフティングと違うのは、自分一人で続けるのではなく、相手に蹴りやすい鞠を返さないといけないという点です。足さばき、身のこなし、姿勢など身体の使い方に細かく定めがあるだけでなく、装束やプレーする鞠場、ひいては蹴鞠をプレーしてよい人にも決まりがあります。それらの様式とはどのようなものなのか、今回の展示で資料をご覧いただいて詳細に紹介いたします。
蹴鞠を洗練された様式に育て上げてきたのは、平安時代後期から鎌倉期にかけての京都の公家社会です。先に述べた中臣鎌足の子孫である藤原摂関家につながる難波家、飛鳥井家の二家が確立していき、やがて愛好家は大名から庶民にまで裾野を拡大していきます。当館は江戸から昭和初期にかけて蹴鞠に精進した公家の資料を一括収蔵しており、それら装束、鞠、道具類を展示するほか、日本で有数の蹴鞠関連文書を所蔵する天理図書館の協力を得て、その一部も併せてご覧いただきます。
日本人はボールゲーム好きです。"日本古来"と言われる相撲や武道などのように、神事や戦闘に深く関係するのではなく、足で球を操作するところに面白さを求めるという意味では、蹴鞠も最も伝統的な日本のスポーツの一つではないかとさえ思います。近年活躍が目覚ましい日本サッカーが蹴鞠につながり、実は古代からの「足魂※」を脈々と伝えていることも今回の展示でご紹介できればと考えています。
※公家の古文書でしばしば出てくる用語。日々訓練を積んで「足魂」が生じれば自然に身体が動きどんな鞠でも受けとめられるとする。
桃紫片身替唐花菱水干
有紋燻革韈鞠
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20121004 京都文化博物館 京都市歴史資料館、本能寺
●京都文化博物館
◎シャガール展
1887年、帝政ロシア領のヴィテブスクに生まれたユダヤ系の画家マルク・シャガール。妻を一途に愛し、愛や結婚をテーマにした作品を多く残したことから、「愛の画家」として知られています。サンクトペテルブルグで美術を学んだ彼は、1911年憧れのパリに赴き、キュビズムをはじめとする新しい傾向に触れます。その後、故郷に帰り、1915年ベラと結婚します。再びパリへ戻りますが、第2次世界大戦中に渡米し、そこで最愛の妻ベラを亡くします。悲しみを乗り越えたシャガールは、戦後フランスに戻り、その名声を不動のものとし、1985年南フランスで亡くなりました。
▲《散歩》1917年ー18年 ロシア美術館
本展では、ロシアの国立トレチャコフ美術館、国立ロシア美術館の全面的な協力を得て、色彩の詩人と呼ばれるシャガールが運命的な出会いをし、生涯にわたって愛し続けたベラとの愛の物語をテーマにした作品群を中心にご覧いただきます。とりわけ、モスクワのユダヤ劇場の壁面制作を任されたシャガールが取り組んだ一連の作品群や、シャガールの代表作である《街の上で》(トレチャコフ美術館)・《散歩》(ロシア美術館)などは必見の作品と言えるでしょう。シャガールの華麗な色彩と詩情あふれる豊かな世界を、存分にお楽しみください。
◎近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝2
▲後陽成天皇和歌懐紙「幸逢太平代」
京都市右京区の公益財団法人陽明文庫には、平安時代以来の貴重な歴史資料が数多く収蔵されています。
陽明文庫は、摂政・関白という朝廷の要職に就いた藤原摂関家の一つ、近衞家の御蔵を継承したもので、そこには平安貴族社会の栄華を極めた藤原道長の自筆の日記『御堂関白記』(国宝)をはじめ、幕末にいたるまでの歴代関白の日記が収蔵されています。他にも、歴代天皇の宸翰や摂関家ゆかりの古文書、政務儀式書や有職故実書、国文学作品や漢籍、古筆名蹟など、王朝文化のあらゆる分野にわたる資料が幅広く収蔵されており、公家資料の一大宝庫となっております。
今回の展示では、これらの収蔵資料の中から、歴代関白や天皇の和歌懐紙・詠草などを中心に、近衞家に伝わった王朝文化の世界をご紹介いたします。
◎よみがえる羅城門 -模型の楽しみ方1・2-
▲平安京の羅城門 復元模型(造営風景)▲同上(溝掘りの様子)
羅城門は、平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に建てられた門で、都の表玄関でした。羅城門の名は、その姿を実際に見た平安時代の人々だけではなく、平安時代以降の人々にも、歴史書はもとより、小説、映画、あるいは謡曲など幅広いメディアを通じ、非常に長い期間に渡って知られてきました。その意味で、日本の歴史上、最も有名な門の一つと言えます。本展では、羅城門の歴史や様々な逸話を、羅城門の模型を中心とした資料を用いて、ご紹介していきます。
1では、江戸時代から昭和時代にかけて、京都案内記や地誌、小説、映像、さらに研究書などで表現されてきた多様な羅城門イメージをたどります。
2では、羅城門建造当時の風景をしのばせる道具や木材、絵巻などを通して、大工や左官たちの製材加工や造作の様子をご紹介します。
●京都市歴史資料館
◎特別展 叢書京都の史料刊行記念「禁裏御倉職立入家の人びと」
本年3月,禁裏御倉職を務めた立入家の古文書が「叢書京都の史料」第12回配本として翻刻・刊行されました。これを記念した特別展を開催することになりました。
禁裏御倉職の重要な業務とは,禁裏御領の年貢出納に関わる実務でした。本展示では,織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の時代に活躍した立入宗継の事績を中心として,さらに江戸時代から明治時代に至るまでの立入家の人びとについて見ていきます。近世初頭から明治時代まで,立入家の人びとから見た京都のすがたを,古文書を中心に迫ります。
主な展示品
・元亀2年(1571)御借米之記(おんしゃくまいのき)(冊子)
・左京亮宗継入道隆佐記(さきょうのすけむねつぐにゅうどうりゅうさき)(巻子)(年未詳)
●本能寺
明智光秀の謀反=信長の終焉の地
本能寺は、織田信長が上洛時に宿所として使っていた寺である。そしてこの寺で信長は重臣の明智光秀により自害に追いやられたのである。
天正10年(1582)5月29日、信長は少数の護衛を伴い、いつも どおり上洛時に宿所としていた本能寺へ入った。一方、光秀は信長の命令により備中高松城で毛利家と戦っている羽柴(豊臣)秀吉の援軍のため、坂本城(大津市)から丹波亀山城(亀岡市)へ 移動した。光秀はそこから西へ向かうはずのところ踵(きびす)を返して「敵は本能寺にあり・・」と本能寺へ向かう。これが、広く知られた「本能寺の変」で、この事件により本能寺は四度目の焼失 となった。京都市街の社寺で、移転・焼失の経験が無い社寺は極めて少ない。本能寺は中でも多く、現在まで五度の焼失と七度の再建をしている。なお、天正10年当時の本能寺は現在地から直線距離で1.2kmほど南西の油小路通蛸薬師にあった。
本能寺の創建は、室町時代の応永22年(1415)。日蓮上人の教えを受けた日隆(にちりゅう)上人が油小路高辻(現仏光寺付近)に建立した本応寺(ほんおうじ)が前身。本尊は十界大曼荼羅。その後、上人は妙本寺(現妙顕寺)の月明上人と本迹勝劣(法華経二十八品(ほん)のうち、前半部の十四品までを「迹門(しゃくもん)」、後半部の十四品を「本門(ほんもん)」と呼び、この迹門と本門の勝劣をめぐって対立したため、妙本寺の僧徒によって本応寺の堂宇が破却されため河内国三井・尼崎へ移転した。永享元年(1429)、豪商・大檀那の小袖屋宗句の援助を受け帰洛し内野(平安京大内裏の跡地をいう)に再建。更に永享5年(1433)如意王丸(足利直義の子)から六角 通大宮西(四条坊門)に土地の寄進を受けて移転再建したとき寺号を本能寺と改めた。その後、弘通霊場として栄え、法華宗21ヶ本山の一つとなる とともに子院も増えた。しかし、天文5年(1536)天台宗延暦寺との狭義論争に端を発した「天文法華の乱」の勃発により比叡山僧徒の襲撃を受け、堺の顕本寺に避難した。天文16年(1547)~17年 頃、第8世日承(にちじょう)上人(伏見宮第5代那高親王の子)が入寺されたことで、油小路通蛸薬師に約五千坪の土地を得て帰洛。周囲を高い塀と堀で囲う平城のように堅固な構えであったとされる。日承上人を帰依していた織田信長は、上洛のたびに本能寺や近くの妙覚寺(当時は四条大宮)を宿所とするようになった。
