3/17 イントゥ・ザ・ウッズ
イントゥ・ザ・ウッズ
解説
赤ずきん、シンデレラといったおとぎ話の主人公たちのその後を描いたブロードウェイの人気ミュージカルを、
ディズニーが実写映画化。「シカゴ」「NINE」のロブ・マーシャル監督がメガホンをとり、魔女役にメリル・ス
トリープ、赤ずきんのオオカミ役にジョニー・デップら豪華スターが共演した。魔女にかけられた呪いのせいで
子どもに恵まれなかったパン屋の夫婦は、子どもを授かりたければ「赤いずきん」「黄色い髪」「白い牛」「黄
金の靴」の4つのアイテムを森から持ち帰れと魔女に命じられ、森へ向かう。時を同じくして、赤ずきんやラプン
ツェル、ジャック、シンデレラたちもそれぞれの願いをかなえるために森へとやってくるが……。「ウエスト・
サイド物語」なども手がけたスティーブン・ソンドハイムが、原作ミュージカル同様に作詞・作曲を担当した。
解説
「赤ずきん」「シンデレラ」「ラプンツェル」「ジャックと豆の木」といった世界的に有名なおとぎ話の主人公たち
のその後を描く、ディズニー製作のミュージカル。ブロードウェイで上演され、トニー賞を受賞したミュージカルを
基に、『シカゴ』『NINE』などのロブ・マーシャルが映画化。魔女をオスカー常連のメリル・ストリープが演じるほ
か、ジョニー・デップ、エミリー・ブラントらが出演。ハリウッドが誇る人気も実力も兼ね備えたスタッフやキャス
ト陣による作品に魅了される。
あらすじ
魔女(メリル・ストリープ)に呪いをかけられたために子供のいない夫婦は、「子を授かりたければ、四つのアイテ
ムを森から持ち帰るのだ」と魔女に命令される。夫婦は赤いずきん、黄色い髪、白い牛、黄金の靴を手に入れるべく
森へと出発する。一方赤ずきん、ラプンツェル、ジャック、シンデレラ、魔女、オオカミ、2人の王子も森に足を踏み
入れており……。








3/15 大和文華館 花を愛でる
自然の中に咲く花々は、東洋の美術において古くから絵画や工芸の題材として取りあげられてきました。花々はその美しい姿や芳しい香りなどが五感を楽しませ、季節の変化を教えてくれます。また花々は、形状や咲き方に合わせた性格が託され愛でられたり、瓶や盤などに活けて身近に楽しまれたりしてきました。
寒さの厳しい季節に花を咲かせ、清らかな香を漂わせる梅は、高潔の象徴とされ、文人たちに殊に愛されました。絢爛に咲き誇るかと思えば、すぐに散りゆく桜は、その豪華さと儚さが愛されました。華やかな姿から「百花の王」とも呼ばれる牡丹は、富貴の象徴とされ、吉祥の花として愛されました。寒さに向かう季節に、風に揺れ楚々と咲く秋草は、その繊細な風情が愛されました。本展観では、特に梅・桜・牡丹・秋草の四種の四季の花々と、花を活けた瓶花に注目し、花々の姿や性格の特徴を捉え、美しく表現した絵画・工芸を展示致します。
本展観を開催する冬から春へ移り変わる時期は、文華苑が最も華やかな季節でもあります。梅園では梅が香り高く咲き、次に枝垂れ桜が豪華に咲き乱れ、木蓮、連翹や遅咲きの椿なども彩りを添えます。庭に咲く自然の花々と展示場に並ぶ美術品の花々を合わせてお楽しみ下さい。
講座 美術の窓 3月15日(日)
14:00から講堂にて 「浮世絵の花鳥画」 当館館長 浅野秀剛


3/12 大津市歴史博物館
江若鉄道の思い出
スケジュール
企画展案内
ミニ企画展案内
講座・講演会
貸室スケジュール
企画展案内
第66回企画展 江若鉄道の思い出 平成27年 3月7日(土)~4月12日(日)
第67回企画展 広重の旅 浮世絵・近江・街道 平成27年 7月25日(土)~8月30日(日)
第68回企画展 比叡山 平成27年 10月10日(土)~11月23日(月・祝)
第69回企画展 大津歴博の玉手箱 平成28年 3月5日(土)~4月17日(日)
これまでの企画展・ミニ企画展の一覧 >
第66回企画展
江若鉄道の思い出
平成27年 3月7日(土)~4月12日(日)
江若鉄道高島町駅構内 昭和36年
本館蔵(谷本勇氏撮影)
国鉄湖西線の建設にともない、長く湖西の交通機関として愛されてきた江若鉄道は、昭和44年に廃線となりました。
本展では、江若鉄道営業当時の様子を、様々なかたちで残した方々の記録に焦点をあて、当時を振り返るとともに、みなさんの思い出=記憶をふんだんに織り込みながら、廃線から40年以上経過した今も、多くの人々に語り継がれる江若鉄道の思い出アルバムを完成させます。
第119回ミニ企画展
西教寺伝来の屏風
平成27年 3月3日(火)~4月12日(日)
前期展示(右隻)3月3日(火)~3月22日(日)
後期展示(左隻)3月24日(火)~4月12日(日)
概要
大津市坂本にある天台真盛宗総本山西教寺には、仏教美術の優品をはじめとして、数多くの文化財が伝えられてきました。その中には、伏見城の遺構を移築した客殿を飾る障壁画など、数多くの近世絵画作品が含まれています。そこで本ミニ企画展では、普段はあまり見ることができない、西教寺に伝来する江戸時代に描かれた屏風の数々を紹介します。
№1.大津市指定文化財 杉木立図屏風 紙本金地著色 6曲1双
桃山~江戸時代(16~17世紀) 西教寺蔵
金箔を押した画面の中に、スギをはじめとして、マキやヒノキといった針葉樹が描かれています。右隻ではスギの木立が茂り、ところどころにアクセントとしてマキが配されています。一方左隻では、なだらかな丘陵の前後にヒノキの木立が生い茂り、マキの姿も見られ、木々の間は金雲によって遠近感が表現されています。
本図は、寺伝で「時雨屏風(しぐれびょうぶ)」と呼ばれています。日本では、古来よりスギやマキ、ヒノキなどは雨や霧、霞といった水や大気との関わりで和歌に詠まれてきたことと、画中に施された金雲による霞の表現から、そのように呼ばれたのかもしれません。画中には作者を示す落款・印章は見られませんが、画中に散らされた木々やなだらかな丘陵、木々の間に配された金雲などの表現から、長谷川等伯に始まる長谷川派の絵師によって描かれたと考えられます。
大津市指定文化財 杉木立図屏風 右隻
大津市指定文化財 杉木立図屏風 左隻
№2.唐子図屏風 紙本銀地著色 6曲1双 江戸時代(19世紀) 西教寺蔵
銀箔を押した画面の中に、33人の子どもと、物売りの男性が描かれています。このような画題は、「売貨郎図(ばいかろうず)」と言って、中国の宋時代頃から描かれてきました。「貨郎」とは小間物を売る行商人のことで、画中には人形や、お面、風車、本など様々な売り物が見えます。貨郎は歌や音楽などで人々の興味を引いて物を売り歩いていましたが、その様子から元時代には芸能の一つとして演じられていました。本図でも、男性が踊りながら笛のようなものを吹いており、それにつられて子どもたちも楽しそうです。中国において、古くから子どもは「子孫繁栄」を意味するおめでたい画題であり、日本でも食器や布地などに多く用いられ、当時人気の画題の一つでした。
唐子図屏風 右隻
唐子図屏風 左隻
№3.風俗図屏風 紙本金地著色 8曲1双 江戸時代(19世紀) 西教寺蔵
本図は、「南蛮屏風」や「安南(ベトナム)交易図屏風」とも呼ばれています。8曲1双という巨大な画面の中に、異国情緒あふれる町と、そこに生活する人々が生き生きと描き出されています。町は城壁で囲まれており、その傍を流れる水運には、様々な大きさの船が行きかっています。町中には水路が引かれ、水の恵みによって豊かに発展した都市の賑わいをありありと見て取ることができます。具体的な地名は不明ですが、様々に描かれる樹木や花、鳥、動物の様子などから、特に南方の町を描いたものと考えられます。鎖国されていた当時の人々にとって、このように異国の町を描いたものはとても新鮮に感じたことでしょう。
風俗図屏風 右隻
風俗図屏風 左隻
展示作品一覧
№1.大津市指定文化財 杉木立図屏風 紙本金地著色 6曲1双 桃山~江戸時代(16~17世紀) 西教寺蔵
№2.唐子図屏風 紙本銀地著色 6曲1双 江戸時代(19世紀) 西教寺蔵
№3.風俗図屏風 紙本金地著色 8曲1双 江戸時代(19世紀) 西教寺蔵
3/10 京都文化博物館

京みやこを描く―洛中洛外図の時代―
首都京都の全景を一双の屏風に描く洛中洛外図屏風は、16世紀初頭に登場します。現実の都市社会を題材に、権力者の政治体制から京都町衆の生活の一齣こままでを生き生きと描き、応仁・文明の乱から復興し、新たな近世都市へ向かう京都の姿を活写しました。その後、この洛中洛外図は江戸時代を通じて制作され続け、都市の変化に応じて、多様な要素を盛り込みながら展開していきました。
本展では、国立歴史民俗博物館の国内有数の洛中洛外図屏風コレクションを中心としながら、醸成される京都文化と都市のありようを絵画、文献、考古資料など、多様な資料を用いて紹介致します。
展覧会構成
第1章 中世の京都像
第2章 洛中洛外図屏風の出現
第3章 変貌する京と洛中洛外図
第4章 京の平和と営み
第5章 京の真景
終 章 近代京都と新たな名所
主な出品作品(予定) 出品目録PDF
・重要文化財 洛中洛外図屏風 歴博甲本(国立歴史民俗博物館蔵)
・重要文化財 洛中洛外図屏風 歴博乙本(国立歴史民俗博物館蔵)
・重要文化財 洛中洛外図屏風 舟木本(東京国立博物館蔵)
・狩野元信筆 月次風俗図扇面流屏風(光円寺蔵)
・狩野永徳筆 洛外名所遊楽図屏風(個人蔵)
・岩佐派 誓願寺門前図屏風(京都文化博物館蔵)
展示資料チラシ
3/9 大阪城天守閣 大阪歴史博物館
大阪城天守閣
常設展 「天下取りの野望、その裏側」 平成27年1月23日(金)~3月18日(水)
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった天下人は、多くの合戦に勝利し覇権を確立しました。彼らは平和な世の創出を
めざして戦ったとされますが、現実には戦いで敵味方問わず多くの犠牲者が出たり、新たな憎しみや悲しみが生まれた
り、また次の戦いの火種がまかれたりすることもありました。また戦った相手からすれば、彼らの理想は単なる自分本
位の理屈でしかなかったかもしれません。
常設展 「描かれた城郭」 平成27年1月24日(土)~3月19日(木)
お城は今でも全国各地でまちのシンボルになっていますが、戦国時代から江戸時代にかけては、各地で大名や武将の権
力の象徴として存在しました。織田信長の安土城、豊臣秀吉の大坂城・聚楽第・伏見城、徳川家康の江戸城・二条城な
どはその代表的な事例で、洛中洛外図や大坂図・江戸図といった屏風絵の画題にもなりました。
大阪歴史博物館 大阪相撲れきはく場所
大阪歴史博物館では、平成27年2月18日(水)から3月30日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「大阪相撲
れきはく場所」を開催します。
かつて大阪は相撲興行のメッカでした。現在の大相撲に発展する相撲興行は、江戸時代には大阪、江戸、京都の三都
で開催されており、それぞれ三都には大相撲興行を担うプロの相撲集団−大阪相撲、江戸相撲、京都相撲−が存在して
いました。このうち、大阪相撲と東京相撲(旧江戸相撲)が昭和2年(1927)に合併して、現在の日本相撲協会へと
発展しました。
大阪歴史博物館では、平成17年の特集展示「大阪相撲の歴史」開催を機に、番付や相撲絵など大阪相撲関係資料を収
集してきました。
本展では、これら新収資料を中心にして、「地域開発と相撲」、「社会福祉と相撲」、「市場社会と相撲」といった
これまであまり注目されなかったテーマを設定して、大阪相撲の歴史を紹介します。あわせて、頭取(大阪相撲での
力士の親方の呼び名)や力士など大阪相撲ゆかりの人々を紹介します。





3/7 天王山 大山崎山荘美術館
大山崎山荘美術館
志村ふくみ 源泉をたどる
人間国宝・志村ふくみ氏は、染織の分野で独自の道を開拓し、90歳となった今なお第一線で活躍しています。草木の自
然染料で糸を染め、手機で色彩豊かに織りあげた作品の数々は、私たちを魅了してやみません。志村氏が本格的に染織
の道に入った1955年からちょうど60年目を数える2015年、長い創作の歩みを振り返りそのルーツをたどります。
1941年、志村氏は母の小野豊から初めて機織を習ったことが発端となって織の世界へ導かれます。小野は、思想家・柳
宗悦のすすめで、染織家・青田五良から指導を受けていました。とりわけ、青田から教えられた天然の植物染料による
発色の美しさは、小野をとおし娘である志村氏に伝わり、素晴らしい成果が生み出されることとなります。
本展では、志村氏の原点となった1950年代後半の初期作品から初公開となる最新作まで創作の60年をご紹介いたしま
す。また、青田、小野の貴重な染織作品をご覧いただくとともに、志村氏の活動の出発を後押しし支えた、木漆工芸家
黒田辰秋、陶芸家・富本憲吉らの名品も同時に公開し、志村ふくみ氏の魅力とその源泉に迫ります。
【作家略歴】
志村ふくみ 染織家・随筆家
1924年滋賀県近江八幡市生まれ。1942年文化学院卒業。1955年染織の道を志し、実母・小野豊の手ほどきを受けながら織
物の研究を始め、紬織に豊かな色彩を生みだし独創的な美の世界を展開している。
1957年 第4回日本伝統工芸展に初出品で入選
翌第5回展から第8回展まで紬織着物により連続4回受賞
1962年の第9回展からは特待出品者となる
1964年 「第1回志村ふくみ作品展」資生堂ギャラリー
1968年 京都市嵯峨野に工房を構える
1982年 「志村ふくみ展」群馬県立近代美術館、以後全国各地で展覧会開催
1983年 著書『一色一生』で大仏次郎賞を受賞
1986年 紫綬褒章受章
1989年 娘の志村洋子とともに「都機工房」を創設
1990年 重要無形文化財保持者(紬織)に認定
1993年 文化功労者 著書『語りかける花』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞
2013年 志村洋子とともに染織の世界を学ぶ芸術学校「アルスシムラ」を設立
2014年 第30回京都賞(思想・芸術部門)受賞








3/5 奈良県立図書情報館
「かたち」の謎とき物語宮崎興 彰国社 2006
伏羲ふっき コンパスを持つ
女媧じょか 定規をもつ
『東京大学の学術遺産 捃拾帖 画文家 モリナガ・ヨウkADokAWA 2014年6月 メディアファクトリー新書103
武士の評判記『よしの冊子』にみる江戸役人の通信簿 山本博文 新人物ブックス2011年
松平定信が老中になり、田安時代からの近習番の水野為長に江戸城内や江戸市中での幕府役人、旗本、町人らの発言や話などを集めさせた。それを書き留めた冊子が『よしの冊子0』という題名にまとめられた書物である。
3/1 琵琶湖博物館
3/1 琵琶湖博物館


3/1 佐川美術館

吉左衞門X 新兵衛の樂 吉左衞門の萩
第6回目となる吉左衞門Xでは、萩焼・十五代坂倉新兵衛氏と樂焼・十五代樂吉左衞門氏とのクロストーク・コラボレーション展を開催いたします。
新兵衛の樂 吉左衞門の萩 新兵衛の樂 吉左衞門の萩
今回、坂倉氏は樂焼に、樂氏は萩焼に挑戦。それぞれ、相手方の製作法を用いて制作します。
言うまでもなく樂焼と萩焼はどちらも400年あまりの伝統を有し、茶の湯の分野に大きな足跡を残してきました。しかし、二つの茶陶は全く異なる方法により制作されています。樂焼は手捏ね制作、轆轤を一切使用せず手捏ねで原形を造り、篦で削りあげて造形します。また、その焼成は鞴(フイゴ)を用いた小さな内窯で一碗ずつ焼き上げる内窯焼成とよばれる樂家独特の製作法を取ってきました。一方、萩焼は轆轤制作、樂焼とは対照的な登窯焼成を行います。
樂焼は手捏ねで原形を造る工程と、それを篦で削る工程から成り立っています。それは轆轤制作に比して長い制作時間を要し、轆轤という制約がない分、自己表現としての自由さがはるかに大きいと言えます。一方、萩焼は轆轤の回転の中で、瞬間的な手の動きにより形が生み出されていきます。長時間の対峙的な持続ではなく、むしろ瞬時の中の緊張と身体的なリズムをとおして、自己の表現を確立していきます。樂焼の持続的な思考と自己表現の自由さと、萩焼の瞬間的な緊張と身体的な思考との対峙。
焼物にとって、制作、つまり技術は単なるノウハウではなく、その中にそれぞれの焼物の本質が宿っていると言えます。それぞれ制作者は、手捏ねとは、轆轤制作とは、どのような意味を持ち、どのような表現が可能なのかを突き詰めます。それは単なる技術的な事柄ではなく、焼物の本質、造形の根幹に関わるコンセプトなのです。
今回、二人の作家のクロストーク―互いに異なる製作法を用いて制作することにより、互いの本質が浮かび上がります。
黒樂茶碗 坂倉新兵衛作 黒樂茶碗 坂倉新兵衛作
萩焼茶碗 樂吉左衞門作 萩焼茶碗 樂吉左衞門作
今回の企画を提案した樂氏、それに応えた坂倉氏は、東京藝術大学彫刻科の同窓生です。若き頃、彫刻を学んだ親友にして、共に伝統を受け継ぐ家で育った、十五代目同士。
本企画展は、互いをよく知る間柄であるからこそ成立したコラボレーションであり、冒険的かつ刺激的な試みと言えます。
平山郁夫館
「平和の祈り」永遠の願いをこめて
平山郁夫館 「平和の祈り」と名づけられた<平山郁夫館>では、仏教伝来をテーマに「シルクロードシリーズ」を描き続ける、平山郁夫氏の当館所蔵作品300余点の中から、展覧会テーマに合わせた作品60点余りを常時公開しております。
やわらかな光の演出の中で、日本文化の源流に迫る平山芸術の世界をお楽しみください。
開催中の展示
平山郁夫 世界遺産シリーズⅢ アンコール遺跡を描く
2015年01月20日(火)~2015年03月29日(日)
「文化財赤十字構想とアンコール遺跡」 2014年度平山郁夫館第3弾企画として、「平山郁夫 世界遺産シリーズⅢ アンコール遺跡を描く」を開催します。 2014年度の平山郁夫館のテーマは「世界遺産」。...
佐藤忠良館
人間の美しさを探求しつづける
佐藤忠良館 「ブロンズの詩」と名づけられた<佐藤忠良館>では、 世界的に高い評価を得ている佐藤忠良氏の70年以上に亘る創作活動を紹介しています。当館所蔵作品150余点の中からテーマに合わせて彫刻・素描作品40点余りを常時展示しております。
人を見つめ、その一瞬の表情を作品としてきた佐藤忠良のリアリズムの世界をご鑑賞ください。
開催中の展示

佐藤忠良 ねがい -未来へ-
2014年11月26日(水)~2015年03月29日(日)
芸術は人生の必要無駄 これは、佐藤忠良氏が残した言葉です。 人生の必要無駄とはどういう意味でしょうか。 佐藤氏は作家としての創作活動の他に、図工・美術教科書の編纂という教育者としての...



2/28 奈良県立美術館 寧楽美術館 依水園
依水園




奈良県立美術館
富本憲吉展 ~華麗なる色絵・金銀彩~
陶芸家・富本憲吉(1886-1963)は、奈良県が生んだ芸術家であり、また日本近代陶芸の巨匠でもあります。
1955年には重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されました。
富本は楽焼制作に始まり、土焼・白磁・染付と多様な創作活動を展開しましたが、中でも代表的なものは豊かな色彩
が印象的な色絵磁器、そこに金と銀を焼き付けた金銀彩の作品でしょう。本展では、その色絵・金銀彩の作品を中心に
約110件を展示します。
また本展の開催にあたり、全国13県の知事が組織する「ふるさと知事ネットワーク」の美術館交流により、石川県
内の博物館・美術館から富本憲吉と九谷焼の作品をご出品いただきます。
富本は石川県で色絵技法を研究しており、そこでの日々は彼にとっても、また九谷の陶芸家たちにとっても大きな刺
激になりました。独創の人・富本憲吉の陶業と、日本有数の色絵磁器・九谷焼の伝統とが交わった先に何が生まれたの
かーそれをたどりながら、伝統工芸の美の神髄をお楽しみいただければ幸いです。

展示構成]
「吉田屋窯 梟に太湖石図平鉢」 「色絵罌粟大飾皿」 「金襴手 額面〈胡砂の旅〉」
江戸時代(19世紀) 富本憲吉 北出塔次郎
小松市立博物館蔵 昭和16(1941)年 昭和42(1967)年
石川県立美術館蔵 石川県九谷焼美術館蔵

Ⅰ.陶芸家・富本憲吉ー作域の拡大と様々な試み
土焼、白磁、染付と作域を広げ、色絵磁器の制作に至るまでの足跡を追います。
Ⅱ.富本憲吉と九谷焼
九谷焼の歴史、そして富本と九谷焼との関係を紹介します。
Ⅲ.充実する色絵磁器制作
華やかな色絵磁器の作品の数々を紹介します。
Ⅳ.新たな技術と表現を求めて
富本の色絵金銀彩と、現代九谷の作品を展示します。
「色絵円に花模様飾筥」 「赤地金銀彩羊歯模様蓋付飾壺」
富本憲吉 富本憲吉
昭和16(1941)年 昭和28(1953)年
当館蔵 当館蔵


寧楽美術館

柳澤吉保(1658-1714)は、五代将軍徳川綱吉の絶大な信頼のもとに小姓から大老格へと異例の出世を遂げ、綱吉の
文治政治に貢献しました。また吉保は、元禄7年に武蔵国川越城主となり、宝永元年には甲斐国甲府城主となり、1
5万石余の大名になりました。その後、嫡子吉里の代になり、大和国郡山藩に転封となり、以後明治維新まで存続して
います。
2014年は柳澤吉保没後300年という節目の年にあたります。これを記念して、公益財団法人名勝依水園・寧楽美術館、
公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会の未公開資料を含む柳澤家伝来の品々を紹介します。
なお、2014年3月に吉保を含む柳澤家当主の年録および日記類が、奈良県指定文化財として登録されています。

2/24 和歌山県立博物館 描かれた紀州
描かれた紀州
会場:和歌山県立博物館

企画展「描かれた紀州」
平成27年(2015)1月24日(土)~3月8日(日)
この企画展では、紀州の自然や風景、そこに生きた人々の暮らしを題材に描かれた作品を紹介します。まず、絵図に描
かれた紀州。国土を把握するために作成された国絵図。城下町の武家屋敷地を中心に描かれた城下町絵図。測量に基づ
いて土地一筆一筆を記した地籍図。これらは、現在の地図につながっていきます。次に、絵師や文人たちによって描か
れた紀州。江戸時代、多くの旅人が和歌の浦、湯崎(白浜)、那智の滝などを目指して紀州を訪れ、旅先でみた風景をも
とに絵画作品を残しました。紀州の風景は、調度品としての屏風の画題になることもありました。そして、自然に生き
た人々が描かれた紀州。
捕鯨など海の暮らしを描いた作品などを紹介します。
この企画展では、今年度、県立博物館が、文化遺産課、県立文書館、県内外の歴史研究者と共同で行った災害の記憶
の調査成果の一部もご覧いただきます。この調査から、災害の記憶を文書や絵図、石碑に記して残そうとする先人た
ちの営みが明らかになりました。
さまざまな目的で描かれた近世・近代の紀州の姿から、紀州の歴史とその魅力を感じていただければと思います。
1 描かれた和歌浦の風景 -伝統的な構図から実景的な構図へ-
展示番号16「厳島和歌浦図屛風」

江戸時代に描かれる和歌浦は、天満神社を中心とした伝統的な構図から東照宮を中心とした実景的な構図に移っていき
ます。今回展示する厳島和歌浦図屛風のうちの和歌浦図は、中央に天満神社(てんまじんじゃ、左側に紀三井寺(きみ
いでら)・布引松(ぬのびきのまつ)、右側に淡島神社(あわしまじんじゃ)吹上浜(ふきあげのはま)が配置され、
天満神社とみられる社殿の横には三重塔が描かれています。実際に三重塔があったのは天満神社ではなく東照宮(とう
しょうぐう)でした本図に描かれた和歌浦の風景は、天満神社を中心に描く伝統的な構図と東照宮を中心に描く実景的
な構図とが混在していることがわかります。
2 海岸付近を中心に描かれた風景
展示番号22「紀伊国沿海浅深絵図」

日本各地の海岸付近を描いた絵図(地図)といえば、19世紀初め、測量隊を率いて全国を回って作成された、伊能忠敬
(いのうただたか)の全国図(伊能図)が有名です。今回展示する日高郡域の海岸沿いを描いた沿海浅深絵図えんかい
せんしんえず)(写真は部分<日高川河口付近>は、伊能図よりも大縮尺(約6000分の1で、伊能図にはみられない沖合
いの水深が記されています。幕末になると外国船が頻繁に来るようになり幕府は外国船警備のため諸藩に海岸沿いを詳
しく描いた絵図を作成するよう命じました。この絵図は、入山組(にゅうやまぐみの大庄屋を勤めた家に測量道具であ
る小方儀(展示番号21)とともに伝来したものです。
3 「災害の記憶」を伝える資料
展示番号34「日高川河口絵図」

近年、巨大地震津波の到来の危険性が叫ばれています。江戸時代に和歌山の近辺で起こった大きな地震津波としては、
宝永4年(1707)の宝永地震津波、嘉永7年1854の安政地震津波を挙げることができます。地震や津波、洪水が起こっ
た時、「災害の記憶を後世に伝えるため、人々は被害の状況を記録した絵図や文書を作成しました。こうした資料から
先人たちが災害と闘った歴史を読み取ることができます右の写真は津波や高潮から人々や土地を守るために築造された
「波除堤」(防波堤)が描かれた日高川河口絵図(展示番号34)です。このほか展示番号20・23・25~35も災害の記憶
を伝える資料です。
展示資料チラシ
2/20 奈良博 お水取り 和紙
お水取り
平成27年2月7日(土)~平成27年3月15日(日)
東大寺二月堂の「お水取り」は、奈良時代から絶えることなく続く伝統行事です。長い歴史のなかで育まれてきた
「お水取り」の世界の一端を、展示室に再現します。
特集展示「和紙-文化財を支える日本の紙-」
平成27年1月27日(火)~平成27年3月15日(日)
楮(こうぞ)や三椏(みつまた)などの樹皮の繊維をもとにつくる手漉(てす)きの和紙。この伝統的な素材と
技に支えられた日本の和紙は、古くから経典や文書、絵巻の料紙として使用されるとともに、掛軸の裏打や経巻の
繕(つくろ)いなど、文化財の修理に欠くことのできない材料として広く用いられてきました。修理材料としての
和紙の優秀さは海外でも高く評価されており、ユネスコ無形文化遺産への登録というニュースも記憶に新しいとこ
ろです。
本特集展示は、和紙の歴史と文化財修理における重要な役割について、名品や関連資料を通じて紹介するものです。
ぜひこの機会に、手漉きの和紙の魅力に直接触れてみてはいかがでしょうか。
2/18 ミュータント・タートルズ
ミュータント・タートルズ
解説
忍者の扮装をしたカメのヒーローたちの活躍を描き、アメコミやアニメ、映画化で人気を博した作品を、マイケル・ベイ
製作で実写映画化したアクション。ニューヨークの地下道に暮らし、悪から街を守るべく戦うタートルズたちの勇姿を活
写する。
メガホンを取るのは、『世界戦略:ロサンゼルス決戦』『タイタンの逆襲』などのジョナサン・リーベスマン。
『トランスフォーマー』シリーズなどのミーガン・フォックスや、『俺たちフィギュアスケーター』などのウィル・
アーネットなどが出演する。ベイらしい迫力満点のアクションシーンが期待できる。
あらすじ
ニューヨークで悪事を働く犯罪組織フット団を追っていたテレビレポーターのエイプリル(ミーガン・フォックス)は
、ある日、強盗に入ったフット団をこらしめる何者かの姿を目撃する。数日後、エイプリルは別の現場でフット団をや
っつける何者かに遭遇。撮影に成功するも、そのヒーローたちの正体は人間の言葉を話し、体長180センチもあるカメだ
った。
impression--------
久しぶりに スカッとする映画!
ストーリーもよくわかるし!
映像もそれなりに いいし!
ギャグも そこそこ !
吹き替えのエイプリルだが 少し今一かなと思ったが
最後の方は、ストーリー に引き込まれて そんなでも無かった。
Wikiでしらべたら ベッキ―!!
泉ピン子・カンニング竹山 やはりもうひとつ!!
時間の関係で 吹き替えだったが、やっぱり 字幕かな!!
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2/17 願かけ(新・酔いどれ小藤次)
近ごろ、小籐次が研ぎ仕事をしていると、その姿に手を合わせ念仏を唱え柏手を打つ者、さらには賽銭を投げる者が続出
する。周囲は面白がるが、小籐次は店仕舞いを余儀なくされた。一方おりょうの芽柳派では、門弟の間で諍いが起き、お
りょうを悩ませる。ふたつの騒動は、誰が、何の目的で企てたものなのか。シリーズ第2弾!
2/10 チャーリー・モルデカイ
チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密
解説
キリル・ボンフィリオリの小説「チャーリー・モルデカイ」シリーズを、ジョニー・デップ主演で映画化。ジョニー演じる
口ヒゲをたくわえた美術商チャーリー・モルデカイが、イギリスの諜報(ちょうほう)機関MI5の依頼を受け捜索していた
絵画に、世界中を驚がくさせる財宝の謎が隠されていたことから、マフィアや国際テロリストも絡む争奪戦に巻き込まれ
ていく。『シークレット ウインドウ』でジョニーとタッグを組んだデヴィッド・コープが監督を務め、グウィネス・パ
ルトロー、ユアン・マクレガーらが共演を果たす。
あらすじ
うさんくさいちょびヒゲをたくわえたうんちく好きな美術商チャーリー・モルデカイ(ジョニー・デップ)は、イギリスの
諜報(ちょうほう)機関MI5に依頼されたゴヤの名画の捜索に乗り出す。屈強な用心棒ジョック(ポール・ベタニー)と共
に盗まれた名画の行方を追うが、その絵にはとんでもない財宝の秘密が隠されていることがわかり、マフィアや国際テロリ
ストも絡む大争奪戦となる。
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ネットのユーザーレビュー
キャストも映像も素晴らしい。
なのに、話がぐちゃぐちゃで訳解らない。
脚本下手過ぎ。
宮藤官九郎が書いたら100培面白くなるよ。
間違いない。撮り直し!
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↑のネットレビュー 通り わけわからない 映画!
脚本(ストーリー)そのものが???
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2/3 大阪市美術館 田万コレクションⅠ 中・近世絵画


概要
田万コレクションは、大阪で政治家・弁護士として活躍し、また平和運動の推進にも尽力した田万清臣氏
(1892~1979)が、夫人の明子氏と協力して収集した総数663点にのぼる東洋美術のコレクションです。
清臣氏の没後、昭和55年から同62年にかけて大阪市に寄贈されました。
氏の生前より、仏教美術を中心に質の高い個人コレクションとして知られ、現在、「銅湯瓶」どう とうびょうなど
5点の重要文化財が含まれています。平成12年以来となる今回の特集では、日本の中・近世絵画を中心に、中国、
朝鮮の美術をまじえて約50点を厳選し、その魅力をご紹介します。多彩な東洋美術が奏でる麗しいハーモニーをど
うぞお楽しみください。
今回の特別陳列でとくに注目いただきたい作品が、田万コレクションの名品のひとつで、今年8月、新たに重要文化
財に指定された狩野宗秀筆「四季花鳥図屏風」(かのうそうしゅうひつ しきかちょうずびょうぶ)です。筆者の狩
野宗秀(1551~1601)は桃山時代の巨匠・狩野永徳(かのうえいとく)(1543~90)の弟で、その豪快な作風を直接
引き継いだ画人として知られています。所蔵作品の重要文化財指定は、平成9年の葛飾北斎筆「潮干狩図」
以来17年振りのこととなります。
これを記念して、コレクション展(平常展)では「平成26年新指定重要文化財特集-狩野派の山水・花鳥図屏風-」
を同時開催します。やはり今年、重要文化財に指定された兵庫・太山寺たいさんじ所蔵の「四季山水図屏風」しきさ
んすいずびょうぶ)ほかの狩野派作品を展示します。その潤いある水墨表現にもご注目下さい。
主な展示作品
原在正「猫図」 江戸時代
すやすや眠る猫とレンゲソウ。丁寧に引き重ねた毛筋が柔らかな質感とふっくらした量感を巧みに描きだす。
公家の四辻公説(よつつじきんこと)の詩は、無能の者(子猫)が高位につき高禄(安眠)をとることを皮肉る。
原在正(?-1810?)は京都画壇の原派の祖・原在中(はらざいちゅう)の長男だが、33歳の若さで没した。

重要文化財 狩野宗秀 「四季花鳥図屏風」(左隻部分) 桃山時代
右にサクラとツル、左にヤナギとクジャクを配置し、四季の移ろいを躍動感みなぎる筆致で描いている。
樹木や鳥を近接、拡大する描法、奥行きをさえぎる金地構成は、兄である狩野永徳(かのうえいとく)が確立した
桃山時代の雄大な大画面構成の特徴をよく伝えるとみられ、宗秀の代表作と位置づけられる。
※この作品は、コレクション展「平成26年新指定重要文化財特集-狩野はの山水・花鳥図屏風」に展示します。
(北館2階7室)
DVD ハルク2003

