国 貞

『歌川国貞 これぞ江戸の粋』  太田記念美術館  日野原健司 2016年  
★ 天明6年(1786) 江戸本所五つ目の渡し場を経営する亀田屋の当主亀田庄兵衛の息子として生まれる。
  俗称を庄蔵、のちに肖造と改める。
  デビューは文化4年(1807)22歳のころ
  文化6年太田南畝から『五渡亭』という号を贈られた
    **号は一雄斎,五渡亭,香蝶楼,月波楼,北梅戸,富眺庵など
  英一蝶に傾倒し、『香蝶桜』という号を使う
  天明初期に英一珪に入門  →英一螮
  天保15年(1844)59歳 豊国の名を襲名 
   本来  豊国--豊重--国貞と三代目となるが 自ら2代目という
  元治4年(1864)亡くなる
  *制作点数が多く(1万点超)明治には濫作とみなされ評価は低いが、現在は見直されてきた。