20121003 神戸市立博物館
10/3
神戸市立博物館開館30年記念
特別展 マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝
平成24年(2012)9月29日(土)~平成25年(2013)1月6日(日) 86日間
神戸市立博物館では、平成24年9月29日(土)から平成25年1月6日(日)まで、開館30年記念特別展「マウリッツハイス美術館展―オラ
ンダ・フランドル絵画の至宝―」を開催します。
オランダ・ハーグにある王立のマウリッツハイス美術館は、オランダ領ブラジルの総督をつとめたナッサウ伯ヨーハン・マウリッツ(16
04~79)の邸宅を使い、1822年に開館しました。オランダ黄金時代の絵画の殿堂として世界的に知られ、17世紀オランダ・フラン
ドル絵画の珠玉の名品約800点を所蔵しています。
同館が改修工事にはいるため、フェルメールの傑作として知られ、美術館の顔として最も人気の高い「真珠の耳飾りの少女」やレンブラン
トによる感動的な再晩年の「自画像」、オランダ風景画の巨匠ヤーコプ・ファン・ライスダールの「漂白場のあるハールレムの風景」、風刺
が利いたヤン・ステーンの風俗画「牡蠣を食べる娘」など約50点の出品が実現しました。
フェルメールの貴重な初期作品「ディアナとニンフたち」や、フランドル絵画の巨匠ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)の作品も見逃
すことができません。厳選された至宝の数々を通して、魅力あふれるオランダ・フランドル絵画の世界に触れていただく絶好の機会です。
オランダの政治中枢ビネンホフ(左)と、マウリッツハイス美術館(右)。
展覧会公式WEBサイトでは、当日の混雑状況を確認できます。
★展覧会内容★
出品点数 約50点(うち、フェルメール作2点、レンブラント作6点を含む。東京会場と全て同作品)
本展覧会の出品目録
展覧会の構成
この展覧会は、つぎの6章から構成されています
Ⅰ.美術館の歴史/Ⅱ.風景画/Ⅲ.歴史画(物語画)
/Ⅳ.肖像画と「トローニー」/Ⅴ.静物画/Ⅵ.風俗画
ヤーコプ・ファン・ライスダール《漂白場のあるハールレムの風景》
1670~75年頃 油彩・カンヴァス
オランダ絵画の黄金時代における最も重要な風景画家ヤーコプ・ファン・ライスダール。オランダ中部の街ハールレムに生まれ、叔父サロ
モン・ファン・ライスダールから教えを受けました。本作は、典型的なオランダの風景が凝縮された逸品です。平坦な牧草地で亜麻布をさら
す人々、遠方に広がる街並み、点在する風車、そして表情豊かな雲の見事な描写は、ライスダール作品の特徴でもあります。
レンブラント・ファン・レイン 《スザンナ》
1636年 油彩・板
「スザンナ」は、水浴しようとする彼女が、人の気配を感じておびえ、あわてて身をすくめる姿が印象的です。絵具を厚く盛り上げ、スポ
ットで照らし出したように、青白く輝く裸身を際立たせています。スザンナを狙う不道徳な長老たちの顔は右の闇に溶け込み、鑑賞者に共犯
者のような感覚を生じさせます。『旧約聖書外典』によるこの作品は、レンブラントの並はずれた人間観察によって、劇的な緊迫感を生み出
しています。ほかに、「羽飾りのついた帽子をかぶる男のトローニー」、印象深い表情の「老人の肖像」と「笑う男」、聖書の物語を劇的な
コントラストで描いた「シメオンの賛歌」を合せた6点のレンブラント作品が一挙に出品されます。
ヨハネス・フェルメール《ディアナとニンフたち》
1653~54年頃 油彩・カンヴァス
光と静謐(せいひつ)な空間を描いた、史上最も偉大な画家の一人フェルメール。現存する作品はわずかに三十数点で、室内での女性の私的
な姿を中心に、上流階級の風俗画を得意としました。写真の作品は、そのフェルメールの最初期の作品。月の女神ディアナと侍女のニンフを
描き、神話を主題とする歴史画(物語画)です。デリケートな色彩や静かな雰囲気は後のフェルメールを感じさせます。
ペーテル・パウル・ルーベンス《聖母被昇天(下絵)》
1622~25年頃 油彩・板
17世紀のバロック絵画を代表するフランドル画家、ルーベンス。二十代の長期のイタリア滞在を通じて古代やルネサンスの美術を学んだの
ち、アントワープを拠点に、躍動的に活力に満ちた独自のバロック様式を発展させました。「聖母被昇天(下絵)」は、アントワープ大聖堂
を飾る祭壇画の習作として描かれたものです。
フランス・ハルス《笑う少年》
1625年頃 油彩・板
フェルメール、レンブラントと並び17世紀オランダ絵画の三大巨匠に数えられるフランス・ハルスは、クールベやマネなど、19世紀後半の
フランスの画家たちをはじめ、後世の芸術に多大な影響を与えました。生涯を肖像画にささげたハルスは、中流から上流階級の注文を多く集
め、のびやかな筆づかいによって名声を博しました。代表作の一つ「笑う少年」は、顔や襟をためらいのない、すばやい筆の動きで描写し、
見るものを誘い込みます。
レンブラント・ファン・レイン《自画像》
1669年 油彩・カンヴァス
17世紀ヨーロッパを代表するオランダの巨匠、レンブラント。重厚かつ精緻な筆致とダイナミックな明暗を得意とし、「光と闇の画家」「
魂の画家」などと呼ばれています。若くして成功したのち、私生活での不運や経済的困窮を経験しながら、生涯を通じて内面を伝える自画像
を数多く残しました。1669年の「自画像」はレンブラントが描いた最後の自画像とされ、老いてもなお、断固たる眼差しをこちらに向けてい
ます。
ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》
1665年頃 油彩・カンヴァス
静寂の闇を背景に、異国風の衣装をまとった少女が、ぬれた口元をわずかに開き、肩ごしに親密なまなざしを向けています。世界的なフェ
ルメール・ブームのシンボル的存在「真珠の耳飾りの少女」。絵画史上最も愛されてきた作品の1つといっても過言ではありません。ターバ
ンには、ラピズラズリを砕いて作った貴重な顔料ウルトラマリンが用いられ、フェルメール・ブルーと呼ばれる青色の強い印象から「青いタ
ーバンの少女」とも呼ばれています。モデルの容貌や身なりを忠実に写す肖像画ではなく、画家が構想を取り入れて自由に描いた小型の人物
画「トローニー」だと考えられています。
ヤン・ブリューゲル(父)《万暦染付の花瓶に生けた花》
1610~15年頃 油彩・板
16世紀後半~17世紀に活躍したフランドル画家ヤン・ブリューゲル(父)。巨匠ピーテル・ブリューゲル(父)の次男で、花や森、動物な
どを色彩豊かで光溢れる細密な描写で表現したことから、「花のブリューゲル」「ビロードのブリューゲル」と称されています。「万暦染付
の花瓶に生けた花」は、暗い背景に柔らかな花を鮮やかに浮き立たせ、得意とした花の静物画における特徴が際立っています。
ヤン・ステーン《牡蠣を食べる娘》
1658~1660年頃 油彩・板
レイデン出身の多才な画家ヤン・ステーン。ステーンは、宗教画、歴史画(物語画)なども描きましたが、何といっても彼の名を高からし
めているのは、居酒屋や庶民の活気に満ちた祝宴の情景を描いた風刺の利いた風俗画です。それらは、人間の愚かさ、愛らしさ、生きる喜び
への賛歌であり、最もオランダらしい作品と言えるでしょう。「牡蠣を食べる娘」は小型ながらも、細密画のような、すばらしい材質感をた
たえた名品です。魅惑的な娘は牡蠣に塩を振りかけています。当時、牡蠣はエロティックな働きがあると考えられていました。女性の背後に
はベッドがあり、彼女は鑑賞者を誘うような、思わせぶりな視線を送っています。
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20120924 大阪歴史博物館
ウクライナ
平成24年9月15日(土)~11月25日(日)
大阪歴史博物館では、平成24年9月15日(土)から11月25日(日)まで、6階特別展示室において、特別展「ウクライナの至宝-スキタイ黄金美術の煌めき-」を開催します。