1/27 京博 山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝
特別展観 山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝 2015年1月 2日 ~ 2015年2月15日
山陰を代表する古刹のひとつ鰐淵寺は、推古天皇の時代に智春上人によって開かれたと伝えられ、
比叡山との関係が深まるとともに天台寺院となります。平安時代には後白河法皇の『梁塵秘抄』に
も聖の住む所として「出雲の鰐淵や日の御碕」とうたわれ、全国的にも有名な聖地でした。その鰐
淵寺が平成27年に33年ぶりにおこなう本尊ご開帳を記念して、同寺所蔵の名品より、仏像、仏具、
古文書などを厳選して特別に展示いたします。
1/27 DVD5枚 4000円 よどばし
47ローニン /96時間リベンジ /ハルク /ノア /王朝の陰謀
1/23 96時間 レクイエム
taken3
解説
『シンドラーのリスト』などのリーアム・ニーソンと、ヒットメーカーのリュック・ベッソンの強力タッグによる
人気アクションシリーズ最終章。愛する家族のためなら手加減せずに相手をなぎ倒す、すご腕の元CIA捜査官を襲う
さらなる試練をド迫力のアクションと共に活写する。これまで同様まな娘をマギー・グレイスが演じ、新たにフォ
レスト・ウィテカーらが共演。たった一人の娘を守り抜こうとする父親がどのような戦いを繰り広げるのか注目。
あらすじ
かつてイスタンブールで犯罪組織を全滅に追い込んだ、元CIA秘密工作員ブライアン(リーアム・ニーソン)はロサン
ゼルスに戻り、再び家族の絆を取り戻そうとしていた。そんな折、前妻レノーア(ファムケ・ヤンセン)が、彼の家
で死体となって発見される。運悪く現場で警官と遭遇したブライアンは、殺人事件の容疑者として指名手配され……。
1/18 スパイ・レジェンド
解説
ビル・グレンジャーの小説「ノヴェンバー・マン」を実写化した、スパイサスペンス。CIAの敏腕エージェント
として活躍していた過去を持つ男が、自身が育てた現役スパイからの襲撃とその裏に隠された陰謀に挑んでいく。
メガホンを取るのは、『バウンティ/愛と反乱の航海』のロジャー・ドナルドソン。主演は『007』シリーズなどの
ピアース・ブロスナン、『オブリビオン』などのオルガ・キュリレンコ。肉弾戦、銃撃戦、カーチェイスといった
アクションに加え、年齢を感じさせないピアースの立ち振る舞いにも引き込まれる。
あらすじ
ザ・ノヴェンバー・マンというコードネームを持ち、さまざまなミッションを遂行してきた伝説的CIAエージェント
のピーター・デベロー(ピアース・ブロスナン)。スイスで引退生活を送っていた彼だが、かつての仲間たちが何者
かに殺害されているのを知って彼らを守ろうと動きだす。だが、元同僚で愛していた女性を殺され、その犯人が自分
がかつて教育してきた現役エージェントであることを知る。彼と壮絶な戦闘を続けながら、事件の全体像をつかもう
とするデベロー。やがて彼は、ロシア大統領選をめぐる陰謀の存在にたどり着く
1/1,15 静岡・東京
静岡市東海道広重美術館
めいしよ×にかほ —浮世絵筆くらべ—
東海道や江戸の風景を描いた名所絵師・歌川広重。歌舞伎役者や美人を得意とした歌川派の重鎮・三代歌川豊国。
幕末を代表する二人の絵師が、互いの得意分野で一つの画面に筆を寄せた『雙筆五十三次(そうひつごじゅうさんつぎ)』、
『東都高名會席盡(とうとこうめいかいせきづくし)』をご紹介します。併せて、静岡県の版画家による風景木版画、
公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団による人物木版画を展示します。
江戸と現代の人気絵師による「めいしよ(名所)」と「にかほ(似顔)」の筆くらべをどうぞお楽しみください。
1/14 に鑑賞。『東都高名會席盡(とうとこうめいかいせきづくし)』が展示中でした。
本物はやっぱし、いいっす!
残念ながら 図録は無かった
豊国の役者絵は、なかなか迫力があって、一枚一枚が 力強く 描かれていた!
歌川広重 三代歌川豊国『東都高名會席盡』全50点、三代歌川豊国『広重死絵』1点
『東都高名會席盡』は嘉永五年から六年(1852~1853)にかけて、版元・藤岡屋慶次郎から刊行された大判の揃物です。広重が描いた江戸の料理茶屋を背景に、歌舞伎の登場人物を三代豊国が描き、両主題には連想によって結びつけることができる共通性が含まれています。三代豊国が『当時高名会席盡』(文政初期)、広重が『江戸高名会亭盡』(天保中・後期)と、料理店を主題とした揃物で成功を収めた後に刊行された作品です。
演劇博物館浮世絵閲覧システム
駿府健康ランド
1/15
江戸東京博物館 探検!体験! 江戸東京
設展示室の休室を機に、通常は広い空間で模型類とともに展示されているさまざまな資料を、1階の展示室に集合させ、その歴史的価値や魅力をより丁寧に紹介します。資料により密着しつつ江戸東京の歴史や文化をコンパクトにまとめ、一般のお客様や海外からの旅行者の方が気軽に楽しめる展示にします。普段は展示されることが少ない資料や、珍しい資料、小中学校の教科書に掲載されているような資料を積極的に紹介しますので、学校団体の方々にも、常設展示室と同様に十分学習し、楽しんでいただける内容の展覧会です。
<第1部>江戸を探検する
第1章 将軍の都
今からおよそ400年前、徳川家康が江戸に幕府を開いてから、大都市東京の歴史が始まりました。将軍が住む江戸城を中心に、大がかりなまちづくりが行われ、ここに数多くの武士とその暮らしを支える町人たちが生活しました。都市が大きくなるにしたがい、幕府は、江戸の人びとの飲み水を供給する上水道を作り、たび重なる火事を防ぐために消防の組織を整えました。まずは、都市江戸のあらましを見ていきましょう。
武家諸法度
武家諸法度 1635年(寛永12)
「火事図巻」
「火事図巻」長谷川雪堤/画 1826年(文政9)
第2章 にぎわいスポット・江戸
江戸は、18世紀前半には人口が約100万人にのぼったと言われます。これは、当時の世界の都市の中でもトップクラスを誇りました。一大消費地となった江戸の町は、「天下の台所」と呼ばれた大坂と結ぶ流通によって、多くの物が運ばれ、商業が盛んに行われました。人びとは、近郊の山や川で、四季おりおりのレジャーを楽しみ、歌舞伎に心を躍らせました。また、子どもたちの教育にも力を入れました。これらが、現在にいたる東京の活力のみなもとになっていったのです。
「駿河町越後屋呉服店大浮絵」
「駿河町越後屋呉服店大浮絵」
奥村政信/画 1745年(延享2)頃
展示期間:12/2-12/27
「江戸両国橋夕涼大花火之図」
「江戸両国橋夕涼大花火之図」
歌川国虎/画 19世紀前半
展示期間:1/6-2/1
「踊形容江戸絵栄」
「踊形容江戸絵栄」
初代歌川国貞/画 1858年(安政5)展示期間:1/6-2/1
第3章 江戸アート
戦争のない平和な世が続いた江戸時代の日本では、さまざまな文化が花開きました。日本の風土を生かして、漆器や染織品などの美しい工芸品が作られ、江戸の暮らしをいろどりました。なかでも浮世絵は、市民の暮らしの中から生まれた芸術です。葛飾北斎や歌川広重などの絵師とすぐれた職人による精密な版画技術によって、何気ない町の生活や風俗、日本の美しい風景が生き生きと描かれました。その高いデザイン性や大胆な構図は、ゴッホやドビュッシーなどヨーロッパの芸術家たちに大きな影響を与えています。
白綸子地青海波花束模様打掛
白綸子地青海波花束模様打掛
19世紀前半
展示期間:12/2-12/27
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」
歌川広重/画 1857年(安政4)
展示期間:12/2-12/27
第4章 江戸の好奇心が時代をひらく
江戸幕府は、中国・オランダなど一部の国を除いた外国との交流を禁止する、いわゆる鎖国を行いましたが、貿易港長崎などわずかに開かれた窓を通じて、海の向こうの情報が日本に入ってきました。18世紀中ごろは、幕府が洋書の輸入に対して規制をゆるめたことがきっかけで、日本の洋学が発達していきました。江戸では平賀源内や杉田玄白らが活躍し、オランダ語の本を見ながら手探りで西洋の学問を学び、新しい知識や技術を生み出しました。天文学や測量術も発達し、伊能忠敬は日本中を歩いて正確な日本地図を作り上げました。江戸の好奇心が、近代への扉を開いたのです。
『解体新書』
『解体新書』
杉田玄白/著 1774年(安永3)
「官板実測日本地図」
「官板実測日本地図」
開成所/版 1867年(慶応3)
<コラム展示1>すごいぞ、ニッポンの知恵-和紙のチカラ-
7世紀頃、中国から日本に紙づくりが伝わりました。当時、紙はたいへん貴重だったので、書写材として使われていました。しかし、日本の風土や文化に育まれ、手技を駆使した和紙が花開くと、薄くても強靭という紙の特性を活かし、さまざまな加工品が作られました。江戸時代になると、和紙は、日常生活に欠かせない素材と言われるまでになりました。ここでは、日本の暮らしの中にたくみに取り入れられた和紙の製品の一部を紹介します。
紙布の裃(鮫小紋)
紙布(しふ)の裃(鮫小紋)19世紀前半
<第2部> 東京を探検する
第5章 帝都東京
1868年(明治1)の明治維新によって、長かった武士の時代は終わり、江戸が首都東京になりました。新しい日本の国家は、欧米の制度や文化を積極的に取り入れ、銀座には煉瓦造りの洋風の町並みが現れました。江戸時代から庶民の盛り場だった浅草には、「凌雲閣」という高い塔が築かれ、見世物興行が人気を集めました。交通手段の乗り物も、駕籠にかわって人力車や蒸気機関車などがあらわれ、やがて自動車が東京の町を走るようになり、町の景観が大きく変わっていきました。
「東京開化名勝京橋石造銀座通リ両側煉化石商家盛栄之図」
「東京開化名勝京橋石造銀座通リ
両側煉化石商家盛栄之図」
三代歌川広重/画 1874年(明治7)
展示期間:2/3-3/8
「凌雲閣機絵双六」
「凌雲閣機絵双六」
三代歌川国貞(四代国政)/画
1890年(明治23)
展示期間:1/6-3/8
フォードT型 ツーリングカー
フォードT型 ツーリングカー
1920年代
第6章 東京スタイル
政治や経済、産業の近代化を背景に、人びとの生活も新しい時代にふさわしく変化しました。人やお金が集まる東京は、モダンな文化の発信地として栄えました。三越や松屋などの百貨店が最新流行の商品を生み出し、大正~昭和前期には「モボ・モガ」(モダンボーイ・モダンガールの略)と呼ばれた若者たちが、街を闊歩し銀座のカフェーやビヤホールで遊びました。女性の社会進出が始まったのもこの頃です。ここでは、東京の暮らしと文化の多様なスタイルを紹介します。
円筒式蓄音機
円筒式蓄音機
1890年代
ポスター「キリンビール・キリンレモン」
「婦女四題 秋」山川秀峰/画
「婦女四題 秋」山川秀峰/画
1927年(昭和2)
展示期間:1/6-2/1
第7章 災禍を乗り越えて-震災・戦災とよみがえる東京
近代の東京は、二度の大きな困難に見舞われました。それは、1923年(大正12)の関東大震災、そして1945年(昭和20)の東京大空襲です。町は焼け野原となり、多くの人びとの生命と生活が奪われました。しかし、そのたびに東京の人びとは都市をよみがえらせ、新たな歴史を作り上げました。首都東京はこうした先人たちの知恵と苦労を受け継ぎ、現在にいたっています。そして、ここから日本の新しい文化が生まれ、世界に発信されているのです。
浅草公園十二階及花屋敷附近延焼之状況
「浅草公園十二階及花屋敷附近延焼之状況」 1923年(大正12)
展示期間:2/3-3/8
東京大空襲で焼けたチャンチャンコ
東京大空襲で焼けたチャンチャンコ
1945年(昭和20)
<コラム展示2> 江戸東京レアグッズ
ここでは、先人たちのユニークな知恵と技術で製作された、珍しい道具を紹介します。海外から多様な道具が取り入れられるたび、日本在来の技術を駆使した新しい製品が作られました。こうした品々は、現代の私たちの目には新鮮に映ります。
また、世相を反映して企画製作された楽しい記念グッズなどを展示します。
手動式扇風機
手動式扇風機
19世紀後半
大東京名物「空気の缶詰」
大東京名物「空気の缶詰」
1968年(昭和43)
<第3部> 江戸東京を体験する
常設展示室で人気の体験乗り物が、1階に大集合。駕籠や人力車、リンタクなど、昔の乗り物に乗ってみましょう。記念撮影もOK! ほかにも、千両箱の重さ体験や肥桶かつぎ体験ができます。また、常設展示室は平成27年3月28日にリニューアルオープンします。新たに生まれ変わる展示の内容を、完成予想図などを中心に、ちょっとだけご紹介します。
大名の駕籠に乗ってみよう
大名の駕籠に乗ってみよう
リンタクに乗ってみよう
リンタクに乗ってみよう
紙で旅するニッポン~関東・甲信編~
紙の博物館
北区飛鳥山博物館
1/13 シン・シティ 復讐の女神
「THE HARD GOODBYE」
その外見からモンスターと恐れられる、実は心優しき男マーヴはある夜ゴールディという名の美しい高級娼婦と出会う。しかし、ゴールディは何者かに殺害され、しかもマーヴがその犯人に仕立て上げられてしまう。警察がアテにならないと知っているマーヴは自分自身で真犯人を探し出し、ゴールディの敵を取ることを決意。やがてマーヴはロアーク枢機卿と、彼の寵愛を受けるケビンの存在に行き当たる。
果たしてゴールディは何故殺害されたのか。
そしてマーヴは復讐を果たせるのか。
「THE BIG FAT KILL」
恋人シェリーにまとわりつく暴力男ジャッキー・ボーイの後をつけていたドワイトは、娼婦たちが取り仕切るオールド・タウンへ辿り付く。そこは彼女たちが警官に金と楽しみを与える代わりに自治権を認められている場所だった。言うことを聞かない娼婦の一人を脅すジャッキー・ボーイ。すると彼女の仲間が現れ、あっという間に彼を殺害してしまう。
ところが、何とジャッキー・ボーイは警官だったのだ。
警官を殺せば協定は破棄。自治権は失われ、町は無法地帯と化してしまう。オールド・タウンを仕切る昔の恋人ゲイルを始め、町を守るため、証拠隠滅を図ろうとするドワイト。しかし彼は顔を変えて逃げ延びている死刑囚。もし警察に捕まり、正体がバレれば命はない。
果たしてドワイトは女たちを守り切ることができるのか。
「THAT YELLOW BASTARD」
兄であるロアーク枢機卿の力によって上院議員の座を手に入れたロアーク議員の大事な息子ロアーク・ジュニアは殺人犯。彼を追っていたハーティガン刑事は逮捕寸前に仲間の刑事に裏切られ、ジュニアの代わりに罪を着せられ捕まってしまう。
8年間、無実の罪を認めなかったハーティガンだが、ジュニアの毒牙から命を救った少女ナンシーの身に危険が迫っていると知らされた彼は、罪を認めて刑務所から出所する。ナンシーを探し出すハーティガン。
しかし、それこそが罠だったのだ。
ハーティガンにとって大切な女性の居所を知るジュニア。
逮捕こそされなかったものの、ハーティガンに痛い目をみせられたジュニアは彼に深い恨みを抱いていた。ジュニアの魔の手が二人に迫る。
果たしてハーティガンは再びナンシーを守ることができるのか。
これは レディガガ
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最初から最後までよくわからない。何も残らない映画だった。
多分、映画製作者側の意図(ねらい) 言いたいこと 伝えたいことが? の
映画になったからか!
白黒を使うのは?
あれだけの俳優を使うのは?
原本がありそれを表現したいのにできなかった そんな映画に思える。
ジェシカ・アルバ:合ってないストリッパー役!踊りはセクシーだが!ダークエンジェルではいい演技をしていたように思うが
エヴァ・グリーン:不気味な魅力を持つ魔女? お似合い?裸体もそんなに魅力的でないような ドSでセクシーすぎるフランスの美女らしい
300帝国の進撃と同じような印象だけ
ミッキー・ローク:ミッキー・ロークとは思えないハードナメイク 変な存在感あり!
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット:ダークナイトライジングの演技が光ってたが、次回のバットマンかと思いきやあれはもう
最終回だったのか?
ブルース・ウィルス:存在感だけか?客を呼ぶためか?
ネットの感想より
===
前作同様、ストーリーが交差しながらメリハリがあるようでないような感じで、着地点に向かって行くので居眠り厳禁〜!
モノトーン×赤のバイオレンスな世界観に慣れないと厳しい作品
ジェシカアルバも可愛いしブルースはシックスセンス・・・笑
ミッキーロークはフランケン化して誰かわからん中でのレディガガはレディガガ^^;
===
スタイリッシュさが増したのは良いが、自己満足に近い作品。
まあ結果的には楽しめたが、構成の悪さが目立った。
正直、前半ドワイトの話で後半ロアークの話で良かったんでない?
どうも中盤あたりのドワイトの話は間延びを感じたし、ちょっと退屈した。
ジェシカアルバの踊りもあんなに見せられると飽き飽きしてくる。
キャラの切り替えもちょっと雑で面白味がなかったな…
悪役も魅力はあるのに憎悪感があまりない。
エヴァはないで良いと思うけど、ロアークは描き方が薄いから最後にカタルシスがなく不完全燃焼。
とにかくメインが薄くなっていて勿体無いなかったな…。
予告編も団結して悪を倒すようなのを想像すると思うけどそういう作品にもなってない。
3D要素も「3Dで見たい!」と思う部分がなかった。
しかし、見所はなくはない作品でエヴァ嬢の悪女ぷりはハマりすぎててなんか笑えてしまう。
ってか、ウエスト細っ!
あとはアクションシーンかな。
ロドリゲス監督らしいアクションはやはり楽しい。グロさもパワーアップしてたから目で見る分には楽しかった。
とりあえず世界観は好き嫌い別れるが、普通には楽しめる娯楽作品。
前作が猛烈な好きな人にはオススメできる作品です。
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1/11 大和文華館 おめでたい美術
2015年の干支は未です。「羊」は中国語では「陽」と同じ発音であることから、新春の賀詞「三陽開泰」に三頭の「羊」をモチーフにしたり、後漢時代の鏡には「吉祥」の「祥」を「羊」で表す銘文が遺されるなど、古代からおめでたい意味を持っていたことが知られます。同様に「魚」も「余」と音が通じることから、豊かさを象徴するモチーフとして表されます。
子孫繁栄・長寿・富貴をはじめ、人々は様々な願いをモチーフに込め、造形化してきました。羊や魚のほか、鳳凰、龍に代表される伝説上の生き物や、松竹梅、鶴亀といった馴染みの深いものまで、絵画の画題や工芸品の文様に見ることができます。それらは単独で用いられたり、複数組み合わせられることで重層的な意味の広がりが意図されることもあります。また、「願い」は「祈り」に通じます。泥池の中から美しい花を咲かせる「蓮」は、仏教美術の重要なモチーフですが、男女の愛情、結婚、豊かさのシンボルとしての吉祥的な意味合いも付与されています。モチーフに込められた意味は、時代や地域を越えた広がりを持ち、東洋美術を豊かに彩ります。
本展観では館蔵の絵画・工芸品の中から、縁起の良いモチーフが表現された、おめでたい美術作品を展示します。おめでたい年の初めに、幸せへの願いが生み出した美術の豊かな世界をお楽しみ下さい。
1/9 大阪歴史博物館
常設+月岡雪鼎とその一門 —大坂の肉筆浮世絵—
大阪歴史博物館では、平成27年1月7日(水)から2月16日(月)まで、
8階特集展示室において、特集展示「月岡雪鼎(つきおかせってい)とその一門-大坂の肉筆浮世絵-」を開催します。
近江に生まれ、江戸時代中期の大坂で活躍した月岡雪鼎(1710または1726~1786)は、独特の美人表現を創り出し、
その作品は今もなお国内外で高い評価を受けています。
雪鼎の描いた色白で鼻筋の通った瓜実顔(うりざねがお)の美人は、大坂や京都の富裕な人々に好まれました。
雪鼎は美人画のみならず、狩野派や雪舟流の表現も駆使してさまざまな作品を描き、肉筆画のほか絵本の挿絵を
はじめ出版にも深くかかわりました。なかでも和漢の名画を写した画集を出版し、これは人々の絵画制作や鑑賞
において大きな手助けとなりました。
雪鼎には、後を継いで美人画を得意とした月岡雪斎(つきおかせっさい)ら多数の門人がいます。彼らは師の画
風を受け継ぐかたわら、それぞれの関心に基づいた表現を追求し、大坂の絵画界に多彩な表現をもたらしました。
本展では当館寄託品と館蔵品を中心にして雪鼎の画業を紹介します。あわせて雪鼎の門人や孫弟子の作品も展示し、
大坂の絵画界における影響力の大きさをご覧いただきます。
1/7 細見美術館
麗しき日本の美 —めでたし、愛でたし—
「麗しき日本の美」展は、多彩なコレクションから毎回テーマを設けて開催しているシリーズ展であり、本展で4回目を迎えます。
今回はこの時期にふさわしく、新春を寿ぐ作品や吉祥を示す絵画・工芸品を紹介します。めでたいには「愛でたい」という意味もあります。一目見ただけで、思わず微笑んでしまうもの、可愛らしいものも併せて展観します。
見る者の心を和ませ、晴れやかにする日本の美をお楽しみください。
1/2 おん祭と春日信仰の美術
春日若宮おん祭は、時代衣装を着た大勢の人々が奈良の都大路を練り歩く年中行事で知られています。
平安時代の保延二年(一一三六)九月十七日に始まったこの祭礼は、その後祭日が変わることはあって
も廃絶することなく現代まで続いており、今年の十二月十七日で八七九回を迎えます。
当館では平成十八年よりおん祭の行われる季節に合わせ、毎年テーマを変えながら展示を通じておん
祭の一端を紹介してきました。今年は祭礼において神威を高める調度品「威儀物(いぎもの)」につい
ての特集を行います。「千切台(ちきりだい)」や「盃台(さかづきだい)」というおん祭特有の威儀
物のかたちや歴史、匠の仕事などを紹介します。
ご祭礼の参列、年末年始のご参拝などにあわせてご観覧下さい。
主な出陳品
築地遺構出土品 [ついじいこうしゅつどひん]
築地遺構出土品 [ついじいこうしゅつどひん]奈良・春日大社
古墳時代(6世紀)
奈良時代、春日大社の境内周辺は、長大な築地塀(ついじべい)によって囲まれていた。発掘調査により、塀にのせた瓦や、祈雨の祭祀(さいし)に用いた土馬(どば)の破片などが発見された。高台皿は神域との境で行われた儀式に関わる遺物。
鹿島立神影図 [かしまだちしんえいず]
鹿島立神影図 [かしまだちしんえいず]奈良国立博物館
南北朝時代(14世紀)
本社第一殿の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、常陸国(ひたちのくに)鹿島(かしま)から春日へ飛来した伝説を描く。下端部に、白鹿に乗る武甕槌命と、春日社司の祖となった二従者を描く。後のもう一体は第二殿の祭神・経津主命(ふつぬしのみこと)かとされる。
春日若宮御祭礼絵巻 [かすがわかみやごさいれいえまき]
春日若宮御祭礼絵巻 [かすがわかみやごさいれいえまき]奈良・春日大社
江戸時代(17世紀)
※展示期間:12/9~21:中・下巻 12/23~1/18:上・中巻
おん祭の様子を描いた長大な絵巻。上巻には祭礼当日までの行事と遷幸(せんこう)の様を、中巻にはお渡り式の様子を、下巻にはお旅所祭(たびしょさい)と翌日に行われる後宴能(ごえんのう)を描く。濃彩の充実した描写は記録画と呼ぶにふさわしい。
国宝 若宮御料古神宝類 金鶴と銀樹枝 [わかみやごりょうこしんぽうるい] 国宝 若宮御料古神宝類 銀鶴 [わかみやごりょうこしんぽうるい]
国宝 若宮御料古神宝類 [わかみやごりょうこしんぽうるい] 奈良・春日大社
平安時代(12世紀)
【上】金鶴と銀樹枝
【下】銀鶴
かつて若宮神社に奉納されていた神宝類。鶴と磯形が組み合わされ、仙境である蓬莱山(ほうらいさん)を模した飾りを構成していた可能性が高い。平安時代に開花した、後の嶋台などに繋がる「作り物」の稀有な遺例である。
春日社若宮祭図解 [かすがしゃわかみやさいずかい] 春日社若宮祭図解 [かすがしゃわかみやさいずかい] 部分
【上】春日社若宮祭図解 [かすがしゃわかみやさいずかい] 個人蔵
明治時代 明治3年(1870)
【下】同 部分
おん祭の次第や装束(しょうぞく)、道具類について、明治初年の現況をとりまとめた報告書。田楽頭坊(でんがくとうぼう)に飾る大折(おおおり)や千切台(ちきりだい)、盃台(さかづきだい)をはじめ、大宿所(おおしゅくしょ)の献菓子台(けんがしだい)や嶋台(しまだい)まで、彩色画と注記により威儀物(いぎもの)の実態が分かる第一級の資料である。
春日権現験記絵 (春日本) 巻第一 [かすがごんげんげんきえ]
春日権現験記絵 (春日本) 巻第一 [かすがごんげんげんきえ]奈良・春日大社
江戸時代 文化4年(1807)頃 ※巻替有
春日明神にまつわる平安・鎌倉時代の霊験譚(れいげんたん)を表す絵巻。第一段は承平の託宣。本殿の一部がみえ、連綿と続く式年造替(しきねんぞうたい)による社殿の継承をうかがえる。第三段は竹林殿の建立。中世の本殿造替現場を彷彿(ほうふつ)させる。
春日神鹿舎利厨子 [かすがしんろくしゃりずし]
春日神鹿舎利厨子 [かすがしんろくしゃりずし]奈良国立博物館
鎌倉~南北朝時代(14世紀)
宮殿形厨子(くうでんがたずし)に鹿座にのる火焔宝珠(かえんほうじゅ)を奉安し、舎利(しゃり・釈迦の遺骨)を籠(こ)めている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿に乗って影向(ようごう)した様を表現しており、命の本地(ほんじ)が釈迦如来とされたため、命(みこと)の姿は舎利で表されている。
重要文化財 春日宮曼荼羅 [かすがみやまんだら]
重要文化財 春日宮曼荼羅 [かすがみやまんだら]奈良・南市町自治会
鎌倉時代(13世紀)※展示期間:12/9~21
江戸時代初めには南市町(みなみいちちょう)春日講(しゅんにちこう)の本尊だったことが知られ、春日宮曼荼羅として現存最大の偉容を誇る。本社の中門(ちゅうもん)前に六人の礼拝者が坐(すわ)り、若宮社の神楽殿(かぐらでん)には若宮ともみられる童子が立ち、前で拝する男もいる。
春日社寺曼荼羅 [かすがしゃじまんだら]
春日社寺曼荼羅 [かすがしゃじまんだら]奈良国立博物館
鎌倉時代(14世紀)
春日社と興福寺を一画面中に描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)は、両者が信仰上、一体化していたことを物語る。本図の興福寺部分は春日大社同様、諸堂塔を俯瞰(ふかん)的に描く形式で表されている。
これより2015
12/21 たそがれ歌麿
総兵衛は稀代の絵師喜多川歌麿が極秘裏に描く禁制に触れる一枚絵を追うのだが……。
総兵衛は大目付本庄義親邸で喜多川歌麿なる稀代の浮世絵師と出会い、その絵と人物に不思議な魅力を感じさせられた。一方、私財を投じて掛け替えることとなった橋普請が進む
中、強大な野分によって江戸の町は大打撃を受ける。折しも復旧に
奔走する総兵衛の元に、歌麿が極秘裏に徳川政権の禁令に触れる絵を描いているという報がもたらされた。総兵衛は手を尽く
して歌麿を追うのだが。

更衣美人図

太閤五妻洛東遊観之図
12/18 ホビット 決戦のゆくえ
解説
J・R・R・トールキンの『ロード・オブ・ザ・リング』3部作に続き、その物語の前日譚(たん)をピーター・ジャクソン
が映画化したアドベンチャー3部作の最終章。ドワーフの王国の奪取を目指し旅をしていたホビット族の主人公とドワーフ
たちが、ついに王国を奪還、目覚めた竜の怪物や最大の敵サウロンとの死闘を繰り広げるさまを描く。イアン・マッケラン
やマーティン・フリーマン、オーランド・ブルームなど豪華キャストが再集結。壮大な世界観やクリーチャーなどのビジュ
アル、最後を締めくくる大スケールのバトルは必見。
シネマトゥデイ (外部リンク)
あらすじ
ドワーフの王国を取り戻すべく旅をしていたホビット族のビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)やドワーフのトーリン
(リチャード・アーミティッジ)らは、竜のスマウグからついに王国を奪い返す。しかし、スマウグは人々を襲い、
その一方でトーリンが財宝を独り占めしようとし、ビルボがそれを止めようと危険な選択をしてしまう。そんな中、
宿敵サウロンが奇襲を仕掛け、ドワーフとエルフと人間の間では対立が深まり……。
12/10 レンタル ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪
h2> ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪 (2013)
狄仁傑之神都龍王/YOUNG DETECTIVE DEE: RISE OF THE SEA DRAGON
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ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪 (2013)
狄仁傑之神都龍王/YOUNG DETECTIVE DEE: RISE OF THE SEA DRAGON
エイの怪物?
半漁人みたいな怪物?
おもしろいところも..あるのだが...
撮影にはお金と人がかかっている よう 製作費32億円(納得)
6世紀の中国 模型から実写へ..変化と
STOP映像..
少し前に観た 『狄仁傑之通天帝國』 王朝の陰謀/判事ディーと人体発火怪奇事件
のエピソード・ゼロだったようだ
日本題 謎の鉄の爪 はいただけない!
前作の方がいかったのでは!!!
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INTRODUCTION
中国映画史上最高の製作費約32億円!興行収入はなんと96億円!
中国映画史上最高の製作費2億元(約32億円)を費やし、6億元(約96億円)のメガヒットを飛ばした、怪奇アクション
アドベンチャーが、ついに日本上陸!類いまれな知性と推理力の持ち主であると同時に、武術の達人でもある判事、
ディー・レンチエ。“中国版シャーロック・ホームズ”ともいえる彼が“海の神・龍王〈シードラゴン〉”の謎に挑
む本作は、2010年にアンディ・ラウ主演で話題を呼んだ『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』の前日譚〈エ
ピソード・ゼロ〉にあたる。
朝廷を揺るがす怪事件に果敢に挑む、若き主人公・ディーを演じるのは、「台湾4大若手俳優」にも選出されたマーク・
チャオ(『ハーバー・クライシス〈湾岸危機〉Black & White Episode 1』)。また、ドラマ
「花より男子〜Boys Over Flowers」でブレイクした韓流スター、キム・ボムが事件のカギを握る悲劇の男・ユエン
を演じるほか、中国からも人気上昇中のウィリアム・フォン(ドラマ「蘭陵王」)とケニー・リン(ドラマ
「宮廷女官 ジャクギ」)が参加するなど、次世代のアジア映画界を担う若手俳優が共演!また、日本でもカリス
マモデルとして知られるアンジェラベイビー(『TAICHI/太極』)が放つ妖艶な魅力や、前作に続き、中国三大悪女
・則天武后を怪演するカリーナ・ラウの圧倒的な存在感など、新旧女優対決にも注目だ。
毒蜂、呪いの虫・ 蠱(こ)、龍王(シードラゴン)、海中を自由に泳ぐ白馬、
そして鉄の爪を持つ恋する半魚人
登場するのは見たこともないクリーチャーたち!
前作に続き、監督・脚本を務めるのは『男たちの挽歌』『ダブルチーム』『ドラゴンゲート/空飛ぶ剣と幻の秘宝』
『セブンソード』のツイ・ハーク。“香港のスピルバーグ”の異名を持つヒットメーカーが今回、華麗なワイヤー・ア
クション演出はもちろん、最先端CG技術を駆使し、ダイオウイカも霞むダイナミックな龍王〈シードラゴン〉の
クリーチャーを制作。さらに登場する数々の奇怪な化物たち!正体不明の鉄の爪を持つ謎の怪物〈醜くも悲しい半魚人〉
、大群で襲う〈毒蜂〉、強い毒性を持ち体内に入ると皮膚が鱗と化す呪いの虫〈蠱-こ-〉など見たこともないクリー
チャーたちが続々と登場する世界観は圧巻。
音楽には日本から押井守監督作などで知られる川井憲次を招聘するなど、前作を超える驚天動地のスケール感を生み出した。
その結果、前作の2倍以上の興収を叩き出し興行収入はなんと96億円!
STORY
謎に包まれた龍王(シードラゴン)そして登場する数々の妖異(ようい)
都の闇に襲いかかる怪事件の驚くべき真相とは―
西暦665年、唐朝末期。第3代皇帝・高宗と皇后・則天武后が敵国に送り出した10万に及ぶ水軍艦隊が、何者かの襲撃を受けて全滅。巷で「これは“海の神・龍王”の仕業であり、その怒りを鎮めるには若い女性を供物にしなければならない」という噂が流れ始める。花の都・洛陽に赴任した若き判事ディー・レンチェは、選ばれた美しき花魁・インをめぐる誘拐事件に巻き込まれたことを機に、医官・シャトーやディーを追う司法長官・ユーチとともに“龍王”をめぐる怪事件の捜査に乗り出す。そして、彼らはインを奪いに現れた鉄の爪を持つ醜い謎の怪物に遭遇。その正体を探るうちに異形の裏に隠された悲しくも切ない真実を知ることとなる――。
マーク・チャオ ディー・レンチェ役
1984年9月25日生。
台湾・台北出身。父は台湾のマルチ・タレントのチャオ・シューハイ。カナダのビクトリア大学を在学中に、CMモデルなどを務める。その後、「流星花園~花より男子~」で知られるツァイ・ユエシュン監督の目にとまり、彼が演出するドラマ「ブラック&ホワイト」に抜擢。ドラマ初出演にして、ヴィック・チョウとともにW主演を飾る。父とも共演した本作で09年度の台湾金鐘奨(台湾エミー賞)でドラマ部門の最優秀主演男優賞を受賞したほか、12年にはその前日譚となる『ハーバー・クライシス〈湾岸危機〉Black & White Episode1』が映画化された。また、映画デビュー作『モンガに散る』(10)、『愛/LOVE』(12)と続けてニウ・チェンザー監督作に出演するほか、女優ヴィッキー・チャオ初監督作『So Young』(13)でも主演を務めた。また、本作は『ハーバー・クライシス~』『メモリー-FirstTime-』(12年)に続く、3本目のアンジェラ・ベイビーとの共演作となる。
キム・ボム ユエン役
1989年7月7日生。
韓国出身。06年、KBSの「サバイバル・スターオーディション」出場を機にデビュー。06年のドラマ「イブの反乱」に続いて出演した人気シチュエーション・コメディー「思いっきりハイキック!」で注目を浴びる。また、08年の「エデンの東」では主演のソン・スンホンの少年時代を好演し、百想芸術大賞TV部門で男性新人演技賞にノミネートされた。そして、09年に日本の人気コミックを韓国でドラマ化した「花より男子~Boys Over Flowers」のソ・イジョン(西門総二郎)役に抜擢。日本でも「はじめまして!キム・ボム ファーストDVD in JAPAN」などのDVDがリリースされるほか、「聖夜(イブ)の空/今、会いに行きます」でCDデビューするなど、絶大な人気を博す。また、08年『お熱いのが好き』で映画デビューしている彼は、その後も『ブラッディ・ミッション』(08)、『サイコメトリー~残留思念~』(13)などの話題作に出演。
ウィリアム・フォン ユーチ役
1978年10月7日生。
中国・上海出身。01年に上海戯劇学院を卒業し、TVドラマを中心に活躍。06年には香港のドラマ「争覇 越王に仕えた男」に出演。その後も、ドラマ「王の後宮」、「美人心計~一人の妃と二人の皇帝~」などで日本でも注目される。さらに、13年には南北朝時代・北斉の高長恭の活躍を描いたドラマ「蘭陵王」で主演に抜擢。蜷川実花がキーヴィジュアルディレクションを務めるほか、台湾からアリエル・リン、香港からダニエル・チャンが共演するなど、アジアの才能が結集した本作は各国で大きな話題を呼んだ。また、項羽役を演じた『項羽と劉邦/White Vengeance』(11)以降、本格的に映画界に進出。降魔師役を演じた『妖魔伝 -レザレクション-』(12)のほか、アンジェラ・ベイビーと共演した『TAICHI/太極 ゼロ』(12)、『TAICHI/太極 ヒーロー』(12)などに出演。
アンジェラ・ベイビー イン役
1989年2月28日生。
中国・上海出身、その後、香港に移住。07 年から香港を中心に、ファッションモデルとして活動を始める。台湾版「VOGUE」「i-D」などで活動を展開するほか、日本でも「GLAMOROUS」「S Cawaii!」「Sweet」など多くのファッション誌やヴィダルサスーンのCM、レミオロメンのPVなどで活躍。そのカリスマ性から10年にはムック本「I LOVE Baby, Angelababy! アンジェラベイビーのすべて」も出版された。女優としても07年、パン・ホーチョン監督作『些細なこと』で映画デビューし、『ホット・サマー・デイズ』(10)、『ハッピーイヤーズ・イブ』(11)、『TAICHI/太極 ゼロ』(12)『TAICHI/太極 ヒーロー』(12)などに出演。また、マーク・チャオとは本作が、『ハーバー・クライシス〈湾岸危機〉Black & White Episode』『メモリー-FirstTime-』(ともに12年)に続く、3本目との共演作となる。
ケニー・リン シャトー役
1988年2月13日生。
中国・遼寧省出身。上海戯劇学院在学中から活動を開始し、11年に卒業。同年、大ヒットドラマ「宮廷女官 若曦(ジャクギ)」に第十四皇子役で出演し、注目を浴びる。また翌12年には台湾ドラマ「恋せよ姐GO!」で、女優で歌手のルビー・リンやジロー(人気グループ・フェイルンハイのメンバー)と共演するなど、若手俳優として今後の活躍が期待される。10年に映画デビューを果たしているが、本作が初の大作出演となり、13年度の香港電影金像奨(香港アカデミー賞)では最優秀新人賞候補になっている。
カリーナ・ラウ 皇后・則天武后役
1965年12月8日生。
中国・江蘇省出身。83年、TVB俳優養成所を経て、現在のパートナーであるトニー・レオン主演ドラマ「新紮師兄(原題)」で注目。86年にジャッキー・チェン製作『クラッシュ・エンジェルズ 失われたダイヤモンド』で映画デビュー後、ナント国際映画祭主演女優賞を受賞の『欲望の翼』(90)、レスリー・チャン共演の『君さえいれば/金枝玉葉』(95)、シリーズ2作目『インファナル・アフェアⅡ/無間序曲』(03)などに出演。06年の『好奇心は猫を殺す』で中国金鶏百花奨の最優秀主演女優賞、本作と同じ武則天を演じた前作『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』(10)で、香港電影金像奨(香港アカデミー賞)最優秀主演女優賞を受賞した。
チェン・クン 宮廷侍医・ワン役
1976年2月4日生。
中国・重慶市出身。インド人の父と中国人の母を持つハーフで、95年東方歌舞団に入団し、歌手として活躍。その後、2000年に北京電影学院を入学・卒業し、ドラマ「雨のシンフォニー」(00)、「さよならバンクーバー」(03)に出演。日本でもジョウ・シュンと共演した『小さな中国のお針子』(01)で注目を浴びる。その後も、中国映画界を支える実力派若手俳優として、さまざまな作品に出演。近年もメガヒットを記録した『画皮 あやかしの恋』(08)と続編『妖魔伝 レザレクション』(12)のほか、チョウ・ユンファと共演した『さらば復讐の狼たちよ』(10)、一人二役を演じた『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』(11)などで、その独特な存在感をアピールしている。
ユーザーレビュー
炭酸の抜けた狄仁杰シリーズ第二弾
lamlam_pachanga さん
2014年5月11日 21時35分
閲覧数 878
役立ち度 11
総合評価
★★★★★
詳細評価
イメージワード
かっこいい
スペクタクル
ファンタジー
不思議
勇敢
本作は13年製作の中国映画で、唐代の宰相・狄仁杰(ディー・レンジエ)を主人公に据えて大ヒットを記録した武侠ミステリー『狄仁杰之通天帝國(王朝の陰謀)』に続く、シリーズ第二弾です。
監督は前作に引き続き徐克(ツイ・ハーク)が担当し、全編、最近の彼がハマっているIMAX3Dで製作されています。前作でもCGをはじめとするVFXを最大活用し、スクリーンに唐代の洛陽を甦らせた徐克ですが、本作では前作以上のフル活用ぶりで、80年代から続く相変わらずの特殊効果好きを猛烈アピール(笑)もちろん、映画における3DやCGの多用には賛否あるとは思いますが、この辺のハッタリぶりが徐克映画の魅力であるのは事実ですし、(前作を観た方ならお分かりの通り)そこがこのシリーズの売りでもあります。
一方、キャストは一新され、主演には台湾の若手・趙又廷(マーク・チャオ)を抜擢。この周りにも同世代の若手や新人が配され、馮紹峰(フォン・シャオフォン)、林更新(リン・ガンシン)、Angela Baby(楊穎)などが起用されていますが、結局前作から続投したのは武則天を演じた劉嘉玲(カリーナ・ラウ)だけと、製作費2億元(約32億円)の大作映画にしてはかなり大胆なことをしています。もちろん、これは映画が前作の前史を描くための若返り策なのですが、この若手起用は絶対に徐克の趣味ではないので(除くAngela Baby)、恐らく製作の陳国富(チェン・クォフー)あたりの目利きでしょうね(笑)
これは人によって感想が違うのでしょうが、正直、前作の劉徳華(アンディ・ラウ)と鄧超(ダン・チャオ)のコンビが完璧と言って良かっただけに、私は、キャスト一新を聞いた時は少なからず興醒めしました。まあ、鄧超は再演出来ないのでともかく、劉徳華の狄仁杰は完璧でしたからね。趙又廷には悪いけど、どっちが観たいかと言われれば、そりゃあ劉徳華の狄仁杰なワケで…と、これが映画を観る前の素直な気持ち。
では、映画を観た後はどうかと言えば…。
大唐麟徳二年(665年)、洛陽。唐の高宗・李治(盛鉴)と、その妃・武則天(劉嘉玲)の治世にあって唐は隆盛を極め、国境を侵した隣国・百済の討伐に水軍10万を差し向ける。しかし、その途上、討伐軍は海中から現れた怪物の襲撃を受けて全滅。武則天は大理寺の尉迟真金(馮紹峰)に十日以内の真相究明を厳命する。その頃、狄仁杰(趙又廷)は大理寺への士官に現れるが、遊郭の女郎・銀睿姫(Angela Baby)を襲う謎の一団と戦いになる。その最中、またも得体の知れぬ怪物が現れ…。
続編ということで、どうしても前作との比較になるのですが、娯楽映画として、私は、前作の『通天帝國』が大好きです。徐克得意の大袈裟で大味な演出の爆発も、(ネタはともかく)ミステリーとしてのストーリー展開も、映画としてのスケールも、そして主要キャストの演技合戦に至るまで、“面白い徐克映画”の典型。理屈ではなく、観ていて面白い、楽しいと思わせる、そんな映画でした。
今回はというと…やはり、ちょっと小粒な感じが拭えません。
いや、最初に書いた通り、壮大なCGなどで魅せるVFXは素晴らしいものがあります(質って意味じゃないですよ)。最近、徐克の演出はかつて(80年代)のキレを取り戻し、活劇の本道へ立ち返った感を窺わせています。どの作品も例外なく大味で、観る人の嗜好次第では一気に白ける可能性もあるのですが、中華圏には珍しいくらいの自由な発想を描ける人です。
今回、お粗末に感じたのは脚本。
ストーリー全般というよりも謎解きのパートが全然盛り上がらないので、派手なだけの娯楽武侠映画にしか映らない。
そして、物語が“前史(前作より前の時代)”を描いているため、主人公の若き狄仁杰が、どうしても前作ほど魅力的に映らないという問題を解決出来ていません。どうやら、前作では、明晰な頭脳、豊富な知識、超絶に武功を併せ持った完全無欠のキャラクターだった彼を、今回は、狄仁杰(頭脳)、沙陀忠(知識)、尉迟真金(武功)と、三人のキャラへ分割したようですが、そのせいで主人公としてのインパクトに欠けるのです。
また、私が不安だった若手キャストにしても、狄仁杰の趙又廷、沙陀忠の林更新、尉迟真金の馮紹峰、そしてヒロインのAngela Babyは悪くはなかったですが、それぞれ比べる相手が、劉徳華、梁家輝(レオン・カーフェイ)、鄧超、李冰冰(リー・ビンビン)ときては、如何にも分が悪い。
こうしたマイナスが響いて、この映画、最終的にドラマとしてもちっとも盛り上がらない。
『狄仁杰之神都龍王(ライズ・オブ・シードラゴン)』は、面白いことは面白いのですが、何と表現すれば良いのか…何だか炭酸の抜けたコーラみたいな映画でしたね(苦笑)
12/5 京博 京都歴史資料館
京都国立博物館 常設
京都市歴史資料館
テーマ展 新・京のかたち6—都市計画の20世紀—
1 開催日時
平成26年11月22日(土曜)~ 平成27年3月25日(水曜) 午前9時~午後5時
※ 休館日:月曜日,祝日,年末年始(12月28日~1月4日)
※ 展示替のため,11月20日(木曜)・21日(金曜)は臨時休館となります。
2 会場
京都市歴史資料館1階展示室(上京区寺町通丸太町上る)
3 内容
20世紀に入り,古くからの京都の町並みは大きく変化します。明治後期からの三大事業,大正期に始まる都市計画事業,戦時中に行われた建物強制疎開跡地の整備,そして高度経済成長期以降の開発と保全をめぐる動きなどを通じて,現在の京都という都市の姿がかたちづくられていきます。
今回の展示では,20世紀の京都における都市計画の推移を概観するとともに,三大事業や戦前の都市計画事業の写真をパネルで展示します。
4 展示品
約60点(写真パネルを含む)
(主な展示品)
(1)都市計画関連地図 約25点
(2)パンフレット類 約10点
(3)京都市の行政文書 約5点
(4)土地区画整理関係の資料 約5点
(5)写真パネル 15点
11/29 大和文華館 県立美術館 茶湯の人と造形
抹茶の喫茶法は栄西が宋時代の中国からもたらしたと伝えられます。元来、抹茶は禅林での修行を助ける薬として用い
られ、喫茶法は禅林の生活規範として位置付けられました。やがて、中国から多くの文物、いわゆる唐物がもたらされ
ると、会所に唐物を豪華に飾り立て、同じ舶来の飲物である抹茶が楽しまれます。また、一方では、抹茶は寺社の門前
で売られるほど普及しました。
室町時代後期に、このような喫茶のあり方に変化が訪れます。喫茶における精神性を重んじる佗茶が提唱され、茶人
たちは修養のために参禅し、連歌や和歌の教養を身に付けました。茶道においては、目利き、すなわち、美を見抜く力
が重視されます。
茶湯を志す茶人は、自らの茶風にふさわしい美術品を茶席に取り入れ、さらには新たに自ら考案しました。その伝統は
近代まで引き継がれ、美術作品の評価やコレクションの形成にも大きな影響を与えました。作品の鑑賞価値を重視して
収集された大和文華館の所蔵品においても、茶人に愛玩され、茶席に用いられた作品は少なくありません。
この展観では、茶人たちの書状をはじめ、茶湯と関わりの深い作品を、絵画、書蹟、陶磁、漆工にわたって展示し
ます。なお、所蔵品に加えて、藤村庸軒が所蔵していた茶道具を拝借して特集展示します。藤村庸軒は千家を再興した
宗旦の高弟であった町衆の文人茶人です。
国宝 雪中帰牧図(右幅)
重文 小大君像
13:00~「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目のひとつ。
「されば恋する身ぞつらや、出ずるも入るも、忍ぶ草、露踏み分けて橘姫」の床の浄瑠璃で、橘姫が帰ってくる。
振袖に赤糸がついているのを腰元がたぐると「たぐりたぐればくるくると、糸に寄る身はささがにの、雲井の庭に引か
れ来る、ぬしは床しの」の浄瑠璃で赤い糸の苧環をしるべに求女が追ってくる。橘姫は求女の正体を知っていて、愛し
い求女に討たれるのが本望と打ち明ける。感心した求女の願いを受けた姫は妻になるため、命にかけて入鹿が所持する
十握の宝剣を奪うことを誓う(姫戻り)。
11/28 家入レオ CD/DVD silly
家入レオ Silly
歌:家入レオ 作詞:家入レオ 作曲:西尾芳彦
難しいことが多すぎる愛
今日も変わらず降り続いている 雨が
吐息の隙間で名前を呼ばれ
逢えない日の孤独 掻き消されるんだ
Rainy day oh Rainy day
軋む波動にのまれて
Oh It's so silly
何かを求め 確かめたくて 今日を生きてる
Oh It's so silly
騙せるのなら 現実なんて 必要じゃない
逃れられない哀しみに Oh It's so silly
強がり隠した涙の痕に
気づかないそぶり 肌を重ねる 夜は
浅い眠り繰り返しながらも
隣の存在(おもみ)を確かめているんだ
Rainy day oh Rainy day
大人になりきれなくて
Oh It's so silly
救いを求め 満たされたくて 今日を生きてる
Oh It's so silly
許されるなら この愛だけを 抱きしめたい
逃れられない痛みでも Oh It's so silly
意味の無い 何も無い明日は
見てない 解らない振りで
逃げ出してる So Silly
震える 罪のないそれを 失えばいい
歪む 気持ちは あなたが欲しい
Oh It's so silly
何かを求め 確かめたくて 今日を生きてる
Oh It's so silly
騙せるのなら 現実なんて 必要じゃない
逃れられない哀しみに
傷も今では 愛しくて
Oh It's so silly
11/28 ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展










11/26 三英傑と名古屋
年代順だから、よくわかる。
愛知県出身の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、いわゆる三英傑は、戦国の戦乱から天下統一へと日本を導きました。三英傑は天下統一の過程で故郷を離れますが、信頼できる人物に尾張の支配を任せ、家康は清須から名古屋へ城下を移転させました。
本展覧会では、文書・絵画・武具など、名古屋市博物館が40年にわたって収集してきた資料を中心に、三英傑にとって重要な地であった尾張名古屋との関わりを年表風にわかりやすく紹介します。
会期:2014年10月25日(土)~11月30日(日)

展示構成
1.戦乱を治める
尾張における戦国時代のはじまりから、織田信長による天下布武の道のりまでを紹介します。
織田氏は、室町幕府の重職であった斯波氏の家臣で、斯波氏が尾張国守護を兼任したために、守護代として
尾張国に移住してきた一族です。尾張の戦国時代は、この織田氏の内紛から始まりました。織田信長は、ふた
つに分かれた守護代のうち、清須方守護代の三奉行の一つ弾正忠家に生まれました。弾正忠家は父信秀の代か
ら主家をしのぐほどの勢力を持ち、信長の代で尾張統一を成し遂げます。やがて尾張を離れ岐阜へ、安土へと
本拠地を移し、天下布武への道を突き進んでいきます。
このコーナーは、尾張国内での信長の活動を示す資料を中心に構成します。信長への協力を依頼する斎藤道
三の手紙、織田氏の人質となった幼い徳川家康をなぐさめたひな人形、桶狭間の戦いゆかりの杯なども展示されます。
のぶながいらすと

イラスト 雷門獅篭
ながしのかっせん

長篠合戦図屏風 館蔵
2.天下統一への道
豊臣秀吉が天下人になる過程と、秀吉が出身地の尾張をどう統治したかを紹介します。
明智光秀を山崎の戦いで降した豊臣秀吉は次第に信長後継の地位を築いていきます。尾張は信長の次男
信雄が領有しましたが、秀吉による東海五国への国替えを拒み、追放されてしまいます。尾張は秀吉のおい、
豊臣秀次の領国となりますが、秀次もやがて切腹を命ぜられることとなります。秀次の代わりに、秀吉子飼い
の武将福島正則が清須城主となりますが、尾張の半分は秀吉の直轄地であり、正則直轄地の寺社に領地を保証
するなど、尾張全土の支配に強く関与し続けました。
秀吉と家康が激突した小牧長久手の戦いを描いた屏風、秀吉の権力の象徴である天正大判、近年注目されて
いる伏見城を描いた洛中洛外図屏風などを展示します。
ひでよしいらすと

イラスト 雷門獅篭
てんしょうおおばん

天正大判 館蔵
3.城下町名古屋の誕生
徳川家康による名古屋城築城と、堀川掘削など城下町の形成について紹介します。
関ヶ原の戦いに勝利し、徳川家康が政権を握ることとなりました。あらたに清須城主となったのは、家康四男
の松平忠吉です。忠吉は家康に代わり、朝廷のある京都や豊臣秀頼のいる大坂を抑える役割を果たしていて、尾
張の政務については、清須三奉行が遂行していました。残念ながら忠吉は若くして病死し、尾張は家康九男であ
る義直が領することになります。家康は清須からの遷府を決め、巨大な名古屋城と城下町名古屋を生み出しました。
いえやすいらすと

イラスト 雷門獅篭
なごやじょうふかんず

名古屋城俯瞰図 館蔵
4.武を伝える
後世の人たちに受け継がれてきた、刀剣や甲冑など信長・秀吉・家康ゆかりの合戦の装いや、3人がどのように
顕彰されてきたかを紹介します。
徳川の世となり、織田信長や豊臣秀吉の事跡は忘れられようとしていました。信長の子孫である大和国戒重
(かいじゅう)藩主、織田長清(ながずみ)は信長ゆかりの寺社や信長旧臣の子孫から信頼できる史料や情報を集め、
「織田一族による信長の一代記」である『織田真紀』を編纂しました。また、幕府の儒官で朱子学者の林羅山は
『豊臣秀吉譜』、その子の松平忠冬は『豊臣通紀』を著し、徳川家の視点で秀吉の事跡を検証しました。
とくがわいえやすのかっちゅう

家康所用 色々糸威二枚胴具足
(いろいろおどしにまいどうぐそく)
名古屋市秀吉清正記念館蔵
11/25 西遊記 はじまりのはじまり






解説
「少林サッカー」「カンフーハッスル」で人気のチャウ・シンチーが、「ミラクル7号」以来6年ぶりに手がけた監督作。
日本でも映画やドラマなどさまざまなメディアで描かれ、誰もが知る中国の伝奇小説「西遊記」を題材に、
三蔵法師と孫悟空、猪八戒、沙悟浄が出会い、天竺を目指す前の物語を独自に描いたアクションエンターテインメント。
三蔵法師は、得意の「わらべ唄」で妖怪の善の心を呼び覚まそうするが失敗ばかりの若き妖怪ハンター・玄奘として描かれ、
孫悟空、沙悟浄、猪八戒もそれぞれ独特な姿で登場。映画オリジナルのキャラクターとして、人気女優スー・チーが扮する
女性妖怪ハンターも活躍する。
ストーリー
妖怪が人間の言葉を奪い、跋扈する世界。若き妖怪ハンター・三蔵法師(ウェン・ジャン)は、大いなるものに己を
差し出すと固く心に誓い、妖怪退治に乗り出す。しかしそれは、苦難の連続だった。それでも水の妖怪や豚の妖怪、
さらには妖怪の大王・孫悟空に立ち向かっていく。敵だった彼らを弟子として迎え入れることで、三蔵法師は本当の
愛に気付き大きく成長する。そして4人は罪を償い人々を助けるために、天竺に向け旅に出る――。
11/17 サボタージュ
解説
ハリウッドが誇るスター、アーノルド・シュワルツェネッガー主演によるアクションミステリー。
彼が演じる麻薬取締局特殊部隊のリーダーが、メンバーの命を次々と奪っていく犯人を追いながら
事件の思わぬ真相にたどり着く姿を活写する。
メガホンを取るのは、『エンド・オブ・ウォッチ』などのデヴィッド・エアー。
『タイタン』シリーズなどのサム・ワーシントン、『ハッスル&フロウ』などのテレンス・ハワードら
実力派が共演する。いくつもの謎とスリルが交錯するストーリーに加え、壮絶なガンファイトの数々も見どころ。
あらすじ
麻薬取締局DEAの中でも最も強いとされる特殊部隊のリーダーを務め、ブリーチャー(破壊屋)の異名
を持つジョン・ウォートン(アーノルド・シュワルツェネッガー)。
彼とそのチームは麻薬カルテルのアジトを急襲し、巧みなチームワークと見事な戦術でミッションを
成功させる。だが、組織が隠し持っていた1,000万ドルもの大金が突如として消え、それと同時に隊員
たちが何者かによって一人、また一人と殺害されていく。
報復や隊員の犯行などが疑われる中、ジョンは女性刑事と一緒に事件の真相を追い掛けていく。







11/16 版元





















11/13 奈良公園






11/5 ドラキュラ ZERO






11/5 ドラキュラ ZERO
『ワイルド・スピード EURO MISSION』などのルーク・エヴァンスが主演を務め、オスマン帝国の侵略から自国を死守するため悪に変じた君主の戦いを描くアクション。ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルとなった15世紀の実在の君主をモチーフに、愛ゆえに強大な悪と化す男の数奇な運命に迫る。主人公の妻を、『アンチヴァイラル』などのサラ・ガドンが好演。悲しくも美しいヒーロー伝説に圧倒される。
トランシルバニア君主ヴラド・ドラキュラ(ルーク・エヴァンス)が統治する国は栄え、人々は平和に暮らしていた。だがある日、ヨーロッパ攻略を狙うオスマン帝国が、彼の息子を含む1,000人の少年の徴兵を要求してくる。愛する妻(サラ・ガドン)や息子と国を守るため、ヴラドは大国相手に反旗を翻し、古代より伝わる絶対的な闇の力と契約を交わす。
11/4 エクスペンダブルズ3