ウクライナは日本から約8,000km西に位置する国で、東側にはロシア連邦、西側ではポーランドに接し、黒海をはさんで南側にはトルコ共和国があります。昨年は独立20周年に当たり、今年は日本との外交関係樹立20周年となります。これを記念して、ウクライナ国立歴史博物館およびウクライナ歴史宝物館が所蔵する国宝級の資料を展示公開します。
展示では、紀元前8世紀頃に遊牧民戦士として恐れられたキンメリオイや、そのキンメリオイを倒して紀元前7~3世紀に黒海北岸に勢力をもったスキタイ、スキタイと共存していたギリシャ系都市国家、あるいはスキタイをこの地から追い出したサルマタイ、さらにはその後の数々の遊牧民族、黒海からバルト海までを領域としたキエフ=ルーシ、ロシア帝国時代のウクライナなど、時代・民族・文化ごとの特徴的な資料約220点が一堂に並びます。
特に、スキタイは、ギリシャの有名な歴史家ヘロドトスの記録にもあるように、アケメネス朝ペルシャに打ち勝った、最強の騎馬遊牧民として知られています。彼らは巨大な古墳を造り、多数の黄金製品を副葬しました。黄金製品には、グリフィン(ワシとライオンが合体した想像上の動物)やライオン、ヒョウ、シカなどの動物がきわめて写実的に表現されており、スキタイの世界観を知る上でも貴重な資料となっています。
ユーラシア大陸の東西文化が行き交いながら形成された、ウクライナ独自の歴史や文化を堪能するとともに、この国についての理解・関心を高め、さらなる友好を深めることができればと思います。
キンメリオイ時代(紀元前9~前7世紀初)
スキタイ時代(紀元前7~前3世紀)
サルマタイ時代(紀元前2~紀元後4世紀)
黒海北岸のギリシャ系古代国家(紀元前6~紀元後3世紀)
中世の遊牧民(紀元後4~14世紀)
スラヴとキエフ=ルーシ(紀元後4~14世紀)
ウクライナの装飾美術(紀元後16~19世紀)
ゴリュトス
ゴリュトス
紀元前4世紀(スキタイ) 長さ47cm、幅27.5cm ウクライナ歴史宝物館所蔵
National Historical Museum of Ukraine / Museum of Historical Treasures of Ukraine
腰に着ける弓矢入れである。本来は右側を上にして用い、木と革で作った本体に、金の薄板を張って仕上げられたものであったが、木と革は朽ち果てて残っていない。金板には、ヒョウを襲うグリフィンなどさまざまな動物意匠や、ギリシャ神話の英雄アキレウス(アキレス)の生涯を彩るいくつかのエピソードを表している。
猪頭付き剣と鞘(いがしらつきけんとさや)
猪頭付き剣と鞘
紀元前4世紀(スキタイ) 長さ65.5cm ウクライナ歴史宝物館所蔵
National Historical Museum of Ukraine / Museum of Historical Treasures of Ukraine
金製の柄と、鞘にかぶせた金の上張りに、スキタイ美術の特徴的な動物の図柄が装飾されている。鞘には、シカをグリフィンとライオンが襲い、その背後に2頭のヒョウが力強く表現されている。また、鞘の側面にはイノシシの頭の形をした張り出しがあり、帯から吊るすための孔があけられている。
イルカ型フィブラ
イルカ型フィブラ
紀元前1~紀元後1世紀(サルマタイ) 長さ7.8cm ウクライナ歴史宝物館所蔵
National Historical Museum of Ukraine / Museum of Historical Treasures of Ukraine
上着を合わせ留めるための安全ピンで、針の部分は残っていない。頭部と尾びれの部分は金で作られ、胴部は水晶である。尾びれが横方向であることからイルカであることがわかるが、胴部に水晶をはめ込んでいるために、背びれや胸びれの位置は実際のイルカとは異なる。装飾性を重視した作品であろう。
蛇形指輪(へびがたゆびわ)
蛇形指輪
紀元後2~3世紀(ギリシャ系都市) 直径2.3cm ウクライナ歴史宝物館所蔵
National Historical Museum of Ukraine / Museum of Historical Treasures of Ukraine
祭儀用の装飾品と考えられている。蛇は三角形の頭部で、表面のウロコは斜格子の線で表現されている。今でも蛇形の指輪があることから、現代ファッションにもどこか通じるところがある。なお、この指輪が出土したビェルゴロド・ドニストロウスクィー市は黒海北岸にあり、古代ギリシャの植民都市であったテュラスのことである。
メダイヨン「復活」
蛇形指輪
18世紀(ロシア帝国) 11×9cm ウクライナ歴史宝物館所蔵
National Historical Museum of Ukraine / Museum of Historical Treasures of Ukraine
メダルの形をしていて、キリスト教の儀礼用具を飾った。銀の地にエナメル(塗料の一種)で、イエス・キリストの言行録である『福音書』の「復活」の場面を鮮やかに描いている。ウクライナの工匠たちがもっとも輝いていた時代の作品である。
20120913 大阪市立美術館
紅型(びんがた)は琉球王朝の時代に沖縄で生まれた染めもので、王族や士族など一部の人のみが用いることができた衣裳です。鮮やかな色彩は天然の染料、中国渡来の顔料などによって染められていますが、型紙によって防染した型染めと、フリーハンドによる筒描きの二種類からなり、日本や中国などとの交易を通して生み出された多彩なモチーフが表されています。明治維新後の廃藩置県により王国が崩壊すると、紅型制作の機会も減り、衣裳の多くは沖縄を離れ本土のコレクターや研究者の手に渡りました。
今回の展覧では琉球王尚家に伝えられた衣裳(国宝10点)をはじめ、守り伝えられた琉球紅型衣裳の優品245点を一堂にいたします。このうち洋画家岡田三郎助による蒐集(松坂屋コレクション58点)は初公開となります。
沖縄復帰40周年にあたり、紅型の「いろ」や「かたち」を通して華やかな琉球染色文化をご紹介できるまたとない貴重な機会となるでしょう。
たっぷり見たい屏風絵
館蔵・寄託の屏風絵から優品20点を大公開!その主題や表現を(1.雅-俗、2.柔-剛、3.和-漢)の6種3組のモードで切り取り、大画面のもつ魅力をたっぷりとご紹介します。
現代南画展
(げんだいなんがてん)
☆☆☆☆
雪村 本 800
20120908
奈良県立美術館
館蔵品展
日本の伝統絵画
―材質、形態、画題―
Japanese Traditional Painting -Materials, Forms.,Themes―
2012年9月1日(土)~10月8日(月・祝)
休館日 月曜日
ただし 9月17日(月・祝)、10月8日(月・祝)開館 9月18日(火)休館
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
日本の伝統絵画に対する理解と親しみが深まるように、材質・形態・画題に関する
基礎的な知識を、館蔵・寄託の中世・近世絵画によりわかりやすく示します。
絵が描かれた絹や紙、使われた墨・絵具や金箔、掛け軸・屏風などの形態、そして
様々な画題を、展示作品を通してお確かめください。
20120821
西大寺
唐招提寺
20120821
平成24年7月21日(土曜日)から8月20日(月曜日)
夏季企画展「重要文化財 當麻寺縁起絵巻 -中巻-」を開催中です。
※会期中絵巻の巻き替えがあります。
開催期間
平成24年7月21日(土曜日)から8月20日(月曜日)
開催趣旨
昨年の平城遷都1300年記念夏季企画展では「重要文化財 當麻寺縁起絵巻・下巻」を、さらに昨年夏に「上巻」を展示したところ多くの観覧された方々に好評でした。
来年の平成25年(1013)は、貴族である藤原豊成候の娘・中将姫が當麻寺において蓮糸曼荼羅を織り成したと伝わる、天平宝字7年(763)6月から、1250年の記念の年となるのを機に、そのプレ・イベント企画の展示として「重要文化財 當麻寺縁起絵巻・中巻」(當麻寺所蔵)の全場面の公開を行うこととしました。