2010年、米アカデミー賞Rノミネート経験を持つ脚本家であり、現代アクション映画のパイオニアでもあるシルベスター・スタローンは、現代映画界で成功を収めたタフガイたちをこの上なく素晴らしいアドベンチャーに連れ出した。『エクスペンダブルズ』とその続編『エクスペンダブルズ2』は、比類なき肉体表現と強烈なスターパワーを融合させ、世界中で5億ドル以上の興行収益をたたき出した。そして、シリーズ3作目となる『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』では、前2作をも凌駕するまさに“スクリーンレジェンド"と言える最強キャストたちの揃い踏みが実現。トレードマークとも言うべきド派手なアクションスタイルはさらに極みへと昇華した。
シリーズ最高傑作!
『エクスペンダブルズ2』で好評を博した冗談まじりの皮肉は、さらにグレードアップを果たした。脚本に名を連ねたスタローンは、3作目こそがシリーズ最高傑作だと断言する。「1作目を作った時は、監督の俺自身にも方向性がわかっていなかった。2作目はコメディ要素を入れ過ぎてしまった。今回はジョークというより人間味のあるユーモアを入れ、ドラマチックでもあり、ハラハラドキドキもある。3度目でやっと正しいトーンがわかったんだ。結婚と同じようなものだ(笑)」
見いだされた新鋭監督
ここに至るまで様々な試行錯誤があった。スタローンは企画当初、自らが監督に復帰することを考えていた。その後、メル・ギブソンにも監督を打診したが、ギブソンはスケジュールの都合で出演するだけに留まった。そんな時、スタローンは低予算映画『レッド・ヒル』に感銘を受け、パトリック・ヒューズを抜擢することになったのだ。スタローンはヒューズのことを「彼はこの作品に素晴らしいエネルギーをもたらした。この映画はコンセプトすべてを再起動させている。前2作から完全に抜きん出た作品に仕立てたんだ」と賞賛を惜しまない。
エクスペの原点を描く!
ヒューズ監督は言う「脚本段階から参加できたのは大きかった。スライの考えを聞きながら、自分のアイデアを実現させるチャンスを得たのさ」。ヒューズはスタローンのメッセージを敏感に嗅ぎ取っていた。「今回のテーマは“救済"と“教育"なんだ。バーニーと長年のクルーたちは自分たちの活躍の場が終わろうとしていることに気付いている。一方、若いチームは真にエクスペンダブルズを引き継ぐためには地獄を経験しなければならない。葛藤を通して全員が共に戦うことを学び、究極のエクスペンダブルズになっていくんだ。だからこれは原点を描いた物語でもあるんだ」
ストーリーが面白い!
良質なアクション映画が完成したことに、アーノルド・シュワルツェネッガーも称賛する。「アクション映画には良いストーリーがなければいけない。これまでの3作すべてに関わることができて嬉しく思うよ。この後の3作にも関わりたいね(笑)」
スタローンと共にこのシリーズを生み出したアヴィ・ラーナーは、映画史上で最も多くのアクション映画を成功に導いてきたプロデューサーだ。その彼が人生をかけて築き上げてきた人脈をフル活用して超豪華キャストを集めた。「彼らのうちの7人は、少なくとも主演を務める大ヒットシリーズを持つ俳優だ。ハリソンやスタローンには2つ以上のシリーズがある。これは、1本の映画に集まった最高のキャストだと思う」とラーナーは興奮気味に語る。企画を手がけたスタローンでさえも「こんなキャストが得られるなんて前代未聞だ。全員を一堂に集めるのは超人的に難しかった。その努力は大きな形で報われたんだ。彼ら全員を1本の映画に集めるのは奇跡に他ならないよ」と興奮を抑えることができない。
夢のヒーロー大競演!
元NFLのアメリカンフットボール選手だったシーザー役のテリー・クルーズは、憧れのヒーローが集まったことを強調する。「ロッキーがいて、ターミネーターがいて、インディ・ジョーンズがいて、トランスポーターがいて、マッドマックスがいて、デスペラードがいて、ブレイドがいるんだ。これはスタローン版『アベンジャーズ』なのさ」。一方で、ジェイソン・ステイサムはアメコミ映画との違いを力説する。「スライ(スタローン)は魂と心を持つリアルなキャラクターを創り出す。マントやマスクをつけたスーパーヒーローもいいが、スライはリアルなヒーローを書くんだ。彼はキャリアのすべてでヒーローを演じてきた。彼ほどうまくヒーローを描けるやつなんてどこにもいないのさ」
スターもこぞって出演熱望!
なぜこれほどまでのキャストが実現したのか。それはアントニオ・バンデラスの言葉に答えがある。「もし今回招待されなかったら、“俺だっていくつかアクション映画をやってきたのにどうしてメンバーに入ってないんだ?”とすねたかもしれない」。『エクスペンダブルズ』シリーズはアクションスターたちにとってそれほど大きな存在になっているのだ。
1&2作目から続投しているレギュラーメンバーだけでも他のアクション映画とは比べ物にならないほど豪華だが、本作にはさらなるサプライズがあった。メル・ギブソンとハリソン・フォードの参戦だ。
「メルは才能豊かな俳優で、天才的な監督でもある。そんな彼がこの作品に関わってくれたんだ。こんなにうれしいことはない。俺たちがキャリアを始めた頃、体重は74kgぐらいだったが、今は90kgぐらいある。お互いあらゆる意味で成長したんだ(笑)」とうれしそうに語るスタローン。メル・ギブソンも、本作の最終決戦で“ランボー対マッドマックス”が実現することに興奮を覚えた。「楽しい映画だ。男たちが集ってド派手にぶっ飛ばすチャンスがどれほどあると思う?」。そして、ギブソンは今回のために人生最高の肉体に改造したという。「スライが太った年寄りに叩きのめされるようには見せたくなかった。だから、ジムに通って筋肉を鍛え、炭水化物を控え、体力を強化した。他の仲間に遅れを取らないようにするのが、俺の責務だったんだ」
伝説のヒーロー現る!
ブルース・ウィリスに代わって、CIAの現場責任者として登場するハリソン・フォードの出演には、監督のパトリック・ヒューズも驚いた。「僕が8歳の時に初めて撮った映画は、23秒の短さで、ランボーとハン・ソロのフィギュアがマッチを持って戦うというものだった。20年後、僕はその二人の伝説の俳優を現場で実際に監督していたんだ。信じられないよ」。本作の紅一点、ルナ役のロンダ・ラウジーも「ハリソン・フォードに初めて会った時は、つい挙動不審になってしまったわ。だって、子供の頃から『スター・ウォーズ』を観て育ったんだもの!」と熱くなる。
そして、ハリソン・フォード自身も本作への出演を楽しんだようだ。「スライはかつて自分を真剣に受け取ってもらう戦いに勝った、才能豊かな俳優だ。そして彼は本物の映画製作者でもある。今回はスライと最高の時間を過ごしたよ」
「前2作よりも大規模なアクションになっている。観客がそう望んでいるからだ」と力強く語るプロデューサーのアヴィ・ラーナー。彼は、スタローンと話し合い、“新しいエクスペンダブルズ”を作ることにした。そのメンバーには、「スタローンの『ロッキー』を観てボクサーになろうと思った」というボクシングチャンピオンのヴィクター・オルティスを筆頭に、女子総合格闘技の現役チャンピオンのロンダ・ラウジー、『ザ・ヘラクレス』で筋骨隆々のヘラクレス役を演じているケラン・ラッツ、そして『ダークナイト ライジング』のグレン・パウエルと、フレッシュでバラエティに富んだメンツが集まった。彼らは旧メンバーに比べてはるかに若く、全員20代。ハイテク技術も駆使した新世代らしい戦い方で本作を盛り上げる。
アクション頂上決戦!
「もちろん新旧メンバーには共通点もある。ドルフ・ラングレンは、全員が“本物”であることを強調する。「俺は空手のチャンピオンだった。スライは信じられないほどいろんな訓練を積んでいる。ジェイソンは飛び込みの選手、アーノルドはミスター・ユニバース、テリーはフットボール選手、ランディは総合格闘技のチャンピオン、新しい参加者だって言うまでもなく本物のスキルを持っている。そんな俺たちがアクションシーンをやることで、映画全体にリアリティが生まれるんだ」
“本物”が演じる、本物のアクション
そして、“本物”である彼ら“本人”が危険なシーンを演じることに誇りを持っている、とスタローンは語る。
「ジェイソンは冗談抜きで死にかけた。とにかくいろんなことが起こるし、みんなケガをする。それは避けることができない。用心はするが、このシリーズのように俳優が実際にアクションをやる映画では、ケガは避けることができないんだ。『インディ・ジョーンズ』の時代にはCGがなかったから、ハリソンだって自分でやったはずだ。俺たちはそこに誇りを感じるんだ。この映画でも、俺たちは無茶なことをやってみせる。そして、その価値はあった」
本作の壮大なスケールのアクションと複雑なスタントの多くはブルガリアで撮影された。「造船所から、美しい村落、豪華な国際都市、忘れられた冷戦時代の軍用基地に至るまで、ブルガリアの撮影チームが、世界中を旅してきたという錯覚を生み出した」と製作のトンプソンは言う。
『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』には、1,000人を超えるスタッフが携わった。映画史に残るこの大人数を統率したのは、監督のパトリック・ヒューズだ。彼は豪華スター軍団と多くのスタッフを異郷の地でコントロールし切った。
スタッフ陣も最強無敵!
脚本は、スタローンがクレイトン・ローゼンバーガー&カトリン・ベネディクトの夫婦脚本家と共に取り組んだ。『エンド・オブ・ホワイトハウス』で知られる夫婦は、撮影中も急速に進化していくプロジェクトに対応し、どんどん脚本をバージョンアップさせていった。
本作のキーパーソンと言われているのが、第二班監督のダン・ブラッドリー、アカデミー賞R受賞経験を持つ特殊効果の達人アレン・ホール、そして業界トップのスタントコーディネーターであるJ・J・ペリーの3人である。彼らはCGでしかできないと思われていることは間違いだと証明するかのごとく、息をのむほど素晴らしいアクションシーンを作り上げた。
シリーズ最大のアクションシーン
冒頭の列車からの救出ミッションのシーンは圧巻である。「あれは、ヘリコプターを動く列車の上に着陸させたり、国際空港の滑走路上で撮影したりした。ロサンゼルス国際空港では絶対ありないことだ」
そして、スタッフ全員が一致団結して撮影した渾身のシーンが、クライマックスに待ち受けている。ロケ場所は、スタローンが「スケールに圧倒される。まるで最終決戦の地ハルマゲドンみたいなんだ」と語るブルガリアの製鋼所跡地。歪んだ金属やコンクリートの瓦礫が散乱するその場所で、ヘリコプター、戦車、1,000人の軍隊との激しい銃撃戦が繰り広げられる。シリーズ最大のアクションシーンを生み出したのは、最強無敵なスタッフたちなのである。
10/28 古文書講座 第4回
10/28 京博 修理完成記念 国宝 鳥獣戯画と高山寺
10/27 イコライザー








10/27 大古事記展
10/27 正倉院展
本年の正倉院展には、北倉6件、中倉28件、南倉22件、聖語蔵(しょうごぞう)3件の、合わせて59件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳の宝物は6件です。例年通り正倉院宝物の概要と来歴がわかるような内容・構成となっておりますが、天皇皇后両陛下の傘寿を慶祝するような、華やかな宝物が揃っているのが特色といえます。
聖武天皇・光明皇后ゆかりの北倉からは、天皇の身近にあった家具・調度類がまとまって出陳されます。「天平美人」として高名な鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)は奈良朝の華麗な宮廷生活を偲(しの)ばせるに十分です。また聖武天皇がお使いになったひじつきである紫檀木画挾軾(したんもくがのきょうしょく)や寝台である御床(ごしょう)、あるいは大仏開眼会(かいげんえ)で履かれたと思われる衲御礼履(のうのごらいり)のような宝物からは、聖武天皇の存在が確かに伝わって参ります。
また、異国の気分を伝える白瑠璃瓶(はくるりのへい)や白石鎮子(はくせきのちんす)、仏・菩薩への豪華な捧げ物を納めたと考えられる密陀彩絵箱(みつださいえのはこ)や檳榔木画箱(びんろうもくがのはこ)といった献物箱(けんもつばこ)、あるいは仏寺を飾ったかと思われる雑玉幡(ざつぎょくのばん)残欠(ざんけつ)、壮麗な鳥獣花背円鏡(ちょうじゅうかはいのえんきょう)、鳥獣花背方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)などの宝物、琵琶に似た弦楽器である桑木阮咸(くわのきのげんかん)などは、天平文化の精髄を今に伝えてくれます。
ところで、宝物の献納目録を代表する『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』には多数の武器・武具が記されております。それらの大半は藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)(恵美押勝[えみのおしかつ])の乱(天平宝字8年[764])に際して出蔵され、ほとんどが宝庫には戻りませんでしたが、これらの武器・武具を彷彿(ほうふつ)させる、中倉伝来の品々がまとまって出陳されるのも話題の一つです。豪壮な黄金荘大刀(おうごんそうのたち)や類例のない武器である手鉾(てぼこ)、漆葛胡禄(うるしかずらのころく)とこれに附属する箭(や)など、天平の「武」の部分にもご注目下さい。
このほか、昨今の保存修理技術の進展によって新たに修理が行われ、出陳可能となった伎楽面(ぎがくめん) 酔胡従(すいこじゅう)や、近年鑑真(がんじん)将来の可能性が指摘された四分律(しぶんりつ)などの宝物からは、現在進行形の宝物の置かれた状況が伝わって参ります。
地下の正倉院展-木簡を科学する」
10/24 ヘラクレス








10/24 智証大師円珍生誕1200年記念企画展 三井寺 仏像の美
10/9 兵庫県立歴史博物館 播磨と本願寺 —親鸞・蓮如と念仏の世界—
■ 播磨と本願寺 - 親鸞・蓮如と念仏の世界 -
平成26年9月27日(土)~11月30日(日)
蓮如坐像 亀山本徳寺蔵
浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞(1173~1262)によって開かれました。播磨地方への進出は室町時代後期、本願寺8世蓮如(1415~1499)のもとで基盤が形成されました。
英賀(姫路市飾磨区)には布教活動を推進する道場「英賀御堂」が建立され、念仏の拠点として発展していきます。
本展では、播磨における念仏信仰の底流と、播磨に展開した浄土真宗の多彩な歴史を紹介します。

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10/7 ブラジル横田家歓迎会 かんぽ
古文書講座 同志社新島館
10/7 細見美術館 仙厓と鍋島 —美と向き合う、美を愉しむ—
仙厓と鍋島 —美と向き合う、美を愉しむ—
臨済宗古月派の僧 仙厓義梵(1750~1837)は、博多・聖福寺の住持を20年勤め、洒脱で飄逸な禅画を多く遺しています。職業絵師とはちがった面白さ溢れる作品は、その魅力故に多くの人々に愛されています。
一方、鍋島は佐賀・鍋島藩の藩窯で、藩主の所用品や贈答用に製造されてきました。洗練・精巧をきわめた華麗な作風は、現代にも伝承されています。 本展では、神尾勇治氏が40年にわたり蒐集された仙厓と鍋島の名品をご紹介します。コレクターの目を鍛え続けてきた、美の緊張感と面白さ。個性豊かな作品の数々をお愉しみください。
神尾勇治氏のコレクションは、40年以上前、伊万里・柿右衛門・鍋島といったやきものの蒐集に始まりました。その好みは次第に鍋島に傾き、特に「色鍋島」や「鍋島染付」などの優品を多く蒐集されています。
仙厓の作品と出会って以降は、禅画蒐集にも力を入れられ、白隠、東嶺、遂翁、豪潮等の作品も含めて、禅画コレクションは100点以上。そのうちの8割は仙厓作品で、〈あくび布袋〉の画をはじめとするユニークで親しみやすい作風のものから、風景画まで多岐にわたります。現在では、仙厓と鍋島作品が神尾コレクションの二大柱となっています。
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仙厓は、なかなか味のある画(水墨)と詩(?)
うまいのだか?だが 禅の言葉もあり... 深いのかな
鍋島は、江戸時代の鍋魅力島藩所有の お皿や茶碗
絵柄やデザイン 最初はフラットみて何も感じることがなかったけれど
よく見ると いいものが 多数あった。
14.青磁染付宝尽文大皿
『画面を六分割 青磁軸・透明軸・青海波文で充填し落ち着いた
文様に砂金袋、市女笠、蓑、巻物、ホラ貝、小槌、冊子の宝物を統一、宝尽の意匠』
11.色絵唐花繋文五弁花皿
1.色絵鶺鴒水草文小皿
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鍋島焼 は、「色鍋島」といわれる程に、その華麗な色彩の世界は魅カ的である。
染付の藍に加えて赤・緑・黄の三色を使り華麗であり品格の漂う意匠である。
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10/4 松原北小学校同窓会
2014/10/04 昭和41年度卒業
道頓堀ホテル
からおけ
あと一軒
10/3 猿の惑星:新世紀(ライジング)
解説
名作SF『猿の惑星』の前日譚(たん)『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』の続編。ウイルスによって滅亡状態に陥った人類と、遺伝子の進化を経て知能や言語を得た猿たちとの対峙(たいじ)が思わぬ事態を引き起こしていく。前作に引き続き、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのアンディ・サーキスがモーションキャプチャーを駆使し、猿のリーダーとなるシーザーを熱演。その脇を『ホワイトハウス・ダウン』などのジェイソン・クラークや『裏切りのサーカス』などのゲイリー・オールドマンが固める。人類が衰退した世界の衝撃的なビジュアルに言葉を失う。
シネマトゥデイ (外部リンク)
あらすじ
自らが生み出したウイルスによって、人類の90パーセントが死滅した2020年代の地球。サンフランシスコでは、かろうじて生存している人類と驚異的な遺伝子進化を遂げた猿たちのコミュニティーがゴールデンゲートブリッジを挟んで存在していた。人類のコミュニティーでは、衰退を食い止めるためにも、猿たちと対話すべきだとする者、再び人類が地球を支配するべきだとする者たちが、それぞれの考えに従って動き出す。一方、猿たちを率いるシーザー(アンディ・サーキス)は、人類と接触しようとせずに文明を構築していた。






9/26 中山道広重美術館 「木曽海道六拾九次之内」
中山道広重美術館が誇る渓斎英泉・歌川広重≪木曽海道六拾九次之内≫(田中コレクション)を一堂に展観する
年に一度の機会です。
通称「雨の中津川」をはじめ、旧蔵者故・田中春雄氏が長い年月をかけて収集した作品の数々をお楽しみください。







9/17 京博
1階
彫刻
<> 京都の平安・鎌倉彫刻(「京へのいざない」全期間展示) 2014年9月13日 ~ 2014年12月23日<>
平安時代から鎌倉時代の京都周辺の仏像を展示します。大阪・天野山金剛寺の本尊、巨大な大日如来坐像と脇侍の不動明王坐像が圧巻です。大日如来像は平安貴族好みのみやびな作風。不動明王像は快慶の弟子行快の銘文が発見された鎌倉時代の貴重な作例です。法然上人の念持仏と伝わる知恩院の穏やかな阿弥陀如来立像、上人の一周忌に造られた精悍な阿弥陀如来立像も展示します。これらの像を含む20躯ほどで構成します。平安時代と鎌倉時代の像と対面してどのような印象を受けるでしょうか。比べてみてください。
絵巻
国宝絵巻の美(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
絵巻の絵は巻きながら鑑賞するための特別な構造をもっています。絵巻をひろげるにつれて、描かれた時空が連続して開けていくのです。国宝絵巻の傑出した表現の中に、壮麗な建築の人工美と景観の美とが調和する寺院と神社、そして、洛中らしい寺院の門前の賑わいを辿ってみましょう。山門、鳥居を潜って、本堂、本殿へと続く参道を進むにつれて、絵巻を見る現在の時間の流れに、絵巻の中の時の流れが重なってゆきます。
書跡
古筆と手鑑(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
人がみずから書いたものは、読む記号であると同時に、見る造形でもあります。とくに、いにしえの名人たちの筆跡は「古筆」とよばれ、それらをアルバム状の台紙に貼りこんだ「手鑑」とともに、鑑賞の対象として尊重されました。両者から厳選した逸品をご覧いただき、視覚芸術としての「書」の世界を存分にお楽しみください。
染織
小袖の美―みやこのモード―(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月19日
日本といえば想起される衣服―きもの。その源流は、「十二単」とも称される公家女性の正装に、下着として着装された「小袖」に遡ります。小袖とは、袖口が大きく開き、手先を覆い隠すほどゆったりとした大袖に対応する言葉で、腕が通る程度の袖口を設けたきものをいいます。衣服の簡略化とともに、表着へと変貌を遂げ、さまざまな文様で彩られるようになった小袖。その流行の発信地であった京都から、小袖の美と変遷を紹介します。
金工
神秘の仏具(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
平安時代から続く京文化の一つに、仏教文化とそれに根ざす仏教美術があります。この展示では、平安時代から鎌倉時代にかけての密教法具や僧具を中心に、仏像や堂内を飾り、金色にきらめく仏の世界を再現させた金属工芸作品を紹介することで、仏の荘厳と仏教美術の神秘に迫ります。
漆工
古神宝と仏の荘厳(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月19日
神道では、祭神を人になぞらえ、その生活に必要な衣類や調度を奉納します。この宝物を神宝といいます。神宝を新調するときは、それまで社殿にあった古い神宝を撤下しますが、有力者が奉納した高級品などは後世まで大切に保存しました。それが古神宝です。仏教では、仏の智慧や福徳によりその身や浄土を飾ること、ひいては仏像や仏堂をおごそかに飾ることを荘厳といいます。いにしえの貴顕たちの真摯な祈りの形を、神宝や仏具の名品に見てみましょう。
2階
特別展示室
肖像画(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
千年にわたって日本の都であった京都とその近隣の古社寺には、歴史に名を残した人々の肖像画が数多く伝えられています。その中から選りすぐりの大幅の肖像画を中心に、室町時代の将軍像も合わせて展示いたします。肖像画の最高傑作ともいえる伝源頼朝像のほか、天皇像から高僧像まで、歴史上の偉大な人々に会えるこの絶好の機会、どうぞお見逃しなく。
仏画
浄土教信仰の名品(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
寛和元年(九八五)、比叡山横川の僧・源信は、極楽往生のためのガイドブック・『往生要集』を執筆しました。「厭離穢土、欣求浄土」、つまり地獄の恐ろしさに対比して極楽の甘美さを説き、その描写は美術にも影響を与え、浄土教信仰は社会に浸透しました。京都を中心に育まれた浄土教信仰の名品を紹介します。
中世絵画
幽玄の美―山水画の世界―(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
中国・宋元時代の山水画の影響を受け、わが国でも頻繁に制作された山水画。なかでも室町時代はその全盛期といってよく、花鳥画や人物画と並ぶ重要な画題として位置づけられることになりました。本展示は、その時代に描かれた山水画の名品を心ゆくまでご堪能いただこうとするものです。如拙や周文、雪舟や狩野派らが形づくる広大な、あるいは詩情豊かな山水景観は、観る者を引き込まずにはおきません。図中の人物になりきって、絵の中を散策してみるのも一興でしょう。
近世絵画
京のにぎわい(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
京都のにぎわいを最もよく伝えるものがあるとすれば、やはりそれはそこで暮らす人々の生活を描く風俗画でしょう。例えば都人にとって最大・最高の行事である祇園祭や京の名所に集う人々の姿は、いずれも楽しそうに生き生きと捉えられています。本展示では、近年発見され話題となった狩野永徳の「洛外名所遊楽図屏風」や出雲の阿国を主題とする「阿国歌舞伎図屏風」など、当館に所蔵される風俗画の名作が並びます。
中国絵画
宋元絵画と京都(「京へのいざない」第1期展示)
2014年9月13日 ~ 2014年10月13日
中国絵画のなかでも宋時代と元時代の絵画は、精緻でゆるぎない描写と深遠な精神世界の表現で、平安、鎌倉から室町時代以降の日本の絵画の「手本」となりました。京都には足利将軍家の「東山御物(ひがしやまごもつ)」に代表される名品が集まり、中国絵画を鑑賞するうえで重要な拠点となりました。この展示では、京都にゆかりのある宋元絵画の名品をご覧ください。
3階
陶磁
京焼(「京へのいざない」全期間展示)
2014年9月13日 ~ 2014年12月23日
かつて、茶の湯で珍重された〈やきもの〉は、古い時代から大事に伝えられてきたものでした。ところが、桃山時代に新作の〈やきもの〉が重宝されるようになり、茶人たちの間で自分の好みに合わせた〈やきもの〉を注文することが流行りだすと、都である京都へ陶工を呼び寄せて、身近なところで作らせるようになりました。注文主からのさまざまな要望に応えた、京都のやきもの「京焼」の、驚くほどの多様性をお楽しみください。
考古
金・銀・銅の考古遺宝(「京へのいざない」全期間展示)
2014年9月13日 ~ 2014年12月23日
日本の考古遺物のうち青銅(銅)・鍍銀(銀)・鍍金(金)を用いた名品を紹介します。平安時代の金銅藤原道長経筒(金峯神社)や金銀鍍双鳥宝相華文経箱(金峯山寺)などから、経塚出土の経筒や経箱に込められた平安貴族の祈りの姿を感じていただきます。
9/14 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
解説
犯罪歴のあるメンバーによって構成された、マーベルコミックス発の異色のヒーロー集団を映画化したSFアクション。無限の力を持つパワーストーンを盗んだ主人公が、刑務所で出会った凶悪犯らと共に宇宙滅亡を阻止するための戦いに挑む。メガホンを取るのは『スーパー!』などのジェームズ・ガン。主人公を『マネーボール』などのクリス・プラットが演じるほか、ゾーイ・サルダナやベニチオ・デル・トロが共演、ブラッドリー・クーパー、ヴィン・ディーゼルが声の出演を果たす。擬人化されたアライグマや樹木といった、個性的で凶暴なヒーロー軍団の活躍に注目。
あらすじ
自らスター・ロードと名乗るトレジャーハンターのピーター・クイル(クリス・プラット)。ピーターは無限の力を持つパワーストーンのオーブを入手するものの、その後逮捕され刑務所にぶち込まれてしまう。ピーターは天才メカニックのロケットら刑務所で出会った仲間と脱獄するも、オーブの力で宇宙を滅亡させようとする強大な悪と戦うこととなり……。









「蛤御門の変と「どんどん焼け」-あれから150年-」
3 内容
京都中心部が戦場となり,そのため京都市街に大きな火災をもたらした蛤御門の変は元治元年(1864年)7月19日に起きました。今年平成26年はそれから150年を経ました。これを機に,京都に大きな影響を与えたこの事件と火災について,歴史資料や写真パネルで回顧する展示を開催いたします。
今回の展示では,火災の状況や復興を示す資料,それから敗走した長州軍が残した遺跡の写真パネルという二本の柱により展示を構成します。
4 展示品
約30点・写真パネル
(主な展示品)
(1)どんどん焼け火災図(かわら版) 約25点
(2)甲子兵燹図(かつしへいせんず)(蛤御門の変絵巻) 2巻
(3)長州人戦死者慰霊碑(写真パネル) 2点
展示史料
どんどん焼け火災図(かわら版)
9/9 IFrankenstein
アイ・フランケンシュタイン











解説
『サンキュー・スモーキング』などのアーロン・エッカートを主演に迎え、『アンダーワールド』のスタッフが手掛けたSFアクション。現代まで生き残った人造人間フランケンシュタインが、悪魔と天使の全面戦争に関わるさまを活写する。再生細胞の研究者であるヒロインを、テレビドラマ「CHUCK/チャック」シリーズなどのイヴォンヌ・ストラホフスキーが好演。これまでのフランケンシュタインのイメージを覆すスマートでクールなダークヒーローぶりや壮大な展開に熱狂する。
シネマトゥデイ (外部リンク)
あらすじ
200年前、ヴィクター・フランケンシュタイン博士は、アダム(アーロン・エッカート)という人造人間の製造に成功する。そしてアダムは、現代まで孤独に生き長らえてきた。世界は、世界制服を目的とした悪魔とそのたくらみを打ち砕こうとする天使が戦いを繰り広げており、アダム自身もその戦いに深く関わることになっていくのだが……。
9/6 富岡鉄斎と近代日本の中国趣味
最後の文人画家として知られる富岡鉄斎は、89歳で没するまで、京都を中心に精力的に活動し、大胆な構図、躍動する筆墨、鮮やかな色彩によって文人画に近代性をもたらしました。 さらに鉄斎は、明治以降の日本が中国文化にどのような眼差しを向けたのかを語る上で欠かせない人物でもあります。旺盛な知識欲を持ち、大陸からの文物のとりよせや書籍の購入に熱心だった鉄斎は、自身の中に巨大な知のデータベースを作り上げていました。これは伝統的な東洋文人の教養のあり方を継承するものであると同時に、京都における近代中国学の形成に貢献するものでもありました。鉄斎の周りには、子息・謙蔵の仲介を通じて、内藤湖南や長尾雨山など多くの学者たちが集まりました。また鉄斎は、文芸界の重鎮として、羅振玉や呉昌碩など中国の文人たちとの交流においても、存在感を示していました。 本展覧会では、中国文化への知識に裏付けされた鉄斎作品を出陳し、富岡家旧蔵の書画・版本やその周辺の中国書画コレクションを紹介します。今年は鉄斎没後90年にあたります。この機会に、近代日本と中国の文化交流における鉄斎の重要性を再認識し、その作品の新たな魅力を発見していただければ幸いです。
鉄斎の絵画】
朱描鍾馗図 大和文華館
出山釈迦図 大和文華館
惲南田墨帖 清荒神清澄寺
古木図屏風 大和文華館
摸石濤山水画冊 清荒神清澄寺
山荘風雨図 大和文華館
天池石壁図粉本 清荒神清澄寺
秋景山水図粉本 清荒神清澄寺
阿弥陀如来図粉本 清荒神清澄寺
【鉄斎周辺の中国書画と日中交流】
天池石壁図 黄公望筆 元 藤田美術館(8/22~9/7)
東坡時序詩意図冊 石濤筆 清 大阪市立美術館
東坡送硯図 黄慎筆 清 京都国立博物館(8/22~9/15)
渓山明微図 汪葑筆 清 京都市立芸術大学芸術資料館
菊図 任熊筆 清 京都国立博物館(9/17~10/5)
桃花図・聯 呉昌碩筆 民国 京都国立博物館(9/17~10/5)
山水図 呉昌碩筆 民国 大阪市立美術館
歴代名公画譜 顧炳編 明 清荒神清澄寺
離騒図 蕭雲従編 清 清荒神清澄寺
輞川図拓本 明 清荒神清澄寺 ほか



9/5 みゆう けいろうのつどい







9/3 醍醐寺







9/2 ルパン三世










8/31 平城京 天平祭







8/29 ルーシー
8/29 ルーシー 布施ラインシネマ
映画解説・あらすじ
『レオン』や『ニキータ』などクールなヒロイン像を打ち出してきたリュック・ベッソン監督と、スカーレット・ヨハンソンが初めて組んだアクションスリラー。体内に埋め込まれた特殊な薬が漏れたことで脳機能が驚異的に覚醒し、人間離れした能力を発揮し始めるヒロインの暴走を描く。通常は10パーセント程度しか機能していない脳が、100パーセントへ向かって覚醒していくヒロインを見守る脳科学者役に、オスカー俳優モーガン・フリーマンがふんする。
マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は、特殊な薬が入った袋を体に埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中さまざまな能力が超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失し、自らを制御できなくなっていく。










名古屋市立博物館 吉田初三郎
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NIPPONパノラマ大紀行 吉田初三郎の描いた大正・昭和
8/27 さあ、レトロな日本の空旅へ
鳥になって空高く飛び立てば、目の前には見晴らす限りの爽快な景色が広がることでしょう。空を飛んでいる鳥が、地上を斜め下に見下ろしているように描かれたパノラマを「鳥瞰図(ちょうかんず)」といいます。日本では大正から昭和にかけて、こうした鳥瞰図が鉄道旅行の広まりとともに、携帯に便利なガイドとなりました。鳥瞰図を観光案内に用いたアイデアマンは吉田初三郎(よしだ はつさぶろう:1884~1955)という京都出身の画家で、最盛期には犬山の蘇江(そこう)画室を拠点にして、全国各地の鳥瞰図を描きました。そして彼の作品に魅せられ、その収集と研究に打ち込んだ人物が愛知県出身の小川文太郎氏(おがわ ぶんたろう: 1898~1985)です。戦災をこえて今に伝わる同氏のコレクションにより、大正・昭和の日本を空からじっくり眺めてみませんか。今年はちょうど吉田初三郎の生誕130年にもあたります。さあ、レトロな日本の空旅へ出かけましょう。
プロローグ さあ、レトロな日本の空旅へ
鳥になって空高く飛び立てば、おそらく目の前にはこのような景色が広がるのではないのでしょうか。歩く旅から鉄路の旅へ、イメージで描かれた空中からのまなざしが、近代の鉄道旅行に対応した携帯に便利なガイドとなりました。
名古屋市鳥瞰図
昭和12年(1937) 名古屋汎太平洋平和博覧会事務局発行 内題同じ 吉田初三郎作 縦17.8×横76.5
この年の3月に名古屋汎太平洋平和博覧会の開催にあわせて作成され、博覧会の来場者に配布された鳥瞰図。前年11月に発行された鳥瞰図をもとに臨港地帯の博覧会場を大きく詳しく描く。新しい名古屋駅、建築中の愛知県庁舎、開園間近の東山公園などが新しく加わり、戦前名古屋がもっとも繁栄した時代を記録している
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第1章 伸びる鉄路とバーズアイ -Bird's Eye- の旅行案内
1)日本の鉄道 開業から50年
日本の鉄道は、明治5年(1872)旧暦9月12日(新暦では10月14日)に新橋 - 横浜(現・桜木町駅の位置)間で開業したのを皮切りに、明治22年(1889)東海道線が神戸まで全通し、明治39年(1906)には総延長が五千マイルを越えた記念式典が名古屋で開催されました。その後、大正10年(1921)に鉄道開業50年を迎え、これを記念して全国の鉄道を網羅した「鉄道旅行案内」が出版されました。挿絵を描いたのは京都出身の吉田初三郎であり、1年半で40刷以上を重ねる好評によって、観光鳥瞰図の第一人者となりました。まず最初に、この「鉄道旅行案内」に至るまでの鉄道50年の様子を概観します。
2)観光鳥瞰図のはじまり
鉄道の路線図に周囲の景観や観光地を鳥瞰図で描く吉田初三郎の旅行案内は、京阪電車に依頼された大正2年(1913)「京阪電車御案内」に始まります。絵葉書ではまだカラー印刷が一般的ではない時代でありながら、携帯に便利な折本からパノラミックな多色刷景観が広がる初三郎の鳥瞰図は、この後、東京・関東周辺や近畿・瀬戸内海周辺の著名な観光地で相次いで発行されていきました。大正8年頃には本格的に活動拠点を東京へ移し、活躍の場は広がりましたが、大正12年(1923)9月の関東大震災で灰燼に帰しました。震災後、愛知県へ拠点を移すまでに制作された観光鳥瞰図の初期作品を紹介します。
京阪電車御案内
大正2年(1913) 京阪電車発行 内題なし 吉田初三郎作 縦13.1×横76.0
吉田初三郎が最初に手がけた電車路線の沿線案内図。淀川に沿って京都・五条と大阪・天満橋間を結ぶ京阪本線の駅名を表示するとともに、沿線の簡単な景観と見どころを描く。後の鳥瞰図の出発点となった。この後大正4年(1915)10月27日、京阪本線の五条―三条間が延伸開業した。
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第2章 飛躍ー犬山・日本ラインを新たなる拠点として
1)観光社蘇江画室での鳥瞰図制作
大正12年(1923)9月1日の関東大震災で東京での活動拠点を失った初三郎は、その年の春から名古屋鉄道の招待で犬山を訪れていた縁で、犬山にあった同社所有の建物「蘇江(そこう)倶楽部」を仮画室として利用することになりました。ここには新たに観光社出版部が設立され、大正13年以後「名古屋市外犬山町日本ライン蘇江」を同社の住所表記として昭和11年まで活動しました。昭和4年には近くの旅館へ画室を移転させましたが、初三郎の代表作とされる数多くの鳥瞰図がこの蘇江で制作されました。まずは、地元愛知県を描く鳥瞰図を紹介します。
日本ライン御案内 日本八景木曽川
昭和3年(1928)7月15日 犬山町役場発行 内題「日本第一の河川美日本ライン探勝交通案内図」吉田初三郎作 縦18.9×横75.1
犬山町の依頼により作成。木曽川から濃尾平野・名古屋方面を望む構図で、日本ラインと犬山城の景観を強調して描く。昭和2年、毎日新聞社主催の日本八景選定イベントで、日本ラインは川の部第1位となった。日本ラインの名称は大正の初め頃、日本の山岳や渓谷を賛美した岡崎出身の地理学者、志賀重昴(しげたか)(矧川(しんせん)と号す)が、渓流を抜けた木曽川畔に犬山城が建つ景色をヨーロッパのライン川になぞらえたことによる。
2)初名会と鳥瞰図研究
本展の中核をなす小川コレクションは、一宮市出身の故小川文太郎氏(1898~1985)の収集による鳥瞰図コレクションです。同氏は昭和の初期から戦後に至るまで名古屋や一宮の電話局に勤務するかたわら、昭和3年、養老へ旅行した折に初三郎の鳥瞰図を入手したことをきっかけに鳥瞰図に魅せられ、以後生涯をかけて鳥瞰図の収集・研究にあたった人です。
吉田初三郎が主宰する観光社の広報誌や全国各地の地方紙の細かな記事にも注意を向け、詳細な収集記録を残して鳥瞰図の全体像に迫ろうとしました。また昭和5年には初三郎の名古屋ファンクラブともいうべき「初名会」を結成し、コレクターの親睦と情報交換の場として活動しています。
戦時中当時居住していた名古屋市街地への空襲が激しくなると、収集品を出身地である一宮市内に疎開させ、戦後は昭和49年から60年まで5回にわたってコレクションの展覧会を自ら開催しました。この展覧会は今でも鳥瞰図研究の貴重な一里塚となっています。同氏のコレクションは観光鳥瞰図がもっとも盛んに制作された昭和前期において、その刊行と同時並行で網羅的に収集されたコレクションであり、また戦災を免れた研究資料としても貴重です。ここでは小川文太郎氏による鳥瞰図研究の様子を紹介します。
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第3章 列島縦断・日本パノラマ大紀行
小川文太郎コレクションより、吉田初三郎およびその弟子たちが大正から昭和前期にかけて制作した鳥瞰図の中から主だった作品を地域別に紹介し、今から100~75年前の日本各地の姿を空から見つめます。ご覧いただく皆さん一人一人にとっての「ふるさと日本」を再発見していただくきっかけとなれば幸いです。
1)行楽・探勝の足をのばして-東海
愛知県に隣り合う岐阜・三重・静岡県域には、長良川鵜飼や伊勢神宮、富士山など、日本各地から人々が訪れる場所が数多くあります。鉄道の開通をきっかけとして、以前に増して観光客が訪れるようになり、回遊性が高まりました。
養老電鉄沿線名所図絵
昭和3年(1928)4月5日 養老鉄道発行 内題同じ 吉田初三郎作 縦19.5×横52.6
デフォルメされた養老の滝が圧倒的な存在感を示し、見る者に強烈な印象を与える。養老山系には春の桜と秋の紅葉が同時に描かれ、桑名 - 大垣間を一直線に走るかのように見える鉄道が確実な交通手段として旅行者を導く。
2)鉄路は歴史と伝統の社寺へ-近畿
京都・奈良など古くからの歴史が息づく近畿地方には多くの社寺や史蹟・名所があります。これらは歴史と伝統に触れる観光地として昔も今も人々が訪れる場所となっています。そうした背景から鳥瞰図も多種多様なものが制作されています。
奈良電気沿線名所図絵
昭和3年(1928)9月25日 奈良電気鉄道発行 内題「奈良電車沿線を中心とせる鳥瞰図絵」吉田初三郎作 縦18.9×横75.4
京都 - 西大寺間の奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)と橿原・天理方面へ伸びる鉄道(当時は大阪電気軌道が経営)沿線を描く。社寺の多い奈良盆地でも橿原神宮や春日大社、東大寺などはとりわけ大きく描かれ、その存在感を示す。毎年山焼きをおこなう三笠山(若草山)も緑が鮮やかである。大阪電気軌道は昭和19年(1944)近畿日本鉄道となり、奈良電気鉄道は昭和38年(1963)近鉄に合併した。
3)日本の多島海を結ぶ-中国・四国
中国地方と四国の間に広がる瀬戸内海は古くから海運が発達し、鉄道網が整備されるまで長く船が人や物の輸送に活躍していました。京阪神から九州方面への航路も発達し、観光の隆盛に大きな役割を果たしました。
瀬戸内海遊覧図絵
大正9年(1920) 大阪商船発行 内題「瀬戸内海航路絵図」吉田初三郎作 縦25.6×横107.7
瀬戸内海各地を結ぶ大阪商船の航路を路線別に色分けしてわかりやすく示す。左上隅には、紀州航路の先に富士山を描く。大正年間は四国や東九州ではまだ鉄道が未整備で船舶が重要な交通手段であった。大阪商船は大阪・神戸を拠点に瀬戸内海沿岸各地や紀州・高知まで広く航路を営業し、貨客輸送に大きな役割を果たしていた。
4)火山のけむりと湯のけむり-九州
九州には活火山がいくつかあり、今でも時折噴火することがあります。それと同時に火山の恵みでもある温泉が発達し、観光名所として長い歴史を保っています。
別府温泉遊覧案内
大正15年(1926)10月 別府市役所発行 内題「泉都別府市を中心とせる名勝交通図」吉田初三郎作 縦18.4×横75.5
別府温泉の景観を海側から描く。市内あちこちの温泉や地獄では白い湯けむりが上がる。市内で亀の井ホテルを経営する油屋熊八は遠来の客へのサービスとして地獄めぐりや耶馬溪観光のための遊覧バス事業や自動車観光事業もおこなった。別府には神戸・大阪をはじめ、瀬戸内海沿岸各所と大阪商船などの船便で結ばれていた。はるか遠くの阿蘇山でも噴煙があがる。
5)行楽は郊外電車に乗って-関東
首都圏の東京・横浜近郊では住宅地の拡がりとともに、郊外電車が発達しました。平日には通勤・通学に、休日には郊外への行楽や都心への買い物にと、電車を活かした都市文化が次第に広まっていきました。
小田原急行鉄道沿線名所案内
昭和2年(1927) 小田原急行鉄道発行 内題「小田原急行鉄道沿線名所図絵」吉田初三郎作 縦19.3×横76.0
同年4月1日開通の現・小田急電鉄小田原線の沿線を描く。同社は新宿 - 小田原間を部分開業させることなく、全線を一気に開業させた。第二期予定線として藤沢まで分岐する地点は大野信号所(現・相模大野)。ここから片瀬江ノ島までの江ノ島線は2年後の昭和4年(1929)4月1日に開業し、さらに昭和16年(1941)社名を現在の小田急電鉄とした。富士山を背景に、首都圏近郊の鉄道沿線風景を描く。
6)日本の屋根から水の恵み-甲信越・北陸
日本の中央に位置する甲信越・北陸地方には多くの高山があり、冬にはたくさんの降雪があります。この豊かな水の恵みを活かして水力発電が発達しました。
木曽川と大同電力
昭和12年(1937)12月20日 大同電力発行 内題「木曽川と大同電力鳥瞰図」吉田初三郎作 縦18.7×横75.2
木曽川水系の貯水池および水力発電ダムを描く。大同電力は木曽川水系で発電した電力を関西・中部地区に供給していた戦前の会社。設立には元名古屋電灯社長の福澤桃介がかかわった。昭和14年(1939)、電力を国家管理するための電力管理法によって日本発送電に統合された。戦後は木曽川の水利権とともに、関西電力の施設となっている。
7)北の大地はフロンティア-北海道・東北
北海道は近代になってから、開拓が進められました。また東北地方では、豊かな自然に恵まれて人々を引き付けています。
小樽 Bird's Eye View OF OTARU
昭和6年(1931) 小樽市商工会議所発行 内題「小樽市鳥瞰図」吉田初三郎作 縦19.1×横75.2
小樽港上空から市街地方面を描く。内港設備として大正末に整備された運河と倉庫群は現在も一部が保存され、観光スポットとなっている。港の右手、かつて貨物駅のあった手宮には石炭積み出し用の高架桟橋も描かれ、北海道の玄関として小樽港の活気あふれる様子が伝わってくる。
8)沿線案内図いろいろ
吉田初三郎の弟子だった人やそれ以外の人々が制作した鳥瞰図による鉄道の沿線案内図をいくつか紹介します。
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終章 国際観光へのかけはし
最後に、吉田初三郎が昭和前期に日本観光の国際化へも取り組んでいた様子を紹介してしめくくります。
Beautiful Japan(美の国日本)ポスター
昭和5年(1930) ジャパンツーリストビューロー発行 吉田初三郎作 縦92.3×横59.6
鉄道省が海外での宣伝用に2万枚を制作配布。富士山を背景に桜下で駕籠に乗る女性を描いた。
コラム 旅行の楽しみ
館蔵資料より汽車茶瓶、トランクとステッカー、切符、時刻表、絵葉書など、鉄道や観光旅行に関連する資料をいくつか紹介します。
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8/21 奈良国立博物館 夏季講座 3日目
9:00~ 受付
9:20~10:40(80分)「中世における醍醐寺」
藤井 雅子氏(総本山醍醐寺霊宝館学芸員)
10:50~12:10(80分) 「醍醐寺のすべて―展覧会紹介―」
斎木 涼子(奈良国立博物館学芸部研究員)
~18:00 奈良国立博物館にて特別展・名品展を自由見学
8/20 奈良国立博物館 夏季講座2日目
9:00~ 受付
9:20~10:40(80分)「国宝醍醐寺文書聖教の史料的価値について」
永村 眞氏(日本女子大学文学部教授)
10:50~12:10(80分) 「醍醐寺の仏像―国宝薬師三尊像と弥勒堂弥勒菩薩像を中心に―」
副島 弘道氏(大正大学文学部歴史学科教授)
13:30~14:50 (80分) 「中世の醍醐寺と修験道」
関口 真規子氏(埼玉県立文書館学芸員古文書担当)
15:00~16:20(80分)「醍醐寺の舎利信仰と南都」
内藤 栄(奈良国立博物館学芸部長)
8/19 奈良国立博物館 夏季講座1日目
10:50~12:10(80分) 「聖宝理源大師の祈り-南都への思い」
仲田 順和師(総本山醍醐寺座主)
13:30~14:50(80分) 「醍醐寺・南都の仏教建築と両界曼荼羅」
冨島 義幸氏(京都大学大学院工学研究科准教授)
15:00~16:20(80分)「醍醐寺の仏画」
有賀 祥隆氏(東京藝術大学客員教授)
8/19 キラリと輝く!特別支援学校アート展2014 県文
8/11 大阪歴史博物館
大阪遺産 難波宮 —遺跡を読み解くキーワード—
難波宮跡の第1次発掘調査は、前年に見つかった鴟尾(しび)の破片を大きなきっかけとして、山根徳太郎博士の主導のもと、昭和29年(1954)2月20日から開始されました。初期の調査では、瓦は見つかるものの、建物跡が見つからず、「難破した宮」、「山根の宮」とも揶揄されました。しかし、関係者の努力のもと、宮殿に関わる掘立柱の発見をきっかけに建物配置が徐々に判明し、昭和36年(1961)に行われた第13次調査では、ついに奈良時代の後期難波宮大極殿跡を発見しました。その結果、長らく幻とされた難波宮跡が、その存在を世に知られることになりました。現在では、飛鳥時代と奈良時代の前・後二時期の宮殿跡が明らかとなっています。
今年は、難波宮の第1次発掘調査が開始されてから60周年となる記念すべき年です。60年にわたる調査は、私たちに知られざる難波宮の姿を示すとともに、日本古代史をも書き換えるような画期的な知見をもたらしました。
本展では、このような長年にわたる調査成果とその発掘史を、この間の出土遺物や当時の記録類、当館所蔵の山根徳太郎博士旧所蔵資料などを用いて、瓦や土器、文字といった簡明なキーワードから読み解きます。展示では難波宮発掘調査の過去と現在を示すとともに、それが未来に向けた、私たち共有の大切な遺産であることを紹介したいと思います。
総出品件数 約450点
展示構成
プロローグ
第1章 難波宮のすがた
第2章 難波宮の瓦
第3章 難波宮の土器
第4章 難波宮の建築部材
第5章 難波宮の文字
第6章 難波宮の先駆者
第7章 難波宮の1950年代
第8章 難波宮の復元図
第9章 難波宮の前夜
第10章 難波宮の遷都事業
第11章 難波宮の京(まち)
第12章 難波宮のまつりごと
第13章 難波宮の周辺
第14章 難波宮のあと
第15章 難波宮のいま
8/8 滋賀県 坂本
日吉東照宮
日吉神社





