重要文化財「當麻寺縁起絵巻」は當麻寺の草創『上巻』、中将姫にまつわる継子いじめの物語『中巻』と當麻曼荼羅織成の説話を内容とする『下巻』の三巻で構成され、当時の宮廷絵所預・土佐光茂が絵を描き、詞は後奈良天皇ら九筆によるもので、享禄4年(1531)三条西実隆の奥書があります。
この絵巻の絵は、室町時代の大和絵の一典型と評されています。
本年の企画展では、中将姫にまつわる継子いじめの物語などを納める『中巻』を中心とし、絵巻の物語をわかりやすく鑑賞することができるよう、絵巻を出来るだけ広くひろげ、一回の巻き替えを行うことにより、会期中に『中巻』の全てを鑑賞することができるようにいたします。
それにより、宮廷絵師土佐光茂による大和絵の各場面、また南都の絵師琳賢による見返し絵、さらに古近衛流と称される書風の近衛尚通や、関白左大臣近衛稙家、聖護院道増など、当時の能筆家達による詞書の素晴らしさも存分に鑑賞することができるようにしたいと思います。
さらに、絵巻に関連する資料を合わせて展示することにより、本絵巻についての理解が、さらに深められるものといたします。
とりわけ、奈良国立博物館に寄託されて久しい本絵巻が、地元博物館に1ヶ月間だけの里帰り展となるとともに、当縁起絵巻『中巻』の全場面を前・後期に分けて鑑賞できるまたとない機会としたいと思います。
(開催要項より)
展示構成
(1) 當麻寺縁起絵巻
(2) 木造中将姫坐像
(3) 練供養面
(4) 能と中将姫
(5) 近世資料にみられる當麻寺
(6) 當麻寺の軒瓦等考古資料
おもな展示資料
重要文化財 當麻寺縁起絵巻 中巻 當麻寺 所蔵 (奈良国立博物館寄託)
木造中将姫坐像 江戸時代(中之坊所蔵)
練供養面 (地蔵・天童) 南北朝・室町時代(當麻寺所蔵)
能面(個人所蔵)
元亀年間當麻寺絵図ほか写真パネル
西国三十三所名所図会等近世資料
當麻寺境内出土の軒瓦等 飛鳥~室町時代(當麻寺所蔵)
ほか
大阪府立近つ飛鳥博物館 平成24年度夏季企画展「古代の装身具(アクセサリー) ~出土品からみる男性と女性~」
≪開催趣旨≫
アクセサリーなどの出土品から男性・女性はどのようにみえるのでしょうか。
私たちが古代の男性・女性を考えるときの手がかりとして、まず人骨を鑑定する方法がありますが、日本で見つかる人骨の残り具合は必ずしも良いとはいえません。しかし近年では、発掘調査で見つかる装身具や武具などのあり方から性別を考える研究が進んできています。
このたびの展覧会では、男性・女性について装身具や埴輪などの出土品からさぐることをテーマに、夏休み期間、歴史を学ぶ親しみやすい展示を行います。
≪内容≫
会期 平成24年7月21日(土)~9月2日(日)
会場 大阪府立近つ飛鳥博物館 特別展示室
主催 大阪府立近つ飛鳥博物館
後援
堺市、富田林市、富田林市教育委員会
羽曳野市、羽曳野市教育委員会、藤井寺市、藤井寺市教育委員会
太子町、太子町教育委員会、河南町、河南町教育委員会
近畿日本鉄道株式会社
開館時間 午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 毎週月曜日(ただし8月13日は開館します。)
観覧料 一般400円[320円]、65歳以上・高校・大学生300円[240円]
中学生以下・障がい者手帳をお持ちの方【介助者1名含む】無料
([ ]内は20名様以上の団体料金)
常設展示のご案内
ZONE1「近つ飛鳥と国際交流」 近つ飛鳥と国際交流
東アジアの国々との交流を深めながら、日本は古代律令国家への道を歩んでいきました。
展示品リストはこちらからご覧ください。
ZONE2「古代国家の源流」 古代国家の源流
仁徳陵古墳を頂点とする多くの古墳がつくられた時代に、日本古代律令国家の胎動が始まりました。
展示品リストはこちらからご覧ください。
ZONE3「現代科学と文化遺産」 現代科学と文化遺産
現代科学は考古学の調査や研究に大きな力を発揮しています。
展示品リストはこちらからご覧ください。
20120817 アベンジャーズ
201208015
橿原 昆虫館
201208010~0811
スクーリング 京都
史料購読1(古代)
史料購読3(近世)
20120809
京都文化博物館
「ヴェネッツア展」
20120807
京都国立博物館
「出雲
大阪市立美術館
「橋本コレクション 中国絵画
20120806
高野山
2012.8.5 橿原考古学研究所
2012年7月14日(土)から「大和を掘る30」を開催いたします。詳しくはこちら(チラシPDF)
会 場
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室ほか
yamato20wo20horu30.pdf
特別展「頼朝と重源 -東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆-」
治承4(1180)年の南都焼き討ちにより、東大寺は伽藍の大半を失うとともに、日本仏法の象徴たる盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)にも甚大な被害が及びました。この未曾有の法難に際し、仏法を再生すべく大勧進として再興事業を指揮したのが俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)です。重源は後白河法皇(ごしらかわほうおう)の後援のもと大仏の鋳造や大仏殿の建立などを次々に成し遂げますが、建久3(1192)年に法皇が崩ずると、その後を受けた源頼朝(みなもとのよりとも)が最大の外護者となります。頼朝は資金や物資の調達のみならず、大仏殿安置の巨像群の造立を御家人に分担させるなど、まさに「大檀越(だいだんおつ)」と称されるにふさわしい活躍でこの大事業を支えました。
本展では、鎌倉時代を代表する仏師運慶(うんけい)・快慶(かいけい)らによって生み出された新時代の幕開けを象徴する仏像の数々や、重源の思想が色濃く反映された宝物、再興の経過や当時の時代の空気を伝える品々を一堂に集め、また大勧進を引き継いだ栄西(ようさい)・行勇(ぎょうゆう)の活躍にも光を当てることで、半世紀余りに及ぶ再興の軌跡をたどります。
治承4(1180)年12月の平氏による南都焼き討ちは、日本仏法の象徴たる東大寺盧舎那(るしゃな)大仏に甚大な被害をもたらしました。翌年3月に至っても、大仏の首は後方に折れ、手も焼け落ちたまま置かれるなど、いまだ無残な姿をさらしていました。治天(ちてん)の君(きみ)であった後白河法皇(1127~92)は、藤原行隆(ふじわらのゆきたか)を造寺・造仏長官に任命し、俊乗房重源を大勧進として再興に乗り出しました。法皇は、相次ぐ戦乱と飢饉によって存亡の危機に瀕した我が国の仏法・王法を、大仏の再興をもって再生しようと試みたのです。
大仏の鋳造は、陳和卿(ちんなけい)ら宋人鋳物師の協力のもとに進められました。この間、奥州藤原氏や源頼朝らによる鍍金用の金の寄進をはじめ、名もなき多くの人々の喜捨がこれを支えました。文治元(1185)年8月、大群衆が集うなか挙行された開眼供養では、法皇が自らの手で天平時代の筆を執り、大仏に眼を点じました。大仏再興にかけた法皇の並々ならぬ決意が、ここにあらわれています。
法皇の強力な後援によって成し遂げられた大仏再興は、以後次々と遂行されていく再興事業の礎となりました。
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国宝
金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第6幀
(岩手・大長寿院)
※展示替えあり
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重要文化財
後白河法皇坐像
(京都・長講堂)
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重要文化財
東大寺大仏縁起 下巻
(奈良・東大寺)
※展示替えあり
第2章 大勧進重源
養和元(1181)年、大勧進として東大寺再興を請け負った俊乗房重源(1121~1206)は、時に61歳。若くして醍醐寺で出家し、高野山で修業に励んだ密教僧の重源が大勧進に抜擢された背景には、3度に及ぶ渡宋経験や、明州阿育王寺舎利殿の再建に携わるなど勧進聖としての豊富な実績がありました。
東大寺再興において重源は、宋人陳和卿の協力で大仏鋳造を果たし、仏堂や仏像の造立には宋風を積極的に採用するなど、宋からもたらされた最新の知識や技術を余すところなく導入しました。信仰及び勧進活動の拠点として設けられた別所にもまた三角五輪塔とともに、「唐筆(とうひつ)」の画像に基づく阿弥陀三尊像が安置されたことが知られており、いま播磨別所の由緒を受け継ぐ兵庫・浄土寺に、宋風に彩られた阿弥陀三尊の偉容をみることができます。
重源の勧進活動において、奈良時代に大仏造立を成し遂げた行基(668~749)の存在が強く意識されていたことも見逃せません。行基が関わった寺院の修造や土木事業に数多く従事したほか、再興を祈願すべく重源が発案し60人の東大寺衆徒により行われた伊勢神宮への参詣も、行基参宮の伝承に倣ってのものでした。
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国宝 重源上人坐像
(奈良・東大寺)
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重要文化財 阿弥陀如来立像
(兵庫・浄土寺)
第3章 大仏殿再建―大檀越 源頼朝の登場―
大仏再興の歓喜も束の間、重源にはさらなる困難が待ち受けていました。すなわち大仏殿の再建です。
建久3(1192)年、ここまでの再興事業の立役者というべき後白河法皇が崩ずると、新たな東国の権力者となった源頼朝(1147~99)に大仏殿再建という大きな活躍の舞台がもたらされました。頼朝は資金や物資の調達のみならず、大仏殿安置の巨大な2体の菩薩像と四天王像の造立を御家人に分担させるなど、まさに「大檀越」と称されるにふさわしい尽力でこの大事業を成し遂げました。
建久6(1195)年の大仏殿落慶供養の際には、後鳥羽天皇が行幸し、頼朝は鎌倉から数万の軍勢を率いてこれに臨みました。当日はあいにくの激しい風雨に見舞われましたが、これを物ともせず、ひたすらに警護にあたる東国武士の姿は、見る人を驚嘆させたといいます。大仏殿再建は、当時の人々に頼朝を中心とした鎌倉幕府の存在を強烈に印象付けたのでした。
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国宝 源頼朝像(京都・神護寺)
※展示期間は7/21~8/19
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四天王立像<勧進所阿弥陀堂所在>
(奈良・東大寺)
第4章 栄西そして行勇へ ―大勧進の継承―
建永元(1206)年、重源は86年に及ぶ激動の生涯を閉じました。これをさかのぼること3年、東大寺は再興の集大成といえる第三次の伽藍供養を迎え、数々の堂宇が旧に復したものの、講堂や東塔などはいまだ手つかずのままでした。
こうした状況のなか、大勧進に就任したのが重源と共に入宋した経験を持つ明庵栄西(みんなんようさい)(1141~1215)でした。栄西は鐘楼の再建を果たすとともに、重源の宿願であった東塔の造営に乗り出すものの、志半ばでこの世を去ってしまいます。しかし、その遺志は門弟の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)(1163~1241)へと受け継がれ、東塔を完成させ、寺僧が切望した講堂の造営を進めるなど、25年余りにわたって再興を指揮しました。
重源以降、13世紀中頃までの再興事業を主導したのが、栄西・行勇に代表される鎌倉ゆかりの僧たちであったことは、鎌倉幕府による後援がいかに大きかったかを雄弁に物語っています。
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栄西禅師坐像
(神奈川・寿福寺)
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重要文化財 退耕禅師坐像
(神奈川・浄妙寺)
第5章 頼朝の信仰世界―鎌倉三大寺社の創建と二所詣―
治承4(1180)年、源頼朝は小林郷北山の現在地に鶴岡八幡宮を奉遷しました。康平6(1063)年に源頼義(みなもとのよりよし)が由比郷に石清水八幡宮を勧請して以降、源氏の氏神としてのみならず、武家の守護神として厚い信仰を集めた鶴岡は、いうまでもなく鎌倉幕府にとってもっとも重要な神社でした。
ほどなくして頼朝は、鶴岡と並ぶ二大寺を鎌倉に相次いで発願します。文治元(1185)年に建立した勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は、父義朝(よしとも)の菩提を弔うための寺院であり、建久3(1192)年供養の永福寺(ようふくじ)は、奥州での戦いをはじめとした戦没者の鎮魂を願い建てられました。
頼朝の信仰心は、古来より東国の地に鎮座する神々にも向けられていました。ことに、伊豆での挙兵を助けた伊豆山神社と箱根神社に対する尊崇は厚く、両社に参詣するいわゆる「二所詣(にしょもうで)」を盛んに行っています。幕府の祈願所となるこれら五つの社寺は、まさしく頼朝の信仰の中心でした。
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源頼朝坐像
(山梨・善光寺)
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扁額
(神奈川・鶴岡八幡宮)
第6章 八幡神への崇敬
奈良時代、聖武天皇(701~756)が発願した東大寺盧舎那大仏の造立は、多くの困難がありながらも、宇佐八幡神の神助により、これを成し遂げることができたといわれています。以来、八幡神は東大寺の守護神として多くの尊崇を集めてきました。南都焼き討ち後、重源が大仏殿に続いて鎮守八幡宮(現在の手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう))の再建に着手したことは、その重要性を端的に物語っています。
源頼朝の八幡神に対する崇敬もまたとりわけ深く、その中心的な位置を占めていたのがほかならぬ鶴岡八幡宮でした。現在、鶴岡八幡宮に存する菩薩(ぼさつ)面及び舞楽面は、建久6(1195)年に頼朝が大仏殿供養に参列した折に手向山八幡宮から譲り受けたものと伝えられており、東大寺と鶴岡八幡宮との深い結びつきを象徴する存在となっています。
このたび、鎌倉再興期の東大寺を代表する傑作として名高い僧形八幡神像を迎え、鶴岡・手向山両八幡宮ゆかりの神宝類を一堂に展観する好機に恵まれました。八幡神像をきらびやかな神宝の数々が飾り立てる、まことに荘厳な空間がここに現出します。
2012.7.25 松伯美術館
7月18日(水)~ 9月2日(日)
企画展Ⅱ 京都画壇の画家シリーズⅣ「没後70年 竹内栖鳳展」
動物を描けばその匂いまで描くと評され、京都画壇の総帥として活躍した竹内栖鳳。洒脱な動物画は誰もが驚くリアリティーを備え、今なお人々を魅了し続けています。また、栖鳳画塾竹杖会は松園をはじめ、小野竹喬や徳岡神泉など多くの画家を輩出し、指導者としても優れた功績を残しました。本展では、人物画や風景画なども交え、「東の大観、西の栖鳳」と称えられた栖鳳芸術の神髄をご覧いただきます。
展示内容
松伯美術館では、これまで京都画壇で活躍した画家を紹介する展覧会をシリーズ化して開催し、第一回は徳岡神泉、第二回は橋本関雪、第三回では山口華楊をご紹介して参りました。そして第四回目にあたる今回は、上村松園の師でもあった竹内栖鳳を取り上げ、近代日本画壇に偉大な足跡を残した画業を振り返ります。