8/6 GODZILLA ゴジラ
解説
怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズ。キャストには『キック・アス』シリーズなどのアーロン・テイラー=ジョンソン、『ラスト サムライ』などの渡辺謙ら実力派が結集。ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインに息をのむ。
シネマトゥデイ (外部リンク)
あらすじ
1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする。
8/6 神隠し
諸事情があって 新刊がなかなか出版されなかったようです
設定が、若干変更があったようだが、内容(ストーリーなど)は やっぱり佐伯さんですね!
新シリーズということで これからが楽しみ!!
うず が結婚していてもうすぐ子どもが生まれる
浩介 も結婚して子どももいる(正一郎)
駿太郎 10歳になった
三河屋蔦屋 十二代目染左衛門の三回忌法要から物語は、はじまる
近習 池端恭之助
8/4 るろうに剣心 京都大火編
るろうに剣心 京都大火編
解説
和月伸宏原作の人気コミックを基にした2012年の前作に続き、原作のクライマックスともいうべき「京都編」を前後編で実写映画化したアクション大作の前編。日本制圧をたくらむ強敵を倒すべく京都へと向かう、人斬り抜刀斎こと緋村剣心の活躍を描く。主演の佐藤健やヒロインの武井咲らが引き続き出演するほか、剣心の宿敵役の藤原竜也や伊勢谷友介らが新たに登場する。監督は、前作と同じくテレビドラマ「龍馬伝」や『ハゲタカ』などの大友啓史。迫力満点のスケールと驚異的なアクションに目を奪われる。
あらすじ
かつて人斬り抜刀斎と呼ばれた伝説の人斬り、緋村剣心(佐藤健)。刀を置き、平穏な生活を送る剣心は、ある日、剣心から影の人斬り役を引き継いだ志々雄真実(藤原竜也)が京都でその名をとどろかせていることを知る。政府が派遣した討伐隊は志々雄を前に成すすべがなく、最後の望みとして剣心に白羽の矢が立つ。志々雄の野心を阻止すべく、剣心は京都へ向かう。
京都国立博物館 夏期講座
8月1日(金)
第1講 10:30〜12:00 イスラーム宗教建築とその周辺 東京大学東洋文化研究所教授 桝屋友子 氏
第2講 13:00〜14:30 文化財とコーパス─土蔵でみつける漆器のものさし─ 京都国立博物館 主任研究員 永島 明子
第3講 14:45〜16:15 寺院における文書の整理─「かたまり」からみえること─ 京都国立博物館 主任研究員 羽田 聡
京都国立博物館 夏期講座
第1講 10:00〜11:30 禅宗寺院の建築にみる日中交流 奈良文化財研究所都城発掘調査部遺構研究室研究員 鈴木智大 氏
13:30〜15:30 見学:東福寺 京都市東山区本町15丁目778
京都国立博物館 夏期講座
10:00〜10:20 受 付
10:20〜10:30 開会のあいさつ 京都国立博物館館長
佐々木丞平
第1講 10:30〜12:00 威信財としての袈裟─東福寺伝法衣─ 京都国立博物館 教育室長 山川 曉
第2講 13:00〜14:30 仏画と寺院─仏画をとりまく環境─ 京都国立博物館 主任研究員 大原嘉豊
第3講 14:45〜16:15 中近世イタリアの祭壇画―儀礼の場とその演出― 西南学院大学国際文化学部教授 松原知生 氏
講座 メモ
7/25 佐川美術館 北斎とリヴィエール —二つの三十六景と北斎漫画—
7/24 『奈良博』国宝 醍醐寺のすべて ―密教のほとけと聖教―
特別展
醍醐寺文書聖教7万点 国宝指定記念特別展
国宝 醍醐寺のすべて ―密教のほとけと聖教―
平成26年7月19日(土)~平成26年9月15日(月・祝)
京都中心街の東南に位置する密教寺院、醍醐寺。その歴史を伝える古文書・聖教69378点が国宝に指定されたことを記念し、平安時代から近世に至る醍醐寺の歴史と美術をたどる特別展を開催致します。
醍醐寺の歴史は、貞観16年(874)理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)が京都山科の笠取山山上に准胝(じゅんてい)・如意輪(にょいりん)の両観音像を安置したことに始まります。以来、山上の上醍醐からふもとの下醍醐に寺域を広げ、真言宗小野流(おのりゅう)の中心寺院として発展してきました。
醍醐寺は、奈良とも深い関わりを持っています。聖宝は若き日に東大寺で修学を重ねました。また鎌倉時代初めに東大寺再興の指揮をとったことで有名な重源(ちょうげん)上人は、醍醐寺の出身でした。さらに、吉野を拠点として活動した修験道(しゅげんどう)当山派(とうざんは)は、大峰(おおみね)修行を再興したとされる聖宝を祖と仰ぎ、醍醐寺三宝院門跡(さんぼういんもんぜき)が当山派の棟梁となります。
こうした長きにわたる醍醐寺の歴史は、修法(しゅほう)の記録や研究の成果である聖教(しょうぎょう)、権力者との遣り取りを記す古文書によって、詳細に知ることが出来ます。膨大な文書・聖教群が、数百年の時を超えて維持されてきた背景には、僧侶による並々ならぬ努力がありました。このたび、平成25年に69378点に及ぶ醍醐寺文書聖教が国宝に指定されたことを記念し、醍醐寺の歴史と美術をたどる特別展を開催いたします。
◆主な出陳品
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重要文化財 理源大師坐像 [りげんだいしざぞう]
重要文化財 理源大師坐像 [りげんだいしざぞう]1躯 京都・醍醐寺
木造 彩色
像高83.0cm
鎌倉時代(13世紀)
上醍醐(かみだいご)開山堂の本尊とされる、理源大師聖宝(しょうぼう)(832~909)の等身大の肖像。左手で袈裟の端を、右手で五鈷杵(ごこしょ)を握り、正面を向いて坐す。写実的な面相や、たっぷりとした大柄な体躯が特徴的。理源大師の生前に造られた肖像をもとに鎌倉時代中期に造り直したものとされる(根本像は焼失)。
国宝 薬師如来及び両脇侍像のうち月光菩薩立像 国宝 薬師如来及び両脇侍像のうち薬師如来坐像 国宝 薬師如来及び両脇侍像のうち日光菩薩立像
国宝 薬師如来及び両脇侍像 [やくしにょらい(及び)りょうきょうじぞう] 3躯 京都・醍醐寺
木造 漆箔
像高 薬師如来177.0㎝
日光菩薩120.0㎝
月光菩薩121.0㎝
平安時代(10世紀)
上醍醐薬師堂の本尊。半丈六(じょうろく)の大きさの薬師如来坐像に、等身よりひとまわり小ぶりの日光・月光菩薩立像が随侍する。薬師堂は醍醐天皇の勅願によって延喜7年(907)に理源大師聖宝が建立したと伝える。中尊像の光背には化仏(けぶつ)6体が付属し、本体とあわせて、護国経典たる『薬師瑠璃光七仏本願功徳経(やくしるりこうしちぶつほんがんくどくきょう)』に基づく七仏薬師を表現したものとみられる。10世紀彫刻の代表的な基準作例としてきわめて高い価値を有する作品。
国宝 醍醐寺縁起(醍醐寺文書聖教のうち) [だいごじえんぎ]
国宝 醍醐寺縁起(醍醐寺文書聖教のうち) [だいごじえんぎ]1巻 京都・醍醐寺
紙本(彩牋)墨書
縦35.5cm 長936.9cm
江戸時代(17世紀)
※巻き替えあり
醍醐寺創建の由来や伽藍諸堂の構成、寺名「醍醐」の由来、准胝(じゅんてい)観音の霊験、開山聖宝(しょうぼう)の伝記などを収載した書物。本書によると、聖宝は山城国宇治郡笠取山で出会った老翁の言葉に導かれてここを寺地と定め、貞観16年(874)に起工して2年後には准胝堂などを完成させ、その後、歴代天皇の庇護を受けて伽藍を整えていった。本書は醍醐寺の根本縁起であるとともに、創建期の寺史を知るうえで貴重な資料となっている。
国宝 五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片 その1(部分 火天后) 国宝 五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片 その2(部分 日天)
国宝 五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片 [ごじゅうのとうしょじゅうへきがりょうかいまんだら きゅうれんじまどはめいただんぺん] 2面 京都・醍醐寺
木製 彩色
その1 縦80.5cm 横22.5cm
その2 縦80.2cm 横24.5cm
平安時代 天暦5年(951)
下醍醐(しもだいご)の東方にある五重塔の内部に描かれた絵。初重内部には両界曼荼羅の諸尊や真言八祖像が描かれていた。 写真は塔の連子窓羽目板(れんじまどはめいた)の一部で、胎蔵界曼荼羅の火天后と日天をあらわしている。宮廷発願(ほつがん)に相応しい品のある表現をそなえ、絵画作例の少ない平安時代半ばに遡る貴重な板絵の基準作である。
重要文化財 五大明王像(五大堂安置)のうち大威徳明王像 重要文化財 五大明王像(五大堂安置)のうち軍荼利明王像 重要文化財 五大明王像(五大堂安置)のうち不動明王像 重要文化財 五大明王像(五大堂安置)のうち降三世明王像 重要文化財 五大明王像(五大堂安置)のうち金剛夜叉明王像
重要文化財 五大明王像(五大堂安置) [ごだいみょうおうぞう] 5躯 京都・醍醐寺
木造 彩色
不動明王像 像高135.9cm 江戸時代 慶長13年(1608)
降三世明王像 像高174.6cm 江戸時代 慶長13年(1608)
軍荼利明王像 像高176.3cm 江戸時代 慶長13年(1608)
金剛夜叉明王像 像高179.3cm [頭部]鎌倉時代(14世紀)
[体部]江戸時代 慶長10年(1605)
大威徳明王像 像高 181.9cm 平安時代(10世紀)
上醍醐五大堂の明王像は、醍醐天皇御願(ごがん)により、延喜7年(907)に理源大師聖宝(しょうぼう)が制作を始め、聖宝の没後、弟子の観賢(かんげん)が延喜13年(913)までに完成したと伝える。五大堂は幾度かの火災によって焼失したが、大威徳明王騎牛像(だいいとくみょうおうきぎゅうぞう)は創建当初の姿を残しており、極めて重要な遺品である。大きく目を見開いた迫力ある顔立ちが特徴。他の4躯は、いずれも豊臣秀頼を施主として、仏師康正(こうしょう)とその一門が、制作・修理を手がけた。中興の祖、義演(ぎえん)による醍醐寺復興期の遺例で、江戸時代の仏教彫刻の代表作でもある。 五尊がそろって寺外で公開されるのは、本展が初めてとなる。
重要文化財 金銅九鈷杵 [こんどうくこしょ]
重要文化財 金銅九鈷杵 [こんどうくこしょ]1口 京都・醍醐寺
銅製 鍍金
長 18.0cm
中国・宋~元(12~13世紀)
両側に9本の鈷を有する金剛杵(こんごうしょ)で、この形式は九鈷杵と呼ばれる。8本の脇鈷(わきこ)は龍口から弧状に伸び、中鈷は脇鈷より長く突出している。把(つか)は中央に球形を作り、その両側にそれぞれ8枚の蓮弁を表している。九鈷杵はチベット密教、及びその影響を受けた中国・宋代から清代にかけて用いられたが、わが国ではほとんど使われず大変貴重な例である。
重要文化財 弥勒菩薩坐像 [みろくぼさつざぞう]快慶作
重要文化財 弥勒菩薩坐像 [みろくぼさつざぞう]快慶作 1躯 京都・醍醐寺
木造 金泥塗・截金
像高 112.0㎝
鎌倉時代 建久3年(1192)
醍醐寺三宝院(さんぼういん)の本尊。もと上醍醐覚洞院(かくとういん)伝来で、後白河法皇(ごしらかわほうおう)追善(ついぜん)のための像である可能性が高い。像内銘記により、建久3年(1192)に座主(ざす)勝賢(しょうけん)が発願し、「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」すなわち仏師快慶(かいけい)が造立したとわかる。 両目を見開いた明快な顔立ちと左右相称に整然と配された衣文(えもん)には快慶の特色が顕著で、着衣を通した体躯(たいく)のみずみずしい肉付けにも洗練された造形感覚が発揮される。しかるべき由緒をそなえた快慶最初期にして随一の傑作である。
重要文化財 太元帥明王像 [たいげんみょうおうぞう]
重要文化財 太元帥明王像 [たいげんみょうおうぞう] 1幅 京都・醍醐寺
絹本著色
縦 342.4cm 横 331.2cm
鎌倉~南北朝時代(14世紀)
※展示期間:7/19~8/17
おもに護国や外敵調伏(ちょうぶく)を祈願して修せられる秘法・太元帥法(たいげんほう)の本尊となる6幅の画像のうちの1幅。太元帥法は醍醐寺にほど近い法琳寺に伝えられたが、中世以降は醍醐寺の塔頭理性院(りしょういん)が法琳寺を継承したため、これらの画像は理性院に伝来した。記録から、正和2年(1313)に法琳寺の本尊画像が焼失したため、画師賢信(けんしん)が新たに描いたものに比定されている。
'国宝 天長印信 [てんちょういんじん]後醍醐天皇筆
国宝 天長印信 [てんちょういんじん]後醍醐天皇筆 1巻 京都・醍醐寺
紙本墨書
縦 33.3cm 長 172.0cm(文観筆奥書と原本影写を含む)
南北朝時代 延元4年(1339)
※展示期間:7/19~8/17
後醍醐天皇が、延元4年(1339)に自ら筆を執って書いた天長印信の写本で、天皇に近侍していた醍醐寺座主(ざす)の文観(もんかん)に賜ったもの。密教において師から弟子へ秘法を伝授した際に与えられる証明書を印信(いんじん)といい、本書は文面に天長3年(826)の年紀があるため天長印信と呼ばれる。法流の象徴として醍醐寺の歴代座主に相承された。本品の料紙は、周囲に金泥(きんでい)による連珠(れんじゅ)文で枠をめぐらし、中央に飛翔する仙人の図様を型とロウを使って刷り出した、装飾性に富むものである。
重文 舞楽図 俵屋宗達筆(左隻) 重文 舞楽図 俵屋宗達筆(右隻)
重要文化財 舞楽図 [ぶがくず]俵屋宗達筆 2曲1双 京都・醍醐寺
紙本金地著色
各縦 157.0cm 横 168.0cm
江戸時代(17世紀)
※展示期間:7/19~8/17
舞楽のさまを描く屏風。三宝院に伝来。合計5種の舞を描くが、実際にこれらが同時に演じられることはなく、既存の舞楽図からモチーフを取り出し配置することによって仕立てられた、絵画上の架空の情景である。金箔地に少ないモチーフを有機的に配置し、鑑賞性の高い独特の空間が創出される。「法橋宗達(ほっきょうそうたつ)」との署名があり、江戸時代初頭に活躍し琳派(りんぱ)の祖としても名高い、俵屋宗達の作と知られる。
7/21 レンタル 王朝の陰謀

おまけ リー・ビンビン 画像
原題『狄仁傑之通天帝國』
王朝の陰謀/判事ディーと人体発火怪奇事件
DETECTIVE DEE AND THE MYSTERY OF THE PHANTOM FLAME ☆
ツイ・ハークには彼なりの世界観と確立した方程式があり、ファンが望むものも十分に理解しているようだ。2000年代に入ってからは大ヒットというほどの作品は残していないものの、「天上の剣」にしても「セブン・ソード」にしても、ツイ・ハークらしさは存分に発揮され、満腹とまではいかなくても腹八分目にファンを楽しませてくれた。
そして、ひさびさにファンに満腹感を与えてくれたのがこの作品。中国版シャーロック・ホームズとも言われる、実在の狄仁傑(ディー・レンチェ)を主人公にした探偵小説の映画化である。原作はドラマ化やアニメ化もされている有名な作品らしいが、この映画を見ると、中国映画がロバート・ダウニー・Jrの「シャーロック・ホームズ」シリーズに匹敵する中国独特の世界観を作り上げたことに感動を禁じ得ない。もっとも、ロバート・ダウニー・Jrの「シャーロック・ホームズ」が大げさに言うほどの傑作かどうかは別にして、「王朝の陰謀」ではタワー・ブリッジでの格闘シーン以上に迫力のある通天仏での格闘シーンや、アクション監督サモ・ハン・キンポーの手腕が光る美しいワイヤーアクションなどが、則天武后の時代にありえないファンタジックな世界で繰り広げられる。
そしてまた俳優陣もかなりシブい。アンディ・ラウはすっかり貫禄がつき、若い頃は嘘っぽかったアクションも堂に入ってきた。さらに事件の鍵を握る重要人物のレオン・カーフェイや則天武后役のカリーナ・ラウも抜群の存在感。アンディの部下を演じるダン・チャオは掘り出し物だったし、作品中のヒロインともいうべき則天武后の側近チンアルを演じたリー・ビンビンも、往年のブリジット・リンを彷彿とさせる凛々しい美しさがあった。
まっとうな推理劇でないことは映画「シャーロック・ホームズ」にも共通するが、ともにスピード感があり、想像を超える展開である点においても両者には相通じるところがあるような気がする。
香港映画ファンのみならず、十二分に楽しめること請け合いの佳作である。
作品データ
監督:ツイ・ハーク 出演:アンディ・ラウ、リー・ビンビン、ダン・チャオ他
製作年:2009年 製作国:中国、香港
原題『狄仁傑之通天帝國』
狄仁傑 :ディー・レンチェ
則天武后 :そくてんぶこう(日本)中国では武則天
唐の高宗の皇后となり後に唐に代わり武周朝を建てた
中国三大悪女???
7/15 マレフィセント

W杯
W 杯 決勝 AM4:00~
ドイツ優勝 アルゼンチンは惜しくも準優勝
とてもいい試合でした
メッシ


マリオ・ゲッツェ

7/12 大和文華館 連続・反復の美 —文様に込められた想い—
フルート コンサート
連続・反復の美 —文様に込められた想い—
元や明時代の青花磁器に描かれた花唐草文は、深みのある鮮やかな色彩と優美な曲線で人々を魅了します。 遡って、敦煌第四三一窟(北魏時代)内の壁面には小さな仏が無数に並置される千体仏が描かれ、整然と並べられた仏像に無限の広がりと畏敬の念が感じられます。 このように、渦巻文や唐草文様のように連続して展開される文様や、千体仏・印仏・摺仏のように同じ図像が繰り返し反復されてあらわされた文様は、心地良いリズミカルな曲線と整然とした配置に美の一端があります。 そして視覚的な美しさにはそれを成り立たせる様々な意味が背景に潜んでいます。 植物などが終始なく連続する唐草文様は、古来、生命力や再生の意味を持ち、印仏や摺仏、千体仏などの、繰り返して仏像をあらわす行為には、数多く造像する「作善」の意図などの篤い信仰心が込められています。 今回の展覧会では特に文様の連続性と図像の反復に注目し、「連続する文様」として東アジアを中心とした工芸作品を、「反復する図像」として千体仏や仏教版画などを展示します。 連続文様や反復された図像が本来持つ意味に思いを馳せながら、連続・反復によるデザイン性と装飾的な美しさを楽しんでいただけましたら幸いです。


フルート コンサート pdf
大阪府立図書館
『浮世絵とパトロン』内藤正人 慶応義塾大学出版 2014年
『江戸絵画の非常識 近世絵画の常識をくつがえす』安村敏信 敬文舎 2013年
『謎解き浮世絵叢書 東京名所図 小林清親』 町田市立国際版画美術館 平成24年
『すぐわかる画家別 近代日本版画の見方』 平成16年
『昭和のレコードデザイン集』2011年 山口佳宏/鈴木啓之 P-VineBooks
オール・ユー・ニード・イズ・キル