元治元年、京都に生まれた栖鳳は、幼少期に四条派の画家土田英林に手ほどきを受け、明治14年に同じく四条派の幸野楳嶺の門下生となりました。明治という新たな時代に見合う日本画の創造を目指し、狩野派や大和絵など多様なジャンルを一枚の絵に織り交ぜた作品を制作した栖鳳は、世間から鵺派と揶揄されることもありましたが自らの信じた道を邁進し、若い感性で新感覚の作品を発表していきます。明治33年ヨーロッパへ遊学する機会を得ると、7か月にわたってロンドン、オランダ、ベルギーなどをまわり、コローやターナーなどの作品に触れ多くの刺激を受けました。帰国後はアントワープで取材したライオンを題材にした「獅子」を発表して皆を驚かせ見事一等金牌を受賞、瀟洒な作品で魅力を開花させていきました。明治40年に開設された第一回文展から審査員を務めるなど京都画壇をリードする存在となった栖鳳は、私塾竹杖会でも指導者として優れた才能を発揮し、松園はじめ、土田麦僊や小野竹喬などの俊秀を育て、大正2年に帝室技芸員、大正8年には帝国美術院会員に任命され、昭和12年に横山大観とともに第一回文化勲章を受章しました。
没後70年にあたる記念すべき本年、初期から晩年に至る栖鳳の名品を一堂に展示し、洒脱な作品で近代日本画壇の未来を切り開いていった姿をご紹介します。
主な
展示作品
●竹内栖鳳
「河畔群鷺」 明治34年 個人蔵 全期間展示
「大獅子図」 明治35年頃 藤田美術館蔵 一部展示★1
「ベニスの月」 明治37年頃 高島屋史料館蔵 後期に展示
「アレ夕立に」 明治42年 高島屋史料館蔵 前期に展示
「山村秋色」 大正7年頃 個人蔵 前期に展示
「群鴉」 大正10年 個人蔵 全期間展示
「蹴合」 大正15年 全期間展示
「春寒」 昭和5年 個人蔵 前期に展示
「朝寒」 昭和12年 個人蔵 全期間展示
「南支風光」 昭和15年頃 木下美術館蔵 全期間展示
「瀬田晩薺」 年代不詳 名都美術館蔵 後期に展示
「椿樹小鳥図」 年代不詳 株式会社虎屋蔵 全期間展示
★1:一部展示=8月21日~9月2日展示いたします。
※上記の出展作品は予定です。都合により変更する場合があります。
●併設展示 予定 展示替えがあります。
・上村松園
「楊貴妃」 大正11年 松伯美術館蔵 後期に展示
「鼓の音」 昭和15年頃 松伯美術館蔵 前期に展示
・上村松篁
「草原八月」 昭和31年 松伯美術館蔵 後期に展示
「燦雨」 昭和47年 松伯美術館蔵 後期に展示
「真鶴」 昭和55年 松伯美術館蔵 前期に展示
「黄蜀葵」 平成9年 松伯美術館蔵 前期に展示
・上村淳之
「水辺の朝」 平成4年 個人蔵 前期に展示
「秋映」 平成9年 松伯美術館蔵 後期に展示
「水辺の朝」 平成18年 個人蔵 後期に展示
など本画約30点、下絵、素描、合わせて約40点を展示(予定)
※出品作品については、都合により変更する場合があります。
名古屋市博物館
特別展
マリー・アントワネット物語展
平成24年7月7日(土)~9月2日(日)
わずか14歳でフランス王室に嫁ぎ、その美貌と気品で熱狂的に愛され、そして憎まれながら37歳という若さで革命の波に飲まれて断頭台に散った王妃マリー・アントワネット。
王妃として華やかで優雅な宮廷生活を送りながらも、妻として母として悩み、最後はひとりの女性として毅然として散っていきました。
彼女の洗練されたライフスタイルやファッションなどに焦点を当てながら、その一生をたどります。
常設展
尾張の歴史
名古屋ボストン美術館
日本美術の至宝
「東洋美術の殿堂」 と称されるアメリカのボストン美術館には、10万点を超える日本の美術品が収蔵され、世界有数の規模と質を誇っています。この日本美術コレクションは、ボストン美術館草創期に在職したアーネスト・フェノロサや岡倉天心以来収集が続けられてきました。その中には、日本の美術を語る上で欠かすことの出来ない優れた作品が多く含まれ、近年の調査においても多くの重要な作品が見いだされています。
ボストン美術館は、作品保護の観点から作品の展示期間を厳しく制限しており、本展の開催にあたり、その出品作品のほとんどを、5年間にわたって公開を控えて準備をしてきました。また、ボストン美術館では、ウィリアム・スタージス・ビゲローのコレクション寄贈100年記念事業として、日本とアメリカの協力のもと未公開作品を含む大規模な修復事業を行ってまいりました。
本展は、修復された未公開作品を含む、日本美術コレクションの名品66件を厳選してご覧いただくものです。かつて海を渡った"まぼろしの国宝"とも呼べる日本美術の至宝が一堂に里帰りします。海外にある日本美術を蘇らせ日本文化の理解を深めることは、友好関係の一層の発展をうながすものとなるでしょう。
20120614長谷寺
2011.06.11
天智天皇 山科稜
【国立国際美術館開館35周年記念展「コレクションの誘惑」】
「国立国際美術館開館35周年記念展 コレクションの誘惑」を開催いたします。
国立国際美術館は、1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会における万国博美術館の建物を譲り受け、現代美術を扱う国立美術館として、1977年に開館しました。その後、20数年を経て、収蔵庫が狭くなり、建物も老朽化したため、さらに美術鑑賞により適した立地条件を求めて、2004年11月に大阪の都心、中之島に新築移転しました。
今年は、万博記念公園時代から通算して35年の節目にあたります。当館では、これまでさまざまな企画展を開催する一方、作品の収集も精力的に行い、国立美術館にふさわしいコレクションの形成に努めてまいりました。開館当初は、ジョアン・ミロの陶板壁画など、わずかな収蔵品から出発しましたが、現在では、絵画、版画、彫刻、工芸、写真、映像など、約6300点もの作品を収蔵するに至りました。
本展では、これらのコレクションの中から当館を代表する絵画や彫刻を中心に第1部、近年収集を続けてきた現代写真を第2部とした2部構成で、約350点を全館を使って一堂に展示します。
すでに定評のある作品から国内の他の美術館には所蔵例のない斬新で意表をつく作品まで、見どころ満載です。是非ご高覧下さい。
20120601 歴史秘話 双葉山
双葉山 定次[1](ふたばやま さだじ、本名:龝吉 定次(あきよし さだじ)、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大相撲の第35代横綱。大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)出身。身長179cm、体重128kg。血液型はA
5歳の時、吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、これが元で右目が半失明状態だったことや、右手の小指を機械に2度巻き込まれて重傷を負い、その後遺症が残っていながら、「木鷄[2]」を目標に相撲道に精進し、戦前の昭和を代表する屈指の大力士・大横綱となった。
本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。年2場所の時代の力士であるがその数々の大記録は未だに破られていないものも多い。
日中戦争の泥沼化、太平洋戦争が間近に迫る時局もあり、国民的英雄となった。「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」という言葉の示す通り、まさに不世出の大横綱であり、「角聖」の異名で知られた明治の常陸山谷右エ門と並ぶ偉大な力士として「相撲の神様」「昭和の角聖」と呼ばれることも多い。
穐吉美羽
http://www.me-sale.net/miwa-akiyoshi/
2012.5.30
奈良県立図書情報館
大阪歴史博物館 特別展「ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~」を開催します
平成24年5月23日(水)~7月16日(月・祝)
大阪歴史博物館では、平成24年5月23日(水)から7月16日(月・祝)まで、6階の特別展示室において、特別展「ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~」を開催します。
平成24年7月、大阪を代表する塔である通天閣が開業して100周年を迎えます。その記念すべき年に、東京では新たなランドマークとなる塔、東京スカイツリーが開業します。
都市に塔があるとき、人は遠くからその姿を眺め、近寄って足元から見上げ、登り、塔上から風景を見晴らし、そしてその記憶を思い出として残します。