奈良県立美術館 美の最前線・現代アートなら ~素材と知の魔術~
当美術館では、本年4月から7月まで、現代アートをテーマに、美とのふれあいや感動を身近に体感していただき、奈良らしい文化芸術の創造と発展を推進するため、「国際現代アート展なら2014」(前期・後期)を開催いたし
ます。
後期特別展は、「美の最前線・現代アートなら~素材と知の魔術(マジック)~」です。
日本人の原風景ともいえる奈良で、育まれ受け継がれてきた美意識は、今も新しい創造の大きな原動力となってい
ます。現存する歴史的建造物や古代・古典美術はもとより、記紀万葉集が編纂された時代の匠の形象は、新しい表現
への無限の可能性を示唆する豊饒さに満ち溢れています。
本展は、菊池孝(立体)、絹谷幸太(石)、下谷千尋(立体・版画)、竹股桂(立体)、ふじい忠一(木)、森口ゆたか(映像)、三瀬夏之介(絵画)ら、国際的に活躍する奈良ゆかりのアーテイストたちによる最先端の表現を紹介するものです。
作品に通底する古代へのオマージュとともに、奈良の地で時代を超えて脈々と受け継がれていく美の環流を再認識
いただく絶好の機会になれば幸いです。
また、美術と音楽のコラボレーションにより人々の感動を呼び起こすことを目的として「ムジークフェストなら
2014」(6/14~6/29)とイベント連携を行い、美術館内でコンサートを実施します。
7/4 京都文化博物館 没後90年 近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展
本年は、明治から大正期の日本洋画界に大きな影響を与えた黒田清輝(1866~1924)の没後90年にあたります。フランスで絵画を学んだ黒田は、帰国後、京都を訪れて着想を得た《昔語り》の関連作品群、芦ノ湖のほとりで涼む女性を描いた《湖畔》(重要文化財)や裸体画をめぐる論争の渦中に発表された《智・感・情》(重要文化財)といった名作・話題作を次々と発表し、洋画界をリードします。本展では、東京国立博物館および東京文化財研究所の全面的な協力を得て、黒田清輝作品の中から代表作約160点をご覧いただきます。黒田清輝の明るい外光に満ちた自然な世界、そして多様な試みを、存分にお楽しみください。
7/1 トランセンデンス
6/27 ラストミッション
原題 『3 Days to Kill』
300 帝国の進撃
超高速参勤交代
佐々木蔵之介が、江戸幕府から無理難題を突き付けられた弱小藩の藩主に扮する時代劇コメディ。
第8代将軍・徳川吉宗が天下を治める時代。
磐城国のわずか1万5000石の弱小藩である湯長谷(ゆながや)藩は、湯長谷の金山を狙う幕府の老中・松平信祝から、通常なら8日間を要するところを、わずか4日間で参勤交代せよと命じられる。
湯長谷藩主の内藤政醇は、知恵者の家老・相馬兼嗣とともに4日間での参勤交代を可能にする奇想天外な作戦を練り、実行に移すが、松平もそれを阻止せんと刺客を放っていた。
「ゲゲゲの鬼太郎」「鴨川ホルモー」の本木克英監督がメガホンをとった。
大阪図書館
『こころにしみるなつかしい日本の風景 近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』
清水久男編 国書刊行会 20006年
高橋松亭
ポンペイ
解説
「バイオハザード」シリーズ、「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」のポール・W・S・アンダーソン監督が、西暦79年のベスビオ火山の噴火によって灰となったローマ帝国の街ポンペイを舞台に描いたアクション大作。
ローマ人に一族を滅ぼされたケルト人騎馬族の生き残りで、奴隷となりグラディエーターとして成長したマイロは、ポンペイの有力者の娘カッシアと出会い、身分の差を乗り越え恋に落ちる。
しかし、カッシアは、かつてマイロの家族を殺したローマの上院議員コルヴスに婚約を迫られていた。
やがて自由の身になったマイロが街を離れようとした時、ベスビオ山が噴火。マイロは愛するカッシアを救うため、溶岩が迫りくる街へと舞い戻る。主演は、テレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」で注目を集める新進俳優キット・ハリントン。
6/13 ポリス・ストーリー レジェンド
あらすじ:
古参刑事ジョン(ジャッキー・チェン)は、一人娘ミャオ(ジン・ティエン)に呼び出され、クリスマス時期の北京の繁華街へとやって来る。彼は指定のウー・バーに到着するが、そこは怪しげな雰囲気のナイトクラブだった。父娘は半年ぶりに対面し、ミャオはクラブの経営者で彼女よりかなり年長のウー(リウ・イエ)を恋人だと紹介する。
「ポリス・ストーリー レジェンド」ジャッキー・チェンが中国でたどり着いた新境地
アジアが生んだスーパースター、ジャッキー・チェンの挑戦は続いている。
還暦を迎えた今、日本に向け送り出すのは人気シリーズ「ポリス・ストーリー」6作目。
中国・北京のバーで大量人質事件が起き、ジャッキー演じる刑事が孤軍奮闘の末に解決する。
舞台は冬の北京。冒頭でジャッキーが涙をにじませ、銃口をこめかみにあてる。現場は閉ざされたバーの中。
立てこもりの目的は何なのか。犯人はなぜジャッキーを狙ったのか。二人の過去に何があったのか。
真相につながる事実を小出しで見せつつ、息詰まる交渉で観客を引っ張っていく。
娯楽アクションというより、重厚な心理劇の色彩が濃い作品となった。
香港で生まれた「ポリス・ストーリー」だが、今回は正真正銘の中国映画だ。
監督もスタッフも共演者も大陸出身。劇中使われる言葉も北京語。
敵役に中国の人気俳優リウ・イエ、監督に北京電影学院出身の新進監督ディン・シェンを迎え、
中国の観客のため、中国で撮った作品といえよう。 香港からハリウッドへ、さらに中国へ。
巨大市場に足場を移したジャッキーは現在、政府の諮問機関「全国政治協商会議」の委員も務め、
香港や台湾では“中国寄り”のイメージが強まっている。インターネット上でも、今回の新作に
「香港生まれの『ポリス・ストーリー』ではなく、中国の『公安物語』だろう」、
「ジャッキーは香港の観客を捨てたのか」などと厳しい意見が並ぶ。
"俳優ジャッキー・チェン”の存在が、本人も御しがたく巨大化したのは事実だ。
さらに加齢が重くのしかかる。すでに本格的なアクションからの引退を宣言したが、
客が見に来るのは「動けるジャッキー」だ。出るからには動かざるを得ない。
今回も監督の求めでアクションが増え、「だまされたよ」と嘆いたという。
アクションスターから演技派へ。事あるごとに“脱皮願望”を口にしてきたジャッキー。
常に自分を高め、トップを走り続けながら、たどり着いた新境地だ。(遠海安)
吉原裏同心 21 遺文
吉原会所の頭取・四郎兵衛の傷がようやく癒えた折り、またも吉原が「脅威」にさらされた。
吉原裏同心の神守幹次郎は、いまだ復調ならぬ四郎兵衛に伴って、吉原の秘された過去の「遺文」
があるとされる鎌倉へ。そこで彼らを待ち受けていたのは過去最強の刺客たちと衝撃の「秘密」だった。
シリーズ史上最高傑作! 吉原、鎌倉を舞台に壮大なドラマが繰り広げられる第二十一弾。
6/11 細見美術館 「光琳を慕う―中村芳中」
中村芳中(?~1819)は、江戸時代後期に大坂を中心に活躍した画家です。
最初は文人画風の山水画などを描いていましたが、やがて尾形光琳を慕い、墨や絵具の滲みやぼかしを利用する
「たらし込み」を駆使した絵を描くようになります。
また江戸では『光琳画譜』を刊行し、光琳風の画家として人気を集めました。
琳派展の第16弾となる本展では、これまでにない規模で芳中の多様な作品をご紹介いたします。
ほのぼのとした芳中作品の魅力に触れてください。
6/8 柳沢文庫
前期企画展「郡山城・郡山藩の歴史」
平成26年3月27日(木)~9月21日(日)
前期企画展では、郡山城及び城下町の絵図を初公開のものも含めて展示します。
また戦国時代から安土桃山時代にいたる郡山城主筒井順慶や豊臣秀長、初代郡山藩主水野勝成と
郡山にかかわる史料、禁門の変関係の史料(初公開となる郡山藩士板垣家関係文書)などがあります。
※一部複製を展示しております。
戦国時代から明治初期に至る郡山城・郡山藩の歴史に触れていただければ幸いです。
安南から刺客/佐伯泰英
総兵衛を監視する謎の目。政変余波。妖剣迎撃。
七カ月振りに総兵衛一行が江戸へ帰ってきた。古着大市の準備に忙しい大黒屋の面々だったが、
主人の無事の戻りを歓喜の声を以て迎えた。帰着後すぐ総兵衛は入堀向かいの破産寸前の炭問屋の家屋敷の購入を決め、
また大市での大勢の客の食事や手洗いの用意に知恵を絞る……。そんな大黒屋を遠くから執拗に監視する目があった。
新たな強敵がやってきた。総兵衛は愛刀葵典太を静かに抜いた。
X-MEN: フューチャー&パスト
6/1 X-MEN: フューチャー&パスト
5/31 大和文華館/社寺の風景—宮曼荼羅から祭礼図へ—
神社の社頭景観を描いた「宮曼荼羅」は、その場に鎮座する神々を視覚化したもので、
礼拝対象として数多くの作例が描かれました。中でも、春日大社、日吉山王社、石清水八幡宮社
を描いた宮曼荼羅は現存作例も多く、厚い信仰を集めたことが窺えます。宮曼荼羅に描かれた景観には
実景が反映され、当時の人々の景観認識、空間把握の精度の高さには驚かされます。
中世末から近世にかけては、熊野や伊勢、富士、清水寺といった信仰の場へ参詣する人々が増え、
参詣の賑わいを描く「参詣曼荼羅」が数多く描かれました。一方、神社で行われる特定の行事を描いた
「祭礼図」も制作されました。日吉山王祭礼図、祇園祭礼図、豊国祭礼図など、土佐派や狩野派による
近世初期の優品が数多く伝わります。
本展覧会では、このような社寺の景観を描いた作例に注目します。
信仰の裾野の広がりと共に、描かれる景観や表現も様々に展開しました。
宮曼荼羅から祭礼図への流れをたどると、そこに通底するのは、観者を絵画空間へ誘う聖と俗の
あわいの世界です。展覧会へは12件の作品が特別に出陳されます。中世から近世初期にかけて表現された
様々な景観を通じて、画中の人々の息吹や賑わいを感じ、絵画世界に入り込んで頂ければ幸いです。
出陳品 約69件
(会期中展示替を行います。前期:5月23日〈金〉~6月15日〈日〉後期:6月17日〈火〉~29日〈日〉)
宮曼荼羅の風景
春日宮曼荼羅 鎌倉時代 奈良国立博物館(前期)
春日宮曼荼羅 鎌倉時代 石山寺
春日宮曼荼羅 鎌倉時代 徳川美術館(前期)
重要文化財 男山八幡宮曼荼羅 鎌倉時代 京都国立博物館(前期)
重要文化財 石清水八幡遷座縁起絵 鎌倉時代 徳川美術館(後期)
重要文化財 山崎架橋図 鎌倉時代 和泉市久保惣記念美術館(後期)
重要文化財 生駒宮曼荼羅図 鎌倉時代 奈良国立博物館(後期)
重要文化財 笠置曼荼羅図 鎌倉時代 大和文華館
重要文化財 柿本宮曼荼羅図 鎌倉時代 大和文華館
重要文化財 日吉曼荼羅図 鎌倉時代 大和文華館
参詣曼荼羅の風景
温泉寺縁起絵 室町時代 京都国立博物館
熱田社参詣曼荼羅図 室町時代 徳川美術館(後期)
祭礼図の風景
竹生島祭礼図 江戸時代 大和文華館
誓願寺門前図屏風 江戸時代 京都文化博物館(前期)
祇園祭礼図屏風 江戸時代 大阪歴史博物館
豊国祭礼・祇園観桜図屏風 江戸時代 名古屋市博物館(豊国祭礼図・前期、祇園観桜図・後期)など
5/27 大津歴史博物館/ミニ企画展
平成25年度新収蔵品展
平成26年 4月22日(火)~6月1日(日)
大津絵 藤娘
江戸時代 本館蔵
当館では、購入、受贈、受託によって収蔵品の充実を行い、常設展示・企画展示に活用しています。
本展は、平成25年度に新たに収集した資料をお披露目するものです。いずれも大津の歴史を語る貴重な資料です。
大津絵 藤娘 1面 江戸時代 (購入)
大津絵を代表する画題の藤娘。良縁を結ぶ験担ぎとして人気があった。本作は、藤娘の作例の中でも初期にさかのぼる作品で、約320年前に描かれたものである。肉筆浮世絵風の作品で、大津絵ではあるものの美人画としての完成度も高く、優れた作品。
大津絵 松に鷹 1幅 江戸時代 (購入)
大津絵においては非常に珍しく、また、古い作例。衰えぬ繁栄の象徴である松に、武威を天下に示す象徴の鷹がとまることで武門の誉れとお家繁栄を願う。
俳画「風一過」 山元春挙筆 大正時代 1幅 (購入)
竹内栖鳳と並ぶ近代京都画壇の双璧で、膳所出身の山元春挙は、句集・狂歌集『蘆花浅水』を自費出版するほどの俳句・狂歌好きであった。本作も屈託のない俳味で軽妙に季節感を表現している。
黒田粱洲・麹廬父子関係資料 坂本旅宿絵図
黒田粱洲・麹廬父子関係資料 坂本旅宿絵図
黒田粱洲・麹廬父子関係資料 一括(31件・37冊) 江戸・明治時代 (購入)
膳所藩校・遵義堂の師範頭取であった黒田粱洲および子で蘭学師範の麹廬に関係する写本類。粱洲の詩文集をはじめ、麹廬の履歴書や孫の梁太郎の日記も含まれる。
大津町図 1鋪 江戸時代(弘化2年) (購入)
江戸時代の大津町を俯瞰的に描いた絵図。山・水・町家・御屋敷・寺社に色分けし、大津町内の町名、関(港)名、寺社、また逢坂山の谷の名称・境界を詳細に記している。枠外に「平安奥田珍蔵、弘化二巳八(月脱ヵ)田内写置」とあることから、弘化2年(1845)に原本から写したものであると考えられる。
坂本旅宿絵図 1鋪 江戸時代 (購入)
大津市坂本の里坊を示した略図。各里坊に朱筆で「中井」「棟梁」「御取調役」「御勘定方」「山上行普請役二人」などの文字が記されている。このことから、延暦寺三塔のいずれかの普請にかかる宿所配置を描いたものだと考えられる。
彦根藩大津蔵屋敷之図
彦根藩大津蔵屋敷之図
彦根藩大津蔵屋敷之図 1鋪 江戸時代後期 (購入)
江戸時代、大津百町の湖岸には、近江国内にあった諸藩の領地から集めた年貢米を収める蔵屋敷が建ち並んでいた。今回の資料は、旧橋本町(現浜大津一丁目)にあった彦根藩大津蔵屋敷の絵図。屋敷内部の敷地割や米蔵、稲荷社などの配置が詳しく記されている。
大将人形・雑兵人形
大将人形・旗持人形
大将人形・旗持人形 2躯 文化6年(1809)(寄贈)
京都の四条柳馬場西入の人形工師、玉屋久治郎によって、文化6年5月に完成した大ぶりの大将人形と旗持人形。当時の最高級のあつらえ人形であるとともに、依頼者・制作者・制作年月・支払金額等が箱書きからわかる、貴重な人形である。
百人一首歌かるた
百人一首歌かるた
百人一首歌かるた 2組 江戸時代 (寄贈)
木版手彩色による、いわゆる版彩色かるた。2組のうち通常サイズのかるたは、各々の歌仙ごとに版木を制作している点から、ややコストをかけた版彩色かるたである。もう一方のひなかるたは、墨版が完全に摩耗しており、大量に摺られて販売された人気かるたであったことがわかる。
矢立 江州堅田物語
矢立 江州堅田物語
矢立 一括(100挺) 江戸-明治時代 (寄贈)
携帯筆記具として旅人の必需品であった矢立のコレクション。非常にコンパクトで実用本位のものから、意匠に凝った工芸品的なものまであり、中には方位磁針内蔵型や極小硯附属のものも含まれる。
江州堅田物語 1冊 天和3年(1683) (寄贈)
天和3年(1683)11月に発刊された版本(全18丁)。著者は堅田住の中村重吉。内容は、旅人が堅田で出あった老人に、この地の由緒を聞くという設定で、老人の言葉を借りて、堅田の由緒が紹介される。現代まで受け継がれた堅田の由緒の基礎となる記録で、地域の歴史をひもとく貴重な資料と言える。
大津陸軍少年飛行兵学校装備品 入江家資料
大津陸軍少年飛行兵学校装備品 入江家資料(引札)
大津陸軍少年飛行兵学校装備品 7点 昭和 (寄贈)
陸軍少年飛行兵学校が当時使用していた鉄カブトや陸軍軍帽、水筒、革製カバンなど。戦時中、現県立大津商業高校付近一帯には陸軍少年飛行兵学校があった。
入江家資料 一括(199点) 明治-昭和 (寄贈)
大津・京都・大阪の商店引札や県立大津高等女学校の卒業写真、教科書など。特に引札は各商店が正月に配った宣伝用チラシで、七福神といった縁起物が多く、図柄の凝ったものが多い。
北﨑家近現代資料 飛田家戦時資料
映画館資料および戦時資料(防空訓練) 飛田家戦時資料
映画館資料および戦時資料 一括(14点) 大正-昭和 (寄贈)
浜通りの旧甚七町にあった映画館・稲荷座(後の帝国館、現松本二丁目)で上映された映画の題名が列記された手帳や、寺町通り付近の戦時中の防空訓練風景写真など、大正から昭和にかけての大津の歴史や風景が分かる諸種の資料が含まれている。
飛田家戦時資料 一括(23点) 大正-昭和 (寄贈)
寄贈者のお父様である飛田源吾氏が、満州に従軍されたときの戦争関係資料。勲章や勲記、記章や軍靴などからなる。
東海道線踏切改良工事写真アルバム 昭和御大典記念写真帳
東海道線踏切改良工事写真アルバム 昭和御大典記念写真帳
東海道線踏切改良工事写真アルバム 2冊(全160枚) 昭和40年代 (寄贈)
国鉄東海道線の踏切改良工事を記録した写真アルバム。東海道線は昭和31年の電化により走行本数が増え、従来の踏切が交通渋滞を引き起こした。そのため昭和40年頃に橋梁化工事が順次実施されるが、アルバムには着工前後の写真が貼られ、鉄道沿線の風景の変遷がよく分かる。
昭和御大典記念写真帳 1冊 昭和3年 (寄贈)
昭和3年の御大典記念を祝して編集された写真帳で、県内各小学校教職員の整列写真が一冊に綴じこまれている。学校の旧校舎の一部や、教職員の戦前らしい服装も写っており、興味深い。
西村榮次郎氏撮影写真 中野家資料
西村榮次郎氏撮影写真(はり丸) 中野家資料(湖岸を走る蒸気機関車)
西村榮次郎氏撮影写真 一括(139枚) 昭和30年代 (寄贈)
故西村榮次郎氏が昭和30年代に大津市中心市街地の町並みや市内の社寺等の観光地の写真を中心に撮影したカラースライド。カラー写真が日本において普及しはじめた頃の大変貴重な写真である。また、スライドのほとんどに、撮影年月が記されている。
中野家資料 一括 明治-昭和 (寄贈)
京町通りにあった米商に伝わる資料。特に明治17年起筆の「記録簿」には、同24年に勃発した大津事件の生々しい記録が見える。また、絵葉書の中には、大津市街地の風景の変遷が伺えるものが含まれている。
龍吐水
龍吐水
龍吐水 1基 天保13年(1842) (寄贈)
龍吐水は江戸時代における消防機材として利用されたもの。補助具が収められている木箱の蓋裏には「天保十三壬寅初冬新調/後在家町/唯泉寺」の墨書が見られる。唯泉寺の本堂は天保14年に竣工しており、本堂の竣工にあわせて万が一の火災に備え、購入したものと考えられる。
5/18 龍谷ミュージアム
チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊
20世紀初頭、まだ日本人がチベットのことをほとんど知らなかった頃、西本願寺の第22世宗主、大谷光瑞師(1876~1948年)は生きた仏教の伝統を求め、二人の若き学僧、青木文教(あおき ぶんきょう)<滋賀県出身>と多田等観(ただ とうかん)<秋田県出身>をチベットへ送り出しました。
今回の特別展では、ダライラマ13世から多田等観に贈られた「釈尊絵伝」(25幅)を関西で初公開するほか、青木文教がもたらした「ラサ鳥瞰図」や彼が撮影した当時の現地の写真など二人のゆかりの作品資料を紹介します。
あわせて、典雅な姿をみせる仏・菩薩像が並ぶ空間をしつらえ、チベットの仏教世界に迫ります。
序章:目指せチベット
第1章:チベット仏教の歴史
第2章:チベットのさまざまな尊像
第3章:ダライラマ13世からの贈り物~釈尊絵伝~
第4章:若き二人の学僧がみたチベット
5/16 京都歴史資料館
叢書京都の史料刊行記念「桂川西岸の村社会」
内容
平成25年度末に『叢書京都の史料13 京郊農村の近代 葛野郡岡区事務日誌』を刊行するのを記念して,特別展を開催します。同書には,京都市西京区にある樫原公会堂が所蔵する,旧葛野郡川岡村岡区(大字岡)の事務日誌,全8冊を収めました。これは1900年代を中心とする地域運営の記録です。
今回の展示では,「事務日誌」について理解を深めるため,その歴史的・地域的な背景を探ることにしました。樫原公会堂の所蔵文書を中心に,その周辺地域に伝わる古文書や絵図を手がかりに,近世から近代にかけての桂川西岸地域の村社会の諸相や,桂川用水をめぐる村々の関係などを見ていきます。
4 展示品
約50点・写真パネル
(主な展示品)
(1)樫原公会堂所蔵文書(かたぎはらこうかいどうしょぞうもんじょ)(約25点)
・葛野郡岡区事務日誌(かどのぐんおかくじむにっし) 明治33年(1900)~昭和5年(1930)
・葛野郡岡村略図(かどのぐんおかむらりゃくず) 明治15年(1882)
・新村名につき願書(しんそんめいにつきがんしょ) 明治21年(1888)
(2)下桂村今堂共有文書(しもかつらむらこんどうきょうゆうもんじょ)(7点)
(3)津田家文書(つだけもんじょ)(6点)
(4)山口家文書(やまぐちけもんじょ)(5点)
(5)上桂御霊神社文書(かみかつらごりょうじんじゃもんじょ)(7点)
5/13 神戸市博/北斎
5/9 テルマエロマエⅡ
解説
ヤマザキマリの人気コミックを阿部寛主演で実写化し、大ヒットを記録したコメディ「テルマエ・ロマエ」(2012)の続編。斬新なテルマエ(浴場)を作ったことで一躍人気者になった古代ローマの浴場設計士ルシウスは、コロッセオにグラディエーターたちを癒す浴場を作ってほしいと頼まれ頭を悩ませる。そんな時、またしても現代日本へタイムスリップしたルシウスは、平たい顔族(=日本人)の山越真実と再会。そこで見た日本の国技・相撲にヒントを得て、グラディエーター用の新たなテルマエを作るばかりか、血なまぐさいコロッセオに平和的な雰囲気を持ち込むことにも成功する。しかし、和平路線を進める皇帝ハドリアヌスに反発し、グラディエーターたちの戦いを通して市民の好戦意欲を高めようと企んでいた強硬派の元老院は、ルシウスの存在が邪魔になり、さらなる陰謀をめぐらせる。阿部を筆頭に、北村一輝、宍戸開、市村正親ら古代ローマ人を演じる濃い顔の俳優たちが再結集。現代日本人を演じるヒロインの上戸彩らも続投。
5/8 山の神仏-吉野・熊野・高野
概要
紀伊半島-それは本州最南端、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる日本最大の半島。中央には標高1,000mをこえる山々が縦横に連なって紀伊山地を形成し、太平洋から吹きつける激しい風と日本有数の降水量という厳しい環境のなかで豊かな自然がはぐくまれました。そこでは、古代より「聖なる山」への様々な信仰が生まれ、今に息づいています。
その核となるのが、役行者を祖とする修験道の一大拠点「吉野・大峯」、全国に広がる熊野信仰の中心「熊野三山」、真言密教の根本道場「高野山」です。三つの霊場とこれらを巡る「参詣道」は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
吉野・大峯、熊野三山、高野山の三霊場は、参詣道を通じて有機的な繋がりを保ちつつ、それぞれ独自の文化圏を形成してきました。一方で、日本固有の宗教である神道と中国・朝鮮半島から伝わった仏教が、併存あるいは融合して現在にいたるという大きな共通点を持っています。
世界文化遺産登録10周年を記念して開催する本展では、三霊場を中心として、篤い信仰をあつめる「神と仏」のすがたを一堂に展観します。
主な展示
熊野速玉大神坐像
くまのはやたまのおおかみざぞう
国宝
平安時代 9~10世紀
和歌山・熊野速玉大社
熊野速玉大社の主祭神として祀られる神像です。
夫須美大神・家津御子大神とともに熊野三所権現と呼ばれ、本地仏は薬師如来とされます。平安時代を代表する神像彫刻のひとつです。
蔵王権現立像
ざおうごんげんりゅうぞう
重要文化財
鎌倉時代・嘉禄2年(1226年)
奈良・如意輪寺
※展示期間(5/8~5/18)
蔵王権現は役行者が感得したと伝え、修験道の中心的尊格として吉野・大峯山をはじめ、広く信仰されました。鎌倉時代に仏師・源慶が制作したことが銘文からわかる貴重な作例です。
女神坐像
めがみざぞう
鎌倉時代 13世紀
和歌山・三谷薬師堂
高野山のふもとに位置する、丹生酒殿神社より伝来した女神坐像です。狩場明神とともに、高野山の開創に関わる鎮守神・丹生明神と考えられます。
国宝 藤原道長経筒
平安時代 寛弘4年(1007年)
奈良・金峯神社
重要文化財 役行者倚坐像
鎌倉時代
奈良・櫻本坊
重要文化財 如来・菩薩坐像 (大峯山出土)
平安時代
奈良・大峯山寺
重要文化財 熊野本地仏曼荼羅図
鎌倉時代
京都・聖護院
※前期展示(4/8~5/6)
阿弥陀如来坐像
平安時代
和歌山・藤白神社
那智参詣曼荼羅図
室町~江戸時代
和歌山・熊野速玉大社
重要文化財 弥勒菩薩像
平安時代
和歌山・慈尊院
※前期展示(4/8~5/6)
高野山参詣曼荼羅図
室町時代
東京藝術大学大学美術館 ※前期展示(4/8~5/6)
5/7 相棒Ⅲ 劇場版
4/28 The Amazing Spider-Man 2
4/27 泉屋博古館「百花のさきがけ 梅の美術」
4/23 京博 南山城の古寺巡礼展
古都奈良と京都の間、京都府南部の「南山城(みなみやましろ)」の地には、奈良時代から平安時代以来の伝統を守り伝える古い寺院が点在しています。
─ みかの原 わきてながるる泉河 いつ見きとてか 恋しかるらむ ─
百人一首の中納言兼輔(かねすけ)の和歌に詠まれたように、上代には〈みかの原〉に恭仁京(くにきょう)が置かれ、木津川〈泉河(いづみがわ)〉が流れる風光明媚な南山城は古来、貴族たちの憧れの聖地でした。静かな山間に寺院を建て、この世に極楽浄土の夢を開花させようとしたのです。
本展では、この地域に伝来する優れた十一面観音像を含む仏像のほか、仏画や金工品、陶磁器、染織などの文化財や考古遺物を展示します。また京都国立博物館による文化財調査を通して明らかになった作品も公開し、南山城の歴史と風土、仏教文化を紹介します。
ご出陳いただく主な寺院は、相楽郡笠置町の笠置寺(かさぎでら)、木津川市加茂町の海住山寺(かいじゅうせんじ)・浄瑠璃寺(じょうるりじ)・岩船寺(がんせんじ)・現光寺(げんこうじ)、木津川市山城町の蟹満寺(かにまんじ)・神童寺(じんどうじ)、京田辺市の観音寺(かんのんじ)・寿宝寺(じゅほうじ)・酬恩庵(しゅうおんあん)(一休寺(いっきゅうじ))、綴喜郡宇治田原町の禅定寺(ぜんじょうじ)ほかあわせて十数箇寺にのぼり、国宝2件、重要文化財26件を含む約140件を展覧いたします。
1:あなたの知らない京都 南山城 —いま、明らかに!
かつての山城国(いまの京都府)の南、木津川流域に位置する「南山城」。聖武天皇が一時「恭仁京」を置いたことでも知られ、現在も風光明媚な山里には、奈良時代・平安時代に創建された由緒ある古刹が点在します。今回、京都国立博物館による文化財調査が実施されたのにあわせ、この地で長く守り伝えられてきた優れた仏像や、仏画、金工品、陶磁器、染織品など文化財や考古遺物を展示し、南山城の歴史と風土、仏教文化の全貌を大規模にご紹介する初めての展覧会です。
国宝 浄瑠璃寺本堂
2:京都国立博物館であこがれの十一面観音に出会う
南山城には、古く、姿も美しい十一面観音が多く残っています。古来より隣接する奈良の影響を色濃く受けたため、本尊を十一面観音とする東大寺二月堂の信仰が影響し、広がったのではないかとする説があり、現在の南山城地域には国宝もしくは重要文化財の指定を受けている十一面観音が8件あります。本展にはそのうち、海住山寺、現光寺、寿宝寺、禅定寺ほかの5件をご出陳いただきます。十一面観音のほかにも、平安・鎌倉時代の貴重な仏像を多く紹介し、京都国立博物館では久しぶりの仏像にスポットをあてた展覧会となります。
【十一面観音とは…】 世を救済し、救いを求める心に応じて姿を変える観音菩薩の変化身のひとつ。頭上に十一の顔を持つ。日本では奈良時代に信仰が高まった。 寺院の秘仏とされ拝観の機会が限られることが多いためか、各地の十一面観音を訪ね歩く「巡礼」は、仏像愛好家たちのあいだでブームに。白洲正子の著書『十一面観音巡礼』もある。
3:南山城の仏教美術の優品が一堂にそろう貴重な機会
南山城に点在するお寺の仏像は、秘仏として拝観日が限られていたり、事前に予約が必要であったりするお像も少なくありません。アクセスも容易ではないため、南山城の古寺めぐりは実際、難易度が高いものです。今回は京都国立博物館の展示室に集まった仏様やご宝物を心ゆくまでご覧いただける貴重な機会です。(一部会期中に展示替えがあります)。なお本展は京都会場のみでの開催です。
京都府南部、木津川流域は旧国名から南山城と呼ばれる。木津川は古代から水運に利用された交通の動脈でもあった。この地域には縄文時代以来の考古学的な遺跡が豊富で、特に古墳時代前期の椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳が著名である。飛鳥時代には木津川の北岸に高麗寺(こまでら)が創建された。奈良時代には瓶原(みかのはら)の地に「恭仁宮(くにきょう)」が設置され、そののち山城国分寺が置かれた。いまも塔跡に巨大な礎石が残りその壮大さを示している。また近年、神雄寺という奈良時代の寺院跡も発見され注目を浴びた。
トヅカ古墳出土 神人車馬画像鏡 古墳時代 京都国立博物館蔵
Ⅱ 瓶原と海住山寺
恭仁宮・山城国分寺が置かれた瓶原(みかのはら)の北側の山中に海住山寺は在る。天平年間の創建と伝える古寺である。鎌倉時代初めに解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)によって「海住山寺」と命名され、寺観が整備された。平安時代の十一面観音立像をご本尊とし、鎌倉時代の五重塔(国宝)が今に残る。仏像をはじめ絵画や工芸作品を多く伝える文化財の宝庫である。
またこの木津川市加茂町現光寺の十一面観音坐像は鎌倉時代の瀟洒な作風を見せている。
重要文化財 十一面観音立像 平安時代 海住山寺蔵/海住山寺/重要文化財 十一面観音坐像 鎌倉時代 現光寺蔵/現光寺
Ⅲ 笠置山と笠置寺
笠置山が開かれたのは寺伝によると白鳳時代とされる。山頂北面の岩肌に刻まれた巨大な弥勒石像が信仰を集め、平安時代には藤原道長ら貴族たちの参詣が盛んであった。鎌倉時代に解脱上人によって整備され、上人の墓も営まれた。展示では鎌倉時代の毘沙門天立像、笠置寺縁起絵巻、経塚に埋納された経筒などを紹介する。
毘沙門天立像 鎌倉時代 笠置寺蔵/笠置寺
Ⅳ 浄瑠璃寺と岩船寺
浄瑠璃寺と岩船寺は奈良県との境に近い木津川市加茂町の当尾(とうの)の里に立地する。この地域は中世の石仏や石塔が数多く残る石造文化財の里でもある。
浄瑠璃寺は平安時代後期、浄土信仰のもとに造営された寺院で、九体阿弥陀堂は12世紀のままにのこる貴重な遺構である。
岩船寺は奈良時代の創建と伝える古寺で、丈六の阿弥陀如来坐像(天慶九年銘、946年)が平安時代の隆盛を伝えている。
重要文化財 十一面観音立像 平安時代 海住山寺蔵/海住山寺/重要文化財 十一面観音坐像 鎌倉時代 現光寺蔵/現光寺
Ⅴ 南山城の古寺
木津川流域に古寺が点在しており、貴重な御尊像を現代まで伝えてきた。
寿宝寺には平安時代の千手観音立像や鎌倉時代の聖徳太子像が伝わる。観音寺は天平時代の十一面観音立像(国宝)で知られている。蟹満寺は奈良時代前期の巨大な銅造釈迦如来坐像(国宝)が有名である。神童寺は山中にある修験道の霊地、多数の尊像を保管してきた古仏の宝庫といえる。禅定寺は宇治田原の古刹で、平安時代半ばに造立された巨大な十一面観音立像が圧巻である。
重要文化財 十一面観音立像 平安時代 禅定寺蔵/重要文化財 千手観音立像 平安時代 寿宝寺蔵
阿弥陀如来坐像 平安時代 蟹満寺蔵/重要文化財 愛染明王坐像 平安時代 神童寺蔵/不動明王二童子像 室町時代 観音寺蔵
禅定寺/寿宝寺/蟹満寺/神童寺/観音寺
Ⅵ 酬恩庵と一休禅師
一休宗純(1394~1481)が晩年を過ごし、その墓所があるのが京田辺市薪(たきぎ)の酬恩庵であり、一休寺の名でも知られている。一休禅師はその独特な性格と行動で後の世に知られ、様々な逸話を残した。酬恩庵には一休の肖像画をはじめ彼の袈裟や笛などの遺品が伝承されてきた。また中世の頂相(ちんそう)や江戸時代の絵画作品、方丈の襖絵など多くの文化財が残されている。
酬恩庵(一休寺)
重要文化財 一休宗純像 自賛 室町時代 酬恩庵(一休寺)蔵/五条袈裟(大掛絡)伝一休宗純料 室町時代 酬恩庵(一休寺)蔵
4/21 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
最強ヒーローが活躍する“アベンジャーズ”プロジェクトの最新作。第二次世界大戦中に生み出された超人で、米国民から「キャプテン・アメリカ」と呼ばれ尊敬されるスティーブ・ロジャース(クリス・エバンス)は、国際平和維持組織シールドの一員。シールドの長官ニック(サミュエル・L.ジャクソン)から、巨大ヘリコプターを使った平和維持作戦の計画を知らされる。その直後、ニックは襲撃を受ける。命を狙ったのは、金属の腕を持つ暗殺者、ウィンター・ソルジャー(セバスチャン・スタン)だった。
米国の良心であるキャプテン・アメリカが、悪の組織に乗っ取られてしまったシールド、さらに手ごわい暗殺者を敵に回して戦う。超人同士が派手で壮絶なバトルを繰り広げ、空中でのスピード感あふれる格闘シーンはスリル満点だ。裏切りあり、友情ありのドラマもしっかり描かれている。ただ、悪役側がやや平板で、どす黒い怨念や敵意、もしくは誇大な妄想や狂気のようなものが感じられないのが物足りない。19日、全国公開。2時間16分。(櫛)
4/19 大和文華館/「桃山・江戸の絵画名品展」
桃山時代には、室町時代には見られない覇者の美意識が強く反映された豪華な美術作品が制作されます。江戸時代になると、公家や武家だけでなく、富裕な町人や農民による生活文化が花開きます。この展観では、国宝「松浦屏風」を始め、多彩な美意識が込められた桃山・江戸時代の絵画の優品を展示します。
桃山時代には長い戦乱がようやく終わりを告げます。時代の覇者が織田信長から豊臣秀吉、徳川家康へと移り、家康が慶長8年(1603)に江戸幕府を開くと、慶応3年(1867)の大政奉還に至るまで、約260年間に及ぶ江戸時代の太平の世が続きます。美術作品の享受層も桃山時代以降、飛躍的に広がります。江戸時代になると、公家や武家だけではなく、富裕な町人や農民による生活文化が花開きます。絵画では、伝統のある狩野派や土佐派の絵師たちだけではなく、琳派、写生画派、文人画派など、在野の新興画派が次々と登場して活躍します。次第に絵画は宗教的な儀式を離れ、華やかな慶事や趣味教養を同じくする人々の宴を飾るようになります。絵師たちは都市の魅力的な光景に積極的に目を向けて巷間や遊里に生動する風俗を盛んに描き、雅な王朝世界や清澄な中国の文人世界、すなわち、人々の憧れを集めた理想世界を絵画に表現しました。この展観では、国宝「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」をはじめ、多彩な美意識が込められた桃山、江戸時代の絵画作品を展示します。なお、新収品の「伝東山天皇像」、「三十六歌仙色紙貼屏風」を初公開します。
【桃山時代】
重要文化財 婦人像
重要美術品 阿国歌舞伎草紙
婦女弾琴図
【江戸時代】
国宝 婦女遊楽図屏風(松浦屏風)
輪舞図屏風
伊勢物語図色紙 六段 芥川 伝俵屋宗達筆
重要文化財 扇面貼交手筥 尾形光琳筆
重要文化財 中村内蔵助像 尾形光琳筆
重要文化財 武蔵野隅田川図乱箱 尾形乾山筆
僧正遍照落馬図 英一蝶筆
金地山水図屏風 渡辺始興筆
ライオン図 宋紫石筆
釣瓶に鶏図 伊藤若冲筆
春林書屋図 呉春筆
四季山水図屏風(春・夏) 円山応挙筆
鱈図 円山応挙筆
蘭石図屏風 与謝蕪村筆
七老戯楽図 池大雅筆
澗泉松声図 浦上玉堂筆
4/17 奈良県立美術館/「アメリカ現代美術の巨匠達」
当美術館では、本年4月から7月まで、現代アートをテーマに、美とのふれあいや感動を身近に体感していただき、奈良らしい文化芸術の創造と発展を推進するため、「国際現代アート展なら2014」(前期・後期)を開催いたし
ます。
前期特別展は、「アメリカ現代美術の巨匠達~CCGA現代グラフィックアートセンター所蔵版画名品展~」です。
革新的なアメリカ現代版画への誘いとして、タイラーグラフィックス制作のローゼンクイスト(約11メートル)や
ステラ(約8メートル)の超巨大作を含む名品約100点を展観し、世界を変えた傑作の圧倒的なパワーを体感してい
ただこうとするものです。
4/15 名古屋市立博物館/大浮世絵展
世界から傑作、大集合!
浮世絵は世界中で愛される日本の文化です。本展は「国際浮世絵学会」の創立50周年を記念して、浮世絵の名品を日本国内および世界各地45か所から一堂に集める、かつてない規模の展覧会です。誰もが一度は目にしたことのある代表的な作品340点により、浮世絵の全史を紹介します。まさに浮世絵の“教科書”、“国際選抜”となる展覧会です!
Book
佐伯泰英
髪結 吉原裏同心二十
開港 交代寄合衆異聞二十
4/11 奈良博/鎌倉の仏像 迫真とエキゾチシズム
平成26年4月5日(土)~平成26年6月1日(日)
鎌倉時代の初頭に仏師運慶・快慶らが創始した新しい仏像様式は、やがて武士の都というべき鎌倉や東国の地に根づいてゆきます。本展では、鎌倉国宝館に保管される作品を中心に、鎌倉周辺に伝来した仏像彫刻を一挙公開します。
治承4年(1180)、平家の軍勢によって奈良の地は焼き討ちされました。このとき、東大寺の再建に心血を注いだのは大勧進俊乗房(しゅんじょうぼう)重源(ちょうげん)であり、檀越(だんおつ)として復興事業に多大な貢献をなしたのが、新たな覇者として登場し、鎌倉に幕府を開いた源頼朝でした。
奈良の寺々において仏像の再興造立に活躍したのは、重源が重用した康慶・運慶・快慶ら慶派の仏師たちですが、彼らの活躍の場は奈良にとどまらず、鎌倉や東国にも広がったのです。それは頼朝やその配下の御家人たちが、自らが建立した寺院の造仏に、競って彼ら慶派仏師を起用したことによるものです。
重源は、中国・宋の仏教美術を移入することに積極的でした。このため慶派の作品にも宋の影響が認められます。しかし新たに政権を握った武家の都として重きをなした鎌倉には、蒙古軍の侵攻を逃れて日本に亡命した中国僧たちによって、より直接的に宋風文化が伝えられたため、仏教造像の場においても中国風の作品が相ついで生み出されたのです。
昭和3年(1928)に開館した鎌倉国宝館には、この地域の貴重な作品の数々が寄託・所蔵され、鎌倉や東国の仏教美術、わけても仏像の全貌を把握することのできる優れた作品が常時展観されています。
本展は、鎌倉国宝館に寄託・所蔵される仏教彫刻と仏画の優品に加え、近隣の寺院からも尊像の出陳を賜り、それらを一堂に会することによって、奈良から生まれ、鎌倉で結実した仏像の諸相の展観を目指すものです。関東の外においてまとまって展示される初の試みであり、とりわけ鎌倉時代彫刻発祥の地ともいうべき奈良で公開されることの意義は大きいと考えます。この機会にぜひご観覧下さい。
神奈川県指定文化財 十二神将立像のうち 戌神 [じゅつしん] 鎌倉国宝館
神奈川県指定文化財 十二神将立像のうち 巳神 [ししん] 鎌倉国宝館
木造 古色 玉眼
像高 116.8~159.3cm
鎌倉時代(13世紀) 卯・未・申・亥の4躯は江戸時代(17世紀)
十二神将は、一般に薬師如来の周囲に配され、十二の方角や時間を守る武神で、十二支に割り当てられることが多い。12躯のうち、8躯(子・丑・寅・辰・巳・午・酉・戌)は鎌倉時代、のこる4躯(卯・未・申・亥)は江戸時代の制作とされる。前者8躯は、変化に富んだ表情や軽快な身振りに、鎌倉前期の慶派仏師の特色が認められる。このうち、巻き毛が特徴的な「戌神」の作域がもっともすぐれ、本群像の制作にあたった指導的仏師の手になると思われる。
重要文化財 初江王坐像 [しょこうおうざぞう]
重要文化財 初江王坐像 [しょこうおうざぞう]神奈川・円応寺
木造 古色 玉眼
像高 102.1㎝
鎌倉時代 建長3年(1251) 幸有作
初江王(しょこうおう)は、人間が死後に赴く冥界(めいかい)で、生前の罪を裁く十人の王のうちのひとり。もとは左手に木札、右手に筆を握った(ともに欠失)。顔の表情は怒りを内に秘めた忿怒の相をしめす。中国風の着衣は複雑かつ流麗な表現で、両手や脚の動きにも生彩がある。像内の銘文に「建長三年(1251)八月五日」の年紀と、「幸有(こうゆう)」という仏師(慶派とも関係ありか)の名が認められる。東国に伝わる鎌倉彫刻の白眉とされる作品。
神奈川県指定文化財 阿弥陀如来立像 [あみだにょらいりゅうぞう]
神奈川県指定文化財 阿弥陀如来立像 [あみだにょらいりゅうぞう]神奈川・浄妙寺
木造 漆箔・金泥塗・截金 玉眼
像高 87.3㎝
鎌倉時代(13世紀)
低い肉髻(にっけい)、髪際(はっさい)を正面で大きく湾曲させた髪形、眉とやや離れた切れ長の目、袈裟(けさ)の端を左肩から肘に大きくかける表現などが特徴的。本像は1260年前後の制作と推定され、西大寺流の真言律(しんごんりつ)寺院を中心に活躍したいわゆる善派(ぜんぱ)の系統に属する仏師によって制作されたと考えられている。13世紀後半の阿弥陀如来像の中でも際立った優品のひとつ。
重要文化財 観音菩薩坐像 [かんのんぼさつざぞう]
重要文化財 観音菩薩坐像 [かんのんぼさつざぞう]神奈川・浄光明寺
木造 金泥塗・截金 玉眼
像高 106.9cm
鎌倉時代(13世紀)
浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、建長3年(1251)、鎌倉幕府六代執権(しっけん)北条長時(ほうじょうながとき)(1230~64)によって建立された。本尊は阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)。本像はその左脇侍で、蓮華の柄を執り、中尊のほうへ頭部を少しかしげて安坐(あんざ)する。ヒノキ材の寄木造(よせぎづくり)で、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)する。表面に金泥(きんでい)を塗り、着衣部には截金(きりかね)文様を施す。 なまめいた表情、高く装飾的に結い上げられた髻(もとどり)、なで肩でしなやかな体躯(たいく)など、随所に現実感を強調する傾向がうかがえる。こうした点は、1230年代の鎌倉で事績を残した仏師肥後定慶(ひごじょうけい)(1184~?)の作風を継承し、発展させたものといえるが、同時に善派系仏師の作である可能性も考えられる。
重要文化財 伽藍神像 [がらんじんぞう]
重要文化財 伽藍神像 [がらんじんぞう]神奈川・建長寺
木造 彩色 玉眼・彫眼
像高 その1:97.5cm その2:98.6cm その3:94.7cm その4:132.2cm
その5:129.5cm
鎌倉時代(13世紀)
かつて建長寺の土地堂(つちどう)と称される堂にまつられ、いま仏殿奥の一角に安置される伽藍神像である。伽藍神は元来土地神と称される道教(どうきょう)神であり、集落の守護神もしくは福徳神としての性格を有していた。この土地神が仏教に取り入れられ、日本では京都・泉涌寺(せんにゅうじ)を中心とした北京律(ほっきょうりつ)系の寺院や禅宗で特に信仰されるようになる。
本像は現存する伽藍神中の最古例であり、その造立は建長5年(1253)に落慶した建長寺の創建期まで遡ると考えられる。写真の像は、建長寺開山の中国僧・蘭渓(らんけい)道隆(どうりゅう)に日本への渡航を勧めたとされる張大帝(ちょうだいてい)と考えられている。極端にえらが張り、髭(ひげ)を植毛(亡失)であらわす怪異な容貌(ようぼう)はきわめて異国風が強い。日本独自の技法とされる玉眼(ぎょくがん)を用いていることから国内での造像と考えられるが、作風からは中国僧である蘭渓道隆の直接的な指導が想定される。
神奈川県指定文化財 水月観音菩薩遊戯坐像 [すいげつかんのんぼさつゆげざぞう]
神奈川県指定文化財 水月観音菩薩遊戯坐像 [すいげつかんのんぼさつゆげざぞう]神奈川・東慶寺
木造 金泥塗・彩色・截金 玉眼
像高 41.7cm
鎌倉時代(13世紀)
水月観音(すいげつかんのん)は三十三観音のひとつ。岩上にゆったりと坐し、水面(みなも)に映る月を観ずる姿は、諸法に実体がないと悟ることの象徴であるという。端麗な容貌(ようぼう)としなやかな姿態による優美な雰囲気がとくに印象的で、類品中屈指の美作として名高い。
片腕を岩上につき、片足を踏下(ふみさ)げてくつろぐ坐法は、「遊戯坐(ゆげざ)」と称され、禅宗の浸透にともない鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて鎌倉周辺地域で制作された。髻(もとどり)を頭巾(ときん)で包み、腹部に裙(くん)の上縁と帯の結び目をあらわす本像の形式には宋・元風が濃厚で、将来仏画や水墨画などに深く依拠しながら制作されたことが推測される。
ヒノキ材の寄木造(よせぎづくり)で、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)する。着衣部には金泥塗(きんでいぬり)のうえに、截金(きりかね)と盛上(もりあげ)彩色をまじえた文様が確認できる。
東京都指定文化財 釈迦如来坐像 [しゃかにょらいざぞう]
東京都指定文化財 釈迦如来坐像 [しゃかにょらいざぞう]東京・光厳寺
木造 金泥塗・古色 玉眼
像高 51.2㎝
南北朝時代 康安2年(1362) 運朝(うんちょう)作
両袖が膝を覆って長く垂下し、裙(くん)も脚前に短く垂れる法衣垂下像(ほうえすいかぞう)の代表的作品である。肉髻(にっけい)が低平で、螺髪(らほつ)を大粒にあらわし、髪際(はっさい)が波打つ頭部の形状や、やや猫背で厚みのある体型には、13世紀半ば以降の鎌倉で流行した、いわゆる宋・元風が顕著にあらわれている。ヒノキ材の寄木造(よせぎづくり)で、頭・体部を別材より彫成し、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)する。
像内胸部に墨書銘があり、康安2年(1362)の法印(ほういん)運朝(うんちょう)の作と知られるほか、明極楚俊(みんきそしゅん)(1262~1336)のものと伝えられる遺骨を納めている。運朝は、南北朝時代に鎌倉を拠点に活躍した仏師で、「運慶五代」を名乗った。本像の引き締まった顔つきや動きのある衣文には、運慶末流を称するにふさわしい、力強い作風がうかがえる。
重要文化財 弁才天坐像 [べんざいてんざぞう]
重要文化財 弁才天坐像 [べんざいてんざぞう]神奈川・鶴岡八幡宮
木造 彩色 玉眼
像高 95.8cm
鎌倉時代 文永3年(1266)
鶴岡八幡宮に伝来した、琵琶(びわ)を抱え、両脚を左方にくずして坐る女神形の像。上半身は裸形(らぎょう)で、下半身に腰布を巻くところまでは木彫(もくちょう)で造られ、その上に布製の衣を着せる。いわゆる裸形着装像(らぎょうちゃくそうぞう)の一例で、鎌倉周辺には本像のほかにも、青蓮寺(しょうれんじ)の弘法大師坐像(鶴岡八幡宮旧蔵)や江ノ島神社の弁才天坐像等がある。右脚底部に刻まれた銘文により、本像が文永3年(1266)に造立され、造立願主は鶴岡八幡宮楽所(がくそ)の中原光氏(なかはらみつうじ)(1218~90)であったこと等が判明し、音楽を司る尊像として信仰されたことがうかがえる。寄木造(よせぎづくり)で、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)する。実人的な面貌には鎌倉時代後期の作風が顕著に表れている。
重要文化財 天神坐像 [てんじんざぞう]
重要文化財 天神坐像 [てんじんざぞう]神奈川・荏柄天神社
木造 彩色 玉眼
像高 83.5cm
鎌倉時代 弘長元年(1261)
荏柄(えがら)天神社は縁起によれば長治元年(1104)に天神画像がこの地に降臨したことに始まるといい、のちに源頼朝が自らの館の鬼門の守護神として尊崇したと伝える。
本像は冠をかぶり、袍(ほう)と表袴(うえのはかま)を着して坐す男神坐像。眉尻を吊り上げて眼を見ひらき、口は少し開いて上歯を見せている。やや小ぶりの等身大の像だが、いわゆる「怒り天神」の部類に属するいかめしい像容である。像内の内刳(うちぐり)部には背骨や肋骨などが朱で描かれ、その上に墨書で銘文が記される。これによれば本像は、荏柄社神主の平政泰(たいらのまさやす)を施主として弘長元年(1261)に造立されたものとわかる。
重要文化財 上杉重房坐像 [うえすぎしげふさざぞう]
重要文化財 上杉重房坐像 [うえすぎしげふさざぞう]神奈川・明月院
木造 彩色 玉眼
像高 68.2㎝
鎌倉時代(13世紀)
上杉重房(生没年不詳)は、鎌倉幕府6代将軍となった宗尊親王(むねたかしんのう)に随行して京都から鎌倉に下り、将軍側近の近習として活躍した武将である。その孫清子(せいし)は足利尊氏(たかうじ)・直義(ただよし)の生母であることから、足利氏の外戚(がいせき)として重用され、後の上杉氏興隆の礎を築いた。
像は、立烏帽子(たてえぼし)を被り、狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)を着けて、手に笏(しゃく)を執って安坐する姿にあらわされる。面部は個性的で、下がった目尻、やや厚めの口唇、短めの山羊鬚(やぎひげ)に像主の特徴が顕著で、公家出身らしい温和な雰囲気を感じさせる。
本像のように強装束(こわしょうぞく)による体部の簡略かつ大胆な構成は、建長寺北条時頼像や東京国立博物館所蔵の伝源頼朝像とも共通する。制作年代はこれらの像に近い13世紀後半と考えられる。
4/9 三井寺 大津歴博
3/28京都文化博物館
光の賛歌 印象派展 パリ、セーヌ、ノルマンディの水辺をたどる旅
印象派の画家たちが活躍した19世紀後半は、水辺が生活に潤いをもたらす余暇を過ごす場所として クローズアップされた時代でもありました。
都市部の近代化にともない、市民のあいだに休日のレジャーが普及すると、アルジャントゥイユやブージ ヴァルといったパリ近郊のセーヌ川沿いの町や村が、身近な行楽地として人々を惹き付けました。さらに 鉄道網の発達も相まって、余暇を楽しむ人々の足は、美しい海水浴場や切り立った断崖、賑わいを見せる 港など数多くの魅力的な場所に恵まれたノルマンディ海岸にも向けられました。
都会の喧騒を離れた豊かな自然とともに、レジャー客でにぎわう行楽地の様子は、同時代の市民生活を 描き出した印象派の画家たちの創作意欲を掻き立てる格好のテーマとなりました。
本展では、セーヌやノルマンディの「水辺」を舞台に描かれた73点の作品で、彼らが追い求めた 「光の中の風景」に迫ります。
第1章
セーヌ河畔の憩い
パリ近郊の川辺を描く画家たち
印象派の画家が活躍を始める1860年代。パリのブルジョワたちは、週末になるとサン=ラザール駅から汽車に乗って郊外へと出かけ、自然に恵まれた行楽地で余暇を楽しむようになりました。1830年代に開通した鉄道がセーヌ川に沿って路線を拡げ、人々をセーヌ河畔に点在する水辺に誘ったのです。
こうしたライフスタイルの変化に呼応して、印象派の絵画はレジャーを主題とし、都会のリゾート地を描くようになります。印象派は当時の社会現象と密接に結びついて、パリの近郊にある川辺を訪ね、描くという新しい風景画の世界を開拓してゆきました。
印象派の画家が愛した場所は、パリ中心部のセーヌ河岸、支流ロワン川が流れるセーヌ川の上流域、パリの北西から西の郊外に大きく蛇行するセーヌ川の下流域の3つのエリアです。パリから半径20キロ圏内の行楽地―アルジャントゥイユ、シャトゥー、ブージヴァルや、シスレーが過ごしたサン=マメス、モネが睡蓮を描いたジヴェルニーは、印象派の聖地としてその名をとどめています。
▲ギュスターヴ・カイユボット 《トルーヴィルのレガッタ》 1884年 油彩/カンヴァス
トリード美術館
Photography Incorporated, Toledo
© Toledo Museum of Art,Gift of The Wildenstein Foundation
第2章
ノルマンディ海岸の陽光
海辺を描く画家たち
フランスの首都圏イル=ド=フランスの田園地帯を縫って蛇行するセーヌの流れは、ノルマンディ地方の玄関口となる大都市ルーアンに至り、川幅を広げながら大西洋に注ぎ込みます。巨大な河口の左岸にはオンフルール、右岸にはル・アーヴルといった古くから栄えた港町があります。
オンフルールから南西に向かう海岸線にはトルーヴィル、ドーヴィルなど、ル・アーヴルから北東に向かう海岸線にはサン=タドレス、エトルタ、フェカン、プールヴィル、ディエップなどの保養地が散在しています。こうした風光明媚な海辺の景観は、光に敏感な印象派の画家たちの注目を集めました。
これらの場所は、以前は都会から離れた漁村にすぎませんで したが、1863年にパリからトルーヴィルまで鉄道が開通し、都会から富裕な市民層が余暇を過ごすために訪れるようになり、観光地化していったのです。印象派の画家は、明るい光の効果を求めて、陽光が燦々と降り注ぐ浜辺の情景や、夏のバカンスのひとときを過ごす人々の姿を描きとどめました。
3/26 兵庫県立歴史博物館
軍師官兵衛
平成26年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」と連動した展覧会です。黒田官兵衛は播磨・姫路城主の長男として生まれました。豊臣秀吉に重用されますが、その才能ゆえに警戒され、恐れられた男です。そして、乱世を見事に生き抜き、福岡藩52万石の礎を築きました。
この展覧会では、稀代の軍師・黒田官兵衛ゆかりの資料、同時代の歴史資料などを紹介し、官兵衛の人間像と彼が生きた時代を浮き彫りにします。
展示内容
■プロローグ~戦場のよそおい~
■第1章 播磨に生まれ
生誕から姫路城主、主君小寺家家老へ、信長謁見まで
■第2章 有岡城幽閉
織田・豊臣の家臣として
秀吉との兄弟の契り (姫路城提供・播磨攻略・中国攻め)
有岡城での幽閉生活
■第3章 秀吉を天下人に
本能寺の変、中国大返し、山崎の戦いでの勝利
賤ヶ岳の戦い
秀吉天下統一の総仕上げ・小田原攻めでの功績、小田原城無血開城
■第4章 如水となりて
朝鮮出兵、秀吉の怒りを買い出家
秀吉の死、関ケ原・天下分け目の戦い、九州平定
■第5章 文雅のたしなみ
和歌・茶の湯のたしなみ
クリスチャンとしての側面
■エピローグ~思いおく言の葉なし~
主要な出品資料
◆国宝 刀 名物「圧切(へしきり)長谷部」
・・・・官兵衛が織田信長から拝領した刀
◆白檀塗合子形兜(びゃくだんぬりごうすなりかぶと)(もりおか歴史文化館)
・・・・官兵衛がかぶった合子方の兜
◆黒田如水像(胡座)(福岡市博物館)
・・・・晩年の官兵衛の肖像画
◆播磨三木合戦図(当館蔵)
・・・・三木の別所長治との戦いを描いた図
◆照福院像(報土寺)
・・・・官兵衛の妻・光(てる)の肖像画
◆黒田二十四騎図(福岡市博物館)
・・・・官兵衛を支えた部下の武将たちの肖像画
◆黒田如水辞世和歌短冊(福岡市博物館)
・・・・官兵衛の辞世の句
3/26 大河ドラマ館
3/25 みゆう 保育園
保育園説明会
3/24 東寺 漫画家による仏の世界展
3/18 大阪図書館
狩野一信
『別冊 太陽 日本のこころ 131号 狩野派決定版』山下裕二 監修
平凡社 2040年
P153 驚愕の仏画 狩野一信筆
五百羅漢図
172.3X85.3cm 一信は江戸本所林町の骨董屋の家に生まれる、通称を豊次郎という
森 琴石
3/16 偉大なる、しゅららぼん
3/16 大和文華館 竹の美
特別展 竹の美
松竹梅の一つとして親しまれている竹は、東アジア地域の気候に適しており、加工が便利で材質も優れているため、古代から中国や日本の生活に欠かせない植物でした。その利用は、建築材や家具、農具、楽器、服飾品、文房具から食用まで広範囲に及んでいます。
人々に愛された竹には、様々な文化史的意味が与えられていきます。例えば、蓬莱山にあって仙人や霊鳥がそこに集ったという伝承、あるいは黄帝の時代に鳳凰がやってきてその実を食べたという故事に見られるように、竹は理想境と結びついた神聖なイメージを持っています。また、寒中でも緑を保ってまっすぐに伸び、節を持つことから、高潔な精神の象徴として、庭園や書斎など士大夫の傍らに置かれて鑑賞されました。さらに、その旺盛な生命力や、「竹」が「祝」と同音同声であることから、吉祥モチーフとして一般に広く普及しています。
では、美術品上に竹はどのように表現されてきたのでしょうか。この展観では、黒川古文化研究所・泉屋博古館との三館連携「松・竹・梅」展の一環として、聖なる空間に配された竹、花鳥図の中に登場する竹、文人の隠居地として表された竹林図や彼らの描いた墨竹図、さらに竹の意匠が施された陶磁・漆工作品や、竹素材を用いた工芸品など、東洋美術史における竹の美を多角的に紹介します。意味においても造形においても豊穣な、竹の世界をお楽しみください。
出陳品 約69件
【聖なる竹】
楊柳観音像 朝鮮・高麗 泉屋博古館蔵
伯牙弾琴鏡 中国・唐 重要美術品、黒川古文化研究所蔵
蒔絵蓬莱文鏡巣 日本・室町
【花鳥と竹】
竹燕図 馬遠款 中国・南宋~元
花鳥図 朝鮮・朝鮮時代
檀鴨・竹狸図 森徹山筆 日本・江戸 泉屋博古館蔵
【竹の意匠】
図案集 原羊遊斎筆 日本・江戸
白磁青花彩陽刻十長生文六角瓶 朝鮮・朝鮮時代
染付花鳥山水文水指 中川利三郎作 日本・江戸
【文人と竹】
竹岸蘆浦図巻 漸江筆 中国・清
泉屋博古館蔵
花卉雑画巻 徐渭筆 中国・明 泉屋博古館蔵
蘭竹図巻 銭載筆 中国・清 黒川古文化研究所蔵
【素材としての竹】
竹彫竹林七賢図筆筒 中国・清 泉屋博古館蔵
岩下高士図臂閣 周芷岩作 中国・清 黒川古文化研究所蔵
茶杓 銘玉峰 杉本普斎作 日本・江戸時代
3/15 ひな・とお・みゆ フォトン
3/14 RoboCop
RoboCop
3/09 健康ランド
3/11 名古屋ボストン美術館 北斎
名古屋ボストン美術館 北斎
日本のみならず、世界中で広く愛されている浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)。江戸後期に浮世絵師として画界に登場してから90歳で没するまでの約70年間、伝統や流派にとらわれることなく役者絵、美人画、花鳥画、風景画など常にあらたなテーマに挑み続け、生涯を通してまさに“画狂の人“を貫きました。
抜群の保存状態を誇り、その色鮮やかさに驚かされた「ボストン美術館 浮世絵名品展」。シリーズ最終回となる本展では、世界屈指の浮世絵コレクションで知られる作品群から、代表作品はもちろん、私たちの色彩感覚を揺さぶる作品、他では見ることができない貴重な作品など、選りすぐりの約140点で北斎の魅力に迫ります。想像をはるかに超える圧巻の「北斎」をご堪能ください。
ロボコップ
「難波六郎常任」
安永末年(1781)頃
William Sturgis Bigelow Collection
勝川春朗として数え20歳で画界にデビューし、師春章や鳥居 清長、北尾重政らの影響を受けつつ独自の画風完成を目指 した時期の作品。初期に描かれた武者絵で、他に遺存例のない貴重な作品。
「新版浮絵 浦島竜宮入之図」
「新版浮絵 浦島龍宮入之図」 天明年間(1781-89)
William Sturgis Bigelow Collection
春朗時代に描かれた浮絵(西欧の透視画法を取り入れた浮世絵)12種のうち、本展では8点もが一堂に出品。いずれも摺られた当時の鮮やかな色が残る。本作品は、浮絵の技法で奥行きを強調することで異国的に龍宮城が描かれている。
「ぎやうとくしほはまよりのぼとのひかたをのぞむ 」
「ぎやうとくしほはまよりのぼとのひかたをのぞむ 」
文化初期(1804-07)頃
Nellie Parney Carter Collection—Bequest of Nellie Parney Carter
遺存例が少ない洋風版画のうち、本展では3種が出品。ひらがなを横書きにして、まるでアルファベットのような表題を持つ本作品は、板ぼかしを効果的に用いて立体感と明暗を強調している。
「菖蒲に鯉 」
「菖蒲に鯉」 文化中期(1808-13)
William Sturgis Bigelow Collection
遺存の少ない団扇絵の中でも、本作品は現在のところボストン美術館での所蔵のみが知られる貴重な作品。後の為一時代の作品を彷彿とさせる鮮やかな色が印象的。
「吉原扇屋の新年」 「吉原扇屋の新年」 「吉原扇屋の新年」 「吉原扇屋の新年」 「吉原扇屋の新年」
「吉原遊廓の景」 文化8年(1811)カ
William Sturgis Bigelow Collection
北斎の作品中で最大の大判五枚続。遊廓の風俗を題材にしためずらしい作品として注目される。
「しんはんくみあけとふろふゑ 天の岩戸神かぐらの図」 「しんはんくみあけとふろふゑ 天の岩戸神かぐらの図」
「しんはんくみあけとふろふゑ 天の岩戸神かぐらの図 上(左)、下(右)」
文化中期(1808-13)
William Sturgis Bigelow Collection
切り抜いて組み立てる組上絵は、実際に制作されたので遺存例が少なく、しかも揃いで残っているのは大変貴重。本作品はその中でも特に珍しく、上下揃いでの所蔵が知られるのは、現在確認されるところでボストン美術館のみである。 ※会場で組上げを再現予定。
冨嶽三十六景
「神奈川沖浪裏」 「凱風快晴」 「本所立川」
「神奈川沖浪裏」
William Sturgis Bigelow Collection
「凱風快晴」
Nellie Parney Carter Collection—Bequest of Nellie Parney Carter
「本所立川」
Anonymous gift
天保2年(1831)前後
為一を号した61歳から74歳までの13年間に、生涯のうち最も著名な浮世絵版画を発表。特に有名な「冨嶽三十六景」は、出版当初から相当な評判を博し、表題が示すように当初予定されていた36図から増え、全46図が制作された。本展では選りすぐられた21図が出品。
諸国瀧廻り
「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」 「和州吉野義経馬洗滝」 「下野黒髪山きりふりの滝」
「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」
William Sturgis Bigelow Collection
「和州吉野義経馬洗滝」
William Sturgis Bigelow Collection
「下野黒髪山きりふりの滝」
William Sturgis Bigelow Collection
天保4年(1833)頃
諸国の名瀑を題材とし、流れ落ちる水の変化を捉えることを意図し て描かれた。各々の滝がすべて異なった描法で描かれている点が興味深い。全8図が出品。
百物語
「お岩さん」 「こはだ小平二」
「お岩さん」
William Sturgis Bigelow Collection
「こはだ小平二」
William Sturgis Bigelow Collection
天保2-3年(1831-32)頃
江戸時代に流行した、怪談話を語る遊びを表題にした作品。全5図が出品。
西村屋版大判花鳥シリーズ「芥子」
「芥子」 天保4-5年(1833-34)頃
William Sturgis Bigelow Collection
最も著名な風景画が描かれた時期に出版された横大判の花鳥画シリーズ。全10図のうち9図 が出品。「芥子」は、涼風にあたかも芥子全体がゆらいでいるかのように格調高く、揃中最も傑出した作品であるうえ、抜群の保存状態による鮮やかな色彩が注目される。同時期の竪中判の花鳥画全10図のうち7図も出品される。北斎花鳥画を鑑賞するまたとない機会となる。
3/7 大津歴博湖都 大津のこもんじょ学
国宝7点、重要文化財36点を含む古文書が大集合!!
第63回企画展
湖都大津のこもんじょ学
平成26年 3月1日(土)~4月13日(日)
国宝 伝教大師筆尺牘(久隔帖)平安時代・奈良国立博物館蔵
前期展示(3月1日から3月23日まで)
概要
古文書(こもんじょ)は、広い意味では「古くなった文書」のことを指します。そこに書かれているのは、過去の事件や出来事だけではありません。各時代の社会の様子や人々の暮らしも、そこから読み解くことができます。ところが、実際に書かれてある文字は、グネグネしていて、内容も断片的で難解です。読めない、わからない、難しいだらけの古文書たち。展覧会でも地味な存在で、スルーされてしまいがちな古文書たち。
でもでも、よく考えてみてください。みなさんが小学校や中学校、高等学校で学んできた日本の歴史の多くは、こうした古文書や歴史資料に基づいて明らかにされてきたものばかりです。しかも、雄大な山々と琵琶湖に抱かれた湖都大津は、しばしば歴史上の舞台となり、それらに関わる古文書がたくさん伝わっています。特に、延暦寺や園城寺、西教寺、石山寺などの諸寺院、坂本・堅田・瀬田・大津百町などの大津市内の各地域に伝わる古文書は、大津の歴史を明らかにするだけでなく、日本の歴史をひも解くために重要な資料が数多く残っています。まさに大津の古文書は、後世に引き継いでゆくべき文化財なのです。
地味だからこそ、味わい深い。一度、古文書ファンになると、二度と抜け出せない?!今回の展覧会では、そうした大津の歴史を明らかにする魅力ある古文書たちを一堂に展示し、大津の歴史を古文書から感じていただきます。また、文字や内容だけでなく、様々な角度から古文書を紹介し、見方や鑑賞ポイントもお伝えします。初めて古文書を観るという方も安心してください。歴史上著名な人物も、古文書上で大集合します。最澄や円珍といった大津の仏教文化を語る上で欠かせない高僧たち、源義経や足利歴代将軍、織田信長や明智光秀、豊臣秀吉や徳川家康など戦乱で活躍した武士たち、ずっと後の明治時代では大津事件の津田三蔵などなど。彼らが大津に残した足跡を、古文書の文字や形、印章(サイン)から感じ取っていただきます。
この春は、大津市歴史博物館で「こもんじょ」を!お見逃しなく!
おもな展示作品
国宝 智証大師関係文書典籍のうち受戒公験 平安時代・園城寺蔵
源義経書状 平安時代・大和文華館蔵
足利尊氏寄進状 南北朝時代・園城寺
重要文化財 室町幕府奉行人禁制 戦国時代・葛川明王院蔵
市指定文化財 明智光秀書状 戦国時代・個人蔵
重要文化財 徳川家康書状 安土桃山時代・延暦寺蔵
市指定文化財 豊臣秀次朱印状 安土桃山時代・個人蔵
市指定文化財 今堅田船大工仲間文書 安土桃山時代・今堅田船大工仲間蔵
浦役米請取状 江戸時代・尾花川親友会蔵
市指定文化財 大津百艘船留帳 江戸時代・個人蔵
滋賀県指定文化財 県名改称の達 明治時代・滋賀県蔵
3/5 川瀬巴水
大阪高島屋 フランドホール
大正から昭和にかけて活躍し、生誕130年を迎える版画家・川瀬巴水(1883−1957)の回顧展を開催いたします。
巴水は幼いころから絵を好み、画家の道を志しますが本格的な修業の開始は遅くすでに27歳になっていました。 転機が訪れたのは大正7年(1918)。
同門の伊東深水が手がけた作品を見て、木版画の魅力に打たれます。 以後、旅にでてはスケッチをし、東京に戻っては版画を作る暮らしを続けました。 巴水の旅は日本全国におよびました。 巴水が選んだのは、かつて日本のどこにでもあった風景です。 生涯に残した木版画は600点を超え、「昭和の広重」とも称えられています。本展では、木版作品のほか写生帖や原画などもあわせ展示し、旅先での足取りや版画制作の過程にも焦点をあてていきます。
今やどこにも存在しない、しかし懐かしい風景−「日本再発見」の旅を、どうぞお楽しみください。
3/2 竜に奪われた王国
解説: 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの60年前を舞台にしたJ・R・R・トールキンの冒険小説を実写映画化した『ホビット』3部作の第2章。邪悪な竜に奪われたドワーフの王国を取り戻す旅に出たホビット族の青年ビルボ・バギンズら一行を待ち受ける過酷な運命を、壮大なスケールで描く。マーティン・フリーマン、イアン・マッケランら前作からの続投組に加え、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどのオーランド・ブルームもレゴラス役で再登場。伝説の邪竜スマウグの声を、ベネディクト・カンバーバッチが担当する。シネマトゥデイ(外部リンク)
ホビット 竜に奪われた王国
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あらすじ: ホビット族の青年ビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)は、魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケラン)や屈強なドワーフの一行と共に、たった一頭で一国を滅亡に導くと伝えられる邪悪な竜スマウグに奪われたドワーフの王国を奪取すべく旅に出る。竜の潜む山を目指す道中、巨大なクモの大群や凶暴なオークたちが一行の行く手を阻むように次々と立ちはだかり……。
2/25 キック・アス2 ジャスティス・フォーエバー
Kick-Ass 2
neta bare
「プロローグ トレーニング」
ミンディ(クロエ・グレース・モレッツ)は、デイヴ(アーロン・テイラー=ジョンソン)に拳銃を向けていました。ミンディは撃ちます、デイヴの胸に弾丸が直撃し、はね飛ばします。ですが、胸には防弾用のプロテクターが取り付けられていました。嫌がるデイヴに、もう一弾発射します、今度は背中からでした・・・・。
「第1章 ミンディとデイヴのハイスクール生活」
ビッグ・ダディの死により、同僚であった黒人刑事がミンディの保護者になりました。ミンディがヒット・ガールであることを知っている刑事は、その活動を禁じます。
一方、デイヴの父親は、彼がキック・アスであることは知りません。父親の心配は、デイヴがドラッグに手を出しているるのではないかということでした。そんなデイヴはミンディと接触し、トレーニングを開始します。訓練のひとつが冒頭の銃撃シーンです。
訓練は実にハードでした。しかし、片腕で懸垂できるレベルまでに達します。あとは実地訓練でした。ぼこぼこにされます。そこに現れたのが、ヒット・ガールでした。ヒット・ガールは4人のならずものを叩きのめしただけでなく、ナイフで反撃しようとした男の片手を切断します。
しかし、ミンディの活躍は保護者に見つかりました。以降の活動を一切禁じられます。一方、デイヴは、ドクター・グラビティと見回りをすることにします。グラビティに紹介されたのが、大佐でした。
「第2章 ジャスティス・フォーエバー」
スターズ・アンド・ストライプス大佐(ジム・キャリー)のアジトは地下にありました。大佐、グラビティを含めメンバーは7人いました。いずれも"なりきりヒーロー"です。大佐は、元マフィアの運転手兼ボディガードでした。今では、正義に目覚めています。
デイヴは躊躇(ちゅうちょ)なく参加することにします。こうして生まれたのが、タイトルにも使われている「ジャスティス・フォーエバー」でした。大佐を中心に、先ずはコリアン・マフィアを壊滅させます。この活動を通じて、デイヴが最接近したのが、ナイト・ビッチでした。恋人になります・・・・。
「第3章 マザー・ファッカー軍団、誕生す」
前作のラスト、キック・アスとヒット・ガールによって殺されたのが、マフィアのダミコでした。彼には、ひとり息子クリス(クリストファー・ミンツ=プラッセ)がいました。前作では、ずっこけヒーロー"レッド・ミスト"として活動していました。クリスは母親を殺人同然に死なせてしまいます。
クリスが変貌する最大の契機となったのは、彼の補佐役だった男が、叔父の命令で殺された時でした。かねてから画策していた"マザー・ファッカー"としての活動を開始します。先ず彼が実行したのが、殺し屋4人を集めたことでした。
"チンギス・半殺し"とか"マザー・ロシア"とかギャグ的なキャラクターですが、マザー・ロシアの強さは圧倒的です。彼らの最初の仕事は、キック・アスの恋人ナイト・ピッチを締め上げることでした。駆け付けた警官たちを、マザー・ロシアただひとりで、次々と殺していきます。
彼らの手は、大佐にも伸びていました。マザー・ロシアによって殺されます・・・・。
「第4章 デイヴの父親殺される」
治安の悪化に対処するため、警察は仮面をかぶった人物を善悪を問わず全員拘束することにしました。ジャスティス・フォーエバーのメンバーも・・・・。さらにデイヴの家にも家宅捜索が入ります。キック・アスのコステュームを発見され、父親は自分がキック・アスだと名乗り拘束されます。
しかし、マザー・ファッカーには分かっていました。そんな老人がキック・アスではないと・・・・。彼は、獄中に殺し屋を送り込みます。その惨殺死体の映像は、メールで送られてきました。デイヴの父親の葬儀にあたっては、警察官多数が警備にあたったのですが、悪の軍団はひるまず襲撃してきます。
墓地で銃撃戦が始まります。そして、デイヴが拉致されます・・・・。それを追撃し、デイヴを奪還したのはミンディでした。ここに、ヒット・ガールが復活します。
「最終章 ジャスティス・フォーエバーVSマザー・ファッカー悪の軍団」
どれだけ集まるか分かりませんが、デイヴはヒーローたちにネットで呼びかけます。そして、キック・アスとヒット・ガールは、マザー・ファッカーのアジトに乗り込みます。マザー・ファッカーは多数のならず者を従えていました。「ふたりだけで、我々に立ち向かえると思うのか?」
ドアの後ろには、多数のヒーローが控えていたのです。乱闘になります。そして、ヒット・ガールVSマザー・ロシア、キック・アスVSマザー・ファッカーの対決になります。マザー・ロシアの強さは圧倒的でした。
ヒット・ガールは、父親が遺した"最後の手段"を自らに注射しようとしますが、マザー・ロシアに取り上げられました。毒物だと思ったマザー・ロシアはヒット・ガールに注射します。注射器の中身はアドレナリンでした。活性化したヒット・ガールは、次々とガラスの破片をマザー・ロシアに突きたてていきます・・・・。
一方、キック・アスはマザー・ファッカーを屋上にに追いつめていました。マザー・ファッカーは明り取りのガラスを踏み抜きます。キック・アスが手を差し伸べましたが、落下しました。落ちたのは幸い水槽の中だったのですが、中にはワニがいました・・・・。
こうして悪の軍団を壊滅したジャスティス・フォーエバーは、解散を誓い合います。
「エピローグ 別れ」
「保護者の拳銃を使ったから、この街にはいられないわ」、ミンディはデイヴにそう言い、キスします。そして、単車で立ち去ります・・・・。