この展覧会では、19世紀末から20世紀にかけての3つの都市-パリ・東京・大阪に生まれた塔を中心に、そこで繰り広げられたさまざまな「都市と塔のものがたり」を、オルセー美術館の貴重なエッフェル塔関連資料と江戸東京博物館所蔵資料などから紹介します。
凌雲閣(りょううんかく)は、明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。12階建てだったので「浅草十二階」と呼ばれたほか、「浅草凌雲閣」という名でも知られていた。関東大震災で半壊し、解体された。
2012.05.23
富雄 アーチ
奈良
仏教美術研究センター
国立博物館
京都
御土居堀跡
北野天満宮、平野神社
光と影のファンタジー
藤城清治 影絵展
藤城清治
1924年4月17日東京生まれ。慶応大学経済学部卒業。在学中に猪熊弦一郎、脇田和に師事し
て新制派展などに油彩画を出品する一方、人形劇と影絵劇の創作を開始。卒業後、テアトル東京に就職。
雑誌「暮しの手帖」に影絵を連載。人形と影絵の劇団ジュヌ・パントル(のちの木馬座)を結成。現在
は国内の常設美術館のほか、国内外各地での展覧会で多くの人に感動を与え続けている。
紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、日本児童文芸家協会児童文化特別功労賞 、金のりんご賞等受賞。
20120508 龍谷大学龍谷ミュージアム
「仏教の来た道」
今から約2500年前にインドで誕生した仏教は、ガンダーラ、西域を経て、中国、朝鮮半島、そして日本へと伝わりました。この過程で、仏教の教えは様々な地域文化と相互に影響しあいながら、柔軟にその地に根付いていきます。すなわち、シルクロードにおける東西文化の交流が仏教の広がりを支えていたのです。
この「仏教の来た道」を、20世紀初頭に日本ではじめて学術的に調査したのが大谷探検隊でした。浄土真宗本願寺派・西本願寺の第22世門主である大谷光瑞師によって組織された「大谷探検隊」は、仏教伝来のルートを調査することを第一の目的として掲げ、アジア各地を調査するとともに、多くの知見と文物を日本にもたらしました。
本特別展では、仏教伝播の道とそこに花開いた東西文化交流の精華を、大谷探検隊が日本にもたらした貴重な資料を中心に据えて多角的に紹介します。
展示品の総数は210件を超え、うち、大谷探検隊関連品は初出品も含め124件におよびます。また、国指定の重要文化財も5件展示するなど見応え充分のこの特別展にご期待ください。
20120424 藤田美術館
大阪の藤田美術館へ..
京橋からでも歩いていけそうだったが、
大阪城北詰の駅(Jr東西線)を上がってすぐあった。
平成24年春季展
『藤田傳三郎の軌跡』
幕末~明治に活躍した実業家藤田傳三郎は、明治45年に豪快な人生の幕を降ろしました。
13回忌にあたる大正13に長男平太郎、次男徳次郎、三男彦三郎、大日本麦酒初代社長の馬越恭平、 朝日新聞社創業者の村山龍平らが、傳三郎を偲ぶ追悼の茶会を開きました。
濃茶席や薄茶席だけではなく展観席などを含めた全12席に、傳三郎ゆかりの茶道具を始め、 現在では国宝や重要文化財に指定されている仏教美術などが数多く飾られた大規模で豪華な茶会でした。その様子は、新聞記事や高橋箒庵の『大正茶道記』から伺い知る事が出来ます。
追悼茶会で用いられた道具や飾られた美術品を通して、傳三郎や藤田家のコレクションを広く知っていただければ幸いです
交趾焼形物香合とは、明時代に中国の福建省で土に型押しで作り黄・緑・紫などの釉薬をかけて焼かれた三彩の陶器のことである。
この大亀香合は多数にある形物香合のうち最も大形で、製作は優秀、豪華であり、古来から非常に有名なものである。
2012/4/21 京都国立博物館
王朝文化の華 ─陽明文庫名宝展─
京都にある陽明文庫は、昭和13年(1938)、近衞家このえけ29代当主で内閣総理大臣も務めた近衞文麿
このえふみまろによって設立されました。五摂家(摂政や関白に任ぜられる家柄)の筆頭である近衞家は、平安時代を代表する貴族・藤原氏の直系に当たります。同文庫は近衞家が蔵した十数万点の宝物を保存管理しており、最高権力者として栄華を極めた藤原道長ふじわらのみちなが自筆の国宝「御堂関白記みどうかんぱくき」や、国宝「倭漢抄わかんしょう」下巻、みやびな和歌の遊びを記録した国宝「歌合うたあわせ(十巻本歌合)」巻第六など、まさに宮廷貴族のライフ・スタイルが垣間見られる優品を今に伝えています。この展覧会では、同文庫が所蔵する国宝8件・重要文化財60件のすべてを初めて一挙公開し、おおよそ140件の名宝を通して、華やかなる王朝文化をお楽しみいただきます。
近衞家の祖先は、大化の改新を成し遂げたことで有名な「藤原鎌足ふじわらのかまたり」。平安時代に最高権力者となった藤原道長ふじわらのみちながに代表される、藤原北家の流れを汲んでいます。藤原家は平安時代末(12世紀)の藤原基実もとざねの時代に、家の前の通りが「近衞通り」だったことから近衞の姓を名乗り始めました。近衞家は、道長から数えると1000年以上続いており、書の達人であった17代信尹のぶただや、博学多才の士として知られた21代家凞いえひろなど、一流の文化人を多数輩出しています。
陽明文庫は、応仁の乱や戦国時代の動乱を経て近衞家に伝えられてきた、天皇の宸翰などの遺品や、宮廷文化を彩る宝物を十数万点護り伝えてきた施設です。通常は限られた時期に、事前予約のあった団体のみしか観覧できません。今回の展覧会は、その所蔵品が見られる大変貴重な機会です。
一千年の時を超えた、日本最古の日記!
『源氏物語』の主人公“光源氏
ひかるげんじ
”のモデルとも言われ、平安時代を代表する貴族・藤原道長(966-1027)の自筆の日記です。道長33歳から56歳までのおよそ24年間にわたる日記が、自筆本14巻、古写本12本として今日まで伝わり、すべて国宝に指定されています。現存する日本最古の日記で、朝廷の中枢人物による記録としても大変希少であることから、昨年春、“ユネスコ世界記憶遺産”に日本政府より初の登録推薦を受けました。本展では、展示替えを行いながら、現存する自筆本14巻のすべてを一挙に公開します。
この寛弘5年9月10日、11日の日付には、道長の娘、中宮彰子
しょうし
(天皇の后)が皇子を出産した前後の様子が詳細に書きとめられています。そして、道長はこの出来事を機に一気に貴族社会の頂点へ駆け上がっていくのです。
2012.04.19
大阪市立美術館
草原の王朝 契丹
近年、契丹の領域における学術調査が進められたことにより、契丹王族の墓や仏教寺院の遺跡などの新発見が相次ぎ、その繁栄と文化レベルの高さを具体的に示す品々が、長い眠りから覚めつつあります。
黄金の仮面や腕輪、銀の宝冠や靴。銀に玉石をあしらった馬具。シルクロードを経て運ばれた西方のガラス器、瑪瑙・トルコ石のネックレス。北宋よりもたらされた白磁器。今なお彩色をのこす壁画や板絵。さらには白大理石の仏像や銀の舎利塔など、それは1000年のタイムカプセルから取り出された、想像をはるかに越える豪華な美術作品でした。
本展では中国・内蒙古自治区で発見され、世界初公開を含む国家一級文物[中国の国宝]を中心とした貴重な作品約120件により、知られざる契丹の多彩な文化と美術をご紹介いたします。
今からおよそ1100年前の東アジア世界は、唐王朝の滅亡をうけて各地に新たな国が登場する「変動の世紀」といわれます。そうしたなかで、いちはやく国づくりに着手したのが遊牧の民・契丹の諸部族を統括した実力者耶(や)律(りつ)阿保機(あぼき)です。
10世紀初頭に国家の体制をととのえた契丹(遼)国は、巧みな騎馬戦術や北宋、高麗、西夏、ウイグルなど周辺諸国との活発な交流によって富み栄え、現在の北京や内モンゴル自治区・モンゴル・ロシア・カザフスタン付近にいたる広大な領土を保有するにいたります。1125年に女真(じょしん)族の金に国を滅ぼされたのちも、ロシア語の「Китай(キタイ)」、英語の「Cathay(キャセイ)」のように、中国大陸を指す言葉として「契丹」の名はいまに伝わり、彼らがのこした文化遺産はいまも輝きつづけています。
奈良国立博物館
御遠忌800年記念特別展
「解脱上人貞慶 -鎌倉仏教の本流-」
平安から鎌倉の乱世に飛び込み、仏教を再生したストイックでアクティブな高僧がいた!
平成24年(2012)は解脱上人(げだつしょうにん)貞慶(じょうけい 1155-1213)の800年遠忌(おんき)の年にあたります。
解脱上人貞慶は鎌倉時代前期に活躍した僧で、興福寺に入って学僧として将来を嘱望されましたが、やがて笠置寺(かさぎでら)へ移り、のち海住山寺(かいじゅうせんじ)に住まいました。
釈迦如来(しゃかにょらい)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・春日明神(かすがみょうじん)をとりわけ深く信仰し、戒律(かいりつ)の復興につとめるとともに、由緒ある寺々の復興や法相教学(ほっそうきょうがく)の確立に大きな貢献を果たしました。
朝廷や幕府からの信頼もあつく、さらに勧進僧(かんじんそう)とも力を合わせて、仏教の再生に尽力したことは特筆されます。鎌倉時代の仏教については、浄土(じょうど)・禅(ぜん)・法華(ほっけ)などの新仏教を中心に語られる傾向がありますが、ご遠忌を機に、解脱上人貞慶の存在の重要性とその魅力を多くの方々に知っていただくため、特別展を開催いたします。
3月15日
城南宮
鳥羽離宮跡..
城南宮の梅は今が一番いいときかも
庭も いっぱい ありました
鳥羽離宮跡 公園
誰も いない
伏見鳥羽の戦い
風が強く 少し 寒い
3/9 大坂 図書館
3/3 大津市歴史博物館 三井寺
第58回企画展
車 石(くるまいし)-江戸時代の街道整備-
平成24年 3月3日(土)~4月15日(日)
概要
江戸時代、大津の港に荷揚げされた米などの物資は、牛車(うしぐるま)によって
東海道を京都まで運ばれていました。しかし当時の街道は土道だったので、
雨が降れば牛車の車輪が泥道に埋まり、思うように通行ができませんでした。
そこで、今から約200年前、牛車の車輪がぬかるみにはまらないよう、
大津-京都間3里(約12km)の道に、両輪の幅に合わせて2列に石を敷くという、
一大土木工事が実施されたのです。敷かれた石には、頻繁な牛車の通行によって擦り減り、
U字型の凹みが残されました。その石がいつの頃からか「車石」と呼ばれるようになったのです。
この車石は、今も街道沿いの各所に残されており、江戸時代の卓越した街道政策を今に伝える
貴重な文化財といえるでしょう。
■大津京都間道造絵図 1巻 文化元年(1804) 本館蔵
かなり長い巻物で、縦30.3㎝、長さは14.6mもあります。その末尾に、逢坂峠から北側を幅23.2㎝、長さ180㎝の紙を直角に貼り付け、また蹴上(けあげ)付近も紙を継ぎ足すなど、屈曲した東海道のルートを忠実に再現しています。原題は「文化元甲子(きのえね)年東海道筋大津より京都迄往還並牛車道共難場之分道造絵図」で、置土(おきつち)の区間、車石の設置区間、輪形割石伏せの区間(牛車の轍跡をならすための処置)などが色分けされています。ただ、あくまで施工前の計画図面であるため、実際に施工された状況と相違する点が多々ありますが、江戸時代の街道整備のなかで、さまざまな工法が予定されていたことが分かり、貴重な絵図であることは間違いありません。写真は上片原町(かみかたはらちょう)の部分で、図中の梯子状の表現が、車石の敷設予定箇所と考えられます。
■上片原町絵図写 1鋪 縦88.5㎝ 横241.6㎝ 元禄8年(1695) 本館蔵
上片原町は、現在の逢坂一丁目、関蝉丸神社上社付近の東海道沿いに開かれた町で、先の「大津・京都間道造絵図」で掲載した写真と同じ場所にあたります。図中に「車道九尺」と記されたところが車道です。なお、図の上方に記された「阿弥陀堂」の背後には、江戸時代、犯罪人の「成敗場」があったことが、元禄時代の『淡海録』という記録に出ています。この絵図は現在のところ、逢坂山における車道の存在を示す最古の資料と言えます。
■東海道逢坂峠掘下げ積計図面 1鋪 縦28.0cm、横77.5cm 慶応3年(1867) 個人蔵
日岡峠(ひのおかとうげ)と逢坂峠は、東海道大津・京都間の二大難所でした。図面は逢坂峠の掘下げ工事に際して作成された計画図で、「○丈○尺掘下ケ」といった文字が記されています。
■木曽海道六拾九次のうち大津 天保年間(1830~44) 歌川広重画 本館蔵
木曽海道とは中山道(なかせんどう)のことです。江戸時代末期の有名な浮世絵師・歌川広重が描いた大津宿の場面で、京都から逢坂峠を越えて大津宿に入ったところ、いわゆる八町通(はっちょうどおり)の旅籠屋街です。画面に車石は描かれていませんが、街道を往来する旅人とともに、左手に荷物を満載した牛車が見えます。車を引く牛は藁で編んだようなものをかぶっていますが、これは牛の暑さ対策の一つです。
■伊勢参宮名所図会 巻1 1冊 寛政9年(1797)刊行 本館蔵
名所図会に掲載された挿絵は、編者が実際に現地調査をしていると考えられ、挿絵も現実の風景に近いと思われます。上図は逢坂山の車道と人馬道が分かれた箇所です。牛車の進む車道には、人馬道と段差が設けられていたことが分かります。
■花洛名勝図会(からくめいしょうずえ) 巻1 1冊 元治元年(1864) 京都市歴史資料館蔵
当初は京都、八幡、宇治の広域的な冊子となるはずでしたが、東山の部しか刊行されませんでした。同書に掲載された挿絵の中には、車石上を進む牛車の絵が描かれています。車石を描いた貴重な資料です。
■常夜灯の基壇に利用された車石(逢坂峠)
大津・京都市内には、車石を紹介する実物展示が各所にあります。また、当時の街道沿いには、役目を終えた車石が、写真のように基壇や民家の石垣など、様々な形で再利用されています。これらは、車石・車道研究会において、丹念に調査・記録しています。展示では、東海道沿いの史跡や車石の残存状況を記入した地図や写真パネルで紹介します。
3/7 京都文化博物館、京都市歴史資料館
北斎展 後期
富士山とカミナリ
滝
つり
麗しの京美人展
雛人形名品展
京都の町式目 江戸時代初期を中心に
冷泉町
下本能寺前町
鶏鉾町
清和院町
三丁町
1/6
江戸東京博物館
NHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」
国宝「平家納経」など、世界遺産・厳島神社の至宝、堂々公開
50年目の節目を迎えるNHK大河ドラマは、初めて武士による世の中を作り上げた「時代への挑戦者」平清盛の生涯を描きます。
今から900年前、貴族政治が衰退して混迷を深めた平安末期に、平清盛は瀬戸内の海賊を束ねて武家の棟梁となり、太政大臣にまでのぼりつめます。国を豊かにするために日宋貿易を行う一方、海に浮かぶ華麗な厳島神社を造営し、一族の繁栄を願って「平家納経」を奉納するなど、数多くの荘厳な宗教美術を生み出しました。
この展覧会では世界遺産・厳島神社に伝えられる多数の至宝をはじめ、この時代を生きた人々の肖像画や書跡、主要な源平合戦を描いた絵画のほか、平安末期の文化を象徴する美術・工芸品などを展示し、平清盛が活躍した時代を紹介します。