クロエ・グレース・モレッツ
英語表記: Chloe Grace Moretz
別名: クロエ・モレッツ
生年月日: 1997年2月10日
出身: アメリカ/アトランタ
子役モデルとして活動を始め、04年にTVドラマ「堕ちた弁護士」で演技に初挑戦、翌05年、リメイク版「悪魔の棲む家」で本格的なスクリーンデビューを果たす。以降、映画とTVドラマに多数出演し、映画「(500)日のサマー」(09)を経て、「キック・アス」(10)のヒットガール役で大ブレイク。スウェーデン発のホラーをハリウッドリメイクした「モールス」(10)や、マーティン・スコセッシ監督初の3D映画「ヒューゴの不思議な発明」(11)、ティム・バートン監督&ジョニー・デップ主演の「ダーク・シャドウ」(12)といった話題作に次々と出演する。その後も、スティーブン・キング原作の「キャリー」や「キック・アス」の続編「ジャスティス・フォーエバー」(ともに13)で活躍し、メジャー、インディペンデント問わず引く手あまたの人気若手女優に成長した。人気TVシリーズ「30 Rock」(11~13)にもゲスト出演している。
2/23 県立美術館
2/23 開館40周年記念名品展 上村松園、富本憲吉、田中一光・・・美の世界~近現代美術の100年~」
このたび奈良県立美術館では、「開館40周年記念名品展 上村松園、富本憲吉、田中一光・・・美の世界~近現代美術の100年~」を開催いたします。開館以来40年にわたり収集されてきた館蔵品約4,150件の中から、近現代の日本画、洋画、彫刻、工芸・デザインなど各分野の名品約130点を展示し、近現代美術100年の歩みを振り返ります。
展覧会は5章からなり、第Ⅰ章では日本の伝統美を象徴するものとして近代以降模索と創造が繰り返されてきた日本画の変遷をたどり、第Ⅱ章では日本人の美意識に大きな影響を及ぼしてきた西洋との出会いを洋画の受容と展開を通して概観します。第Ⅲ章とⅣ章では、戦後の社会変化の中で、美のあり方を問い直し、既存の価値観や枠組みにとらわれない活動を展開した画家たちの作品や、多様化する今日の美の様相を奈良ゆかりの作家たちの作品によってご紹介いたします。そして最終章では、日本古来の技と美を受け継ぐ日本美術の精華ともいうべき工芸・デザインの名品をご覧頂きます。
本展を通じて、多種多彩な美の世界をご覧頂くとともに、「美とは何か」、その本質に改めて触れる機会となれば幸いです。
展示構成と主な出品作品:
Ⅰ 伝統の美~日本画の誕生~
上村松園《春宵》 平山郁夫《長安の残輝》 徳岡神泉《鯉図》
Ⅱ 西洋の美~洋画の受容~
久米桂一郎《清水秋景図(山径晩暉)》 普門暁《鹿・青春・光り・交叉》 桂ゆき《大きな木》
Ⅲ 美の変貌~絵画の展開~
白髪一雄《十界の内、天・人間界》
Ⅳ 多様化する美~現代美術の諸相~
田中敦子《作品》 絹谷幸二《チェスキーニ氏の肖像》 柳原義達《風の中の鴉》
Ⅴ 美の真髄~工芸・デザインの精華~
富本憲吉《磁器 赤地金銀彩羊歯模様 蓋付飾壺》 北村昭斎《玳瑁螺鈿花形盤》
田中一光《蒸発のピラミッド》
展示構成と主な出品作品】
Ⅰ 伝統の美~日本画の誕生~
上村松園《春宵》 平山郁夫《長安の残輝》 徳岡神泉《鯉図》

「長安の残輝」 「鯉図
」
Ⅱ 西洋の美~洋画の受容~
久米桂一郎《清水秋景図(山径晩暉)》 普門暁《鹿・青春・光り・交叉》 桂ゆき《大きな木》

「大きな木」

Ⅲ 美の変貌~絵画の展開~
白髪一雄《十界の内、天・人間界》
「十界の内、天・人間界」
Ⅳ 多様化する美~現代美術の諸相~
田中敦子《作品》 絹谷幸二《チェスキーニ氏の肖像》 柳原義達《風の中の鴉》
「作品」 © Ryoji Ito 「風の中の鴉」
Ⅴ 美の真髄~工芸・デザインの精華~
富本憲吉《磁器 赤地金銀彩羊歯模様 蓋付飾壺》 北村昭斎《玳瑁螺鈿花形盤》
田中一光《蒸発のピラミッド》

「玳瑁螺鈿花形盤」



エージェント:ライアン
エージェント:ライアン
解説: 『レッド・オクトーバーを追え!』などの原作で知られる、トム・クランシーの人気小説「ジャック・ライアン」シリーズを新たに実写化したサスペンスアクション。投資銀行員という表向きの顔を持つCIA情報分析アナリストのジャック・ライアンが、世界恐慌勃発を狙う巨大な陰謀に立ち向かう。主演は『スター・トレック』シリーズのクリス・パイン。共演には、監督も務めるケネス・ブラナーに『プライドと偏見』などのキーラ・ナイトレイ、ベテランのケヴィン・コスナーと、実力派が結集する。シネマトゥデイ(外部リンク)






エージェント:ライアン
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あらすじ: ウォール街にある投資銀行のコンプライアンスと経済テロ阻止を目的としたCIA情報分析班のアナリストという、二つの顔を持つジャック・ライアン(クリス・パイン)。ある日、モスクワの投資会社チェレヴィン・グループの不審な動きをキャッチし、上官ハーパー(ケヴィン・コスナー)にエージェントの現地派遣を要請する。しかし、彼から返ってきたのはライアン自身による調査命令だった。チェレヴィン・グループへの監査を装ってモスクワへと飛んだライアンだが、そんな彼に同グループの警護員が襲い掛かってくる。
2/14 奈良博 お水取り
奈良に春を呼ぶ行事とされる東大寺二月堂の「お水取り」は、正式には修二会(しゅにえ)といい、春を言祝(ことほ)ぐ仏教の法要です。夕刻に二月堂へ向かう練行衆(れんぎょうしゅう)の足下を明々と照らす「お松明(たいまつ)」がよく知られていますが、その根幹をなすのは本尊・十一面観音菩薩に日頃の罪過を懺悔(さんげ)して五穀豊穣・除災招福を祈る、「悔過(けか)」という儀式です。
「お水取り」は東大寺の実忠和尚(じっちゅうかしょう)が天平勝宝四年(752)に創始したと伝えられます。それ以来「不退の行法」として、戦乱や火災などの幾度かの危機を乗り越えながら、様々な人々によって支えられ、1262回の長い歴史を刻んできました。高名な「お水取り」の儀式は3月12日の深夜に行われますが、実際には2月20日から月末までの前行(別火)、3月1日から14日(15日未明)までの本行を合わせ、約1ヶ月間にわたり様々な儀礼が執り行われます。
「お水取り」の行われる期間に合わせて行う本展覧会では、法会にかつて使用された法具や、儀式の有様を伝える文書、東大寺ゆかりの絵画・出土品などの展示品を通じて、あまり一般には知られていない「お水取り」の実相を紹介致します。
二月堂曼荼羅(部分)

二月堂曼荼羅(部分)
奈良・東大寺
主な出陳品
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重要文化財 銅三鈷鐃

重要文化財 銅三鈷鐃[どうさんこにょう](堂司鈴[どうつかされい])
奈良・東大寺
銅製 鎌倉時代 弘安8年(1285)
修二会の進行を監督する堂司(どうつかさ)の持ち物です。球体部分が鈴になっており、法会の時々に振り鳴らしました。歴代の堂司の名前を記した付箋(ふせん)が結び付けられています。
二月堂縁起

二月堂縁起[にがつどうえんぎ](上巻・部分)
奈良・東大寺
紙本著色 室町時代 天文14年(1545)
修二会の創始から二月堂観音の利益(りやく)までの説話をあらわした絵巻です。写真は、本尊の十一面観音に供える香水(こうずい)が湧き出た場面です。画面下の岩から白黒二羽の鵜(う)が飛び出し、そこから香水が湧き出しました。現在の閼伽井屋(あかいや)はその場所で、この香水を汲むことから修二会は「お水取り」とも呼ばれているのです。
重要文化財 類秘抄

重要文化財 類秘抄[るいひしょう] 十一面巻
当館
紙本白描 鎌倉時代 承久2年(1220)
勧修寺(かじゅうじ)の寛信(かんじん)が編んだ図像集です。本品は弟子の興然(こうねん)が師自筆の草稿本を写したものを、さらに明恵(みょうえ)の高弟・定真(じょうしん)が写したものです。そのなかで「東大寺印蔵像」と記されるのが、修二会(しゅにえ)後半の本尊となる絶対秘仏の小観音(こがんのん)です。
香水壺

香水壺[こうずいつぼ]
奈良・東大寺
銅製 桃山時代 天正6年(1578)
鋳造(ちゅうぞう)製で挽物(ひきもの)仕上げがなされた壺(つぼ)です。閼伽井(あかい)から汲み上げた香水(こうずい)を入れた容器と考えられます。肩周りの線刻銘(せんこくめい)により、天正6年(1578)に二月堂大宿所(おおじゅくしょ)に寄進されたことがわかります。
重要文化財 香水杓

重要文化財 香水杓[こうずいしゃく]
奈良・東大寺
銅製 鎌倉時代
上:建長7年(1255) 下:建長5年(1253)
二月堂(にがつどう)本尊(ほんぞん)に香水(こうずい)を供えた後、堂内の参詣者(さんけいしゃ)に香水を分ける際に柄杓(ひしゃく)として用いたもので、注口のついた形はお水取り独特のものです。壺(つぼ)の側面に線刻銘(せんこくめい)があり、施入者(せにゅうしゃ)がわかります。
二月堂曼荼羅

二月堂曼荼羅[にがつどうまんだら]
奈良・東大寺
絹本著色 室町時代(16世紀)
※展示期間:2/25~3/16
修二会(お水取り)の本尊である十一面観音が、雲に乗って二月堂の上空に現れています。右下の閼伽井屋(あかいや)付近には黒・白二羽の鵜(う)が描かれ、鵜に続いて香水(こうずい)が湧き出たという修二会の創始にかかわる説話を表しています。説話では、二月堂の本尊は閼伽器(あかき)の上に乗って海の彼方から現れたとされますが、この絵では雲に乗って現れる「来迎(らいごう)」の姿で表されるのが印象的です。
東大寺曼荼羅

東大寺曼荼羅[とうだいじまんだら]
当館
絹本著色 室町時代(16世紀)
※展示期間:2/25~3/16
東大寺の伽藍(がらん)を描いた絵画。寺僧や参詣者の男女も描き込まれ境内は賑(にぎ)わっています。下方に大きく描かれるのが大仏殿で、左上にはお水取りが行われる二月堂も見えます。ただし景観を写すだけではなく、二月堂の手前には良弁(ろうべん)と執金剛神(しゅこんごうしん)にまつわる縁起(伝説)も描いています。
東大寺縁起

東大寺縁起[とうだいじえんぎ]
当館
絹本著色 室町時代(16世紀)
※展示期間:2/25~3/16
東大寺の様子を描く絵画です。正面は大仏殿で、人々が集まり儀式が執り行われています。大仏殿以外の建物は省略しながら描いていますが、上の方を見ると右上には手向山(たむけやま)八幡宮、左上に二月堂が見えます。この絵画の描かれた時代にも二月堂が信仰を集めていたことを反映しているのでしょう。
紺紙銀字華厳経

紺紙銀字華厳経[こんしぎんじけごんきょう](二月堂焼経)
当館
紺紙銀字 奈良時代(8世紀)
2月5日の実忠忌に用いられたと考えられている六十巻本の『華厳経』で、江戸時代に二月堂が全焼した際、焼け跡から発見されました。紺紙に銀泥(ぎんでい)で界線を施し、同じく銀泥で経文を書写しています。一部は焼け焦げながらも、紺色の料紙に浮かび上がる銀色の文字は独特の美しさを醸し出しています。
◆同時開催◆
特集展示「いにしえの東北~豊岡遺跡と平泉~」

当館では毎年、各地の博物館や展示施設とお互いの所蔵品を相互に貸借し合い、展示する考古資料相互活用促進事業を行っています。本事業により、今年度は岩手県立博物館所蔵品と平泉町所蔵品(平泉文化遺産センター保管)を展示します。
東北地方北部では縄文時代晩期に亀ヶ岡文化と呼ばれる非常に洗練された土器や土偶などを作る文化が発展します。今回は完形の遮光器土偶(しゃこうきどぐう)など岩手県北部における代表的な縄文遺跡として有名な豊岡遺跡〔岩手県岩手町〕の出土品(岩手県立博物館蔵)を当館所蔵の小野コレクションの縄文遺物とともに展示します。
また、平成23年に世界文化遺産に登録された平泉一帯の遺跡からの出土品を、館蔵品や寄託品のうちの中尊寺に関わる国宝の装飾経や荘厳具とともに展示します。いずれも奥州藤原氏が栄えた平安時代末期(12世紀)のもので、華やかな中尊寺の遺品とともに当時の貴族や庶民の生活を髣髴(ほうふつ)とさせる品々に注目です。奈良では目にする機会の少ない、みちのくの文化をお楽しみください
2/7 国立国際美術館
アンドレアス・グルスキー展
みどころ
ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955年–)による日本初の個展を開催します。 ドイツ写真の伝統から出発したグルスキーは、デジタル化が進んだ現代社会に相応しい、すべてが等価に広がる独特の視覚世界を構築し、国際的な注目を集めてきました。
本展覧会には、1980年代の初期作品に始まり、《99セント》(1999年)、《ライン川II》(1999年)、《F1ピットストップIV》(2007年)、《ピョンヤンI》(2007年)、日本に関連した《東京証券取引所》(1990年)や《カミオカンデ》(2007年)といった代表作から、最新作《カタール》(2012)にいたるまで、グルスキー自身が厳選した約50点の作品が一堂に会します。衛星からの画像を基にした「オーシャン」シリーズ(2010年)や、川面を写す「バンコク」シリーズ(2011年)など、その作品は近年ますますコンセプチュアルな様相を強めています。同時に、まるで抽象絵画のような写真は、写真を使った画家とも言えるグルスキーが開拓した新たな境地を伝えています。
展示会場は、初期から今日までを回顧する年代順ではなく、独自の方法にしたがって構成されます。 初期作品と新作、そして、大小さまざまな写真を並置する斬新な展示は、個々の写真を際立たせるとともに、展示室全体を一つの完璧な作品のようにも見せることでしょう。この比類のない展示により、グルスキーの写真世界の魅力を余すところなくご紹介します。
「ベッヒャー派」の一人、現代ドイツを代表する世界的アーティスト
アンドレアス・グルスキーは、1955年に旧東ドイツのライプツィヒで生まれ、幼少期に西ドイツに移住しました。 1977年から1980年まで、エッセンのフォルクヴァング芸術大学でオットー・シュタイナートやミヒャエル・シュミットらの指導のもとヴィジュアル・コミュニケーションを専攻し、その後、1980年から1987年まで、デュッセルドルフ芸術アカデミーで写真界の巨匠ベルント・ベッヒャーに師事しました。 そして、カンディダ・ヘーファー、アクセル・ヒュッテ、トーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルートらとともに、ベルントと妻ヒラの指導を仰いだ「ベッヒャー派」の一人としてその名を知られるようになります。グルスキーは、2010年よりデュッセルドルフ芸術アカデミーの自由芸術学科を担当し、後進の指導にあたっています。
グルスキーの写真は世界各地の美術館を魅了
グルスキーは、2001年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で大規模な個展を開催し、一躍世界にその名が知られることになりました。 代表作のひとつである《ライン川 II》が、2011年11月に、クリスティーズ・ニューヨークで現存する写真家の作品として史上最高額となる約433万ドル(日本円で約3億4千万円、当時のレートによる)で落札されたことでも世間を賑わせました。
現在、ポンピドゥ・センター(パリ)、テート(ロンドン)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)をはじめとする世界の主要美術館がグルスキーの作品を所蔵しています。
コレクション4
現代美術100年の実り 郭徳俊 ニコッとシェー 1960年代絵画を中心に
コレクション4では、現代美術を先導してきた西洋美術100年の歩みを振り返ります。
今日の日本の美術を見てもわかるように、19世紀の後半以降、西洋美術が世界基準となりました。その背景に植民地主義の影響を否定することはできませんが、西洋の学問や文化の波及は、必ずしも強制的に押し付けられたものではなく、各国ごとに、自国の伝統文化と融合しながら、半ば自発的に展開したという一面もあるのです。
第1章では、「芸術の都」と呼ばれたパリで活動した作家たちを紹介します。20世紀初頭、日本からも多くの若者が、美術を学ぶ目的で渡仏しました。佐伯祐三と藤田嗣治は、パリに暮らしながら、旺盛な創作活動を展開しました。一方、国吉康雄は、生涯ニューヨークを舞台に活躍した画家ですが、1920年代の一時期パリに滞在し、パスキンから影響を受けました。
第2章は、第二次世界大戦後のヨーロッパ美術の展開をたどります。戦後、美術は飛躍的にその表現スタイルを広げていきました。そこには、美術概念自体の拡大と変貌を見てとることができるでしょう。
第3章は、1950年代に花開いた現代アメリカ美術の多彩な顔ぶれを紹介します。経済の発展と符合するように、抽象表現主義からポップアート、ミニマルアートと、相次いで世界の美術界を席巻していったアメリカ美術の魅力を発見してください。
第4章では、今や現代美術の一翼を担っている写真に焦点を当てました。かつての芸術写真とは異なる虚構性と大型化を特徴とする、新しい視覚イメージをご覧ください。
第5章では、20世紀末から21世紀にかけての美術の現在の姿を見ていきます。私たちの時代はどのように認識され、表現されているのか、過去の美術と比べながら考えてみてください。




郭徳俊
郭徳俊は、1937年京都に生まれ、1960年代から今日まで、現代美術の分野で、ユニークで実験的な創作活動を展開してきました。その創作領域は、絵画から写真、版画、パフォーマンス、そして映像と多岐に及びますが、その名を一躍有名にしたのが、1974年に始まる《大統領シリーズ》でした。雑誌『TIME』の表紙を飾った歴代アメリカ大統領の顔と自身の顔を半分ずつ繋ぎ合わせるという、シンプルで大胆な発想は注目を集め物議を醸しました。
本展では、彼の芸術家としての出発点となった、1960年代の絵画作品に焦点を当てます。郭は1970年以降、一時絵画を離れたため、これらの絵画作品は長らく世間から忘れられていました。しかし、1980年代半ばからの絵画制作の再開によって、これら初期絵画に対する関心と評価が、高まりを見せるようになりました。
若き日に患った大病、在日韓国人として向き合った時代との軋轢、そのような境遇にあった20代の郭にとって、絵を描くことは、まさに生きる「よすが」でした。自らを見舞った不運と不条理を、アイロニーと諧謔の精神で覆した迫力ある作品群を、ぜひご鑑賞ください。


2/6 柳沢文庫
新春常設展「柳澤家歴代の当主達-柳澤信俊を中心に-」
平成26年1月15日(水)~3月16日(日)
新春常設展では柳澤家の歴代当主に関する事蹟を取り上げ、史資料を展示します。今回の展示では特に柳澤吉保の祖父にあたる柳澤信俊に焦点をあてます。
信俊は武田信玄・勝頼に仕え、武田家滅亡後は徳川家康の家臣となり、戦国時代の動乱を乗り切った武将です。その信俊の活躍を明らかにします。

「染子歌集」

柳澤吉保の側室飯塚染子の色紙・小短冊など和歌合計38首を貼り交ぜて帖に仕立てた手鑑。宝永2年(1705)染子が死去した後、吉保は染子と生前取り交わした歌を帖に貼り付け、各歌の右肩に自分で識語(解説)を付しました。
「柳澤吉里領知宛行状
「柳澤吉里領知宛行状」

宝永7年(1710)7月18日
甲府城主柳澤吉里が弟の柳澤経隆に知行の場所の確定を申し渡した史料です。
風流使者記
「風流使者記」

宝永3年(1706)成立
武蔵国川越から甲斐国甲府へ転封された柳澤吉保は現地の様子を詳しく知るため、荻生徂徠と田中省吾に調査するよう命じました。徂徠と省吾による報告書が本書です。
清和源氏武田流甲斐国主系図
「清和源氏武田流甲斐国主系図」

清和源氏義光流の系図で、清和天皇から柳澤吉保までの家系図を記しています。
武田二十四将図
「武田二十四将図」

渡邊守遂筆 弘化2年(1845)成立
甲斐国の戦国大名武田信玄とその家臣23名を描いた絵画です。平成26年新春常設展「柳澤家歴代の当主達-柳澤信俊を中心に-」において初公開。
徳川二十将図
「徳川二十将図」

渡邊守遂筆 弘化2年(1845)成立
徳川家康とその家臣20名を描いた絵画です。平成26年新春常設展「柳澤家歴代の当主達-柳澤信俊を中心に-」において初公開。
七福神ニ慰姥
「七福神ニ慰姥」

古礀筆 旧水木コレクション
七福神とイザナミ・イザナギが姿を変えた能衣装の老夫婦(慰・姥)が宴を楽しんでいる光景を描いています。平成26年新春常設展「柳澤家歴代の当主達-柳澤信俊を中心に-」において初公開。。
2/4 堂本印象美術館
「美の跫音(あしおと) ―1952年のパリ・ローマ・フィレンツェ―」

堂本印象は、1952(昭和27)年5月から約半年間にわたって甥の堂本尚郎氏とともにヨーロッパへ旅立ちました。現地では、パリを中心にローマ、フィレンツェの街を見学し、さらにはスペイン、ドイツ、スイスにも訪れました。名所や旧跡を旺盛に見学する一方で、印象は現地で目にした味わい深い風景を数多くスケッチとして残しました。それぞれの町の佇まいを情緒豊かにとらえたこれらの作品からは、印象が何気ない裏町の一画やそこで生活する人々の姿に強く関心を示した様子がうかがえます。また、印象は、各地の古い教会や美術館へ足を運び、日本とは異なるヨーロッパの文化・芸術にふれ、その歴史や造形に魅了されました。このときの経験は、『美の跫音(あしおと)―ヨーロッパ美術紀行』として多くの挿絵とともに一冊の本となり、帰国後に出版されています。
本展では、ヨーロッパの風景を題材にした瀟洒な素描、ペン画、油彩画の数々を中心に、現地の芸術体験を糧に制作した帰国後の作品もあわせて展観します。異文化にふれて新たな表現の扉を開いた印象の旅情を感じとっていただければ幸いです。
「浅井忠の眼―パリの街角を飾ったポスター―」


浅井忠は、1902(明治35)年に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の図案科教授として着任しました。洋画家として知られる浅井ですが、1900年のパリ万博を機に2年間フランスに留学し、そのとき目にしたアール・ヌーヴォーに興味を示し、京都へ移住すると図案への関心を強めます。本展では、京都工芸繊維大学美術工芸資料館の協力を得て、京都高等工芸学校図案科の教材用に浅井忠などがパリから持ち帰ったポスターの数々を展示します。ロートレックやシェレなどによって賑わった19世紀末のパリのポスターデザインをお楽しみください。
2/4 京都市歴史資料館 「愛宕信仰と山麓の村」
火伏せの信仰として名高い愛宕信仰は,中世にはすでに盛んとなっていて,江戸時代を経て現代においても,京中の台所にはその御札を見ることができます。
愛宕詣を目的とした愛宕講は,現在も京中で活発に行われています。
このような愛宕信仰,そしてその核となる愛宕神社(古くは愛宕権現もしくは白雲寺(はくうんじ)と呼ばれました)を支えた膝元の村落(水尾・樒原・越畑)に焦点を当てることによって,愛宕信仰と山麓の村々の関わりを探っていきます。
4 展示品
約50点
(主な展示品)
愛宕権現御札版木(あたごごんげんおふだはんぎ) 9点
水尾村絵図(みずおむらえず) 1点 延宝7年(1679)
越畑村絵図(こしはたむらえず) 1点 元禄12年(1699)
樒原共有文書(しきみがはらきょうゆうもんじょ) 約30点
展示史料

愛宕権現御札版木(個人蔵)
展示資料

愛宕山御札
展示資料

愛宕神社石段脇にある宿坊長床坊(ながとこぼう)の銘を刻む石燈籠
2/3 マティ・ソー/ダーク・ワールド
2012年に公開され、映画を超える社会現象を巻き起こした『アベンジャーズ』。その熱狂と興奮に拍車をかけたのは、ひとつのニュースだった──“『アベンジャーズ』続編、2015年公開決定!”
すでに新たなる『アベンジャーズ』に向けて、マーベル・スタジオの総力を結集したプロジェクトが始動。全世界で空前の大ヒットを記録した『アイアンマン3』に続く “アベンジャーズ・プロジェクト”最新作――それが、アベンジャーズ最強の男ソーとその弟にして宿敵ロキの壮絶な戦いを描いたアクション超大作『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』である。
地球の命運をかけた『アベンジャーズ』ニューヨークの戦いから1年―。いま、全宇宙の存亡をかけた戦いが、ロンドンで起ころうとしていた。世界を救えるのは、この男しかいない。その名はソー。 アベンジャーズ最強の勇士にして、神秘の王国アスガルドの王子、そして伝説の雷神。
しかし、今度の敵は、並大抵の相手ではなかった。宇宙そのものより古くから存在し、この世のすべてを闇の世界=ダーク・ワールドに変えようと企むダーク・エルフ。その邪悪な力の前に、ソーの恋人ジェーンが巻き込まれ、さらには、愛する家族や故郷までをも危機にさらすことに…。
予想を裏切る展開、想像を絶するスーパーアクション、そして壮大なスケールで描かれる、アベンジャーズ・プロジェクト最新作『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』。ソーを演じるのは、『アベンジャーズ』(12)でその人気を不動のものとしたクリス・ヘムズワース。甘いマスクとたくましい肉体で、男性のみならず女性からの支持も高い。本作と同時期に次々と主演作が公開されるなど、スターとしてのキャリアも絶好調。
恋人ジェーンにはナタリー・ポートマン、ソーの父でアスガルドの王オーディンにアンソニー・ホプキンスと、アカデミー賞受賞の2人が、ソーの物語を彩る。さらに悪役ながら『アベンジャーズ』で見せたカリスマ性で、全世界に熱狂的な“ロキ”ファンを生み出したトム・ヒドルストンが、3度目となる邪神ロキ役で登場。
また『パシフィック・リム』(13)の熱い司令官役で日本でも大ブレイクしたイドリス・エルバが、地球とアスガルドの道を守る武闘派番人ヘイムダルを演じ、いまや国際スターとなった浅野忠信が、ソーの盟友であり勇敢なアスガルド戦士ホーガン役に再び挑む!
そして今回、最強の敵とでも言うべきマレキス役に、クリストファー・エクルストン。人気SFドラマ「ドクター・フー」や「ヒーローズ」、さらに世界的大ヒットとなった『G.I.ジョー』(09)での悪の首領デストロ役が有名だ。
こうした豪華キャストを率いて、『アベンジャーズ』に続きソーの物語の陣頭指揮を執るのが、マーベル・ヒーロー映画をすべて大成功に導いたプロデューサーのケヴィン・ファイギ。
「『アベンジャーズ』の後、アスガルドに戻ったソーとロキがどうなったのか?この物語はそれを見せてくれる。そして、ここから壮大な物語が始まるんだ」。ケヴィンは、『アイアンマン』でジョン・ファブロー、『アベンジャーズ』でジョス・ウェドンを監督に抜擢し、成果を出してきた。そのケヴィンが本作の監督に選んだのがアラン・テイラー。人気TVドラマ「ソプラノ」や「マッドメン」を手がけ、そして最近ではダーク・ファンタジー大河ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」で世界中を熱狂させている。また『ターミネーター』次回作の監督候補でもある。
スタッフ、キャストともに「前作以上に壮大」と口をそろえる『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』。新たなソーの想像を絶する戦いであり、次の『アベンジャーズ』に向けての興奮が、ここから始まるのだ!
ストーリー
アベンジャーズ』の戦いから1年。世界は新たな危機を迎えようとしていた。
その発端は英国・ロンドン。原因不明の重力異常が発生した。これを調査していたソーの恋人であり天文物理学者のジェーンは、原因をつきとめるべくロンドンへと向かう。だが、この怪異は、宇宙が誕生する以前から存在していた闇の力を復活させ、地球侵略を足掛かりにして全宇宙の滅亡―つまりは宇宙全体を自らが統治するダーク・ワールドへ変えること―を企むダーク・エルフの仕業だった。
天文物理学の視点で調査を進めるジェーンがその謎に迫ったとき、彼女は宇宙滅亡を導く鍵となる“ダーク・エルフの力”を自らの身体に宿してしまう。その異変に気付いたソーは、ジェーンを救うべく、故郷アスガルドへ彼女を連れて行く。だが、この行動が、アスガルドのみならず全宇宙を危険にさらす事態を招くことに―。
そして、ソーの前に、ダーク・エルフを率いるマレキスが姿を現した。ジェーンの身体に宿ったエネルギーを狙い、アスガルドに攻めてきたのだ。マレキスは、かつてアスガルドに敗れ、強い恨みを持つ邪悪にして危険な存在だった。
マレキスの残虐で巧みな攻撃によってアスガルドが危機的状況に追い込まれたとき、ソーは、最後の手段として、血のつながらない弟にして宿敵の邪神ロキに協力を求める。ロキもまた、唯一愛する存在が窮地にあることを知り、憎み続けているソーとの共闘を受け入れた。
再びロンドンへと舞台を移した戦いは、壮絶さを増していく…。果たしてソーは、マレキスを倒し、この世界を救うことができるのだろうか。そして、ロキの真の目的は――?











1/28 京都文化博物館
生誕100年 佐藤太清展
自然がみせる一瞬のきらめき。もう二度と見ることのない美の瞬間。
佐藤太清は、自然との一期一会の出会いを、詩情あふれる解釈で絵画に映し、受け止めた心象を永遠のものにしました。
自然を描き続けた日本画家・佐藤太清は、大正2年(1913)京都府福知山市に誕生します。出生直後に両親を失うという境遇に遭いますが、故郷の自然に触れ、その情景を描く体験に目覚め、絵の道を志します。18歳で上京し、児玉希望の内弟子として日本画の修業を始めました。
10年の研鑽を経て、新文展に「かすみ網」で初入選。その後、嵐や炎などの自然現象を崇高な視点であらわし、また太清の代名詞ともいえる連作『旅シリーズ』では、自然が持つ美しさに精神性を与え、花鳥風景画という新分野を確立。平成4年(1992)に文化勲章を受章。日本画壇を代表する作家として、戦後の日展を支えました。
本年、佐藤太清は生誕100年という記念すべき区切りを迎えます。福知山市佐藤太清記念美術館の所蔵作品、全国の美術館や個人所蔵の作品、また太清の没後に発見され、この度修復を終えた作品や未公開作品を一堂にあつめ、画業70年をたどります。



京都府美術工芸新鋭展 ~京都国際現代芸術祭2015への道~
本年度は、京都国際現代芸術祭2015の開催と琳派400年の前年にあたり、新進若手作家の輝く才能の発掘と育成を図り、京都における文化芸術の振興を目指します。

羅城門の記憶 -模型の楽しみ方3-
平安時代、平安京の表玄関である羅城門は、京都を代表するシンボル的建築物でした。 平安時代以降も、門の存在した場所は様々な歴史や物語の舞台となり続け、その名は人々の記憶に刻まれていきます。実際、門の倒壊後500年以上たった江戸時代の地図や地誌にも、もはや存在しないはずの羅城門の名が認められるのです。江戸時代の人々がみた羅城門とは何か?羅城門の存在した場所の実際の様子はどうだったのか?
本展では、羅城門を巡る多様な資料を中心に、京の地域史を掘り起こします。

1/24 トリック
ある日、天才物理学者・上田次郎(阿部寛)は村上商事の加賀美慎一(東山紀之)から、海外の秘境にあるレアアース採掘のために力を貸して欲しいという依頼を受ける。採掘権は獲得したのだが、その地域に住む部族が立ち退きに応じない。彼らが信奉する呪術師(水原希子)が、「聖なる土地を他の者に渡すわけにはいかない」と言っているのだ。呪術師が持つ不思議な力、未来を予知し人を呪い殺すという“トリック”を見破ることができれば、部族を立ち退かせることができる― 例によって例のごとく、上田は自称超売れっ子天才美人マジシャン・山田奈緒子(仲間由紀恵)の力を借りることに。もちろん恐ろしい呪術師との対決のことはまったく伏せて、上田は奈緒子にタダで海外に行ける用事があることをほのめかす。案の定、奈緒子は初の海外旅行に心惹かれて、ホイホイとついて行く。現地では医師の谷岡将史(北村一輝)だけでなく、何故か矢部刑事(生瀬勝久)も合流。ジャングルの川を遡り、因習に閉ざされた村を目指すのだが……







1/22 東京

1章 浮世絵前夜
浮世絵は、近世初期風俗画を母胎として、それに続く寛文年間(1661 ~ 73)を中心に流行した一人立ち形式の寛文美人図を経て生まれる。本章は、浮世絵の誕生に至るまでに描かれた肉筆画により構成する。
2章 浮世絵のあけぼの
「浮世絵」という語は、延宝9年(1681)刊行の俳諧書『それぞれ草』の句の中に見出せるのが早い例であり、およそ、その頃には一般化しつつあったと思われる。当世の、最新流行の風俗を描いた浮世絵は、肉筆画のみならず、本や一枚物の版画の形でも刊行され始め、新興の浮世絵師は江戸で確かな地盤を築いて行く。 版画は、富裕でない庶民でも手に入れることのできる身近な絵画であり、新興都市“江戸”が生んだ新たなエネルギーであった。本章では、菱川師宣・鳥居清倍・ 奥村政信などの作品を取り上げる。

「芝居狂言浮絵根元」
「芝居狂言浮絵根元」奥村政信
横大判墨摺筆彩 ベルリン国立アジア美術館蔵
cStaatliche Museen zu Berlin, Museum fur Asiatische Kunst, photography J urgen Liepe
(1/2~2/2展示)
浮世絵派を確立した師宣の立美人図の代表作で、振り返った姿を後から捉えた独得のポーズが新鮮。 遠近法を極端な形で用いた浮絵という手法で表現した劇場図。顔見世興行の舞台では、二代目市川海老蔵による暫が演じられている。
3章 錦絵の誕生
明和・安永期(1764 ~ 81)は、錦絵と呼ばれる段階にまで達した木版多色摺技法の発達により、浮世絵版画が急速に表現の可能性を広げた時代だった。多いときには10色以上の色を重ねる事も可能になり、色彩豊かで華麗な錦絵の誕生は、それまでの素朴な浮世絵版画のイメージを一新し、人々の目を驚かせた。本章は、錦絵創始期の第一人者となった鈴木春信、安永期を代表する美人画家である礒田湖龍斎、役者絵界に新風を送った一筆斎文調、勝川春章などを紹介する。

「中村富十郎の饅頭売 日向屋実は 日向姥ケ嶽の雌狐と、
9代目市村羽左衛門の酒売伊勢屋実は源九郎狐」勝川春章
大判錦絵 シカゴ美術館蔵
Photography cThe Art Institute of Chicago
(1/2~2/2展示)
人気役者の特徴をとらえて似顔で描き、春章の役者絵は芝居ファンの間で評判となった。
4章 浮世絵の黄金期
18世紀の後期を中心とする一時代は、浮世絵の美が頂点を極めた時期である。この時代に制作された浮世絵は、江戸の長い風俗画の歴史の中でもひときわ光り輝き、優れた絵師が陸続と輩出され、錦絵版画全盛の、浮世絵の黄金期となった。この時期、美人画や役者絵は大型化し、さらに浮世絵の人気を高めた。美人画の中で枢要をなした鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿、短期間に印象的な役者絵を残した東洲斎写楽、浮世絵界を席巻する歌川派を主導した歌川豊国、その門人である歌川国政らを紹介する。

重要文化財「3代目大谷鬼次の江戸兵衛」
重要文化財「3代目大谷鬼次の江戸兵衛」
東洲斎写楽
大判錦絵 東京国立博物館蔵ほか
(1/15~26展示)
「円窓九美人図」(部分)
「円窓九美人図」(部分)
鳥文斎栄之
肉筆画 静岡・MOA美術館蔵
(1/21~2/2展示)
江戸兵衛が与作の下僕一平を襲うところを描く。つり上った 眉と目が凄みを表し、パッと開いた両手が、相手を驚かそうとする意志を強く表す。その指先の異様な形が印象的。 年齢にも幅がある様々な階層の美人たちを描いた肉筆画。栄之が作り出した細面で首の長い美人図の典型が示される。美人図のレパートリー・ブックのようだ。
5章 浮世絵のさらなる展開
19世紀に入ると、多くの浮世絵師が登場し、制作された錦絵の数も増えた。また、美人画、役者絵という二大分野に風景画などが加わり、さらに活況を呈する。色彩はさらに豊かになり、誇張、強調された構図も目立つようになるなど、浮世絵はさらなる進化の相を見せる。本章では、葛飾北斎が革新し、歌川広重がそれに続いた風景版画および花鳥版画、また豊かな発想による歌川国芳の新鮮な作品群を中心に紹介する。同時に、江戸とは異なった歴史と作風を持ち、京都と大阪で版行された上方絵についても概観する。

「冨嶽三十六景 凱風快晴」
「冨嶽三十六景 凱風快晴」
葛飾北斎 大判錦絵
ベルリン国立アジア美術館蔵
(1/2~2/2展示)

「月に雁」
「月に雁」歌川広重
中短冊判錦絵 大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵
(1/21~2/16展示)
広重は穏やかな花鳥図の名手でもあった。郵便切手でも名高い図。

『伝神開手 北斎漫画』
『伝神開手 北斎漫画』葛飾北斎
浦上 満氏
(全期間展示・頁替あり)
一生を通じて肉筆画を描き続けた北斎の作の中で最大のもの。
ヨーロッパでは北斎の代名詞的存在。北斎 のデッサンの確かさに驚かされる。
6章 新たなステージへ
幕末から明治維新にかけては、混乱の時代の中、浮世絵師は描くべき主題を模索しつつも迷走を続けた時期で、歌川国芳の門人である月岡芳年、西洋画を学んで独習したと伝えられる小林清親らが上げられる。また大正から昭和にかけては、版元渡辺庄三郎による新版画の試みが登場、橋口五葉や伊東深水、川瀬巴水などが活躍する。
しゃもなべや「ごてつ」あと
軍鶏なべ屋「五鉄」跡
「二ツ目橋の角地で南側は竪川」とあるように、「五鉄」はこの辺りだと推定されます。鬼平とその配下の密偵たちはここに集まり、軍鶏なべをつついていました。
ほくさいどおり
北斎通り
江戸後期の浮世絵師の巨匠、また日本風景版画の創始者とされる絵師葛飾北斎は宝暦10年(1760)9月23日、本所割下水(亀沢1~4丁目)に生まれました。この地が下総国葛飾領であったことから葛飾北斎と名のりました。彼の画業の集大成ともいうべき「北斎漫画」、続いての「富嶽三十六景」は、彼の名を不朽のものとしました。
その偉業を記念して生誕の地である本所割下水を「北斎通り」として、約1Km間の道両側の街路灯、公衆トイレ等に北斎作品の103枚を掲示しています。 『北斎ギャラリー』と呼ばれる通りには北斎の絵を鑑賞しながら街歩きをする人が多く見られます。
新幹線からの富士山(2014.1.21新富士あたり)




深川江戸資料館
地下1階から地上2階、三層にわたる高い吹抜けの大空間に展開する江戸時代の深川の町。
深川江戸資料館は、江戸時代末期、天保年間頃の深川佐賀町の町並みを想定復元した「情景再現、生活再現展示」です。
町並みには、表通りの大店と白壁の土蔵、船宿のたたずまい、そして猪牙舟の浮かぶ掘割には火の見やぐらが影を落としています。一歩路地を入れば長屋が並び、そこには庶民の暮らしがあります。
時代や場所だけでなく、そこに住む人々の家族構成や職業、年齢までを細かく設定し、それぞれの暮らしぶりにあった生活用品を展示してあります。
「江戸の三大改革と松平定信」
松平定信は、深川江戸資料館と隣接する霊巖寺にねむる江戸時代中期の老中で、寛政の改革(1787~1793)を推進した人物として知られています。定信が陸奥国白河藩主であったことから、この地域は昭和22年(1947)、江東区の発足と同時に深川白河町と名付けられました。
企画展示では、幕藩体制のゆらぎ、断行された三大改革、その中で松平定信という人物が果たした役割を概観し、常設展示室で再現されている「天保」という時代につなげていきます。定信の肖像画など、約50点の資料を写真パネルで紹介します。


清澄庭園
泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7 月に公開しました。
また、昭和52年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。また、サクラの木が20 本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。なお、庭園の方は、昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されています。

のみのすくねじんじゃ 野見宿禰神社
かつて当社の東側に相撲の高砂部屋があり、明治18年(1885)親方であった高砂浦五郎の尽力で、元津軽家上屋敷跡に相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが起こりです。境内に歴代横綱の名前を刻んだ石碑が建ってます。








隅田川沿いから 東京スカイツリー




東京国立博物館


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aki memo
1/21 パールホテル両国
両国駅からすぐで便利、且つ安い(5700円)部屋は若干狭く感じた!
朝食バイキングは7時前に行ったからか、修学旅行で混雑
ゆっくりと朝食は味わえず
1/21 両国を歩く 名跡など多数あり。
清澄庭園 池が大きく 石も 多く 手入れ行きとどいていた
*
1/22 両国~浅草まで 隅田川沿いを歩く 途中にスカイツリーが見えた
当日券は8:00からのよう
スカイツリー展望台からは、観ることができなかったが少し離れたところからのスカイツリーも better
途中 鬼平「五鉄」推定地あり 鬼平や五郎蔵たちが たむろしたところ
1/21 江戸東京博物館 『大浮世絵展』観たことがある浮世絵が多かった。(歴史順に展示されていた)
宮川長春、岩佐又兵衛の作品あり
1/22 東京国立博物館
アジア東洋館 リニューアルされて間もない(2013年)事や設計者がは外国人だったこともあり
館内展示室全体が吹き抜けのようで、短い階段あり、透明のエレベータあり 鑑賞者は少なく勿体ない感あり
モンゴルの占い 羊のくるぶしの骨を4つ使った運勢占いをボランティアと
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top
1/21 東京
1月21日(火) |
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西大寺 |
7:23 |
1 号車 3A 番 |
|
京都 |
7:57 |
京都 |
8:09 |
|
|
こだま 638号 |
10号車15番D席 |
東京 |
11:47 |
|
|
山手線上野方面行 |
秋葉原 |
総武線各停(千葉行) |
両国 |
12:10 |
1月22日(水) |
|
両国(ホテル) |
9:10 徒歩 |
江東区深川江戸資料館(9:30~ |
江戸の三大改革と松平定信 |
清澄白河駅
都営大江戸線
飯田橋 徒歩
礫川浮世絵美術館 0.75
後楽園
弥生美術館
東京メトロ南北線(鳩ヶ谷行)
東大前
後楽園 東京メトロ南北線(白金高輪行)
東京 東京メトロ丸ノ内線(荻窪行)
東京 14:56
こだま 665号 10号車16番D席
京都 18:34
京都 18:45 1?号車 8D
西大寺 19:15
1/19 大阪歴史博物館
「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」マンガの力
現代のマンガは、震災復興のシンボルになるほど大きな影響力をもち、また日本発の文化として世界的に
受け入れられています。
こうしたマンガの地位確立は、その可能性を大きく広げた「マンガの神様」、大阪府出身の手塚治虫と、
その可能性に反応しマンガを育て上げた「マンガの王様」、宮城県出身の石ノ森章太郎の存在を抜きに
語ることはできません。
本展覧会は、この二人のマンガ家に焦点をあて、「鉄腕アトム」、「ブラック・ジャック」、「サイボーグ009」、
「仮面ライダー」など代表作の原画や映像作品等を通じて、二人の歩みを紹介し、戦後のストーリーマンガの誕生から、
アニメ・特撮などメディアミックスに拡大するマンガの進展、国内外の現代アーティストにまでおよぶマンガの影響力を
振り返り、“マンガのちから”の源流を探ります。

手塚治虫「鉄腕アトム」直筆原稿
連載時期:『少年』1952年4月号~1968年3月号他 手塚プロダクション
手塚治虫「鉄腕アトム」直筆原稿

©手塚プロダクション
21世紀の未来を舞台に、10万馬力のロボット少年・アトムが活躍するSFヒーローマンガ。手塚は本作品で、科学と人間のディスコミュニケーションがもたらす悲劇を描き、読者に警鐘を鳴らし続けた。
石ノ森章太郎「サイボーグ009」直筆原稿

連載時期:『週刊少年マガジン』1966年27号30号~1967年13号他 石森プロ
石ノ森章太郎「サイボーグ009」直筆原稿
©石森プロ
アメリカの科学雑誌『LIFE』の宇宙で暮らせる改造人間の記事に触発され、武器商人「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」によってサイボーグに改造された島村ジョー(009)と8人の仲間がその能力を使って活躍する物語を描いた。
手塚治虫「リボンの騎士」直筆原稿

連載時期:『なかよし』1963年1月号~1966年10月号 手塚プロダクション
手塚治虫「リボンの騎士」直筆原稿
©手塚プロダクション
男の子と女の子の二つのこころを持ってしまった王女サファイアの恋と冒険を描いた少女マンガ。手塚が幼い頃から母に連れられて観にいった宝塚歌劇の影響が色濃くみられる作品である。
石ノ森章太郎「龍神沼」直筆原稿

1961年『少女クラブ』夏休み増刊号掲載 石森プロ
石ノ森章太郎「龍神沼」直筆原稿
©石森プロ
都会から来た少年といとこの少女が、龍神祭りのさなか、金儲けをねらう村長の企みを知り、追い詰められたところを、龍神の化身の少女に助けられる。石ノ森が『マンガ家入門』(1965年)で細かくテクニックを説明したため、マンガの教本として有名な作品である。
京都府立総合資料館
デジタル体験 国宝 東寺百合文書展
詳細 1
詳細 2

二条城行幸図屏風
江戸時代 17世紀
紙本金地着色 六曲一双 各縦150.6㎝ 横360.8㎝
寛永3年(1626)9月、上洛中の徳川秀忠、家光の招きに応じ、後水尾天皇が二条城に行幸する様子を描く。
画面は上下二段に分割され、下段では左の内裏へ天皇を迎えに参内する中立売通の将軍ら武家の一行、
上段では右端の二条城にむけ堀川通を進む天皇の一行が粛々と進む。一方、沿道ではおびただしい観衆が浮かれ騒ぐ。
金地に上質の顔料で行列や風俗を細密に描き込んだ画面は、行幸の華美や喧噪を鮮やかに伝える。
やまと絵系の画家によって行幸から遠くない時期に制作されたと考えられる。
1/12 大脱出
1/10 おん祭と春日信仰の美術
春日若宮おん祭は、歳末の奈良を彩る一大祭事として親しまれています。
この祭は春日大社の摂社・若宮神社の祭礼で、長年本社の大祭・春日祭とは別に大和国一国を挙げて盛大に行われてきました。
春日若宮おん祭は、長承四年(1135)の若宮社御遷座を承け、翌保延二年(1136)9月17日にはじまったとされています。
その後、祭日は室町時代から11月27日、明治十一年(1878)からは現行の12月17日と日付が変わりましたが、その祭礼は古儀の伝統を守り、今年で878年目を迎えます。
おん祭では、行宮に遷座された若宮神のもとに芸能者や祭礼の参加者が詣でる風流行列が有名で、平安時代以来、時々の風俗や流行を採り入れながら行われてきました。
また、田楽や舞楽、猿楽など華やかな芸能が行われるのも特徴で、昭和五十四年(1979)には「春日若宮おん祭の神事芸能」として国の重要無形民俗文化財に指定されております。
本展覧会は、このような伝統ある春日若宮おん祭を取り上げ、絵画や文献史料、芸能資料等を通じて、おん祭の歴史と祭礼の様子を展示する恒例の企画です。今回は明治時代以前のおん祭に奉仕してきた「大和士(やまとざむらい)」に焦点をあて、その伝統と厳しいしきたりを紹介して行きます。
併せて春日信仰にまつわる美術工芸品も展示し、おん祭を支えた春日信仰の広がりと多様性を概観します。

平城宮跡 大極殿

平城宮跡から若草山

平城宮跡 朱雀門

平城宮跡 朱雀門

歌姫町 消防署

歌姫町の添御県坐神社

歌姫町の添御県坐神社
1/6 武士の献立
京都

阿部晴明







DVD
ジャンゴ
96時間リベンジ
パーカー
2014/01/01

西千代ヶ丘 公園からの初日の出


興福寺 五重の塔

若草山

これより2014
12/22 文学と美術の出会い —平安時代から江戸時代の物語絵—
大和文華館
魅力的な物語は、テキストが長く読み続けられるだけでなく、しばしば絵画化され、絵画とともに親しまれてきました。『源氏物語』には、『伊勢物語』などの物語を描いた絵巻物が多く登場することが知られ、古くから物語に絵画をあわせて楽しまれていることを教えてくれます。
時代の趨勢の中で様々な物語が生まれ、絵巻、画帖、扇面、掛軸や屏風など、様々な形をとりながら物語は絵画化されました。優雅な貴族の恋や苦悩を題材とする王朝物語と、勇壮な武士の戦を題材とする軍記物語や幸若舞、庶民も主人公となり活躍する御伽草子では、物語を描く上で適する表現も異なります。また一方で、時代により物語の読者層は変化し、好まれる絵画の様式も変化してゆきます。物語絵は物語の内容や読者層、時代の好み、絵画の形体などを反映して、多様に展開します。
本展観では、館蔵品に特別出陳作品を加え、王朝物語や軍記物語、御伽草子、幸若舞、仏教説話など、様々な物語を絵画化した平安時代から江戸時代までの作品を展示します。物語のジャンルや時代による表現の変化、絵画の間の影響関係などに注目しつつ、文学と美術の世界が出会い生み出された豊饒な物語絵の世界をたどります。
講座美術の窓 12月22日(日)
14:00から講堂にて 「17世紀の絵入版本の絵師について」 当館館長 浅野秀剛
12/17 47RONIN
12/13-15 スクーリング 古文書研究2
12/15,16 映画 レンタル 大極 ゼロ ヒーロー
大極
12/8 第10回京都検定
3級 70点くらい(ネットで72点)まあ 合格でしょう!
2級 50点くらいかな
大学 音楽
12/01 RED 2red2
11/17 悪の法則
================
よくわからない 映画 出演している俳優は、いいんだみれど、 脚本(ストーリー)が'???
監督のいいたいこと?
これをいい映画だと評価している人もいるらしい
解説
米カリフォルニアを舞台に欲望にまみれたセレブリティたちが危険な罠に落ちていく姿を、巨匠リドリー・スコットのメガホンで描いたサスペンス。脚本を「ノーカントリー」で知られるピュリッツァー賞作家のコーマック・マッカーシーが書き下ろしたオリジナル作品。若くハンサムで有能な弁護士(カウンセラー)が、美しいフィアンセとの輝かしい未来のため、出来心から裏社会のビジネスに手を染める。そのことをきっかけに周囲のセレブたちにも危険な事態が及び、虚飾に満ちた彼らの日常が揺るがされていく。主人公の弁護士にマイケル・ファスベンダーほか、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピットが出演。
あらすじ
すべての始まりは、若くハンサムな弁護士がささいな出来心で裏社会のビジネスに手を染めたことだった。
美しいフィアンセとの輝かしい未来を夢見たその欲望は、周囲のセレブリティたちを否応なく危険な事態に巻き込み、彼らの虚飾に満ちた日常を揺るがしていく。しかし彼らは、まだ気づいていなかった。
自分たちがこの世の闇に渦巻く“悪の法則”に魅入られ、もはや逃れようのない戦慄の罠に絡め取られてしまったことに……。
11/15 清須会議
11/15 清洲会議
天正10年(1582年)本能寺の変。一代の英雄織田信長が死んだ―。跡を継ぐのは誰か? 後見に名乗りを上げたのは2人。筆頭家老・柴田勝家(役所広司)と後の豊臣秀吉・羽柴秀吉(大泉洋)。勝家は、信長の三男でしっかり者の信孝(坂東巳之助)を、秀吉は、次男で大うつけ者と噂される信雄(妻夫木聡)を、それぞれ信長の後継者として推す。勝家、秀吉がともに思いを寄せる信長の妹・お市様(鈴木京香)は、秀吉への恨みから勝家に肩入れ。一方、秀吉は、軍師・黒田官兵衛(寺島進)の策で、信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方に付け、妻・寧(中谷美紀)の内助の功もあり、家臣たちの心を掴んでいく。
そして、開かれる清須会議―。会議に出席したのは4人。勝家、秀吉に加え、勝家の盟友であり参謀的存在の丹羽長秀(小日向文世)、立場を曖昧にして、強い方に付こうと画策する池田恒興(佐藤浩市)。繰り広げられる一進一退の頭脳戦。様々な駆け引きの中で騙し騙され、取り巻く全ての人々の思惑が猛烈に絡み合う! 勝家派か?秀吉派か!?
歴史を扱った作品を手がけるときに、三谷監督がいつもイメージしているのは、“歴史の一瞬を切り取る”こと。映画が始まる前から、そして映画が終わってからも、それぞれの登場人物には人生がある。特に歴史ものの場合、観客がそれについて知っていることも多い。『清須会議』で描かれるのは5日間の出来事だが、会議に至るまでの織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉の関係性や、清須会議後の勝家と秀吉の人生など、それぞれの歴史も感じさせるよう心掛けた。その分、映画の中で表現しなければならないことが多くなるため、今作のキャストはそれらを演じ切れる役者陣でなければならない。本作は様々なキャラクターが絶妙に絡む群像劇であることから、実に26名もの日本のエンタテインメント界を代表する超豪華キャストが集結。特に、物語の軸となる清須会議出席の四武将役には三谷監督が絶大な信頼を寄せる俳優陣のキャスティングが実現した。
主人公・柴田勝家役を演じるのは、まさに日本を代表する名優、役所広司。三谷監督とは映画『THE有頂天ホテル』(06)で主人公・申し分のない副支配人・新堂平吉役を演じて以来のタッグとなる。三谷監督からの信頼の厚さは言うまでもない。今作の勝家役に関しても「最初から役所さんしか思いつかなかった」という。勝家は武将としてのキャリアや強さはあるが、基本的には熱く短絡的な男であり、且つペーソスを感じさせるキャラクターである。清須会議における言動だけでなく、会議に至るまでの勝家の人生と、会議後の人生を2時間18分の映画の中で表現するのは、真に底力のある俳優でないと難しい。また、「勝家は衰退して行く側なので、観客に感情移入してもらう必要もありました。演じられるのは役所さんしかいないと思ったんです」。その思いに十二分に応え、役所は勝家を、チャーミングさと男らしさ、そして人間的悲哀を共存させたキャラクターとして見事に演じ切っている。 勝家に対峙する、羽柴秀吉役には、映画・テレビ・舞台と様々な分野で多彩な才能を見せ、活躍が目覚しい大泉洋。羽柴秀吉は、コンプレックスを持ちながらも、百姓から成り上がった人物。人心掌握に長け、明るいお調子者である一方、彼なりの悲しみや心の闇も抱えており、その両面を適格に演じられる役者が必要だった。三谷監督は舞台『ベッジ・パードン』(11)で大泉と一緒に仕事をし、彼に対するイメージが変わったという。「彼はサービス精神旺盛だから、バラエティ色の強いイメージがありますが、芝居の基本的な部分がちゃんとしていて、人間の裏表、明と暗を演じられる、力のある役者です。今回の秀吉は彼しかいないと思いました。それに、この時期の秀吉はもっとも勢いがあったとき。その勢いは、今の大泉さんも持っているものだと感じました」と語る。これまで様々な名優達に演じられてきた秀吉だが、まさに、今の大泉洋にしか表現できない、唯一無二の秀吉像が完成した。 舞台・映画・ドラマと数多くの三谷作品に出演してきた小日向文世が演じるのは、原作の時から三谷監督が一番感情移入したという、ある意味陰の主役とも言える丹羽長秀役。会議の席で一番揺れ動くキャラクターである。「どの歴史書を見ても、丹羽長秀がフィーチャーされているものはないんです。いつもただ、そこにいるだけの人物という感じで。今回は、彼の人物像をきっちり描くのが一つのテーマでした」と三谷監督は語る。「小日向さんが頭の良いキャラクターを演じる時の引き出しを最大限に出してやって頂きました。」という三谷監督の言葉通り、一般的にはあまり知られていない、冷静沈着でキレ者の長秀を、リアリティを感じさせるキャラクターとして力演。特に、クライマックスでの勝家との対峙は圧巻である。
『THE有頂天ホテル』(06)以降、全ての三谷作品を担当し、三谷映画独特の世界観を作り上げてきた種田陽平と、テレビドラマ『short cut』(11)でタッグを組んだ黒瀧きみえが美術を担当している。5日間の会議の会場となる清須城は現存しておらず、現地には模擬天守しか残っていない為、時代考証を重ねつつ「清須城」はオリジナルで設計されていった。
【清須城外観】
外観については、清須会議が開かれた時代には清須城にはまだ天守閣は存在しなかったと一般に言われている。しかし、天守閣があったという説もある。種田は「天守があったとしたらどんな建物か?」という問いから清須城全体を設計していったという。「いわゆる白壁の天守閣ではなく、木の壁の山城のような天守閣。このデザインは映画『清須会議』の為のオリジナルデザインです」と種田。その天守全景は高さ2mに及ぶミニチュア模型で見事に表現され撮影された。城郭部分については平安時代の寝殿造りの様式を取り入れたという。
【清須城居室】
寝殿造りに表現された清須城の住居部分は、日本最大のスタジオである東宝スタジオ第9ステージにセットで建設。これまでの三谷作品同様、セットの建て込み前に何度もミニチュア模型で小さなセットを作り、カメラで撮影した際の見え方等について検証を重ねた上で設計されている。居室内から障子を開けると背景に他のキャラクターの居室が見えるよう、奥行きを意識したデザインとなった。
居室の配置についても、勝家と秀吉のように敵対する者達は庭を挟んで向かい側に部屋を取るルールを決めるなど、登場人物たちの様々な駆け引きや心理戦がより効果的に表現出来るよう、計算し尽くされている。三谷監督は語る。「『七人の侍』(54)など僕の記憶に残っている映画は、俯瞰で見せるシーンはなくてもなんとなく村全体の配置がイメージできるんです。今回の映画はそれを目指しました」
室内は、キャラクターに合わせた色使いや模様、調度品で装飾されている。織田家の人々は清須城に居住している為、お市様は風流、三十郎信包はエキゾチック、信雄は部屋中遊具だらけというように、キャラクターを色濃く反映。一方、織田家以外の登場人物は、5日間だけこの居室に泊まっている設定なので、どこまでキャラクターを象徴させるかのさじ加減を探りつつも、個性的な装飾を施した。
たとえば襖絵や障壁画では、柴田勝家の居室には虎を描き、勇猛果敢かつユーモラスなイメージを表現。羽柴秀吉は野菜、丹羽長秀は龍というように、それぞれのキャラクターを表したものになっている。調度品も、派手好きで見栄っぱりの秀吉の部屋には陣羽織や京都から持参した大量の土産品が置かれているが、冷静沈着で頭脳派の長秀は本や掛け軸が並んだ落ち着いた作りで、その個性の違いが一目でわかる。
居室でぐるりと囲まれた庭には、戦国武将がこよなく愛したソテツが植えられ、庭の中央には池があり、さらに川の流れを鱗石で表現した枯山水まで。スタジオのコンクリートの床の上に土や苔を入れて造り出されたとは思えないリアルさである。ちなみに、この枯山水は、織田信長が十五代将軍・足利義昭のために作庭したと言われる真如院の庭園を参考にしている。
そして屋根部分は、茶室のみ檜皮葺(ひわだぶき)、その他の部分は薄い木板を使った杮葺(こけらぶき)を再現。細部までの徹底的なこだわりが作品全体に深みをもたらしている。
【清須城大広間】
物語のクライマックスの舞台である、清須城の大広間は、東宝スタジオ第9ステージと同サイズの第8ステージに建てられた。会議のシーンは動きが少なくなる為、どれだけダイナミックに見せられるかが勝負となる。カメラが自由に動けるよう、大広間は可能な限り広く設計された。 このセットには、平安時代から使われた、「蔀戸(しとみど)」という下から上に水平に吊り上げて開けるタイプの格子戸を使った。「会議のシーンでは密室感を出すため蔀度を締め切り、会議のあとで蔀度がいっせいに開き、大広間と庭は一つの開放的な空間になり、緊張感が放たれるようにデザインした」と種田は構想を語る。
格天井(ごうてんじょう)を備えた大広間の正面には、織田信長がこの物語の中心にいることの象徴として、信長が京都の馬揃えで着ていた鎧かぶとが鎮座している。その背景となる障壁画は、金箔を貼ってその上に絵を描く、桃山時代に流行した高級な壁画(金碧障壁画(きんぺきしょうへきが))である。絵柄は、上の方の雲が日本画風であるのに対し、下の方の雲は西洋画風で、信長のキャラクターを反映した和洋折衷な表現にしている。
このように、映画『清須会議』の為の架空の「清須城」は、新旧、和洋が混ざり合い、虚実を混在させて完成した、三谷版オリジナル清須城なのである





11/12 京都市美術館 竹内栖鳳展 近代日本画の巨人
京都に生まれた竹内栖鳳(1864-1942)は,日本画の近代化に大きな役割を果たした画家である。明治期の西欧遊学体験を踏まえ,写生,写意の重視という四条派の作画理念に徹底した実物観察を盛り込んで,京都画壇に新風を巻き起こした。栖鳳のもとには多数の後進が集い,その影響は極めて大きい。当館設立に尽力した大家であり,代表的な収蔵作家でもある。本展は各地に所蔵される代表作約110点,資料約60点を一堂に会し,その芸術を味わい,意義を見直す得難い機会。

詳細
京都国立近代美術館 皇室の名品—近代日本美術の粋
京都国立近代美術館のみで開催される本展は、代々の皇室に引き継がれてきた美術品群が国に寄贈されたことを受け、平成5(1993)年に開館した宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する美術工芸品の中から、選りすぐった近代以降の作品約180点を六つの章に分け、体系的に紹介するものです。日本画の横山大観(1868-1958)、竹内栖鳳(1864-1942)、油彩画の高橋由一(1828-1894)、彫刻の高村光雲(1852-1934)、七宝の並河靖之(1845-1927)、金工の海野勝珉(1844-1915)等の作品が出品される予定です。これらの作品は明治21(1888)年に竣工した明治宮殿に調度として飾られたもの、御下命により制作されたもの、展覧会でお買い上げになられたもの、御即位等皇室の御慶事に各方面から献上されたもの、御慶事の儀式で使用されたものや御肖像で、明治・大正・昭和と大切に受け継がれてきた、まさに近代日本美術の「粋(すい)」と言える作品群です。
また、本年12月に天皇陛下は傘寿を迎えられます。その佳き年と、京都国立近代美術館の開館50周年、宮内庁三の丸尚蔵館の開館20周年が重なりました。各館の記念行事の一つとして、皇室とは特別にゆかりの深い京都の地で、皇室が護り育んでこられた近代日本美術の粋を体系的に広くご観覧いただけるまたとない機会となるでしょう。日本近代美術史に燦然と輝く至高の作品群が初めて一堂に展覧される本展をどうぞお見逃しなく。



11/11 パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海
解説
人間と海神ポセイドンの血を引く「半神半人(デミゴッド)」の少年パーシー・ジャクソンの活躍を描いたファンタジー「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」(2010)の続編。封印された先代の神々の王クロノスの復活を阻止するため、パーシーは魔の海に隠された黄金の毛皮を探しに行くことに。そんなパーシーの前に、弟を名乗る目が一つだけのサイクロプスが現れ、ともにギリシャ神話の魔物たちがはびこる魔の大海原バミューダトライアングルへと乗り込んでいく。主演のローガン・ラーマンほか、共演のアレクサンドラ・ダダリオ、ブランドン・T・ジャクソンも再集結。監督は「グレッグのダメ日記」のトール・フロイデンタール。
ニューヨークに暮らすパーシー・ジャクソン(ローガン・ラーマン)は、ギリシャ神話に登場する海の神ポセイドンと人間との間に生まれた半神で、水を自在に操れるという特殊能力を持っている。ポセイドンと全能の神ゼウスが封印した先代の神々の王クロノスが復活を賭け再び牙をむこうとしていた。世界を破滅へと向かわせるクロノスを阻止できるのは魔の海に隠された黄金の毛皮だけだと知ったパーシーは、突如弟だと名乗り出た一つ目サイクロプスとともに、魔物がうごめく魔の大海原バミューダ・トライアングルへと繰り出す……。





11/8 姫路市立美術館 兵庫県立歴史博物館
11/8 姫路市立美術館 広重展
広重展 海の見える杜美術館所蔵
江戸の火消同心の家に生まれた歌川広重(1797~1858)は、歌川豊広に師事し、西洋画を含めた多彩なスタイルをとりいれて幅広い画風を展開した浮世絵師です。はじめは美人画を多く描きますが、葛飾北斎の風景版画に刺激を受けて「東海道五十三次」をはじめとする作品を発表、四季の風情を巧みにとりいれた旅情溢れる作風で一世を風靡します。さらに広重は花鳥を主題とした浮世絵に取り組み、近代的な写実性をベースにしながらも柔和な雰囲気を漂わせる独自の世界を創り出します。大胆でありながら繊細に気配りされた画面構成により木版画に表現された花鳥画は、多くの庶民に愛されました。
本展では広島県廿日市市にある海の見える杜美術館の豊富な浮世絵コレクションの中から、世界最大規模の所蔵を誇る広重花鳥画約220点を選び紹介いたします。切手でも有名な「月に雁」をはじめとした詩情あふれる多彩な花鳥画に加え、生き生きとした魚介を活写する「魚づくし」のシリーズは、広重の風景画とは異なる興趣と筆の冴えを見せています。
加えて広重の東都名所シリーズをはじめとする名所絵や明治期に活躍した小原古邨の花鳥画も合わせて総数約270点の木版画の粋を一堂に展示します。
本展の出品作は海の見える杜美術館を除いては初めて大々的に公開するものであり、広重の花鳥画がこれだけまとまって紹介されるのは世界的にも稀有のことです。この貴重な機会に、是非日本を代表する浮世絵師・広重の新たな魅力を発見していただきたいと思います。
兵庫県立博物館
■ 名城ふたたび/ようこそ姫路城
姫路城大天守の平成修理が進行する中、もうすぐ白鷺にたとえられる美観が人々の前に甦ろうとしています。
この特別展では、当館の開館30周年記念事業として、姫路城が今日見る姿へ至る過程の検証や、日本を代表する名城としての城郭史上の意義、さらに、姫路城を文化財として守り続けてきた人々の想いや高度の技術力など、姫路城の魅力を多方面から再発見する場といたします。姫路城をメインテーマにしたエピソードの数々をお楽しみください。
チラシ1
チラシ2



11/6 大阪市立美術館 大阪の至宝
概要
大坂(大阪)は、日本の政治的中心地や諸外国との窓口に位置し、古くは豊臣秀吉などの天下人やあまたの豪商たちが「事・物」の集積を担ってきました。近現代になると経済界の人々が多様な“数奇”の道に足を踏み入れ、大きな美術コレクションが形成されてきました。
これらの大阪や関西にゆかりの数々のコレクションは、収集者の死後に大半が散逸してしまいましたが、一方で自らの収集品を市民共有の文化遺産と考え、次代への継承を意識するコレクターたちも登場しました。その受け皿となったのが国公立の美術館・博物館であり、コレクターを母体とした私立の美術館・博物館でした。国公立の美術館・博物館は、市民の情操の向上や学術の発展に寄与するために、コレクションの寄贈を受けたり廉価に譲渡いただき、展覧会活動を充実させてきました。
本展は、大阪市の美術館・博物館が所蔵する主要な美術コレクションについて、その収集の軌跡をコレクターのまなざしとともに振り返ろうとするものです。加えて大阪を発祥とするコレクションを所蔵する私立美術館の名品や、大阪市立美術館に寄託されている作品の一部も陳列させていただきます。個々のコレクションを育んだ大阪という都市や関西という地場の感性を浮き彫りにし、大都市の欠かせない施設としてのミュージアムとコレクションの関係を、およそ160件の作品を通して再考します。
展示構成
<第1章>中国・韓国美術へのあこがれ
「阿部コレクション」「住友グループ寄贈 安宅コレクション」「李秉昌コレクション」「小野コレクション」「山口コレクション」
<第2章>日本美術の豊饒
「前田コレクション」「田万コレクション」「豊臣秀吉ゆかりの名品」「武藤金太氏寄贈 尾形光琳関係資料」「中島小一郎氏寄贈作品」「南木コレクション」「田原コレクション」「カザールコレクション」「山本發次郎コレクション」「大阪市立美術館寄託の国宝」
<第3章>私立美術館に開花したコレクション
「泉屋博古館」「黒川古文化研究所」「滴翠美術館」「藤田美術館」「逸翁美術館」
<第4章>大阪近代美術の諸相
「住友コレクション」
国宝 油滴天目茶碗
建窯、豊臣秀次所持、南宋時代 13世紀
大阪市立東洋陶磁美術館蔵
住友グループ寄贈 安宅コレクション
※前期展示
国宝 飛青磁 花生
浙江省龍泉窯 鴻池家伝来
元時代 14世紀
大阪市立東洋陶磁美術館所蔵
住友グループ寄贈 安宅コレクション
※後期展示
花卉図冊
惲寿平(1633~1690) 清時代 17世紀
大阪市立美術館所蔵
阿部コレクション
青銅鍍金銀 仙人
後漢時代 1世紀
大阪市立美術館蔵
山口コレクション
石造 如来坐像頭部
龍門石窟敬善寺洞将来
唐時代 7世紀
大阪市立美術館蔵
小野コレクション
重要文化財 青磁象嵌 童子宝相華唐草文水注
高麗時代 12~13世紀
大阪市立東洋陶磁美術館蔵
住友グループ寄贈 安宅コレクション
青花辰砂 蓮花文壷
広州官窯(分院里窯)浅川伯教旧蔵
朝鮮時代 18世紀
大阪市立東洋陶磁美術館蔵
安宅英一氏寄贈
※後期展示
富士御神火文黒黄羅紗陣羽織
豊臣秀吉(1537~98)所用
旧下郷コレクション
桃山時代 16世紀
大阪城天守閣所蔵
柳橋水車図
長谷川宗也(1590~1667)
桃山~江戸時代 17世紀
大阪歴史博物館所蔵
前田コレクション
重要文化財 円形図案集より鹿図
小西家伝来光琳関係資料のうち
江戸時代 18世紀
大阪市立美術館蔵
武藤金太氏寄贈
重要文化財 潮干狩図
葛飾北斎
江戸時代 19世紀
大阪市立美術館蔵
中島小一郎氏寄贈
大阪市指定文化財 煉瓦焼
佐伯祐三(1898~1928)
昭和3年(1928)
大阪新美術館建設準備室所蔵
山本發次郎コレクション
※後期展示
11/2,3 スク 芸術遺産研究 三重
11/2 多度大社
田宮寺
朝田寺
11/3 近長谷寺
国指定重要文化財 近長谷寺資材帳(明治四五年二月八日指定)
近長谷寺資材帳
資財帳には、「実録近長谷寺堂舎並資材田地等事」と題して諸堂や所有地のことなどが詳記されており、平安時代における南伊勢の土地の様子を知るうえでの手がかりとして、唯一の資料で、天暦七年(953年)の原本を、天徳二年(958年)に書き写したものである。
最近の県の調査において、斎王宮女御三六歌仙の一人「徽子」斎王も近長谷寺を訪れた事実が、当資財帳に「白玉(真珠の意味)壱丸施入」と記されていることから明らかになった。
書 紙本墨書 一巻 平安後期
国指定重要文化財 十一面観音立像(大正二年八月二十日指定)
十一面観音立像
殆ど直立の寄木造りの巨像で、肩からの天衣は裳裾にて二重の円弧を作り、両手の端から出た天衣は垂直に近く、大きな曲線を描いて左右に垂れているため、この像をすらりとした壮麗な姿にしている。衣文は彫り浅く流麗な藤原調で、裾には平安前期式の鋭い衣のしわが作られ、そこに一木造りのような力強さを示している。
彫 木造立像 一躰 平安後期 (八八五年建立)
像高 6.6メートル
<参考>
当寺院は、真言宗山階派に属し、丹生山近長谷寺と称して、仁和元年(885年)伊勢の国の豪族「飯高宿禰諸氏」が、人皇五八代光孝天皇の勅願所として、内外近親等に勧進して建立されたものである。
飯高氏は奈良時代、四代の天皇(元正聖武淳仁孝謙)に仕えた妥女「飯高諸高」を送り出した豪族で、諸高は、性甚謙謹・志慕貞潔・典従三位を賜り、宝亀八年(777年)八十歳で奈保山に葬られるまで、多気郡勢和村丹生から産出する「水銀」で富を築き上げた。(続日本記より)
御本尊十一面観音は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音(三体の仏像を一本の樟から造られたものと伝えられている)」のひとつとして広く知られ、全国に二百ヶ寺以上あるといわれる大和長谷型観音に属するもので、なかでも右手に錫杖を添える姿は、日本唯一のものである。
正倉院展
出陳内容は正倉院宝物の全体像がうかがえる構成となっていますが、とりわけ23年ぶり二度目の出陳となる漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)(*)をはじめとする仏具の優品、聖武天皇ご遺愛の平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)と屏風がまとまって出陳されるのが注目されます。このほか、楽器や伎楽面(ぎがくめん)、貴族の遊びの道具、腰飾りや刀子(とうす)などの装身具、宮中の年中行事にかかわる道具、奈良朝の人々の暮らしを伝える文書などが出陳されます。
本年の特徴の一つに、宝物を守り伝えてきた人々の努力がうかがえる品が多い点が挙げられます。宝物は点検と曝凉(ばくりょう)(虫干し)、厳重な管理、そして修理などを通して今日に伝えられてきました。今回は弘仁二年(811)に行われた北倉の宝物点検の報告書が出陳されます。また平螺鈿背円鏡は、保存の良い一面、鎌倉時代の盗難で割られてしまった一面、そして明治時代に修復した一面、の三種類が並び、宝物を伝えてきた人々の足どりを見ることができます。また、櫃(ひつ)に納められていた裂(きれ)のかたまりを延ばし、修理したことで聖武天皇ご遺愛品であることが判明した屏風(びょうぶ)なども出陳されます。
正倉院展を通して奈良時代の文化、人々の暮らしの息づかいを感じていただければ幸いです。皆さまのご来館をお待ちしています。
*漆金薄絵盤は甲・乙2基あり、今年出陳される品は甲です。乙は平成5年に一度出陳されています。
北倉42 平螺鈿背円鏡 [へいらでんはいのえんきょう]
(螺鈿飾りの鏡) 1面
径27.2cm 縁厚0.8cm 重2473.6g
聖武天皇(しょうむてんのう)のご遺愛の品で、螺鈿(らでん)や琥珀(こはく)で背面を飾った美しい鏡。
鏡背文様は、大きな唐花文(からはなもん)に4羽の鳥がとまり、まわりに小さな花と葉がリース状にめぐる図柄が4組配列されている。赤く見える部分は琥珀、白く光る螺鈿はヤコウガイを用い、地にはトルコ石やラピスラズリの砕片が敷き詰められている。
なお、今回は鎌倉時代に割られてしまった同種の鏡(出陳番号3)や、明治時代に修理された鏡(出陳番号2)も一緒に出陳される。
鳥毛帖成文書屏風 [とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ]
北倉44 鳥毛帖成文書屏風 [とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ]
(鳥毛文字の屏風) 2扇
第1扇 長149.1cm 幅56.5cm 第4扇 長149.2cm 幅56.4cm
聖武天皇が手元に置かれていた屏風の一つ。
6扇で一つの屏風を構成していたうちの今回は第1扇と第4扇が出陳される。地の部分は紙地で、奇数扇は緑青(ろくしょう)を塗り、偶数扇は丹(たん)を塗る。文字には日本のキジの羽毛が貼り付けられており、書聖・王羲之(おうぎし)の流れを汲むといわれる楷書(かいしょ)に近い書体で、君子の鑑戒(かんかい)となる文言が記される。
鹿草木夾纈屏風 [しかくさききょうけちのびょうぶ]
北倉44 鹿草木夾纈屏風 [しかくさききょうけちのびょうぶ]
(板締め染めの屏風) 1扇
長149.5cm 幅56.5cm
こちらも聖武天皇が身近に置かれていた屏風の一つ。
国産の絁(あしぎぬ)製の裂地(きれじ)に、緑・茶・淡茶・藍などの諸色を用いて、樹下に花を喰(は)むような雄鹿の図柄を染め出している。夾纈(きょうけち)とは、文様(もんよう)を彫った2枚の板の間に折った布を挟み、きつく締めつけて染め上げる、いわゆる板締染(いたじめぞめ)のこと。文様が布の折り目から対称に展開するのが特徴である。
弘仁二年勘物使解 [こうにんにねんかんもつしのげ]
北倉164 弘仁二年勘物使解 [こうにんにねんかんもつしのげ]
(宝物点検の記録) 1巻
縦29.0cm 長518.5cm
弘仁2年(811)9月に正倉院宝庫の宝物を点検したときの報告書。平安時代初期は宝物の出入蔵が多く、点検記録は当時の宝物の状況を知る上で貴重な史料となっている。本品には屏風や鏡、薬物、楽器等の名前が見え、その中には今回出陳の鳥毛帖成文書屏風(とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ)(出陳番号5),平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)(出陳番号1、2、3)などが挙げられている。
檜和琴 [ひのきのわごん] 附 玳瑁絵(たいまいえ)
南倉98 檜和琴 [ひのきのわごん] 附 玳瑁絵(たいまいえ)
(やまとごと) 1張
全長156.0cm 幅17.0cm 厚4.0cm
和琴(わごん)はわが国固有の楽器で、5本もしくは6本の絃(げん)を張る。上面の表面に金銀泥(きんぎんでい)で樹木や鹿、尾長鳥(おながどり)、麒麟(きりん)などを描く。龍頭(りゅうとう)(上面の細い方)はさらに花形に切ったシタンを貼り、花卉文(かきもん)を螺鈿(らでん)で表している。槽の長側面には山野に遊ぶ動物や鳥を描いた「玳瑁絵(たいまいえ)」の板が貼られていた(現在は全てはがれ別保存されている。今回は5枚を出陳)。
伎楽面 太孤父 [ぎがくめん たいこふ]
南倉1 伎楽面 太孤父 [ぎがくめん たいこふ]
(伎楽の面) 1面
縦27.6cm 横22.8cm 奥行27.2cm
伎楽は中国の呉(ご)から伝わったとされる仮面劇で、奈良時代の仏教法会(ほうえ)においてしばしば上演された。伎楽で使用された面は14種23面であるが、宝庫には171面が伝わっている。うち135面が木彫(もくちょう)、36面が乾漆製(かんしつせい)である。本品は乾漆製の面で、表面は黒漆を塗り、顔面には彩色(さいしき)を施している。眉とひげには植毛している。額や目尻、頬にはしわを表しており、老人を表しているかと思われる。
投壺 [とうこ]
中倉170 投壺 [とうこ]
(投げ矢の壺) 1口
高31.0cm 胴径21.7cm
銅製、鍍金(ときん)の壺。下膨れの胴、両耳を付けた長い頸(くび)が特徴的。外面に線刻で唐草文や花、鳥、瑞雲、獅子などの様々な文様(もんよう)を表している。
投壺(とうこ)は古代中国において宴席の余興として行われたゲームで、離れた場所から壺に向かって矢を投げ入れ、その優劣を競ったという。
今回は投壺に用いられた投壺矢(とうこのや)(出陳番号20)も一緒に出陳される。
漆金薄絵盤 [うるしきんぱくえのばん]
南倉37 漆金薄絵盤 [うるしきんぱくえのばん]
(香印坐[こういんざ]) 1基
径56.0cm 高17.0cm
仏像の蓮華座(れんげざ)のような形をした木工品。岩形の基座の上に華麗な蓮弁(れんべん)を葺(ふ)き、盆状に作った蓮肉(れんにく)をのせている。蓮弁は黒漆(くろうるし)を塗り、外側は金箔を押し、唐花文(からはなもん)や迦陵頻伽(かりょうびんが)、花喰鳥(はなくいどり)、鳳凰、鴛鴦(おしどり)、獅子などを彩絵している。岩座の裏面に「香印坐」という墨書があり、仏前に供える香具の台座であったことがわかる。
鯨鬚金銀絵如意 [げいしゅきんぎんえのにょい]
南倉51 鯨鬚金銀絵如意 [げいしゅきんぎんえのにょい]
(鯨の鬚ひげの如意) 1柄
長58.5cm 掌の幅5.9cm
セミクジラの鬚(ひげ)で作られた如意(にょい)。一端を曲げて幅広な掌(しょう)部をつくり、四つの爪を刻んでいる。表裏とも金銀泥(きんぎんでい)によって加飾されており、掌(しょう)をつくる上方には霊芝雲(れいしうん)、手で握る下方には花卉(かき)が描かれている。如意は爪杖(つまづえ)ともいい、もともと背中など手の届かないところを掻くための生活用具であったのが、僧侶(そうりょ)の威儀(いぎ)を整えるための僧具となった。なお、本品には金銀泥で加飾された収納箱(黒柿蘇芳染金銀絵如意箱(くろがきすおうぞめきんぎんえのにょいばこ) 出陳番号31)が附属する。
蘇芳地金銀絵箱 [すおうじきんぎんえのはこ]
中倉152 蘇芳地金銀絵箱 [すおうじきんぎんえのはこ]
(献物箱) 1合
縦21.4cm 横30.3cm 総高8.8cm
サクラ材を用いた床脚(しょうきゃく)付の箱。
外面は蘇芳(すおう)で染められ、金銀泥(きんぎんでい)で文様(もんよう)が描かれている。蓋表には唐花文(からはなもん)と蝶や鳥が表され、身側面には唐花文と双鳥が描かれる。底裏には獅子を思わせる霊獣と綬帯(じゅたい)を銜(くわ)えた鳳凰が重ねて描かれ、周囲に飛雲(ひうん)と蝶鳥文が配される。蓋身の内部は白緑(びゃくろく)地に白色の小花文が散らされている。
畳摺(たたみずり)裏に「東小塔」の墨書銘があり、神護景雲元年(767)に称徳(しょうとく)天皇の発願(ほつがん)によって建立(こんりゅう)された東大寺東小塔院の什物(じゅうもつ)であったことが知られる。
彩絵長花形几 [さいえのちょうはながたき] 附 褥
中倉177 彩絵長花形几 [さいえのちょうはながたき] 附 褥
(献物用の台) 1基
縦45.0cm 横65.4cm 高9.0cm
仏に献納する品々を載せた華麗な台机。ヒノキ材製で、天板は長八稜形(ちょうはちりょうがた)にかたどり、8脚の華足(けそく)を直付(じかづ)けする。天板の側面には青系の暈繝(うんげん)帯の地に赤系色の小花菱文(しょうはなびしもん)と覗(のぞ)き花文(かもん)を上下に配し、華足も同様に青系の暈繝の地に赤系色の花弁を表す。
天板の上に敷いた褥(じょく)(テーブルクロス)は、文様を織り出した白綾を用い華麗な錦の縁裂を廻らせている。
白牙把水角鞘小三合刀子 [はくげのつかすいかくのさやのしょうさんごうとうす]
中倉131 白牙把水角鞘小三合刀子
[はくげのつかすいかくのさやのしょうさんごうとうす]
(三本組の小刀こがたな) 1口
全長13.8cm 鞘長9.3cm
鋸=把長6.3cm 身長5.2cm 茎現存長1.4cm
鉇=把長6.6cm 身長3.2cm 茎現存長2.0cm
刀子=把長6.3cm 身長4.9cm 茎長不明
刀子(とうす)は紙を切ったり、木簡(もっかん)を削ったりするのに用いる文房具であり、また腰から提(さ)げる飾り(佩飾品(はいしょくひん))としても用いられた。本品は水牛の角(水角(すいかく))製の鞘(さや)に刀子3口を差す珍しい形式のもので、他に三合鞘御刀子(さんごうざやのおんとうす)(北倉8)等が知られる。把(つか)は象牙(ぞうげ)製で、刀身は鋸(のこぎり)状のものと鉇(やりがんな)状のものがあり、刀子状の1口は把も含めて明治時代の新補である。
なお、平成22・23年度に宮内庁正倉院事務所によって制作された復元模造も出陳される。
続々修正倉院古文書 第三十八帙 第八巻 [ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ]
中倉20 続々修正倉院古文書 第三十八帙 第八巻
[ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ]
(神宮内宮の建物の飾金物に関する書類など) 1巻
(図版部分)縦28.8cm
多種の文書を貼り継いで一巻としたもので、本品は14紙からなる。その7紙目から10紙目にかけての裏に大神宮飾金物注文(だいじんぐうかざりかなものちゅうもん)が記されている。ここには伊勢の皇大神宮(内宮)の正殿(しょうでん)や御門などの飾金具の枚数や寸法が書かれている。天平神護2年(766)の遷宮(せんぐう)に向けての準備に関わる史料とみられ(この文書の裏面は天平宝字6年(762)の石山寺写経所の記録)、今日まで連綿と続く伊勢神宮の遷宮史料として大変貴重である。
正倉院古鑰 [しょうそういんのこやく]
南倉166 正倉院古鑰 [しょうそういんのこやく]
(正倉院正倉の錠と鍵) 1口
長54.5cm 匙の長39.0cm
鑰(やく)とは錠、鍵のこと。本品は鉄製で、大型の鏁(さ)と匙(ひ)からなる海老錠(えびじょう)であるが、鏁と匙とでは年代が異なっている。
鏁は刻銘より元禄6年(1693)に南倉所用のものとして調進されたことがわかる。刻銘にある元禄6年8月7日は正倉院宝庫の修理とこれに併せて行われた開封・点検の最終日で、閉封に当たり新たに錠が新調されたのであろう。
匙は刻銘に記された人物名から天保4~7年(1833~36)に行われた開封に併せて作られたものと思われ、宝庫の錠・鍵が古式を踏襲しながら作り替えられてきたことが理解される。なお、刻銘には鏁に「東向北町」「手貝」、匙に「今在家町」という正倉院近在の鍛冶(かじ)の名が現れており、地元の職人によって製作されたことがわかる。
古櫃 [こき]
北倉183 古櫃 [こき]
(宝物の収納容器) 1合
縦69.8cm 横102.0cm 総高49.5cm
宝物を納めてきた櫃(ひつ)。スギ材製で、表面は赤漆(せきしつ)技法(木材の表面を蘇芳(すおう)で染め、その上から生漆(きうるし)を塗る技法)で仕上げ、脚や稜角には花形や星形の鋲を打って装飾を加えている。脚は、長側面に各2脚、都合4脚を設けており、今日一般に「唐櫃(からびつ)」と呼ばれる形式である。
正面の貼紙は、江戸時代及び明治時代の点検の際に付されたもので、本品には「瑪火鉢」(白石火舎(はくせきのかしゃ)・出陳番号26)を収めていたことがわかる。宝庫には同種の櫃が15合伝わっており、これらを天平勝宝八歳(756)の光明皇后による東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)への宝物献納当初のものとみる見解が有力である。
樹下鳳凰双羊文白綾 [じゅかほうおうそうようもんしろあや]
北倉182 樹下鳳凰双羊文白綾 [じゅかほうおうそうようもんしろあや]
(樹下鳥獣文様の綾) 1片
径49.0cm
本品は天保4年(1833)の開封の折に整理された古裂(こぎれ)の一部で、かつては屏風(びょうぶ)に貼られていたが(東大寺屏風)、今は外されて個別に保管されている。
円形に切られた白い綾(あや)で、樹下に鳳凰(ほうおう)や山羊(やぎ)が向き合う文様を表している。樹下双獣文はササン朝ペルシアに起源を持つといわれ、小さな裂の中にも異国情緒を味わうことができる。本品の周囲には縁裂(ふちぎれ)をめぐらしたような痕があり、もとは献物几(けんもつき)の褥(じょく)であったかと推測される。
花喰鳥刺繡裂残片 [はなくいどりのししゅうぎれざんぺん]
南倉185 花喰鳥刺繡裂残片 [はなくいどりのししゅうぎれざんぺん]
(花喰鳥の刺繡の残片) 1片
縦79.5cm 横63cm
花枝を銜(くわ)えた鳳凰(ほうおう)を大きく刺繡(ししゅう)で表した裂(きれ)の残片。鳳凰は唐花(からはな)の上で片足立ちをし、宝相華文(ほうそうげもん)の葉のような大きな尾羽を立ち上げている。虚空には散花(さんげ)と蝶が配されている。輪郭や嘴(くちばし)には金糸、瓔珞(ようらく)などには金・銀糸が用いられており、非常に華麗な刺繡裂である。宝庫には同じく華麗な刺繡裂として孔雀文刺繡幡身(くじゃくもんししゅうのばんしん)(南倉180)が伝わっており、ともに天平期を代表する刺繡作品とされる。昭和50年(1975)に染織品整理中の唐櫃(からびつ)から発見された。
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京都市歴史資料館 淀城跡
テーマ展「新・京のかたち5 洛南の光景-伏見・淀と宇治川-」及び歴史講座「伏見・淀 川でつなぐ都市」を下記のとおり開催します。
大阪府立図書館 RIPD
京都国立博物館 魅惑の清朝陶磁
H25.10.12(土)~12.15(日)
古来、「やきもの」の王者として名高い中国陶磁の中でも、その精巧さ、緻密さにおいて他を圧倒しているのが清時代の陶磁器です。ヨーロッパの王侯貴族に愛されたことはよく知られていますが、開国後だけでなく、鎖国下の日本へももたらされ、各地のやきもの生産に大きな影響を与えました。数々の名品を通してその精髄に触れると共に、日本人がいかに清朝の陶磁器を賞玩してきたのか、最新の調査成果によって、その足跡を辿ります。
展示作品紹介
古来「やきもの」の王者として名高い中国陶磁の中でも、その形・質の多様性と色鮮やかさにおいて、他を圧倒しているのが清時代の陶磁器、清朝陶磁です。ヨーロッパの王侯貴族に愛されたばかりでなく、明治維新後の日本でも美術愛好家たちによって賞玩されていたことはよく知られています。ところが、「鎖国」していたという歴史観の影響もあって、江戸時代の日本へもたらされていた清朝陶磁には、これまであまり注意が払われてきませんでした。
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唐蘭館絵巻 部分 川原慶賀筆 長崎歴史文化博物館蔵(10/12~11/10展示)
しかし、江戸時代の日本は世界の中で決して孤立していたわけではありません。近年、遺跡の発掘調査や古社寺・旧家の伝来品の調査が進められる中で、既に江戸時代からかなりの量の清朝陶磁が日本へもたらされていたことが判ってきています。江戸時代の日本へ輸入されていた清朝陶磁は、基本的に民間工房(民窯)の作品が主流でしたが、今日のように自由に海外渡航できる時代ではありませんでしたから、多くの日本人にとっては見知らぬ異国からの渡来品として随分と貴重視されたのです。とりわけ、粉彩とよばれる極彩色の清朝陶磁は、当時の日本の〈やきもの〉にはない華やかなピンクの色がとりわけ人目を引いたらしく、日本の陶工たちもそれに迫るものを作ろうと、涙ぐましいまでの努力をしています。
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粉彩絵替皿(十錦手) 野﨑家塩業歴史館蔵
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粉彩唐花唐草文角皿 野﨑家塩業歴史館蔵
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粉彩松鹿図瓶 京都国立博物館蔵
また、欧米をはじめとする諸外国への輸出産業育成が急務であった明治時代の日本では、既に欧米諸国で高い評価を得ていた清朝陶磁に負けない〈やきもの〉を作ろうという機運が高まりました。明時代から清時代の中国では、皇帝をはじめとする宮廷での使用に特化した陶磁器を生産する工房として官窯が設置され、最高級の陶磁器が生産されていましたが、近代日本の陶工たちはその官窯にも負けない〈やきもの〉作りを目指したのです。
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重要文化財 琺瑯彩梅樹文盤 東京国立博物館蔵
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豆彩龍鳳文盤 静嘉堂文庫美術館蔵
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黄地粉彩花卉文碗(夾彩) 静嘉堂文庫美術館蔵
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色絵花鳥文皿 十代今泉今右衛門作 今右衛門古陶美術館蔵
この展覧会では、清時代と同時代の日本人が、どのように清朝陶磁を賞玩してきたのかという歴史とともに、そこからどのような発想を得て、どのように新しいものを生み出そうとしてきたのか、その足跡を辿ります。
江戸時代の日本人が愛した民窯製品のおおらかさや、近代日本の陶工たちが好敵手と認めた官窯製品に代表される高級品の精巧さを、伝世の名品はもちろんのこと、出土品や沈没船からの引き揚げ品も交えて紹介する、日本と中国の陶工たちが織り成す百花繚乱の「やきもの」世界。どうぞお楽しみください。
やまとぢから
彫刻家籔内佐斗司はユーモアあふれる木彫作品で人々の心を魅了するだけではなく、平城遷都1300年祭公式キャラクター「せんとくん」の制作を機に発足した仮面舞踏団「平成伎楽団」のプロデュースなど、近年ますますその活動の幅を広げています。
本展のタイトルである「やまとぢから」とは、1300年を超える悠久の歴史の中で培ってきた伝統文化に基づく叡智と活力であり、今こそ本領を発揮すべきものと籔内氏は考えています。奈良に今日まで伝わってきた歴史遺産や伝統と共に継承されてき
た文化も、この「やまとぢから」であるといえるでしょう。
本展では、籔内氏の30年以上におよぶ多彩な作家活動による世界観を奈良ならではの展示構成で総合的に紹介します。
大和国(やまとのくに)奈良の地で、「やまとぢから」を再発見し、未来への原動力としていただくことを願っています。
みちのく福興し童子
2012年 檜、漆、顔料 個人蔵
桃太郎 白刃取り
2008年 檜、漆、顔料 個人蔵
竜宮童子
2010年 檜、漆、顔料 個人蔵
龍神童子 2003年 檜、漆、顔料 個人蔵
平成伎楽団
柳沢文庫 筒井順慶
秋季特別展「筒井順慶」
平成25年9月21日(土)~12月15日(日)
筒井順慶は、興福寺一乗院に属する衆徒の一員で、大和一国を統治して郡山城の初代城主となった人物です。順慶は大和国内外の諸勢力、とくに松永久秀と激しく抗争し、織田信長のもとでついに大和一国の統一を果たしました。
秋季特別展では順慶の実像を中心に、筒井氏歴代とその家臣、大和の武士の活躍も含めて、奈良県内外に残る史資料を公開します。
(※史資料について 当財団所蔵のもの以外は史料の複製の展示となっております。)
大和文華館
宮川長春(1682~1752)は、宮川派・勝川派の祖であり、十八世紀前半に肉筆浮世絵を専らとし、江戸の美人画をリードした浮世絵師です。
1694年に没した菱川師宣の様式を継承しながら、独自の馥郁たる色香を湛えた優麗な美人画を量産した長春は、得意の図様の美人画や名所風俗図を多く手掛けるかたわら、新しい物語図などにも意欲を示しました。現在、世界中に相当の作品数が伝存していますが、今まで、長春だけに焦点を当てた展覧会は一度も開催されたことはありません。
大和文華館は、長春の立美人図の優品を所蔵しており、かねてから長春芸術の全貌を知ることを念願していましたが、遺存する作品のレベルにかなりの幅があり、基準作を選定するのが困難であること、年記のある作品が皆無に近いことなど、克服すべき課題が多く横たわっていました。開催に際し、そういった点が全て解消されたわけではありませんが、この展覧会では日本にある長春作品の大半を集めることができました。この機会に、長春の絵画世界をご堪能いただければ幸いです。
RIPD
解説
成仏できない悪霊を取り締まるあの世の組織「R.I.P.D.」の捜査官コンビが繰り広げる活躍を描いたアクション。恋人と幸せな暮らしを送っていたボストン警察のエリート警官ニックは、捜査中に殉職してしまう。そのまま天国に召されるかと思いきや、その手前で成仏できずに現世にはびこる悪霊を取り締まる組織「R.I.P.D.」にスカウトされる。西部開拓時代のガンマンだったというベテランのロイとコンビを組んだニックは、R.I.P.D.のエージェントとして活動を開始。逮捕した悪霊から世界を滅亡させる陰謀が仕組まれているという情報を入手する。ニック役にライアン・レイノルズ、ロイ役にジェフ・ブリッジス。監督は「RED レッド」「フライトプラン」のロベルト・シュベンケ。
恋人にも恵まれ警官として順調に活躍していたニック(ライアン・レイノルズ)は、潜入捜査中に殉職してしまう。天国へ向かうと思いきや、ニックは警官としての手腕を買われて、現世に留まり人間に成りすますゴーストを取り締まる組織R.I.P.D.にスカウトされる。彼が組むのはロイ(ジェフ・ブリッジス)という19世紀のガンマンで、彼の破天荒さにニックは目を丸くするばかり。ある日、逮捕したゴーストから、ゴーストたちがあの世へ向かうトンネル逆流させ、現世に溢れ返させる計画が進行していることを聞く。世界滅亡につながるこの計画を阻止すべくニックとロイは立ち上がる……。
細見美術館
琳派の伝統とモダン ― 神坂雪佳と江戸琳派 ―
開館より回を重ねてきた琳派展の第15弾となる本展では、高い人気を誇る神坂雪佳(1866~1942)を中心に、鈴木其一(1796~1858)以降の江戸琳派の作品も交え、彼らの挑んだ伝統の継承と、新時代を見据えた意欲的な展開を探ります。
京都に光悦や光琳の作風を甦らせ、さらに独自の様式を確立した雪佳。江戸から東京へと変貌する東都において、抱一以降も長く活躍を続けた江戸琳派。両者を主軸とした初の展覧会、細見コレクションならではのラインナップをお楽しみください。
10/6 西教寺
10/4 プーシキン美術館展 フランス絵画300年
知る人ぞ知る、フランス絵画の宝庫ロシア。17世紀古典主義の巨匠プッサンにはじまり、18世紀ロココの代表
ブーシェ、19世紀のアングル、ドラクロワ、ミレー、印象派やポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、
ゴッホ、そして20世紀のピカソやマティスまで――。プーシキン美術館のコレクションの中核をなすフランス絵画
の質の高さは、フランス本国もうらやむほどのものです。
本展では、選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の栄光の歴史をたどります。なかでも、ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫は、最大の見どころです。
「ロシアが憧れたフランス」の粋を、どうぞお楽しみください。
ロシアが充実したフランス絵画コレクションを有する、その訳は-
優れた作品の数々をロシアにもたらしたのは、エカテリーナ2世らロマノフ王朝の歴代皇帝や貴族、19世紀の産業発展で財をなしたモスクワの大富豪たちです。情熱的な収集の背景には、当時のヨーロッパ先進国、フランスへの強い憧れと、自国の文化を豊かにしようという熱い思いがありました。
18世紀の女帝エカテリーナ2世は、フランス人の啓蒙思想家と交流するなどのフランス通で、皇帝となって間もなく、莫大な資金を投じて美術品の収集を開始します。ロシアの富と文化的な洗練度をヨーロッパにアピールする施策を通じて、フランス絵画を中心に、傑作の数々がロシアにもたらされました。同じころ活躍した大貴族ニコライ・ユスーポフ公爵も、フランス絵画をこよなく愛し、王室と肩を並べるほどの大コレクションを築きました。
19世紀後半になると、フランス絵画収集の中心は、サンクトペテルブルクの貴族から、商業都市モスクワに台頭した大富豪たちに移ります。産業革命の中、紡績業などで成功を収めた商人や企業家は、自身のステータスを誇示するとともに、西欧文化を市民に紹介する志に支えられ、絵画の収集に私財と情熱を注ぎ込みました。特に、セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフのふたりは別格の存在で、伝説のコレクターとして知られています。
プーシキン美術館に遺る17世紀から20世紀まで、約300年にわたるフランス絵画のコレクションは、フランスに憧れ、自国文化の発展を願ったロシア人たちの情熱の結晶なのです。
フランスの名画に魅了されたコレクターたち
エカテリーナ2世
©RIA Novosti/amanaimages
エカテリーナ2世(1729~1796年 在位:1762~1796年)
34年の長期にわたる治世により、18世紀後半に王朝の全盛期を築いた女帝。即位直後から没するまで、美術品の収集に力を入れ、バロック以降の作品を体系的に集めました。国の威信をかけた収集は、質、量ともに圧倒的な規模を誇ります。フランスの文化人とも交流があり、啓蒙思想家のディドロからは絵画購入の助言も受けていました。
収集作品の一例
ニコラ・プッサン
≪アモリびとを打ち破るヨシュア≫
ニコライ・ユスーポフ
©RIA Novosti/amanaimages
ニコライ・ユスーポフ(1750頃~1831年)
ロシアの大貴族で、5カ国語を操る外交官としても活躍しました。若い頃からからしばしば西欧を訪れ、熱心なコレクターへと成長。美術への造詣が深く、エカテリーナ2世ら歴代皇帝から絵画購入を任されるほどでした。自身は特にフランス絵画を好み、質の高いコレクションを形成しました。死後も、一族によるコレクションの拡充が続けられました。
収集作品の一例
フランソワ・ブーシェ
≪ユピテルとカリスト≫
アレクサンドル2世
©amanaimages
アレクサンドル2世(1818~1881年 在位:1855~1881年)
クリミア戦争のさなかに病死した父帝ニコライ1世を引き継ぎ皇帝に即位。戦争での敗北後、発展が遅れていたロシアの近代改革を断行し、再生への道を開きました。改革は、教育や司法、工業、軍政など広範囲にわたり、特に、低い身分に置かれていた農奴の解放を行ったことから「解放皇帝」とよばれます。
収集作品の一例
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル
≪聖杯の前の聖母≫
シチェーキン邸の広間
セルゲイ・シチューキン(1854~1936年)
繊維貿易で巨万の富を築いた企業家の三男で、自身も繊維業で才覚を発揮しました。エネルギッシュで情熱的な性格は絵画収集の姿勢にも反映され、自分の直感を頼りに即断即決で傑作を買い集めました。特に、ピカソやマティスなど、フランス国内でも評価の定まらない前衛画家の可能性をいち早く見抜き、最大の注文主兼パトロンになりました。マティスには、自邸を飾る大作《ダンス》と《音楽》を注文し、のちにロシアに招いてもいます。
収集作品の一例
フィンセント・ファン・ゴッホ
≪医師レーの肖像≫
パブロ・ピカソ
≪マジョルカ島の女≫
collector-morozov
一時期、国立西洋美術館となったモロゾフ邸のセザンヌ・ルーム
イワン・モロゾフ(1871~1921年)
繊維工業で財を成した大資産家に生まれ、革命前のロシアで最大の企業にまで発展させました。兄の影響から絵画のコレクションを始め、兄が若くして亡くなると、一層収集に傾倒。専門家の意見を聞きながら慎重に作品を選び、自邸の壁のスペースを残したまま、納得できる作品が見つかるまで待つ、という徹底ぶりでした。ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ボナール、ドニを中心に、美術史の流れに沿った体系的なコレクションを形成、穏やかで装飾的な作品を愛しました。
収集作品の一例
ピエール=オーギュスト・ルノワール
≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫
展覧会のみどころ 収集の歴史とコレクター 主な作品 プーシキン美術館について
ニコラ・プッサン
≪アモリびとを打ち破るヨシュア≫
1624-25年頃 油彩、カンヴァス 96×134cm
プッサンは17世紀フランス古典主義を代表する画家。描かれているのは、『旧約聖書』のなかで、モーセの後継者ヨシュア(画面左下)が「約束の地」カナンを征服する場面です。筋骨隆々とした両軍の兵士たちが死闘を繰り広げる様子が、三角形を基調とする構図のなかにダイナミックに表されています。現在エルミタージュ美術館が所蔵する対となる作品とともに、エカテリーナ2世が1770年にオークションで買い付けました。

10/1 京都文化博物館
京都・美のタイムカプセル
京都府には京の百景、京の四季、いのち賛歌、京の絵本、こころの京都など著名画家による絵画シリーズをはじめ、写実的な古民家を描いたことで知られる向井潤吉や近代京都の陶芸界を牽引した清水六兵衞など、所蔵品の核ともいえる作品群がいくつもあります。京都で活躍した著名作家の作品以外にも、風俗史家の吉川観方や江馬務が集めた日本屈指ともいうべき貴重な風俗資料、朏(みかづき)健之助の国内外の膨大な郷土玩具、佐竹藤三郎の古典楽器などがあり、京都府のコレクションは多彩な魅力に溢れています。今回は、京都府の収蔵品の核となる珠玉の作品群を中心に据え、より充実した内容でご紹介します。
これまでもさまざまな視点から所蔵品を紹介してまいりましたが、今回は特に京都文化博物館開館25周年、京都府立総合資料館開館50周年を記念して、絵画から郷土玩具までを幅広く一堂に展示し、京都府所蔵の“美のタイムカプセル”を一挙公開します。
チラシ
出品品目
9/22 龍谷ミュージアム
極楽へのいざない
人がこの世を離れる時、極楽浄土から阿弥陀如来とその一行がお迎えに来て下さる。この臨終観は日本で平安時代中期より広く行き渡りました。阿弥陀の来迎を願う強い思いは浄土教美術の源泉となり、その様子を実演によって表現することも行われました。これが、迎講(むかえこう)、来迎会(らいごうえ)、練り供養(ねりくよう)などと称される行事です。
この行事の背景に、多くの物語や仏像・仏画によって育まれ、表されてきたイメージがあることはいうまでもありません。本展示では、練り供養とも関わる仏像・仏画の優品を紹介するとともに、練り供養行事がその世界をいかにして表現していったのか、全貌を明らかにします。
9/20 エリジウム9/20 エリジウム 高の原イオン
解説
「第9地区」のニール・ブロムカンプ監督がマット・デイモンを主演に迎え、富裕層と貧困層に二分された世界を舞台に描くSFサスペンスアクション。2154年、人類はスペースコロニー「エリジウム」に暮らす富裕層と、荒廃した地球に取り残された貧困層とに二分されていた。地球に住む労働者で、事故により余命5日と宣告されたマックスは、エリジウムにはどんな病気でも治すことができる特殊な装置があることを知り、厳しい移民法で出入りが制限されているエリジウムへ潜入を試みる。エリジウム政府高官役でジョディ・フォスターが共演。「第9地区」のシャルト・コプリーも出演。
エリジウム
9/19 兵庫県立美術館 橋本関雪展
本展覧会は、兵庫県ゆかりの日本画家、橋本関雪の生誕130年を記念して開催します。橋本関雪は1883(明治16)年、旧明石藩の藩儒であった橋本海関を父として、現在の神戸市中央区に生まれました。12歳から日本画を学びはじめ、1903(明治36)年竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門し、研鑽を積みました。1908(明治41)年の第2回文展で初入選、その後文展で入選、受賞を重ね、やがて官展の代表的画家としての 地位を確立します。
漢学の深い教養にもとづき中国の古典に取材した数々の作品を発表したほか、石濤や八大山人などの明末清初の文人画家に傾倒し東洋画の本質を南画に見出した関雪は、新南画とよばれる新領域を拓きました。また動物画にも優れた力量を発揮、多くの名作を残しています。
1977(昭和52)年に兵庫県立近代美術館で開催して以来、36年ぶりとなるこのたびの回顧展では、初期から晩年までの代表作約70点を展示、大正から昭和前期にかけて日本の絵画界の第一線で活躍した関雪の絵画の真髄に迫ります。
当館では36年ぶりの開催
橋本関雪の生誕の地、神戸で開催するのは、1977(昭和52)年に兵庫県立近代美術館で開催した「橋本関雪展」以来、実に36年ぶりに開催する回顧展です。
初期から晩年までの代表作が集結
本展は、会期34日間、当館のみで開催します。(巡回はいたしません)単独開催ということもあり、全国の所蔵家から多くの名作の出品が叶いました。またごく一部の作品をのぞき展示替えは行いません。関雪の名品が一堂に会する貴重な機会となります。
回顧展初出品の作品や、新発見の作品なども展示
官展に出品された大作のほか、各地の所蔵家のご協力により、回顧展に初出品される作品や、関雪のごく初期の珍しい作品なども展示します。
特別講演 9月15日(日)
9/15 大和文華館 水墨画名品展
14:00から講堂にて 「水墨画の戦国時代」
九州国立博物館主任研究員
畑 靖紀氏
越中真景図冊 張宏筆(中国・明)
国宝 周茂叔愛蓮図 狩野正信筆
室町時代 九州国立博物館蔵
琉球紅型衣裳(日本・琉球)
国宝 雪中帰牧図(右幅) 李迪筆
南宋時代 大和文華館蔵
濃淡や階調、描線を駆使して生み出される水墨画には、無限の広がりが見られます。
本展観は、時代や地域によって様々な表情を見せる水墨表現の広がりをご覧頂くものです。
禅僧の余技として描かれ始めた水墨画は、中国絵画をお手本としつつも、画家自身の創意工夫を加えながら、次第に日本的な水墨画が描かれるようになりました。初期水墨画を代表する可翁が描いた「竹雀図」、湿潤な大気が覆う雄大な山水を巧みに表した伝周文筆「山水図屏風」、大画面に激しく流れ落ちる滝を描いた伝狩野元信筆「瀑布図」、大胆な構図が魅力的な雪村筆「呂洞賓図」をはじめ、当館のコレクションからもそれぞれの個性をうかがうことが出来ます。
本展観では当館所蔵の中世水墨画に加え、九州国立博物館に所蔵される国宝「周茂叔愛蓮図」(狩野正信筆)・「白衣観音図」・「山水図巻」(伝小栗宗湛筆)が特別出陳されます。画壇の頂点を極めた狩野派の祖、正信筆とされる「周茂叔愛蓮図」は、中国・北宋の文人、周茂叔にまつわる故事を絵画化したものです。樹木に見られる透明感あふれる淡彩が、画面全体に爽やかな印象を与えます。周文の後を継いで室町幕府の御用絵師を務めた小栗宗湛筆と伝承される「山水図巻」は、夏珪様の山水図に由来し、当館所蔵の伝周文筆「山水図屏風」を想起させます。また、「白衣観音図」は初期水墨画の優品として知られ、尊像に見られる精緻な表現が見所の一つです。
この他、中国・朝鮮絵画や富岡鉄斎の作品から、当館を代表する水墨画の作例を展示します。時代を超えて人々に愛され続ける、水墨画の幽玄な世界をお楽しみ下さい。
9/13 ウルヴァリン サムライ
9/10 大阪市立美術館 北魏 石造仏教彫刻の展開
インドで生まれた仏教は、中国へ後漢時代(紀元後1世紀頃)に伝えられ、南北朝時代(5-6世紀)になると国家事業としての寺院の建立と巨大な石窟の造営が行われました。
そして、仏教が広く中国全土に浸透する中で、地域ごとに特色のある仏像が生み出されるようになります。
こうした長い中国仏教史において、最も優れた石造仏教彫刻が生み出されたのが、南北朝時代の北魏(ほくぎ/386-534)王朝でした。
本展では国内に収蔵される主要な優品と、山口コレクションをはじめとする館蔵・寄託作品を加えた約60件により、北魏石造仏教彫刻の全体像について「仏像の地域性」をキーワードに浮き彫りにしたいと考えています。
日本において、中国の仏教彫刻はまだまだ人々の目に触れられていないのが現状といえます。
しかしその一点一点を観察すると、今日では不可能なほど精巧な彫刻技術を示す作品や、素朴な温かみを感じさせる作品、さらには日本の仏像と密接な関係をもつ作品など、見飽きることがありません。
本展は、1500年前の北魏に焦点を絞ったきわめて稀な展覧会です。
石造 如来坐像 北魏・天安元年(466) 本館蔵(山口コレクション)
石造 菩薩交脚龕 [部分 ]北魏 5世紀後半 本館蔵 山口コレクション

石造 如来三尊像 北魏 景明元年銘(500) 本館蔵 山口コレクション
石造 如来三尊像 [背面] 北魏 6世紀前半 本館蔵 山口コレクション

チラシ
作品リスト
Wikペヂアより
北魏(ほくぎ、拼音:Bĕiwèi、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。
前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。
国号は魏であるが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。
また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。
さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。
9/7,8 スクーリング
マンオブスチール
Web より 最近タイトルのよく似た映画が2つ上映された
『エンド・オブ・ホワイトハウス』 『ホワイトハウス・ダウン』である
共通点:ホワイトハウスが 破壊される ところ
8/27 堂本印象美術館
8/24 京都市水族館
奈良博 夏季講座
111111111
8月20日(火) 奈良県文化会館 国際ホール9:30~
受付10:30~ 挨拶 10:50~12:10(80分)
「彫刻史研究の六十年」
西川 杏太郎氏(公益財団法人美術院国宝修理所理事長)
13:30~14:50(80分)
「インドから日本まで―半跏思惟像の成立と展開―」
宮治 昭氏(名古屋大学名誉教授)
15:00~16:20
(80分)
「仏像に見る奈良様と和様」
伊東 史朗氏(和歌山県立博物館長)
8月21日(水) 奈良県文化会館 国際ホール
9:00~ 受付9:20~10:40(80分)
「マンダラと密教の仏たち」
森 雅秀氏(金沢大学人間社会学域教授)
10:50~12:10(80分)
「仏教説話の美術」
加須屋 誠氏(奈良女子大学文学部教授)
13:30~14:50 (80分)
「仏像の内部に籠められた祈り ―像内納入品の世界―」
佐々木 守俊氏(岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授)
15:00~16:20(80分)
「仏像の荘厳」
永井 洋之(奈良国立博物館学芸部研究員)
8月22日(木) 奈良県文化会館 国際ホール/奈良国立博物館 展示室
9:00~ 受付9:20~10:40(80分)
「仏像の心とかたち」
西山 厚(奈良国立博物館学芸部長)
10:50~12:10(80分)
「仏像に会う―展覧会案内―」
(展覧会紹介)
岩井 共二(奈良国立博物館学芸部教育室長)
~18:00
奈良国立博物館にて特別展・名品展を自由見学
8/18 ホワイトハウスダウン
「インデペンデンス・デイ」「2012」のローランド・エメリッヒ監督が、謎の組織にホワイトハウスが
乗っ取られ、ワシントンD.C.が危機に陥る様子を描くアクション大作。議会警察官のジョン・ケイルは、
大統領のシークレットサービスになるため面接試験を受けるが不採用となってしまう。幼い娘をがっかり
させたくないと、ジョンは娘をホワイトハウスの見学ツアーに連れ出すが、その時、謎の武装集団がホワ
イトハウスを襲撃、占拠するという前代未聞の事態が発生する。政府が大混乱に陥る中、ジョンは大統領
や娘、そして合衆国の命運をかけた戦いに身を投じる。主人公の警察官ジョン・ケイル役に「G.I.ジョー」
のチャニング・テイタム、米大統領役に「ジャンゴ 繋がれざる者」のジェイミー・フォックス。
だが、その破壊の表現は、“地球規模の破壊のうちのひとつ”“俯瞰(ふかん)映像で破壊の様子をとらえる”
というこれまでの描き方とはひと味違って、“なぜ破壊されるのか?”“その中で何が行われているのか?”
という、破壊に至るプロセスとそこで繰り広げられるドラマにこだわる、新たな“破壊描写”に挑むもの。
まさに、破壊王エメリッヒが新たなステージに突入した新次元の破壊アクション=《エメリッヒ2.0》と命名
しても過言ではない作品となっているのだ。
謎の武装集団に乗っ取られたホワイトハウスを舞台に、偶然見学ツアーに来ていた議会警察官が愛する娘と
大統領、そして世界の命運をかけて壮絶な戦いに挑む本作は、破壊にこだわり続けた名匠がたどり着いた新
たな境地=映画ファンが体験するアクション映画の新次元なのだ。
2013年8月5日更新
ただ壊すのはもう古い!
“破壊王”エメリッヒが見せた新次元《破壊アクション》奥の手3連発!
「インデペンデンス・デイ」「2012」ほか、大規模破壊ムービーで観客を驚かせてきたローランド・エメリッヒ監督が、8月16日公開の最新作「ホワイトハウス・ダウン」で破壊アクションの新たな領域に突入した。“破壊王”との異名をとる男が踏み込んだ新境地、そして繰り出した“奥の手”とは?
ディザスター・ムービーの名匠が、実力派スター2人を起用してアクションの新次元に挑む!
■破壊にこだわり続けた男がたどり着いた極地──
これが、破壊王のネクストステージ《エメリッヒ2.0》の世界だ!
チャニング・テイタムが次世代アクションヒーローに!
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ホワイトハウス敷地内で“破壊”の数々が巻き起こる
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侵略エイリアンによる世界規模の大破壊を描いた「インデペンデンス・デイ」、世界を水没させた後に氷河期の氷で包み込んだ「デイ・アフター・トゥモロー」、そして全世界を飲み込む天変地異を描いた「2012」──ローランド・エメリッヒ監督作といえば、“大規模破壊”を見せつける映像スペクタクルが必見のディザスター・ムービーの信頼ブランド。作品を重ねるごとに破壊の規模はスケールアップし、その描写は激しさを増していく。映画ファンは、エメリッヒの新作の報を聞くたびに「今度は何を、どんな風に壊してくれるのか?」と、期待を膨らまさずにはいられなかったはずだ。
その、いつしか“破壊王”という異名で呼ばれるようになった男が、今回破壊のターゲットにしたのは“ホワイトハウス”。熱心なエメリッヒファンやパニック映画ファンなら、これまでにも「インデペンデンス・デイ」「2012」でこの建物が破壊されてきたさまを思い出すに違いないが、今作では「ホワイトハウス・ダウン」とタイトルにも掲げ、実に3回目となる破壊が描かれる。
だが、その破壊の表現は、“地球規模の破壊のうちのひとつ”“俯瞰(ふかん)映像で破壊の様子をとらえる”というこれまでの描き方とはひと味違って、“なぜ破壊されるのか?”“その中で何が行われているのか?”という、破壊に至るプロセスとそこで繰り広げられるドラマにこだわる、新たな“破壊描写”に挑むもの。まさに、破壊王エメリッヒが新たなステージに突入した新次元の破壊アクション=《エメリッヒ2.0》と命名しても過言ではない作品となっているのだ。
謎の武装集団に乗っ取られたホワイトハウスを舞台に、偶然見学ツアーに来ていた議会警察官が愛する娘と大統領、そして世界の命運をかけて壮絶な戦いに挑む本作は、破壊にこだわり続けた名匠がたどり着いた新たな境地=映画ファンが体験するアクション映画の新次元なのだ。
ジェイミー・フォックスが大統領役
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特別捜査官役はマギー・ギレンホール
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名優ジェームズ・ウッズも出演
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■エメリッヒはいったい何をやったのか?
《2.0》完成に向けて必要不可欠だった“奥の手”3連発!
破壊に至るプロセスとドラマにこだわり、“破壊”が持つ意味と重要性をさらに際立たせる《2.0》というネクストステージを実現させるために、エメリッヒ監督はいったい何を行ったのか? 「ホワイトハウス・ダウン」の必見ポイントでもあり、本作を完成させるのに必要不可欠だった要素=“奥の手”をここに解説!
過程とドラマにこだわって破壊されるホワイトハウス!
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これまでは全世界スケールで破壊を描いてきたエメリッヒだが、今回壊すターゲットは“ひとつ”だけ。それだけに、“何を壊すのか”に相当意識を払ったのは間違いないだろう。その標的として選ばれたのは、これまでに2回も自作で壊してきたホワイトハウスだったというのは驚きだが、同所が持つ意味を理解すれば、なぜエメリッヒがこだわってきたかの理由もすんなりと分かるはずだ。言うまでもなく、大統領の住まうホワイトハウスといえば、アメリカ合衆国の政治をつかさどる中枢。そこが破壊され機能停止すれば……アメリカという国家システムが崩壊してしまうのは間違いない。そして、アメリカは世界をつかさどる中心的国家。アメリカの崩壊を描くことは、すなわち全世界の崩壊に繋がる危機を描くことでもあるのだ。
当代きっての人気実力派2人が一大アクションを敢行!
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エメリッヒは、危機的状況のなかでこそ際立つ人間ドラマにもこれまでこだわってきたが、今回は舞台がホワイトハウスに限定される分、よりドラマティック物語に感情移入させるため、今アメリカで最も旬な実力派スターを主演に据えた。それは、恋愛ドラマ「親愛なるきみへ」で女性ファンをメロメロにし、「G.I.ジョー」シリーズでアクション映画ファンをも納得させたチャニング・テイタム。本作では、離れて暮らす娘との絆を取り戻そうとする父という等身大のキャラクター設定で、見る者の共感を呼ぶ。しかし、話はそれだけではない。テイタムが組む“相棒”として登場する大統領役に、「ジャンゴ 繋がれざる者」の鮮烈な主演も記憶に新しい、オスカー俳優ジェイミー・フォックスを起用。フォックスは世界平和に奔走する新しいタイプの大統領を演じ、テイタムと絶妙なコンビネーションを見せる。この初顔合せは、とにかく強力だ。
白タンク姿の“ジョン”といえばあの傑作をほうふつ!
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謎の武装集団が立てこもる状況下、偶然居合わせた警官が……と聞くと、誰もがあの傑作アクション「ダイ・ハード」を思い出すに違いない。閉塞された空間で、観客が共感できる等身大の男が“仕方なく”事件に立ち向かうことになるが、“開き直って強い意志で”孤軍奮闘する姿を描いた同作は、まさにアクション映画の金字塔。その遺伝子が、「ホワイトハウス・ダウン」には注入されているのだ。テイタム演じる主人公が「ダイ・ハード」のマクレーンと同じジョンという名前だったり、途中から白いランニング姿になるのも注目だが、ヒーロー然と活躍する背景には「愛する娘を救いたい」という普通の父親の姿を感じ取ることができる。そして、フォックス扮する大統領も、親しみやすい粋な素顔が描かれ、見る者を引き込んでいくのだ。共感できる登場人物たちが、誰もが燃えるあの傑作と共通する状況下で決死の戦いを繰り広げる。“誰もが楽しめるアクション映画”となっているのも当然なのだ。
「世界の危機に直結するホワイトハウスの破壊」「高い人気と実力を誇るチャニング・テイタムとジェイミー・フォックスをダブルで起用」「傑作アクション映画『ダイ・ハード』の遺伝子を注入」という3つの“奥の手”を使い切ったことで、ついに完成したネクストステージ《エメリッヒ2.0》。
“ただ壊すのはもう古い!”と言わんばかりの新次元アクション超大作に、映画ファンが熱く燃えるのは間違いない。
大和文華館
8/16 ワイルドウォーZ
ベストセラーを記録した、マックス・ブルックスの小説を実写化したパニック大作。人間を凶暴化させる未知のウイルスの感染原因を解き明かそうと、感染者と非感染者の死闘が繰り広げられる世界各地を駆ける元国連捜査官の姿を、息詰まるタッチで活写する。ハリウッドスターのブラッド・ピットが主人公にふんし、製作も兼任。監督は『007/慰めの報酬』などのマーク・フォースター。無数の感染者が群がって生じた巨大人柱が防壁を越えようとするなど、圧倒的映像の数々に息をのむ。
元国連捜査官のジェリー(ブラッド・ピット)と家族の乗った車が、渋滞にはまっていた。すると、前方で爆発音が聞こえ、トレーラーが無数の車をはじき飛ばしてクラッシュし、パニック状態の群衆が通りになだれ込んでくる。そのただならぬ状態から家族を守ろうと、妻子を連れて逃げるジェリー。やがて、彼は人間を凶暴化させる未知のウイルスが猛スピードかつ世界的規模で感染拡大しているのを知る。そんな中、元国連職員の技能と知識を買われたジェリーは、各国を回ってウイルスの感染原因を突き止めるよう依頼される。
8/9-8/11 大学 ヨーロッパ美術史2a
8/6 The Lone Ranger
5 Hansel and Gretel: Witch Hunters
8/3,4 スクーリング 近現代美術1a
8/2 京都歴史資料館 京都国立博物館
京都市歴史資料館 「岩倉具視の幕末維新」
本市文化市民局文化財保護課との共催により,幕末から明治時代初期の政治家である岩倉具視の
関係資料を特別公開いたします。
平成25年,財団法人岩倉公旧蹟保存会の解散に伴い,所蔵の重要文化財及び京都市指定文化財な
ど全ての資料が本市に寄贈されました。岩倉具視やその一族に関する貴重な文献を始め,東京
赤坂で襲撃された時に斬られ血痕の付いた装束など,多くの遺品が文化財に指定されてい
ます。
本展覧会では,文書・絵画・写真・装束・生活道具などの諸資料から,近代国家形成期において
その頂点に立って活動した政治家岩倉具視に焦点を当て,彼の歩んだ道のりや時代の流れについ
て考えてみたいと思います。
また,ミニ展示として,NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン,新島八重が明治23年に
京都商工会議所会長の浜岡光哲に宛てた書簡も初公開します。
京都国立博物館 遊び
H25.7.13(土)〜8.25(日)
神仏に捧げた音楽や踊りに始まり、酒宴、月見、花見、船遊び、演劇の鑑賞、囲碁や双六、歌合わせ、
貝合わせ、香合わせ、子どもの乗り物や人形遊びまで、京都国立博物館が収蔵する多彩な美術品の
なかに「遊び」の姿を追いかけます。身近なテーマのもとに有名作品に親しみ、隠れた名品に出会
えるこの機会、博物館へどうぞ遊びにいらしてください。
この夏は「遊び」です。9つのテーマのもと、京都国立博物館の収蔵品から、楽しい作品、意外な作品、久々に登場する有名作品、滅多に並ばない面白い作品を選抜しました。各テーマと魅力的な作品の一部をご紹介しましょう。
1.神々から人へ
神々のために歌い踊ることを「神遊び」といいます。競馬、蹴鞠、相撲なども神前に捧げる祭礼でした。これらの遊びはやがて人々の楽しみのために催されるようになります。
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釉下彩鹿島踊図皿 旭焼 G.ワグネル作 京都国立博物館蔵
2.酒宴のたのしみ
酒席には趣向がこらされます。酒は人の心を解放し、詩人に霊感を与え、人々の親交を深めますが、ほどほどに嗜むのが理想です。
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酒飯論絵巻 部分 京都・三時知恩寺蔵
3.年中行事
日本には四季折々の行事があります。正月、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽。特別な飾りや道具を用いて行われる、年に一度の祭礼に、人々は祈りを込めつつ、また非日常の楽しみを見いだしました。
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七夕文様帷子 京都国立博物館蔵
4.遊山
遊ぶということばには、日常を離れて広い屋外を気楽に歩きまわる、という意味もあります。花見や紅葉狩り、月見に船遊び。気の合う仲間と野外で宴会を楽しみ、あるいはひとりで季節の移ろいに心を震わせます。
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花下遊楽図屏風 右隻
5.遊興
―芸能と大衆―
歌も踊りも芝居も演者がプロになり、大衆へ向けて上演されるようになります。町には芝居小屋や宴会場が設けられ、芸事を身につけた美しい女性たちが客をもてなす遊里も発達します。
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重要文化財 四条河原遊楽図屏風
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片身替蒔絵螺鈿双六盤 京都・三時知恩寺蔵
6.清遊
―文人のたしなみ―
君子は「琴棋書画」を嗜みます。すなわち音楽、囲碁将棋、詩文、絵画という四つの芸道を極めながら決して生活の糧にはしないのが、東洋の知識人が理想とする暮らしでした。心を通わす友人と知性を磨きあう、清らかで豊かな遊びの世界です。
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重要文化財 琴棋書画図襖 月船宗継筆 部分 京都国立博物館蔵
7.動物のたわむれ
動物も遊びます。そして、人も動物と遊んだり、動物で遊んだりしてきました。馬に乗って球を打つポロ、闘鶏や闘犬、鳥の鳴き声比べなどは動物がいなければできません。子犬と子供などは互いに格好の遊び相手といえるでしょう。
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群猿・唐子図屏風 長沢芦雪筆 右隻
8.室内の競技
平安貴族は室内遊びの天才です。中国から伝わった囲碁、和歌の教養を基礎にした歌合わせ、香合わせに貝合わせなど、団体戦もあれば個人戦もあり、多くは賭け事を伴いました。時代を経て発達したお座敷遊びを集めます。
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源氏物語図帖 空蝉 伝土佐光元筆 京都国立博物館蔵
9.子供の遊び、雑技、曲芸
遊びころげる子供の姿は、なごやかで幸せな暮らしの象徴です。子供の健やかな成長を願って作られる人形やおもちゃのほか、人々を笑わせる雑技や曲芸など、にぎやかで楽しい雰囲気の作品を展覧会の最後に並べます。
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重要文化財 玩具船 豊臣棄丸所用 京都・妙心寺蔵
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御所人形 かくれんぼ 入江波光コレクション 京都国立博物館蔵
京博の遊びコレクション。国立博物館はどうも敷居が高くてという方にはもっと身近に古美術に親しんでいただけますように。平常展の再開を首を長くして待っていてくださるファンのみなさんには懐かしい常連作品や初めて見る作品に出会える楽しい時となりますように。みなさんお誘い合わせのうえ、どうぞ遊びにいらしてください。
7/31-8/2 京都
◇7月31日(水)◇
受 付 (10時00分〜10時20分)
開会の挨拶 (10時20分〜10時30分) 館長 佐々木丞平
第1講 (10時30分〜12時00分) 村上 隆(京都国立博物館学芸部部長)
テーマ/大和路の古寺を巡って …わたしの調査遍歴…
第2講 (13時00分〜14時30分) 鬼原俊枝(京都国立博物館学芸部列品管理室長)
テーマ/宝物から文化財へ
第3講 (14時45分〜16時15分) 金原由紀子氏(尚美学園大学総合政策学部准教授)
テーマ/中部イタリアの大聖堂 ─信仰と美術─
◇8月1日(木)◇
第1講 (10時00分〜11時30分) 末兼俊彦(京都国立博物館学芸部研究員)
テーマ/流転する文化財 ―古社寺に伝わる仏具を中心に―
第2講 (13時00分〜14時30分) 伊東史朗氏(和歌山県立博物館 館長)
テーマ/名古屋七寺(ななつでら)阿弥陀三尊像とその周辺
第3講 (14時45分〜16時15分) 肥田路美氏(早稲田大学文学学術院教授)
テーマ/四川省安岳臥仏院の涅槃大仏と刻経窟
◇8月2日(金)◇
第1講 (10時00分〜11時30分) 山下善也(京都国立博物館学芸部連携協力室長)
テーマ/寺院と障壁画
見 学 (13時30分〜15時30分) 京都国立博物館 特別展観「遊び」展
2013 07 24 奈良国立博物館7/24 みほとけのかたち
仏像には色々な種類がありますが、普通の人間とは異なる、どこか超越的なすがたをしています。たとえば、独特の髪形や服の形、顔や手がたくさんあるもの、そして優しい顔や厳しい顔、恐ろしい鬼のような形相の仏像もあります。体の色が金色であったり、衣服に華麗な文様があらわされていたり、豪華な台座にすわったきらびやかな仏像もあります。
この展覧会は、絵画や彫刻であらわされた仏像の「かたち」に注目しながら、仏像のもつ意味や、魅力の源をたどっていくものです。展示では仏像のすがたや、部分の形、素材などの外見的なところから、仏像制作の由来、仏像のもつ霊験、さらには仏像をとりまく世界を紹介し、仏像とは何かを改めて考えていただくものです。
本展を通じて、多くの方がより仏像に対して関心を高め、仏像にこめた先人たちの思いと、その芸術性の深さに思いをはせていただければ幸いです。
平城宮跡資料館夏期企画展「平城京どうぶつえん-天平びとのアニマルアート-」
今年の夏、資料館に「平城京どうぶつえん」が期間限定オープンします。ウマ・サル・ヒツジ・イノシシ・カメ・トリ…。平城宮や平城京の発掘調査で、ひょっこりと姿をあらわした”動物”が大集合します。彼らは、天平びとが様々な思いを込めてつくり出した動物たち。そして、実際に平城京に住んでいた動物のホネも並びます。
平城京のどうぶつがまるごとわかる、平城京どうぶつえん。お子さまから大人の方まで、ご来園お待ちしております。
6/14 久保惣美術館
常設展 北斎・広重の名所と風景
- 日本を巡る -
2013年(平成25年)6月8日(土)~7月28日(日)
第四次久保惣コレクションの中から歌川広重の「東海道五十三次保永堂版」や、葛飾北斎「冨嶽三十六景」などの名所や風景を描いた浮世絵版画を中心に約60点を展示します。あわせて長崎港を描く長崎版画や大坂の名所を描く「浪花百景」なども陳列し日本の豊かな風景や四季を紹介します。
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6/13
大極殿
グランドマスター
Oblivion
story
2077年、エイリアンの攻撃を受け、地球は全壊。
生き残った人類は、他の惑星へ移住した。
たった一人残された男、ジャック。
なぜ誰もいない地球を守るために闘うのか?
全壊してもなお、地球を愛する孤高のヒーローを演じるのは、30年以上にもわたり、
ハリウッドの頂点で輝き続けるトム・クルーズ。作品ごとに観客の想像を超える演技と
成績で快進撃を続ける彼が、最新作で選んだのは、トム史上にも類を見ない、まったく
予測不可能な運命をたどるジャック。 前作『トロン:レガシー』で独自の映像ワールド
を創り出したジョセフ・コシンスキー監督と、『猿の惑星:創世記』のプロデューサーが
タッグを組み、重厚かつ、一瞬先も読めない展開が次々と繰り広げられるストーリーを作り上げた。
主人公ジャックはなぜひとりで地球を監視するのか?突如現れたジュリア(オルガ・キュリレンコ)
と謎の男ビーチ(モーガン・フリーマン)、それぞれのキャラクターの視点によるストーリーが絡み合い、
様々な謎が明らかになるクライマックスでは、かつてない衝撃と感動に包まれる!
スクーリング
芸術遺産研究1 (奈良)
5/28 ライジングドラゴン




解説
ジャッキー・チェンが監督、製作、脚本、主演を務め、伝説の秘宝をめぐり繰り広げられる冒険を描いたアクションアドベンチャー。諸外国の度重なる侵攻により国外に散ってしまった中国・清王朝時代の秘宝を集めるため、アンティークディーラーのマックスプロフィット社は、「アジアの鷹」と呼ばれる世界を股にかけたトレジャーハンターのJCを雇う。JCは特殊チームを結成し、十二支の動物にまつわるそれらの秘宝を集めるため世界を駆けめぐるが、行く先々で強敵が立ちはだかる。ジャッキーの代表作として知られる「サンダーアーム 龍兄虎弟」(1986)、「プロジェクト・イーグル」(91)に続き、ジャッキーが冒険家「アジアの鷹」に扮する。
チェンが監督、製作、脚本、主演を兼ね、伝説の秘宝をめぐり繰り広げられる冒険を描いたアクションアドベンチャー。チェンの代表作「サンダーアーム 龍兄虎弟」(1986)、「プロジェクト・イーグル」(91)に続き、トレジャーハンターの“アジアの鷹”に扮し、ノースタントでのアクションに挑んだ。日本語吹き替え版では、声優の石丸博也がチェンの声を担当している。
「アジアの鷹」の異名を持つトレジャーハンターのJCは、大富豪の依頼を受け、諸外国に略奪されてしまった中国・清王朝時代の秘宝の収集に乗り出す。しかし、JCと特殊チームの行く手を謎の刺客がさえぎり、その裏では巨大な陰謀が動き出していた。
予告編では、アジアやヨーロッパなど世界各地を舞台に、チェン演じるJCが命知らずのアクションを披露している。ローラーブレードスーツを装着し、道・壁・天井を自由自在に爆走。さらに、チェンおなじみのカンフーバトルや、燃えたぎる火山めがけた決死のスカイダイビングなど、手に汗にぎるシーンが矢継ぎ早に映し出される。ポスタービジュアルは、トレジャーハンターの衣装に包んだチェンらが、固い決意をうかがわせる表情を浮かべ、“最後”にふさわしい激しい戦いを予感させる。
5/16 図書館戦争


正化(せいか)31年、あらゆるメディアを取り締まる法律「メディア良化法」が施行され30年が過ぎた日本。
公序良俗を乱す表現を取り締まるために、武力も厭わぬ検閲が正当化されていた―。
そんな時代でも読書の自由を守るため、その検閲に対抗すべく生まれた図書館の自衛組織「図書隊」に笠原郁[かさはら いく](榮倉奈々)が入隊する。
高校時代に読みたい本と自分を助けてくれた図書隊員を“王子様”と憧れての入隊だった。
ところが、担当教官の二等図書正・堂上篤[どうじょう あつし](岡田准一)は事あるごとに厳しく指導をする鬼教官で、郁の憧れの王子様図書隊員のことも「あさはかで愚かな隊員だ」とバッサリ。
激しく反発する郁だが、堂上は厳しく突き放しながらも絶妙のタイミングでフォローを入れつつ郁を育てる。
そのツンデレ訓練のおかげか、郁は女性初の図書特殊部隊(ライブラリータスクフォース)に配属される。
堂上や小牧幹久[こまき みきひさ](田中圭)の下で、同期の超エリート・手塚光[てづか ひかる](福士蒼汰)にコケにされたり、業務部の美人同期・柴崎麻子[しばさき あさこ](栗山千明)に励まされたりしながら、ハードな訓練と図書館業務をこなす。
そんな日々の中で、なぜだか郁は優しかった王子様とは正反対の堂上のことが段々と気になる存在になっていく…。
実はその裏には堂上には郁には絶対に言えない秘密があったのだった。
ある日、「メディア良化法」に関わるあらゆる報道資料が残っている小田原の情報歴史図書館が閉館されることになり、その全資料が関東図書隊に移管されることとなる。
その報道資料は、法成立に関わる真実さえをも明るみにするものだと言われており、その事実をもみ消したいメディア良化委員会が喉から手が出るほど欲しがるもの。
その資料受け渡しの日が図書隊と良化隊との全面戦争の日となるのは避けられないものとなってくる。
ところが、危険な前線に立つべきタスクフォースの一員であるにもかかわらず、郁は突然戦闘配備から外され、図書基地司令・仁科巌[にしな いわお](石坂浩二)の護衛を命じられる。
ショックを隠せない郁に、堂上は何の言葉もかけようとしない。
本を守るための過去最大の戦闘が始まるそのとき、堂上の耳にもう一つの思わぬ事件が知らされる…。
はたして堂上を襲った思わぬ事件とは?
堂上は本を、自由を、そして郁を守れるのか?
愛と自由を守るための戦いが今始まる―。
京都市歴史資料館 江戸時代の京都は出版の中心地でした。仏教書,儒学や国学の研究書など様々な書籍が刊行され,日本中に広まっていきました。その中には京都自体のことを記した書籍もたくさんあります。名所や年中行事のガイドブックだけでなく,京都の歴史や地理を研究した書籍まで,幅広い「京都本」が出版されていました。今回のテーマ展では,そういった江戸時代の「京都本」を紹介します。
京都 仁和寺 




DVD
大阪府立中央図書館
映画 ラストスタンド
映画 ラストスタンド
解説
2003~11年まで米カリフォルニア州知事を務めたアーノルド・シュワルツェネッガーの俳優復帰後初となる主演作。ロサンゼルス市警の敏腕刑事として活躍していたオーウェンズは、今では第一線を退き、メキシコとの国境に近い田舎町で保安官を務めていた。そんなある日、逃走した警官殺しの凶悪犯が町に向かっているとの知らせが入り、警察やFBIの応援も間に合わないと知ったオーウェンズは、戦闘経験のない部下や町の仲間、銃器オタクらでチームを組んで凶悪犯を迎え撃つ。「グッド・バッド・ウィアード」「悪魔を見た」などで知られる韓国のキム・ジウン監督のハリウッド進出作。
映画のストーリー結末の記載を含むものもあります。
小大
元LAPDの敏腕刑事オーウェンズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、いまでは第一線を退き、国境付近の小さな街の保安官となって静かな週末を過ごしていた。そんな折、FBIから一本の電話が入る。移送中の凶悪犯罪者が逃走、最新鋭の車を操り時速300キロでメキシコ国境に向かっているという。軍隊並みに訓練された仲間のサポートでFBIを振り切り、もうすぐこの街を通過するらしい。警察の応援も間に合わず、十分な武器も持ち合わせない中、オーウェンズは忘れていた闘志を呼び起こす。彼は戦闘経験のない部下と、素人同然の仲間でチームを結成、街の銃器オタクが収集した骨董品を集め始める。やがて「俺たちが最後の砦だ」と結束したオーウェンズと彼を慕う4人の仲間は、凶悪武装集団に立ち向かっていく……。
2013050 祝春一番2013 5/4 祝春一番コンサート
・アチャコ(vo.)&フレンズ
ベーカー土居(d.) 仲豊夫(g.) 増田俊郎(g.) ハマちゃん(b.) ホカちゃん(sax.) モーリー宮本(カホン) ハッちゃん(ピアニカ) ミキちゃん(cho.) ジュンちゃん(cho.)
・李知承(vo.g.)
・歌屋BOOTEE
KASA SLIM(vo.g.) 芳賀まさひろ(g.)
・加川良(vo.g.)
・キム ウリョン(vo.g.)と横浜方面
Little Woody(wb.) 宮下広輔(Pedal Steel) gnkosai(d.)
・きわわ
小野一穂(vo.g.) 宮下広輔(vo.Pedal Steel) gnkosai(vo.d.)
・ぐぶつ
庄司均(vo.g.) 山崎元治(vo.g.) 萩原ヨシロー(g.cho.) 宗根茂(per.) イカマツ(per.cho.) 浜勝良(b.cho.) 太田貴文(d.)岸上玲奈(per.)
・C-RAG(vo.)&ハートビートクルー
けいめい(d.) とうじ(b.) mango(g.) 角(tb.) 半蔵(sax.) まさかず(per.) JinJin(key.)
・曽我部恵一(vo.g.)
・華たかだか
藤井裕(vo.b.) 池田哲也(vo.g.) 中野新哉(vo.g.) 富樫奈津美(d.)
・三宅伸治(vo.g.)BAND
高橋"Jr"知治(b.)杉山章二丸(d.)厚見玲衣(key.)梅津和時(sax.) 中村耕一(vo.g.)
and more...
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20130427 京都
15世紀前半に南米アンデスの高地に興り、16世紀前半には南北4千キロに広がる大帝国を築いたインカ。 このアンデス文明史上、最大にして最後の大帝国をめぐる様々な謎に関して、
百年以上にわたっておこなわれてきた研究は、謎に満ちた文明の姿を徐々に明らかにしつつあります。 本展覧会は四部構成で、考古学、人類学、そして歴史学によって見えてきた、インカの人々とその人々の姿、 そして、スペインによる征服後にその社会がどのように変貌したのかをご紹介します。展示総数約160点。 ほとんどが日本初公開です。
本展は、古代文明としてのインカだけではなく、植民地期インカをも視野に入れ、現代の視点から見た「世界史の中のインカ」も考察します。 最新の研究によって明らかにされたこのユニークな文明の実像を知ることは、好奇心を満たすだけではなく、 大きな現代的意味をもつことでしょう。